カボチャパンツですか……、お兄様
言われた通りに身綺麗にした私は、のぼせない内にと脱衣所に戻ってきた。
用意されていたバスタオルで身体の水滴を拭い、そこで、ふと、気付く。
私の着ていた衣服がどこにもない……。確かに脱いで隅に避けておいたはずなのに。
影も形も見当たらない。つまり、……移動させられた、という事で。
「まさか……、あの変態達が私の服を」
『餌』として懐柔しようとしていたのかと思えば、今度は盗み。
やっぱり、良い人の皮を被った悪魔、いや、冷酷非道な吸血鬼。
仕方なくバスタオルを残念な自分の幼児体型に巻き付けると、一階の廊下に続く扉を開けて外に出た。
「はぁ……。あ、こほんっ。――あの!」
大声を出すのは好きじゃないし、苦手だ。
だけど、あの人達がいる所までこの姿で行くのは嫌だから、頑張って出来る限りの強さで声を張り上げてみる。
――反応は、予想通りすぐに返ってきた。
声に気付いたレゼルクォーツさんが曲がり角から顔を覗かせたのを確認して、私はすぐに脱衣所へと飛び込んだ。扉を少しだけ開けて、顔だけを覗かせる。
「お? リシュナ、風呂は終わったのか? ちゃんと一人で綺麗にできたか?」
「子供扱いをしないでください……。お風呂は終わりました、けど。私の服、どこにやったんですか?」
「あぁ、捨てていいかわからなかったからな。一応洗濯に出すために回収した」
「勝手な事を……、しないでください」
幾ら子供体型の少女が相手だからといって、服や下着を勝手に回収するのは許せない。
床に膝を着いたレゼルクォーツさんをぎろりと睨み、文句をひとつ。
けれど、全く悪びれもしない吸血鬼は、軽く「ごめんごめん」と謝ってくるだけ。
すぐに着ていた私の服を返してくれと、少しだけ強気に要求する。
変態に反省はないのだろうか?
着ていた服を返してほしいと繰り返す私に、レゼルクォーツさんは少し困ったように頬を掻いた後、ふぅ、と困ったように息を吐き出した。
「大事なモンなのか?」
「お母さんが……、作ってくれた服です。捨てたりしたら、許しません」
「そうか……。だけど、洗濯してからじゃないと駄目だ。代わりの下着はさっきフェガリオが買ってきたから、今はそれを着ておけ」
「嫌です」
見知らぬ他人が用意した服、いや、下着を着けるなんて一人の女性として抵抗があるのは当たり前だ。
汚くても、私は自分が着ていた物がいい。さっきと同じように少しだけ声を張って訴える。
しかし、それを聞いたレゼルクォーツさんが急に不機嫌顔になったかと思うと、次いでにっこりと胡散臭い笑顔を纏うのが見えた。……どうしよう、嫌な予感しかしない。
「お前の下着、カボチャパンツと白のフリル上衣だからな」
「嫌です」
背中に悪寒を感じながら扉を閉めて防御を図ろうとした私の目に、今度はフェガリオさんの姿が映った。……持ってる。真っ白なふわふわカボチャパンツと、同じ色のフリル上衣。
「レゼル……、持って来たぞ」
「お、察しが良くて助かるな。サンキュ。さて、可愛い『妹』ちゃん? 『お兄様』がしっかりと綺麗な服に着替えさせてやろうな?」
「嫌です! 近寄らないでください、赤の他人の変態吸血鬼さん!」
今度は条件反射で、大きな完全拒絶の声が飛び出した。
この状態で会話をしているのも羞恥だというのに、変態ロ○コン吸血鬼の手で着替えさせられるなんて……、そのまま意識を失って魂が口から飛び出す事は確実だ。
けれど、そんな結末を私は断固拒否する。変態吸血鬼に辱められて人生を終えられるものか。
ビクビクと震え首を全力で振る私に、レゼルクォーツさんがニヤリと悪戯めいた笑みを浮かべてみせる。
