29歳のおままごと

蔵入ミキサ

秋の日の公園の話

 

 やまあらし公園。

 雑木林のそばにある、普通の公園だ。砂場、すべり台、ブランコ、鉄棒、シーソーと、遊具のラインナップも至って普通。

 しかし唯一、普通ではない点があった。それは、この公園にまつわる、ある噂だ。


 「は……? 『キモババア』?」

 「うん! カケヤ兄ちゃん、知ってる?」


 とある秋の日の、土曜日の午後。

 中学一年生の早原カケヤは、兄弟5人でやまあらし公園に来ていた。みんなで仲良く、園内の遊具で一通り遊び終わり、現在は公園の外にある自動販売機のそばで、休憩している。

 

 「お兄ちゃん、これ開けて」

 「ああ、貸してみな」

 「カケヤ兄ちゃん、こっちも」

 「兄ちゃん、これもっ!」

 「わたしのも……」

 

 缶のフタが開けられなくて困っている弟達、妹達から、四本の缶ジュースを受け取る。

 長男ゆえの慌ただしさを実感しながら、カケヤはプシュプシュとフタを開けた。

 

 「……で、なんの話だっけ」

 「だから、『キモババア』だよ。この公園に出るらしいんだ」

 兄弟の上から三番目、小学三年生の弟ジュンゴに、ジュースを手渡しながら、彼の話に耳を傾けた。

 「いやぁ、聞いたことないなぁ」

 「カケヤ兄ちゃん、知らないんだ」

 「それで、その『キモババア』は何者? 公園で、何をしてるんだ?」

 「正体不明のババアだよ。特に何かしてくるわけじゃないらしいけど、とにかく動きが気持ち悪いんだって」

 「あははっ、それだけ? それなら、一度見てみたいな」

 「でも、あんまり人前には現れないらしいんだ。だからこうして、密かに噂になってるんだよ」


 『キモババア』


 カケヤは、その名前と特徴を記憶に刻み、ジュースを一気に飲み干した。

 ……学校で、友達との会話のネタにはなるかもしれない。

 今はまだ、カケヤの中では、それぐらいの意識しかなかった。

 

 「兄ちゃん、もうみんなジュース飲み終わったみたいだよ? そろそろ戻ろうよ」

 「うん、そうしよう」

 

 五人兄弟の四番目、小学一年生の弟ケンタロウにせがまれて、みんなで仲良く、また公園の中へと戻った。


 * 

 

 再び、やまあらし公園。

 この場において最年長のカケヤは、園内を楽しそうにはしゃぎ回る弟や妹達の、面倒を見ることが仕事だ。兄弟が、事件や事故に巻き込まれないように……と、彼自身も、長男としての責任を感じていた。

 

 「みんな、遊ぶのはいいけど、怪我だけはしないように……」

 

 そう言いかけて、やめた。

 

 弟も妹も、走り回っていない。それどころか、四人とも氷ついたように固まっている。

 全員、ある一点を凝視しながら、一言も発することなく、立ち止まっているのだ。

 

 (えっ……? なんだあれ……)

 

 10メートルほど離れた場所にある、その異様な光景は、最後に公園に足を踏み入れたカケヤの目にも、飛び込んできた。


 「はぁっ……。はぁ、あぁんっ……」


 女の人だ。

 茶髪のロングヘアの女性が、鉄棒のそばにいた。身につけているコートの前面を開け、股を大きく広げて、股間を鉄棒の柱に擦りつけている。


 「あぁ……はぁっ、んっ……」


 その女性はこちらに気付かず、息を荒くしながら、一心不乱に腰を動かし続けた。

 

 5人兄弟の中でも、思春期に突入しているカケヤ少年は、彼女の快楽に溺れた表情を見て、その行為の意味を察してしまった。実際に女性が、その行為に及んでいる姿を見るのは、初めての経験だったが。

 

 しかし、ここは公園だ。こんな人目につく場所で、そんな卑猥な行為にふける人間がいるなんて、にわかには信じがたい。

 

 (な、何考えてるんだ、あの人っ! なんで、こんなところで、そんなことをっ!?) 

