終焉

きづ柚希

第1話 回想



 世界は一度、終わったのだと言う。

 度重なる戦争によって人類の数は減り、自然災害、急激な気候変動により人類の活動領域は狭められた。そこで西暦2208年、著名な生物学者である鈴本春一は「箱庭計画」を提唱した。

 【──人類、ひいてこの惑星上の動植物全てが今、抗いようも無い苦難に責め苛まれている。このまま何も行動を起こさずに時が過ぎるのを待てば、人類はおろか他の種族でさえも、この劣悪な環境に耐えうることなく絶滅するだろう。そこで私は「箱庭計画」を提唱する。世界各地で地下何層かにわたる地下空間を作り上げ、そこに今生きうる動物を全て放ち、箱庭の楽園を造り上げるのだ。】

 その計画の提唱から月日が経ちその10年後には、惑星上に居る全ての動植物が地下空間へと移送された。

 日本国では地下に半径10キロメートル、高さ2キロメートルの円柱を六つにも重ねた巨大建築物を建設し、そこに日本固有種、在来種と言える動植物と僅かに残った人間を避難させた。ドーム型の強化ガラスで天井部分を覆った第一層以外の残り第二層から第六層に住む人間は、人口太陽下での生活を余儀なくされる。そこで人間を能力別に分類し、その能力が最たる者たちだけに第一層に住むことを許可した。

 僅かな特別階級の人間だけが強化ガラス越しといえども間接的に太陽の光を享受し、その他残り大勢が人工太陽の下で生を営む。彼らにとってガラス越しの太陽は本物の日の光に当たることが出来ない自らの惨めさを強調させるものであり、またもう一方の彼らにとって人口太陽もまた自身の無力さを知らしめるものであった。

 言葉を発する動物は憂い嘆くのだ。地下世界に追い込まれた自身を。そうしたのは紛うこと無く彼らのせいであるというのに。彼らは、外の世界をひどく切望している。




「術式【春のつむじ風】、移動対象ア行日本の植物、移動方向IDS10009、解除ワード世界ぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」

『生体認証クリア。声紋認証クリア。ただいま演算中です。IDS系列は優先的に術式が受理されます』

 右耳に埋め込まれた生体認証チップは個人の身体情報を表すだけでなく、人工知能との通信目的にも使われる。機械じみた女性の声を聞くことにももう慣れた。僕は紙に鉛筆を滑らせながら、僕は本が手元に届くのを待つ。

 ここは日本国第二層学生エリア内の国立図書館、僕はそこに居た。360度見渡す限りすべてが本で埋め尽くされたここは日本国内でも珍しく紙の本が集まる場所である。円状の建物内、その全てが書籍で埋め尽くされている光景はまさに圧巻と言えるものだ。何層にも重なった本棚が中央に居る人を威圧するように背表紙を向けている。視界の端で数体のロボットが書籍の整理整頓、修復、掃除などの作業をこなしていた。

『演算終了。10秒お待ちください』

 術式名は春のつむじ風、この術式は自身の目に届く範囲の者を、自分の手を使わずに移動させることに適している。簡単な書き物をしながら待っていれば、ふわふわと空中から目当ての書物が漂ってくる。机の上に音もなく書籍が置かれた瞬間、『術式完了。省電力モードに移ります』という声が耳元で聞こえた。

 こんなことが出来てしまうのは建物全体いや国全体に生体認証が出来るセンサーや演算処理、天候操作が出来るパネルが埋め込まれているからであり、物体名および位置情報を口頭で人工知能を通じて各階層のデータベースに伝えることで、この“魔法”を扱うことが出来る。実際は“魔法”なんていう空想じみた名前ではなく、生体認証あるいはIDあるいは位置情報を用いた物質輸送、情報伝達および情報処理システムという長ったらしい名前があるのだけれど、この国でそんな名前で呼ぶものはまずいない。大体の者は“魔法”であったり“術式”であったりただ単に“システム”と呼んでいる。