「二択だ、リシュナ。自分で着替えるか、『お兄様』の手を借りるか、さぁ、どっちだ?」
「ぅっ……。じ、自分で、やります」
差し出された新品の下着をひったくり、私は脱衣所の扉を急いで閉めた。
どんなに嫌がったとしても、所詮は子供同然の無力なこの身……。
あの吸血鬼達に裸を見られるくらいなら自分で着た方が遥かにマシだ。
結局、お風呂に入る時と同じことになってしまった自分をまた情けなく思いながら、私はカボチャパンツを広げてみた。真っ白……、カボチャ、パンツ。
ふわふわのもこもこで、こんな上質の履き心地は知らない。
「ん……、それに、ちょっと、可愛い、かも……」
ぷりんっと、誰も見ていないのを良い事にお尻を揺らしてみた私は、肌に当たる羽根のような柔らかいふんわりとした感触に表情を緩めた。
――と、その時。
「妹よ……、お兄様達チョイスの下着は気に入ったようだ、――ぐふっ!!」
ぎらりと得意げに光った悪魔、じゃなくて、極悪変態吸血鬼の視線を捉えた。
すかさず脱衣所にあった予備の洗面器|(五個重ね)をひと纏めにしたそれをレゼルクォーツさんの顔面に叩き付け、――鍵を閉める。
「ふぅ……。最悪」
与えられたカボチャパンツを脱ぎ捨てたい。だけど、下着はこれひとつ。
変態吸血鬼の残念な悲鳴を耳に残しながら、私は肩を落とした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「で……、今度は何なんですか」
「着替えだ」
「下着は言われた通りに着ました。私の服を返してください」
一階をよたよたと走りまわり、足の長い木のテーブルの影に逃げ込むと、可愛らしい洋服を手にフェガリオさんが追ってくる。
まるで野兎が野生の狼にでも追いつめられていくかのような光景だ。
レゼルクォーツさんの方は……、向こうにあるソファーにゆったりと腰かけて、何かを飲みながら私達の様子を楽しそうに見ている。
なんという苛立たしい姿だろうか。いたいけな少女がこんなにも困っているというのに。
吸血鬼に下着を与えられた挙句、今度は可愛いフリル服なんて嫌だ。
私はお母さんが作ってくれたあのボロ服でいいのだ。むしろ、あれでなければ断固拒否。
それなのに、どうしてフェガリオさんはどことなく嬉しそうに迫ってくるのだろう。
その手が伸びてきた瞬間、どうにかそれを避けて逃げ出した私を、もう片方の手でひょいっと抱き寄せ、なぜかうずうずとした手つきで一気に着替えを強制実行。
あのレゼルクォーツさんよりは無害だと信じかけていたのに、やっぱり変態の仲間は変態だったらしい。人を着替えさせる事に慣れているのか、鮮やかな手腕だった。
「やはり、俺の見立ては間違っていなかったようだな……。リシュナ、よく似合っている」
「……いっそもう殺してください、本当」
「ははっ、リシュナ。フェガリオは見え透いた世辞は言わないぞ。似合ってるんだから胸を張ればいい」
張れる胸がありませんが……。
瞬時にそう思ってしまった自分を情けなく感じながら、また重苦しい息を吐き出す。
独特の美学を抱くのは吸血鬼達の勝手だけれど、私はただの村娘その一。
見ず知らずの他人に、可愛らしい洋服を与えられてお洒落をさせられても、嬉しくはない。
身体を洗って身綺麗にしても、痩せ細った身体に変化はないし、服に失礼なぐらいなのだから。
そう感じている私とは反対に、フェガリオさんはヘアブラシとリボンを取り出し、私を椅子に座らせて髪を梳き始めた。怖い顔のくせに……、なんでこんなに甲斐甲斐しいの?
顔は怖いままなのに、嬉しそうな気配を滲ませている事が、出会ったばかりの私にでもわかるのは、その小さく聞こえてくる鼻歌のせいか?
