第54話 「ダンディ・ジェントルマン」 妖怪「バレてない」登場


    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 シンイチの天狗の力が失われ、大ピンチだというその時に、よりによってシンイチの父、ハジメが「心の闇」に取り憑かれた。「ペルソナ」「ホウレンソウ」につづいて十九話ぶり、三度目である。

「父さん、それは妖怪『バレてない』のせいだぜ」

「え?」

 高畑家のリビングで裸踊りをしていたハジメは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

 唖然としていた母の和代かずよが噴火モードになる直前、シンイチの言葉が助けた。


「父さんいつから、そんなヘンテコになってしまったのさ?」

 シンイチは丁寧に、事のあらましを聞くことにした。ハジメの肩に取り憑いた妖怪「バレてない」は、バカみたいな顔をして目を剥いている。「バレなきゃ何したってOKさ!」と豪語しているような顔だ。蛍光オレンジで主張の強い色だった。ハジメはいつから、「バレてない」に取り憑かれてしまったのか。

「うーん……コンビニかな」

「コンビニ?」

「コンビニで何か買ったときにさ、釣り銭が百円多かったんだ」

「まじ?」

「ラッキーって思ったんだよ! 『バレてなーい!』ってね」

「うん……多分……確実にその時だろうね」

「いや、それだけじゃないぞ」

「何?」

「会社のエレベーターでさ、結構な満員だったけど、屁をこいたんだ」

「はあ?」

「しかしラッキーなことにすかしっ屁だ。ラッキー、バレてなーい! で、俺一人だけ先に降りたのさ!」

 横から聞いていた和代はあきれたように言った。

「それ絶対バレてるわよ」

「えっ」

「ていうか、あなたのせいにその後なってるわよ。たとえオナラをしたのがあなたじゃなくてもね」

「えっ」

「それから?」とシンイチは話を続ける。

「会社にコピー機があるんだけど、そこからたまに白紙パクってメモ用紙代わりにしてる」

「セコイ」

「これ多分、バレてないね。まだあるぞ!」

「なに?」

「暇なとき、鼻毛を抜いてるのはバレてないね」

 それに再び和代が突っ込んだ。

「ときどき鼻くそほじってるのはバレてるわよ」

「バレてないよ!」

「バレてるわよ」

「……あのさ」

 シンイチが割って入った。

「妖怪『バレてない』ってさ、バレてるのにバレてないって思う妖怪なんじゃないの?」

「……マジで?」

 ハジメは顔が赤くなってきた。

「じゃ、アレもコレも『バレてなーい!』って訳じゃなくて、実は『バレてたー!』なのか?」

 シンイチはうなづき、検事のように言った。

「余罪を追及します」

「高畑ハジメ君。正直に言いたまえ」と、和代も検事風の言い方に乗っかった。ハジメは肩身を狭くしながら、これまでの罪状を告白した。

「えーっと……会社受付の綾瀬さんの胸の谷間、ちょいちょい盗み見してる」

「絶対バレてます!」と和代が怒る。

「スマホで音楽聞いてて、ボリューム爆上げしたら、ヘッドホン外れてた」

「最悪!」

「外人の前で日本語分からないだろうと思って『外人っていつも大声でうるさいよね』って悪口言ったら、『僕も日本育ちなので、彼らは不必要にうるさいと思います』って言われた」