 もちろんこの術式は場所や物体によってかなりの制限、――森林区域や図書館では炎を扱うことは出来ないし、人間に対して使うことは禁忌とされている、がある。まあそれに反抗するようにシステムをジャックする、はた目から見れば馬鹿のように見える人間がたまに居たり居なかったりするわけだけれど。しかしその大半は国内に複数ある人工知能たちの手によって防がれてしまう。この複数あるという人工知能と言うのは、主に術式を使うための演算処理、あとは人間をサポートするため、世話をするために置かれており、僕らはこれらのことをメントレと呼んでいる。術式の補助はもちろんのこと、例えば今日の夕飯はどうするだとか、もっと重要なこととなればこの先どのように生きて行けばいいのだろうかだとか、そんな日々の小さな選択事からこれからに関わる重要な選択事までを彼らは適格にアドバイスをしてくれる。僕らの生活はメントレに支えられていると言っても過言ではない。

 最後の行を書き終え、ふうと息をついたのも束の間のことだった。こつんと後ろから足音が聞こえ、息が詰まった声にならない声が聞こえた。後ろから気配を感じる。一体僕に何の用だろう、と振り向けばその当の人間は驚いたように目を見開き、口を開けていた。驚かすつもりだったのだろう振り上げた腕が、行き場もなくさ迷っている。

「……一体何の用?」

「何の用とはまた……。授業さぼってるお前を呼び戻して来いと命じられた俺の身にもなれよ……。端末の電源切りやがって」

「そういう吉野も呼び戻す気なんてさらさら無いくせに。あわよくば一緒にさぼろうとしてる。違う?」

「言うようになったな春樹。まあその通りなんだけど」

 吉野、僕とは同級生でつんつんとした髪の毛が特徴的な彼は隣に腰を下ろした。手慣れたようにワイシャツのボタンを一つ外し、ネクタイを緩める。いつもは“S”のIDを持つものとして模範的に振る舞っている彼ではあるが、僕の前ではそれが全くと言って消えてしまうのだからどうにかしてほしいものだ。僕自身も彼を前にすると色々と喋りすぎてしまう。まあ気心が知れている仲と言えるだろう。

「げっ、お前さぼってまで勉強してるのかよ。物好きだよな」

 彼は僕のびっしりと書き込まれたノートを見て顔を顰めた。この国では、就学前の検診で能力値を計測し、能力がある者とない者に分類する。最も優秀な頭脳を持つ者には“S”のIDが付与され、それ以外にはAやBと言ったIDが付与されることとなる。そして就学後一定の月日が経つと、学校内で専攻の適性検査が行われる。そこに自身の意思が反映されることはあまりなく、メントレが試験結果や授業態度を考慮して機械的に決定される。確か彼の専攻は政治学であったはずで、適性があったとはいえ勉強することがあまり好きでは無いと言っていた。彼自身結構な脳筋なので、きっと座学が嫌いと言う意味なのだろうけれど。

「自分から学んだ方が得るものは大きいし。かといって授業に出ないで自分の勉強をしてるっていうのもいかがなものかとは思うけどね」

「分かってるんだったらちゃんと授業に参加しろよな。全く世話が焼けるやつだぜ」

 吉野はふあ、とあくびをした。吉野の携帯端末、――主に連絡をするときに使うものがポケットの中でぶるぶると震えている音が頻繁に聞こえる。これは先生からの早く戻って来いと言う催促だ、と僕が苦笑いしていると「内緒な」と電源を落とした。中々に良い性格としている。

 彼は僕が借りた植物図鑑のページを無造作にめくりながら、「さっぱり分かんねえや」と呟いた。僕の専攻は植物学で、政治学を専攻する彼には関係性も何もない分野だ。

 ふと僕は、最近世間を賑わせているとあるニュースを思い出した。政府も次々とそのことについて新しい情報を発表している。彼もきっと知っているはずで、そのことについての彼の好奇心と言ったら目を見張るものがあるから、話題に出してくるのかと思ったのだけれど。僕はそのことを話すべく、ゆっくりと口を開く。

「……ああそうだ。最近、地上の環境が地下と大差ないと報道されていただろう? きっと遠くない未来、人間が地上で生活することになるかもしれない。僕は、それがすごく楽しみなんだ。人が消えて何百年と経った地上は自然に返っていると思うし、そこにはここには無い植物がたくさんあると思う。それを観察したり研究したりできるって思うと、本当に楽しみで……――


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