 

 数秒後。

 我に返ったカケヤは、とにかく安全に兄弟をこの場から遠ざけることを、最優先に考えた。

 

 「み、みんなっ! あっちで遊ぼうか」

 

 しかし、平静を装うカケヤの言葉を無視して、弟のジュンゴは目の前のそれを指さしながら、叫んでしまった。


 「『キモババア』だっ!!!!」

 「「「「!!?」」」」


 兄弟全員で、一斉にジュンゴの方を見た。鉄棒のそばにいるキモババアも、その大声にびっくりして動きを止め、顔をこちらへ向けた。

 

 ……目があった。

 

 「……!」

 

 カケヤは咄嗟に、兄弟を守るため集団の先頭に立った。しかし、先に行動に出たのはキモババアではなく、こちらのやんちゃ坊主たちだった。

 

 「キモババア、どっかいけっ!!」

 「公園からでてけーっ!!」

 

 遊び場を脅かされた、子供の反撃だ。

 弟達二人は地面に落ちていた小石を拾い、全力投球しながら、キモババアの方へ走って行ってしまった。

 

 「あ、おいっ! 行っちゃダメだっ!」

 

 カケヤは、自分の後ろで怯える二人の妹の様子を見ながら、弟達の後を追った。


 「……!?」


 キモババアは、こちら以上に動揺している。

 彼女は、開いたコートの前面を両腕で隠しながら、やる気満々の弟達から逃げようとした。しかし……。

 

 ガツン。

 

 「きゃあっ!」

 

 ジュンゴの投げた石が、キモババアの頭に命中した。

 彼女は悲鳴をあげ、一瞬立ち止まるも、頭を両手で守りながら、再び公園の隣の雑木林の奥へと駆けていった。

 

 「「まてーっ!!」」

 「やめろっ! お前達は追うなっ!」

 

 カケヤは、弟二人の服を右手左手でそれぞれつかみ、グイッと後ろへ引っ張った。二人の男の子はその力によって、ようやく止まった。

 

 「ハスミ、この二人を見ていてくれっ!」

 「お兄ちゃん、気をつけてっ!」

 

 5人兄妹の二番目、小学五年生の妹ハスミに弟達を託し、カケヤはそのまま全力で、キモババアの後を追った。

 

 「あのババアをやっつけちゃえっ! カケヤ兄ちゃんっ!」

 

 ジュンゴは、不審者を追いかける兄にエールを送ったが、その兄の目的は「やっつける」ことではなかった。


 * * 


 「はぁっ……はぁっ……!」

 

 雑木林の中を、ハイヒールサンダルを履いた女性が、転びそうになりながら走っている。

 

 「ま、待って下さいっ!」

 

 その少し後ろを、運動靴を履いた少年が、しっかりとした足取りで走っている。

 当然のことながらその差は徐々に縮まり、少年はその女性が羽織っているロングコートに、もう少しで手が届くところまで、一気に詰め寄った。

 

 「止まって! 止まれっ!!」

 「い、いやぁっ……!」


 コツッ。


 キモババアは、不安定な小石をヒールで踏んで、バランスを崩した。長い髪を乱しながら、体勢を立て直そうとするが、勢いのついた身体に逆らうことはできなかったようだ。

 

 「あっ、あぁっ……きゃっ!」

 

 ドスン。

 大きなお尻が、地面についた。それを見たカケヤは、走るのをやめ、その女性のそばまで歩いて近づいた。

 

 追走劇は、幕を下ろした。

 キモババアは、女性特有の内股座りでその場に座り込み、両腕を抱いてうずくまるようにして、体を小さくしている。

 

 「はぁ、はぁ……、ごめん……なさい……!」

 「えっ?」

 「ごめんなさいっ! ごめんなさい!! お願いっ、やめてぇっ……!!」

 「なっ……!?」

 

 カケヤは、全てに驚いた。

 まず「キモババア」は、ババアと呼ぶには若すぎた。30代半ばのカケヤの母親より、明らかに若く……美しい。

 そして、格好もおかしい。

 彼女がロングコートの下に身につけているのは、水着だった。水色でフリルのビキニだが、ここは海でもプールでもない。

 緩く内側にカールしたロングヘアは、豊満な胸の辺りまで伸び、彼女が叫ぶ度に少し揺れた。

 

 「あのっ」

 「ひっ……! ご、ごめんなさいっ……!」

 「いえ、そうじゃなくて」

 「ごめんなさいっ! ごめんなさい……」

 「違うんですっ!!」

 「えっ……?」

 

 顔を上げた彼女もまた、驚いていた。

 自分に、手を差し伸べられていることが、信じられないらしい。

 

 「大丈夫ですか?」

 「え、ええ……」

 「いや、その……石をぶつけられたところは?」

 「石? ……あっ!!」

 

 キモババアは右手で、自らの額に触れた。そして彼女は、その指にほんのりと湿り気を感じた。

 

 「血……?」

 「わ、うわっ、すいませんでしたっ!」

 「えっ、何……?」

 「弟達が投げた石のせいで、こんな事になってしまって……!」

 「お、弟??」

 「あの、先に……代わりに僕が謝りますっ! 本当に、すいませんでしたっ!」

 「……?」

 