「惨い」

「窓開けっぱなしで朝家を出て、帰ってきたらクーラー消し忘れてたのに気づいた」

「電気代いくらかかんだよ! 無限に冷やし続けてたのかよ!」

「誰も家にいなかったから、裸踊りしてもバレないぞーって思ってたら……」

「私とシンイチが帰ってきた、ってのがついさっき、ってこと?」

 和代が話をまとめた。

 ハジメは開き直った。

「バレてなーい!」

「バレてる」

「バレてないよ!」

「バレバレなの!」

「いやいやバレてなーい!」

 困ったものだ。「バレてない」と人は判断したら、何でもしてしまうのだろうか。

「あきれたわね。大人のすることとは思えないわ」と和代は手厳しく言った。

「バレてないんだよ!」とハジメは言い張る。

「バレなきゃ何してもOKな訳ないじゃない! 分別ってものを持ちなさいよ!」

「誰にも迷惑かけなきゃいいだろ。自分の家で裸踊りして、誰に迷惑をかけるというのだ!」

「コンビニやエレベーターの件は迷惑かけてるでしょ?」

「ちっちゃいことじゃないか!」

「大小の問題?」

「そうさ! たいした迷惑じゃないさ! 巨額の賄賂をもらって便宜を図る巨悪に比べれば、たいしたことないじゃないさ!」

「悪は悪です」

「じゃあ聞く! なぜ悪はいけないのだ?」

 和代はためらった。

「それは……悪いことだからよ」

「答えになってない!」

「……皆に迷惑をかけたら、恨まれたり、仕返しされるでしょう?」

「それは自分がいい子の顔をしたいって言ってるだけさ! 世間を気にしてるだけじゃないか! そうじゃない。なぜ、悪はいけないんだよ?」

 ハジメの論法は同語反復である。いけないことを悪と定義したのだから、この問いに答えはない。ループに嵌る心。それが心の闇の源泉でもあるはずだ。

「バレない悪は、存在しないのと同じだろ! たとえば俺が浮気したとしよう! 一生墓まで秘密にしたとしよう! それは、存在しないことと同じだ!」

「ひどいこと言うわね!」

 夫婦喧嘩になりそうなところへ、シンイチが割って入った。

「うーん、バレなくても存在すると思うよ。悪は」

「は?」

「世間にバレてなくて、なかったこととしても、父さんの心の中に悪は残るじゃん。したことの記憶としてさ」

「証拠とか、ないんだぞ?」

「なくても、心に残るだろ?」

「お前……仏陀か」

 ハジメはひるんだ。だが妖怪「バレてない」はひるまず、ハジメを操りはじめた。

「関係ない! バレてない! バレてなければ、問題なーい!」

 ハジメの目の色が変わり、家から飛び出て走り始めた。

 シンイチも和代もネムカケも追いかける。


「ちくしょう……活性型アッパーか……」

 「心の闇」は大きく三種類に分類できる。活性型アッパーループ型ルーパー不活性型ダウナーだ。「バレてない」は過激な行動へ走らせる、活性型アッパーだ。

 不動金縛りさえあれば止められたのに。一本高下駄さえあれば飛んで追いつけるのに。見失っても千里眼なら探せるのに。シンイチは焦る。十歳の小学生の肉体と頭脳だけで、この緊急事態に対処しなくてはならない。ハジメを先頭とした一団は、夜のとんび野町をひたすら走った。


    2


「バレてなーい!」

 ハジメは歩道橋の下から、階段を上るOLさんのミニスカートを覗き見る。

「バレてるよ!」

 屋台のおでん屋の客の隣に座り、「バレてなーい!」とコップのビールを勝手に飲み干す。

「バレてるバレてる!」

「すいません、お金払います!」

 和代は財布から千円つかんで屋台に置き、逃げるハジメを追う。


 ハジメは公園へたどり着くと、すべり台をかけのぼり、突如上から立小便をはじめた。

「バレてなーい!」

 そのままぐるりと、すべり台を中心に小便の円を描く。

 この大騒ぎに、流石に近所の人が様子を見に来た。

「すいません、私が外国の強いお酒を飲ませてしまって……」

 と和代は機転を利かせて周囲に言い訳をし、ハジメをすべり台の上で羽交い絞めにした。

「じゃしょうがない」

「人騒がせな」

 近所の人々は解散した。ハジメは泣きながら叫んだ。

「ダメだ! 『バレてる』と分かっても、『バレてない』が止められない! どうすればいいんだああ!」

 ハジメは苦しんだ。本人にも自覚がある場合、「心の闇」はより苦しい。本人の意志に反して異常行動を取り、しかもそれを制御できないからだ。

「他人から見えてないことは、ラッキーどころかむしろ不幸だと思うの。他人の目があることの方がラッキーよ。公園に人が沢山いたら、人さらいは子供をさらえないでしょう? 他人の目は、悪の抑止力になるのよ」

