世界に挑む“ヒトリゴト”

宙目ケン

Chapter List

① 愛の奇跡と暴力の応酬 (December 2014→April 2015)

1章:浅田真央;愛を力に変える神秘のアスリート(ソチ五輪・奇跡の4分9秒)

         

      2014年のスポーツ界で最高の1シーンは何だったか? 

 

 そう聞かれれば、僕は迷わずソチ五輪のフィギュア、浅田真央のフリー演技だと答える。 僕は本当に数多くのスポーツを見るが、他に候補が浮かばないほど、それはダントツの1位である。スポーツ雑誌『NUMBER』も総集編と題した年末特集号で、

“2014年の顔”として浅田真央を選び、フリー演技後に涙する彼女の姿を表紙にしていた。日本のスポーツジャーナリズムの中核にある雑誌でありながら、メダルは獲れなかったという結果を度外視しての、その判断はまったく賞賛すべきものだ。


    あの4分09秒の奇跡には本当に感動させられ、そしてそれ以上に

    大いに考えさせられた。何が浅田真央をあれほどまでに変えたのか。

          なぜ、あんな事が起こりえたのか。

   

 2014年2月、ロシアのソチで開催された冬のオリンピック、女子フィギュアスケート。金メダルの有力候補の1人、浅田真央は初日のSPで大失敗をした。

 55点、全体の16位。それは約10年に渡る彼女の競技フィギュア人生史上、サイアクの演技だったに違いない。

 しかしだ。その翌日、浅田真央はフリースケーティングで奇跡的な起死回生。圧巻の演技を見せてフリーでは全体の3位、自己ベストとなる142点を叩き出し、自身も「生涯最高の演技だった」と振り返った。つまり、生涯サイアクのSPから一転、たった1日で生涯最高のフリー演技を持ってきたのだ。


 翌日の朝日新聞に、元日本代表のスケーター、佐藤由香のコメントが掲載された。

“浅田はSPの失敗後、オリンピックのメダル争いという重圧から解放された事で、フリーでは本来の実力を出せたのだろう”。この指摘には一理ある。仮にSPが好成績であれば、浅田はあそこまで最高の演技が出来ただろうか。彼女自身も、「SPがああだったからこそ、フリーが完ぺきに出来たのかも」とTV番組で荒川静香に語っていた。



         【愛情型とプライド型に大別されるアスリート】


 だが、その大きな切り替えは、圧倒的な精神力による事でもある。メダル争いという最前線で受けるプレッシャーもすごいが、金メダルの有力候補がどん底に落ちてしまった時に受けるプレッシャーも同等のものだ。SPに続き、フリーまで大失敗すれば、どうしよう。そんなことになれば、これまで自分が築き上げてきたものさえ全て台無しになる。人生全てがムダに終わってしまう。そうなったら、どうしよう。こういった不安や恐怖を乗り越えるのにも、相当の精神力が必要になる。それは一体、どこからやって来たのだろう。


        SPの悲劇の後に浅田真央を激変させたもの。

    それは第一に、周囲の大いなる愛情に応えようとする彼女の純真さ、

       あるいは神秘的な力とでも言えるものではないだろうか。


 アスリートもまた大きく見れば“プライド型”と“愛情型”に分かれる。プライド型は自分なりの理想を持ち、自己実現力に長けている。確固としたエゴがあるので、どんな状況、大きなプレッシャーの中でも自分をキープでき、成果を上げる事ができる。だが、その反面、周囲の愛に応える力が不足している。あまりに自分自身に関心がありすぎるため、人に目を向ける余裕がなくなるのだ。そのため、ムリに愛情深くふるまったり、周囲のサポートが大きすぎたりすると、本来の力を失って大失敗する事もある。

 一方、愛情型の人はエゴが薄いので、現実的な状況に左右されやすくプレッシャーにも弱い。だがその反面、大きな包容力があるため周囲からの大きな愛や応援があると驚異的な力を発揮する事もある。

 もちろん人のパーソナリティは複雑なものであり、この2つのどちらかに単純に割り振りできるものではない。プライド型の人でも周囲の愛が支えになる事があるし、愛情型の人でも強い精神力で困難を克服する事もある。従って、ここでは、愛とプライドの度合いの強さによって、人のタイプをその2つに分けていると見て欲しい。


 浅田と同じフィギュア・スケーター、羽生結弦はプライド型のアスリートである。彼は東北大震災で被災し、その後2年ほどは地元東北で被災者を元気づけるという大儀の元にスケートをしていた。だが、まったく成果が上がらなかった。そこで単身カナダに移り、まずは自分のために滑るという事を徹底した。彼の大躍進が始まったのは、その年、2013年からである。

 浅田の元ライバル、韓国のキム・ヨナもプライド型だ。2008年暮れのグランプリ・ファイナル。それは地元韓国で行われたものだったがヨナはミスを犯し、浅田真央が優勝する事となった。大々的なサポートを受けての敗北だっただけに、ヨナにとって人生サイアクの出来事の1つだったのではないだろうか。ヨナにはきっと大きすぎる声援が重荷になっていたハズだ。ロシアのリプニツカヤもまた個性的なプライド型であり、地元ロシア開催のソチオリンピックで優勝候補として上げられながら、ミスを犯して最終的に5位に沈んだ。