「ただの『餌』にここまでして、何の意味があるんですか?」
何の表情も浮かべずにそう問えば、フェガリオさんの隣から顔をにょきりと出してきたレゼルクォーツさんが、私の肩越しにニコリと笑みを向けてきた。……近い。
「だ~か~ら、お前は『餌』じゃない。俺達の『妹』になったんだ」
「遠回しな言い方をしないでください。『妹』=『餌』、でしょう?」
「だから、俺はお前の血を吸ったりはしない。責任をもってこの家で育てる」
何で見ず知らずの吸血鬼に育てられなくてはならないのか……。
最初は絶対に『餌』扱いをしていたくせに、何がどこをどう間違って気を変えたのか。
やっぱり半眼になって睨む私に、レゼルクォーツさんが笑みを深める。
話に聞いていた吸血鬼とは、……雰囲気や性格があまり当てはまらない気がするのは、この愛想の良い笑みと、親しみのある気配のせいかもしれない。
けれど、まだ出会ったばかりなのだ。上辺だけを取り繕っている可能性もある。……騙されてはいけない。
「私を貴方達の許において、何の得があるんですか?」
「可愛い『妹』が出来る。家の中も賑やかになるし、お互いに楽しくなるだろう?」
「意味がわかりません……。私は、出て行きたいんです」
――終わる為に。
それが『死』を意味している事は、お互いにわかっている。
だけど、レゼルクォーツさんは首を振って、少し強めたその低い声で、「駄目だ」と、私の決めた道を塞いでしまう。
この家で、自分達の『妹』として暮らす事が決定事項なのだ、と。
勝手に決めないで、勝手に人の道を作らないで、勝手に……、生かそうとしないで。
「嫌です。暇潰しの玩具なら、他を探してください」
「あのなぁ、こっちだってそれなりの覚悟がなきゃ、子育てなんか出来ないんだぞ?」
「育てられたくありません」
国境付近の村で、隣国の兵士達が放った戦火の中で命を失った両親や村人達……。
私をその最中に連れ出して一緒に逃げた男は、山の中に私を置いて消えてしまった。
疲労による睡魔に襲われていた私は、目を覚ました直後に、『それ』に気付いた。
村を逃げ出す前にお母さんから託された、お金が入った袋の中身がない事に……。
ただ、私の足元に……、同情ともとれる僅かなお金が置かれてあったのは、男になけなしの良心があったからなのだろう。
まぁ、私のようなお荷物を連れて歩くには色々と不便だったのかもしれない。
疲れきっていた私は男を恨む気にもなれず、袋と少ないお金が残っただけいいか、と諦めた。
そして、その後はもう最悪という他なかった。獣には襲われそうになる、どこに行っていいかもわからず、ひたすら山の中を歩き回り、やっと下りられたと安堵すれば、今度は人攫いに出くわし全力で逃げた。
そんな事を繰り返しながら、何日も歩き続け……、手元に残ったお金でパンを買い、少しずつ食べながら雨風を凌いで生き続けた。――けれど、やがて気付いたのだ。
『生まれた』時から、幸せとはかけ離れた存在であった私が、ようやく巡り会えた『両親』……、正確には、養父母を失い、これ以上生きる意味があるのか、と。
あの人達と一緒に暮らせた七年間は、本当に幸せだった。
お姫様達のような豪華な暮らしが出来なくても、大好きだと思える人達が傍にいたから、私は十分に幸せになれた。
けれど、両親や村の皆を失った今……、生き続ける事に何の執着も見出せなくなったのだ。
風の便りによれば、村は全滅。生き残りは唯の一人もいなかった、と、そう、耳にしてしまった時から。
だから私は、選んだ。もう何も、大切なものがない、この世界から旅立つ道を。
「全部、貴方のせいで台無しです……。皆の所に、逝かせてほしかったのに」
私のポツリポツリと零した両親の話を聞いても、レゼルクォーツさんは「駄目だ」と繰り返す。
親が救ってくれたその命を大事にしろ、と……。そんな事、言われなくてもわかっている。
けれど、今の私には響かない。何を言われても、前を向く事が、出来ない。
それに、もしも……、どこかで『彼ら』に遭遇し、両親と出会う前の、『あの場所』に連れ戻されるような事があったら。
ぶるりと恐怖に身を震わせた私の背後で、ブラシをテーブルに置いたフェガリオさんが私の肩に手を置いた。