 状況がまだうまく飲み込めてないキモババアは、カケヤの手を掴んで、ゆっくりと立ち上がった。カケヤは、彼女の手の冷たさを感じ、そして大人の女性の重みを感じた。


 「頭は、痛みますか?」

 「え……? ええ、少し」

 「弟達もここへ連れてきて、ちゃんと謝らせますっ! それと、両親に事情を説明して、こちらが掛けた迷惑の責任は、必ずとりますからっ!」

 「責任……」

 「本当に、本当にすいませんでした!!」

 「……」

 

 カケヤは深く頭を下げ、謝罪の言葉を述べた。キモババアは、そんな彼の手を握ったまま、その謝罪をじっと見ていた。

 

 「じゃあ、今から弟達を呼んで来るので……」

 

 じっと、見ていた。

 

 「あ、あの……?」

 

 手を握ったまま。

 

 「ぼ、僕についてくるおつもりですか?」

 「あっ!! いえ、その……。あなたの手が、暖かくて……」

 「えっと……それじゃあ僕と一緒に、向こうへいきますか?」

 「い、いいのっ! 謝ってもらうのとか、親に事情を説明とかは、別にいいの。ただ……」

 「ただ?」

 「せせ、せっ、責任をっ、とってもらえるなら、その……とってほしいかな……って。あなたに……」

 「当然、兄弟がやったことは、長男である僕の責任です。できる限りのことは、させてくださいっ!」

 「ほ、本当にいいのかしら……。夢みたい……!」

 

 何が「夢みたい」なのかは分からなかったが、カケヤは女性に……しかもその綺麗な顔に、傷を負わせてしまったことに対する、重責を感じていた。もし償いとして、自分も同じ傷をつけられるなら、文句を言わずにそれを受け入れる覚悟はあった。しかしその女性は、カケヤが想像もしていなかった不思議なことを言い出した。


 「じゃ、じゃあ……このまま、手を繋いだまま、私の家に来て」


 「えっ!?」

 「あっ! や、やっぱりダメかしら……?」

 「……いえ。あなたさえよければ、僕も同行します」

 「き、来てくれるのっ!?」

 「はい。こちらが負わせてしまったその傷を、放っておくわけにはいきません」

 「そ、そうね。じゃあ、行きましょう」

 

 カケヤと、キモババアと呼ばれている女性は、手を繋いだまま、やまあらし公園を後にした。

 カケヤは、残された弟や妹たちに、後ほど電話で詳しい事情を説明するつもりだった。……説明が、できたのだ。今はまだ。


 * *


 二人で手を繋いで、公園のそばにある交差点を渡った。

 

 (うぅっ……。だんだん恥ずかしくなってきたな。家族や友達に見られたら、何て説明しようか……)

 

 今カケヤの隣にいるのは、妹でもなく同級生の女子でもなく、厚手のコートを着た大人の女性だ。周りから、どんな風に見られているのかを考えだすと、カケヤは真っ直ぐ正面を向くことができなくなっていった。

 

 「わ、私、この道をよく通るのっ。と、とっても綺麗なお花畑が見られるのよ?」


 手を繋いでいる相手の女性は、緊張しながらも、どこか嬉しそうに歩いていた。カケヤが心配していた、頭の傷に苦しんでいるような様子はない。

 

 彼女を、心の中でこれ以上「キモババア」と呼ぶのも失礼なので、まずは名前を聞くことにした。

 

 「あの、名前……」

 「えっ!? な、な、何!?」

 「僕の名前は、早原カケヤです。中学1年生で、5人兄弟の長男です」

 「5人兄弟? じゃあ、さっきの子達は」

 「全員、僕の弟と妹です。……あなたの名前は?」

 「私、サユコ。代浜サユコよ」

 「サユコさん、ですか」

 「う、うん。それでもいいんだけど……出来れば、その……」

 「??」

 「お、お姉さんって呼んでくれないかな……なんて」

 「お姉さんっ!?」

 「あっ、いや、その、29歳はもうおばさんかしら……?もし嫌だったら、おばさんでも……」

 「さ、サユコお姉さんっ!」

 「!!」

 「僕には、兄も姉もいないので、少し新鮮な感じです。呼び方、これであってますか?」

 「うんっ! 嬉しい……。カケヤくん、ありがとう」

 「へへっ」

 「あっ、もうすぐ私の住むマンションよ。こんなに楽しい帰り道は初めてっ」

 

 サユコは一層強く、カケヤの手を握った。

 

 (なんだ。この人、別に悪い人ってわけじゃないな。び、美人だし……やっぱり「キモババア」なんて、失礼だよ)

 

 マンションに着く頃には、カケヤはサユコにすっかり心を許していた。


 許してしまっていた。

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