          【真央は支えてあげなきゃダメな子だ】


 一方、浅田真央は愛情型のアスリートである。彼女はソチ五輪でプレッシャーにのまれてSPで大失敗をした。が、それによって、大勢の味方を得る事になった。TVキャスターを務めていた荒川静香はさっそくメールで技術的な助言をし、姉の浅田舞は電話で「ママが生きていたら、カンカンに怒られるよ」と叱咤激励し、佐藤コーチも「緊張するのは集中していないからだ」と渇を入れた。

 何よりも翌日、ソチのアイスリンクでは、客席から彼女に向けて多くの日本国民の心情を代弁するかのように大々的な応援が巻き起こった。

 僕は、スポーツの世界で、あれほど大勢のファンが特定の選手に対して深い愛情に満ちた華々しい声援を送った場面を他に見た事がない。


 そして、浅田真央は愛情に応えた。あの奇跡の起死回生は、周囲の大いなるサポートと彼女の類まれなる愛情深さによってもたらされたものに違いない。おそらく、浅田は五輪が近づくにつれ、周囲をどんどん遠ざけていっていたのではないか。多くのこと、悩みや不安やストレスを自分1人で背負い込みすぎていたのではないか。

「ソチ五輪を集大成にする」と宣言し、自分で自分にプレッシャーをかけていた事からも、それがうかがえる。そこには明らかに慢心があった。

 浅田は羽生やヨナのような確固とした個を持ったタイプではない。彼女の愛情深さは、周囲の動向、大きな重圧に飲み込まれるという精神的な弱さを合わせ持つ。それが、あのSPの悲劇をもたらしたのだ。その姿を見た身内やファンは、“やっぱり真央は支えてあげなきゃダメな子だ”と思い直したに違いない。 


 SPとフリーの大ギャップ、その元には浅田真央の慢心と愛情深さがある。

 「ソチを集大成にする」と早々に意気込み、1人で多くのことを背負い込んだ彼女は五輪への入り方から間違っていた。それがSPの大崩れにつながったのだ。


     しかし、この大転落が周囲からの支えと愛を一気に呼び込み

     彼女は本来の才能あふれるスケーターに戻ることができた。

    その元には、浅田の類いまれなる愛情深さと大きな包容力がある。

     彼女は周囲から愛されれば愛されるほど大きな力を発揮する。

        そのため周囲はますます彼女を愛そうとする。

大勢の人からの愛を自らの内に取り込み、それによって自分本来の力を発揮する。

そのある種、神秘的な事態こそが奇跡の4分09秒に元になったのではないか。


フリー演技後、浅田は号泣した。最初それは悔し涙のように見えた。何でこの演技がSPでも出来なかったのか。何で4年に1度のオリンピックを台無しにしてしまったのか。

 だが、それはすぐに変化する。後悔や哀しみの色が消えてゆき、それは光に包まれ始める。そして彼女は、涙にぬれた顔のまま明るい笑みを見せた。きっと、それは周囲の大いなる愛への感謝を表す涙であり、その愛に生涯最高の演技という形で応えられた事による歓喜の涙であり、かつそれを実現できた自身の努力と才能を誇る勝利の涙であったハズだ。

 もちろんメダルには届かなかった。だが、映画『ロッキー』の第一作のように、結果が出なかったからこそ、そのアスリートの精神的な輝きがより際立つこととなった。

 彼女は最大の愛情とプライドをソチに残す事はできた。競技フィギュア・スケーター浅田真央、ここにあり。その姿は、多くの日本人同様、僕も一生忘れることがないだろう。



         【大きな可能性がある、ピョンチャン五輪】


 ソチ五輪から1月後、2014年世界フィギュアで、彼女は3度目の世界チャンピオンとなった。これで実績としても同世代の才能あふれるライヴァル選手よりも多くのものを残せた事になる。フィギュアの競技選手にとって、オリンピックはあくまでお祭りであり、そのチャンピオンは毎回、一発屋のような存在に過ぎない。本物の実績は、世界フィギュアを頂点にした国際大会で積まれてゆくものだ。

 

 振り返れば浅田真央にとってオリンピックとは、結果ではなく理想を追求する場だった。

 10年ヴァンクーヴァーではSP&フリーで3度のトリプルアクセルを決めるという前人未到の偉業を達成。それはキム・ヨナの2つの完ぺきな演技と同等の感動を与えるものだった。そして、14年ソチではフリーで“8トリプル”という8種類の3回転ジャンプを全て成功させ、これまた前人未到の偉業を達成。さらに、それがSPからの奇跡的な起死回生であったため、前回五輪よりも大きな感動を生んだ。


 最大のポイントは、4年後のオリンピックが隣国の韓国、ピョンチャンで行われるということだ。そこは、大々的な日本のファンのサポートが大いに期待できる場所だ。また韓国国内にも真央ファンは多く、地元の応援も期待できる。ソチ五輪の奇跡の4分が示したよう、浅田真央は周囲の愛を力に変えられるアスリートだ。愛されれば愛されるほど、力を発揮する神秘的な能力を持った人だ。


 浅田真央が、五輪の重圧を1人で背負い込むことなく、周囲にこころを開いてピョンチャンに臨めば。人の愛を受け入れ、それに応えようとする、その本来の彼女らしさを持ち続けていれば、オリンピックの女神もきっと彼女を愛してくれるだろう。<2014/12/31>■

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