 和代はハジメに言った。ハジメは、次第に息が整ってきた。


 親子三人は並んでブランコを漕いだ。ハジメは言った。

「じゃあなにかい。他人にいい所を見せたいから、人はジェントルマンになるというのか。それは偽善だ。損得勘定のええかっこしいではないか」

「……」

 シンイチは突然ブランコを思いっきり漕いで、出来るだけ遠くにジャンプした。

「父さん、どこまで飛べる?」

「それよりは飛べるぞ! とう!」

 ハジメは大人の分、シンイチより遠くに飛び、両手を広げて決めた。

「正義ってのは、そんなかんじじゃないかな」

「?」

「いま父さんはオレのことを見ずに、純粋に遠くへいくことしか考えてなかったじゃん。それと一緒じゃないかと思うんだ」

「? どういうこと?」

「人には、のびようとする力があるのさ。他人の目とか関係なく。オレは、それが正義だと思うんだ」

「……お前、やっぱり悟りでも開いたのか?」

「父さんは、他人に正義を決められたいかい?」

「いや。正義は自分の中にあるよ。だから悪が分かるんだ」

「流石、人知れず闘う正義の味方の父!」

「あ。……そうか」

 ハジメは心に風が吹いた。

「他人に善悪の基準を預けるから、他人にバレてるとかバレてないとか考えなきゃいけないんだな? 世間にお伺いする必要なんかない。俺の中で正義か悪かを、考えるべきだったな」

 ハジメは再び、ブランコから着地したときの、両手を広げたポーズを取った。それはまるで小さな正義の味方のようだった。

 こうして、妖怪「バレてない」は、ハジメの肩からするりと外れた。


 シンイチは腰のひょうたんから火の剣と天狗の面を出した。

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「火よ、在れ!」と唱えても、小鴉からはやはり火は出なかった。妖怪「カリスマ」を斬ったときのように、みじん切り殺法しかないか。

「てやっ!」

 二分の一、四分の一、八分の一、十六分の一。シンイチの太刀筋とともに、タマネギのみじん切りのようになってゆく。

「家庭科実習もっとやっとくんだった!」

 千切り、賽の目切り、みじん切り。摩擦熱でも帯びたのか、小鴉が熱くなってゆく。

「原始人の火起こしかよ!」

 ミンチ。すりつぶし。ちょっと水を加えて団子状ペーストに。ぽっ、と小さな火がついた。線香花火のように火が散った。と、それはたちまち肉団子全体に広がった。

「きれい」

 汗を流した額をぬぐって、シンイチは感想を述べた。「バレてない」は、線香花火のような火が全身にまわり、清めの塩となった。


「母さんは父さんに惚れ直したので、二人で少しお酒を飲んできます」と和代は突如宣言し、ハジメと和代は夜の街に消え、シンイチとネムカケは二人で先に帰ることになった。


「……なんかさ、大天狗の視線を感じたんだよね」

 夜道を歩きながら、シンイチはネムカケに言った。

「千里眼で天狗たちがオレを見てると思ったら、オレは一人じゃないって思った。本当にピンチなら大天狗が助けにきてくれるだろうし、こないだみたいに飛天僧正が来てくれるかも知れないし」

「しかし今お主にあるのは、妖怪が見える力と、かくれみのと、『必殺小鴉みじん切り』ぐらいじゃろ」

「知恵袋ネムカケもいるよ!」

 絶体絶命にはまだ遠い。シンイチはなんだか落ち着いてきた。仏陀か、と父に言われたことを思い出していた。釈迦もこうやって人々の心の闇を取り除いていったのかな、と、勝手に釈迦をてんぐ探偵にしてみたら少し笑えた。



 今夜のハジメは仕事が遅く、シンイチの寝顔しか見れないのだろうな、と思いながら家路を急いでいた。

 と、冷たい雨が降り始めた。しまった、傘を持ち合わせてないと思い、雑居ビルの一階で雨宿りをすることにした。

 はす向かいにコンビニがあり、しばらくやまないなら傘を買おうかと思った頃、若いカップルが店から出てきた。

「やっべ、雨かよ」

「ラッキー、一本傘あんじゃん。バレないし、パクっちゃおうよ!」と女が言った。

 女は傘立てに置いてあった傘を盗もうとしたが、ハジメの視線に気づいた。

「……」

 男はおもむろに上着を脱ぎ、傘代わりに彼女と自分に被せた。

「何?」

「相合傘」

「は?」

「走ろうぜ!」と、男は彼女の腰を抱き寄せた。

「こっちの方が密着できるだろ?」

「えっち!」

 二人はジャケットの中でイチャイチャしながら、雨の中を走っていった。

「ナイス・ダンディ・ジェントルマン」

 ハジメは男の背中に微笑んだ。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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