「お前は……、両親が生きる意味であり、自分の存在意義だったんだな……?」
「そう、です……。私は、お父さんとお母さんがいれば、それで良かったんです。なのに、それを失ってしまったら」
みっともない……。吸血鬼の前で自分の感情を吐き出すなんて……。
だけど、こうでも言わないと、この人達は私に安息の道を歩かせてはくれない気がして……。
両親を失った悲しみが癒えてもいないのに、私は二人の許に逝きたいのだと駄々を捏ねた。
生きる意味を持っていなくても、人は普通に天寿を全うする事が出来るだろう。
だけど、私は……、怖いのだ。死ぬよりも恐ろしい目に遭う可能性が、生きている限り付き纏って離れてはくれない事を。
永遠の絶望……、それを味わい続けるぐらいなら。
それを伏せて、私は「自由にしてほしい」と二人に頼む。
それが駄目なら、今すぐに血を一滴残らず啜って殺してほしい。
……今日まで堪えてきた涙が、じわりと目元に浮かぶ。
「俺は、『家族』を殺す趣味も、『死なせる』道を歩ませる事も、お断りだ」
「レゼルクォーツさん……、貴方には、わからないんですよ。私がどんな気持ちで生きてきたかなんて……。生きていれば良い事があるとか、親の為に生きろとか、それは人のエゴじゃないですか。生きる意志もないのに、死人のような心で生き続けろって言うんですか……」
「今のお前は、情緒不安定に陥っているだけだ。ただ、楽になりたい。だから死を望んでいるだけ……。そうだろ?」
「死にたいって、楽になりたいって思うことの……、何が、悪いんですか」
この人達は、両親が私にとってどんなに大切な存在だったか……。
彼らと出会う前に、私が『どこ』で、『何』をされていたか……、それを知らないからそんな事を容易く口にする事が出来るのだ。世の中には、生きている方が辛い事もある。
普通の人であれば、希望を胸に抱いて頑張って生き抜く事が出来るかもしれない。
だけど、私は……、『生きている事が許されない』存在でもあるのだ。
だから、何も起こらない内にすべてを終わらせたい……。その方が遥かに楽だ。
そう思う事の、何がいけない事なのだろうか。
「それは、『今』のお前の気持ちだろ? 俺は、お前に『これから』を見せてやりたいって、そう思ってるんだけどな?」
「未来に希望を抱いて生きろ、とでも言いたいんですか? 私を傍におくと……、不幸になるのに」
それは嫌味でもなんでもなく、『事実』だった。
私を守るために細工をしてくれていた『協力者』も、両親も、いない。
徐々にその効果が薄れ……、いずれ、私が生きている事が知られてしまう。
そうなったらどうなる? この人達は悪い吸血鬼のようには見えないけれど、私を匿っていた事がバレたら、必ず殺されてしまう。
変態吸血鬼だけど……、一宿の恩義として、一応はその危険を遠ざけてあげるべきだろう。
……まぁ、まだ拭いきれない疑惑通り、私を餌として変態美学の名の許に良い人のフリをしているのなら、別に見殺しにしてもいいけれど。
僅かにそんな思いを抱いたものの、二人の真剣な眼差しは、私の事を心から思い遣ってくれている事がひしひしと伝わってくるもので……。
その温もりに心を委ねそうになってしまう自分を必死に抑え込む。
「不幸、ね……。生憎と、そう簡単に不幸にはならないタイプなんだ。俺も、フェガリオもな」
「お前と一緒にするな……。だが、そいつの言う通り、俺達はこれでも色々と経験を積んでもいる。お前のような子供一人を『家族』にしたところで、何の害もない……」
「わかってません……、何も、何も」
けれど、これ以上の事を言うわけにはいかず、私は俯いた場所に見える手の甲に、ポタポタと涙を零した。両親を失った悲しみ、楽になる事を許されないこの状況……。
複雑に絡み合った感情が……、今は引けと囁く。大人しく言う事を聞いたと見せかけて、夜になったら……、二階の窓から外を伝って逃げ出そう。そうすれば、誰にも迷惑はかからない。
今度こそ、――終わる事の出来る場所を、探し出す為に。
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