第9話

 午後になって、異世界に行く為にアタラと棟の玄関ホールで待ち合わせをした。もともと、今日はその約束をしていたのだ。


「おまたせ。さあ、行こうか」


 相変わらず笑みを浮かべている。

 最近のわたしはこの笑みの胡散臭さに慣れて来た。アタラは大体、なにが起きようともほほ笑んでいる。アタラとは、そういうものなのだ、と。


 そのアタラに促されたにも関わらず、わたしはソファの上から動けないでいた。


「どうしたの?」


「…きょうは行きたくない…です」


 芋虫のように座り込み、くぐもった声で返事を返す。


「ワンとなにがあったの?」


 どうしたの、でも、なにかあったの、でもない。だれとなにがあったか、アタラには見当がついているようだった。


「なんで、分かっちゃうの?」


 アタラは困ったという風に肩を持ち上げると、わたしの隣に腰を下ろした。


「この前『異世界』に行ったときは楽しそうにしていただろう。ということは、こっちの世界での出来事ということになる。きみはワンと仲がよかったから、そうかなと思っただけだよ」


「すごいです…」


「まあね。…なにがあったか、話してごらん」


 アタラにうながされるがままに、わたしは朝の出来事を語る。


 聞いているのか、いないのか。話せと言ったわりに、アタラはわたしの話に集中していないようだった。


「ねえ、アタラ。聞いてます?」


 わたしの咎めるような口調に、アタラは


「もちろん」


 とそれこそウソっぽく頷いた。


「ねえ、アタラ」


「なんだい?」


「わたしが異世界に行ったから、この世界のバランスは崩れ始めちゃったんでしょうか…」


 ずっと考えていた事だった。

 もしや、わたしが異界に渡る事でこの世界にわるい影響を及ぼされやしないかと。


 ところが、アタラはわたしが真剣に考えていたというのに、あろうことか、大笑いし始めたのだった。


「ちょっと!」


「いやあ、ご、ごめ、」


 謝ろうとしているらしいが、笑いに遮られて謝罪になってない。


 やっとのことで笑いを収めると、目尻の涙を指でぬぐいつつ、教えてくれる。


「だいじょうぶ。だいじょうぶ。きみが異世界に行った所で、世界にはなんの影響も及ぼさないよ」


「そうでしょうか?」


「そうそう。だから、それは気にしない」


 あんまり否定されると、それはそれで傷つく。

 吹き出すのをこらえるように、細かく震えながらもアタラは助言してくれた。


「きみはここの所、異世界に行っているからね。世界のバランスじゃなくて、人間関係のバランスが変わって来たんだよ」


 アタラの話は分かりやすいようで分かりにくい。


「人間関係の?」


「そう。たまにはここで一日を過ごすのもいいだろう。ワンともう一度話をしておいで」


 ね、というように覗き込むので、わたしは頷いて了承した。

 白衣を払い、ソファから立ち上がると、つづいてこう言った。


「そうそう。これから、休日なにしているのか怪しまれたら、僕の手伝いをしているといいなさい」


 それだけ言うと、じゃあね、と手を振りながら去っていった。





 動きたくない。

 そう思っていたけど、アタラに言われたからと、アタラが言った事を機動力にして、わたしはのろのろとワンを探しに動き出す。


 玄関を抜けて、外に出る。


 棟のカドを曲がった所には噴水がある。

 ワンはそのヘリに腰をかけて、ぼんやりとしているようだった。


 そこの周辺には樹木が植えられていないせいで、日陰が出来ない。太陽が降り注いでいるというのに、暑くないのだろうか?



「ワン…」


 わたしの声に反応して、ワンが顔を上げる。


「さっきは、わるかった…」


 開口一番、謝られた。


 顔色はどんよりと曇ったままだ。

 きっとふつうに許した所で、この顔色は晴れないに違いない。


 どうすれば、ワンはいつもみたいに笑うんだろう?


 考えてみても分からない。


 だから、ワンの隣に腰掛けると、ぐい、と顔を無理矢理自分の方に向かせた。


「サン?」


 ワンの瞳が右に左に泳ぐ。


「許してあげる。だから、ワンが気付いたらやってる、って言ってた事、おしえてよ」


「だめだ…それを言ったら、サンは傷つく。…こわいんだ、サンにも同じ事をしちゃいそうで…ぜんぜん、そんなんじゃないのに」


 よく分からないままにわたしは言葉を紡いだ。


「ワンはそんなことしないよ。わたしとずっとワンと一緒だった。『家族』みたいなものでしょう?」


「『家族』?」


「そう、どんなにケンカしても、どんなに憎しみあっても、同じくらい大好きで、ずっと一緒にいる人の事をそういうんだって」


 シュンから『家族』についての話を聞いて思ったのだ。


 わたしの家族はここにいる、と。


「ワンはわたしの家族だよ」


「そうか、家族か…」


 ワンが弱々しく笑った。


「ありがとう」


 まだ弱々しいけど、力の籠った笑みだった。


 わたしも笑顔を返す。

 と、途端になにかを振り切れたかのように、わたしの手をひっぺがした。


「なにすんのよー」


 勢いよく立ち上がると、いつものように悪戯っぽい笑顔でワンが言う。


「いつまで触ってんだ。『家族』の癖に」


「な…さっきまで泣きそうだったくせに」


「泣きそうだったんじゃない。泣いてたんだ!」


 胸を張って言うワンにわたしは思わず笑ってしまった。


「とりあえず、ここ、暑いからさ。中に戻ろうよ」


 日差しのせいで汗が止まらない。


 これには、ワンも同じ意見だったようだ。

 幼い頃のように連れ立って歩く。


 仕事で一緒にいる事も多いけど、なんだか新鮮だった。


「朝はほんとうに悪かったな」


「もういいって」


 こういう案外後々まで気にするのもワンらしい。


「そういえば、朝遮っちゃったけど、結局サンは休みの日なにしてんだ?」


 わたしはアタラに教えられた通りに答えた。


「職員の手伝いをしているんだよ」


「なんだそれ。すごいな」


 感心したようにアタラが言うので、わたしも思わず胸を張った。



 「すごいでしょ」

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