第43話 「妖怪盆踊り」 妖怪「完璧主義」登場



    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 梅雨が明け、夏が近づくこの時期の、とんび野町商店会の議題は毎年決まっている。

「納涼盆踊り大会を、今年こそ中止すべきか?」だ。


 老舗蕎麦屋「竜乃たつの」の座敷で行われる月例の商店会。この時期の議題は、ここ十年同じである。中止か。実施か。

「でも、毎年楽しみにされているお年寄りもいるし」

「お年寄りの為だけの盆踊りじゃ困るでしょう。若者がちっとも集まっていない。先細りじゃないか。第一、盆踊りなんて二十一世紀のいまどき流行らんよ」

 この問答すら毎年判を押したようだ。

「事実、わが町の盆踊りはしょぼい」

 確かにそうなのだ。伝統の趣溢れる盆踊り大会なら、まだ粋な浴衣の男女や、若者たちに愛される地元の祭りとなっているだろう。しかしこの商店会主催の盆踊りは、手作りでしかもやっつけなのだ。半分新興住宅地で、地域のつながりも薄いことも原因だろう。一応矢倉も組むし、生の太鼓もあるけれど、ただそれだけだ。屋台が夏祭りのように出る訳でもなく、申し訳程度に唐揚げやビールが出店される程度だ。

「それでも毎年、やなぎさんの所がお弟子さんを連れて、着流しと踊りをご披露してくださるし」

 と日本舞踊の柳流、柳月文つきふみにフォローしてもらおうとする。

「いや、でもねえ」と月文はため息をつく。

「少しずつですけれど、中年の方々も減っているような気がします」

「協力してくれるお店の人々も、昔に比べたら随分減った」と、洋品店の店主が嘆く。

「……では、今年も同じ方針で行きますか」

 議長の、蕎麦「竜乃」の主人が言った。

「今年も盛り上がらなかったら、来年の盆踊りはやめる、という方針で」

「……寂しいですねえ」

「商店街自体も、少しずつ寂しくなっている気がします」

 老人たち、と言って差し支えない商店会のお歴々はため息をついた。どこの商店街でも、後継者不足とシャッター通りは深刻な問題だ。



 地元の商店会がそんなことになっているとはつゆ知らず、とんび野第四小学校はプール開きをし、本格的な夏の到来に備えた。長い梅雨の間、シンイチはタケシと思う存分将棋をしたが、二人とも将棋より夏の方が大好きある。夏は小学生が最も輝く季節だ。夏は、真っ黒になって走り回り、転んだり傷ついたりして、ひとつ大人になる季節のことである。

 シンイチは夏休みが待ち遠しくて、心が入道雲のように沸き立っていた。なんといってもサッカーが無限に出来るのだ。プールに無限に入れるのだ。こんな幸せなことが他にあるだろうか? だがあまりにも浮き足立ってしまった結果、シンイチはクラス一の大男、ボスの大吉の異変に気づかないでいたのである。


 だん大吉は、五年二組のボスである。体格はクラス一で、ケンカも最強だ。家業は肉屋、団精肉店。だから売れなくなり余った肉を毎日食べて、発達が良く体が大きい。すなわち筋肉バカで、エネルギーが余って、直情的だ。ススムがいじめに遭った、妖怪「なかまはずれ」の一件だって、シンイチがまずいじめの犯人と疑ったくらいだ。もっとも、そんな陰湿なことは嫌う、やるならストレートに行くことを好む性格ではある。大吉は元来、大雑把で竹を割ったような性格だ。しかし時に繊細な面があったりするのが、人の心の複雑な所である。


 大吉は父に頼まれ、冷凍ブロック肉をスライス機にかけるよう言われた。小学校三年のときから使っている機械だから手慣れたものだ。その日も何気なく冷凍牛肉を機械に乗せ、黒いボタンを押し、カンナのような刃が往復しながら肉をスライスする様を、眺めていればよかった筈だった。

 だが大吉は、突然些細なことが気になったのだ。

「端っこは、何の為にあるんだ?」

 肉は直方体ではない。動物のどこかの筋肉の一部だから、直方体の訳がない。しかしスライス機械は、その肉を平行面に切っていく。直方体なら四角の肉が等分に出来る。しかしそうではないから、両端の小さな部分が、「端っこ」として余ることになる。

 これまでは「余り」は食卓に上るのでラッキーとしか思っていなかった。しかし端っこは「何の為にあるのか?」という哲学的な問いに、大吉は突然囚われたのだ。

 肉に何故端はあるのか? という問いは、宇宙に何故端はあるのか? つまり、生命に何故端はあるのか? 生命は何故有限なのか? という問いと、大吉にとっては同じだった。しかし大吉は小学生なので、それを明確な言葉にすることが出来なかった。

 大吉の心にモヤモヤが生まれた。それは少しずつ彼の中で育ち、「心の闇」を呼び寄せるまで成長することになる。


    2


 待ちに待った夏休みがやってきた。シンイチはきゃっほうと叫んだ。

 スイカ! アイス! プール! サッカー! 釣り! ゲーム! マンガ! 何でもありの夏休みである。ただし午前中は宿題をやれと母の和代に首根っこをつかまれる。そこは地獄。しかし午後からは天国。ただし朝のラジオ体操だけは、シンイチは大の苦手だ。だって超眠い。三日目までは頑張ったけど、四日目以降ラジオ体操はさぼることにした。

 一方大吉は、ラジオ体操もプールも皆勤だった。人一倍体の大きな大吉は、体を思う存分動かさないと気が済まない。プールだって人の倍は泳ぐし、サッカーでもハードなショルダータックルをバンバンかましてくる。シンイチはちょこまかとしたドリブルや必殺クライフターンで、直線的な大吉の裏をかくのみである。

 夏休みに入って七日目。シンイチはもう四日もラジオ体操をさぼったのに、大吉はラジオ体操に向かうつもりだった。だが何故だか、目覚めたらラジオ体操は終わった時間だったのだ。

「アレ? なんだよ母ちゃん。起こしてくれたっていいじゃねえかよう」

「起こしたけど起きなかったでしょ、このネボスケが!」

「ええー」

 大吉はラジオ体操のカードを眺めた。せっかく一週間の一列全部ハンコがそろう所だったのに、ひとつ、穴があいてしまった。

「……完璧じゃねえ」

 彼の心の中のモヤモヤが、急にここと結びついた。

「肉の端は、完璧じゃないから、ダメなんだ」

「何か言った?」

 大吉の母が言った。

「なんでもない」

 大吉はプールに向かった。なんだかどうでも良くなり、プールもさぼってみた。プールのハンコも、ひとつ押されずに終わった。

「……完璧じゃねえ」

 大吉はラジオ体操とプール出席カードの、ハンコを押されていない所を見てつぶやいた。

「……完璧じゃねえ!」

 大吉の背後に、妖怪「心の闇」が立っていた。

 夏の強い日差しは、いつもより濃い闇を地面に落とす。木の陰か、建物の陰か、そいつ・・・はその一番濃い闇から現れた。黄金の体に黄金のマントをはおり、まるで黄金の仮面をつけたヒーローのような顔をしていた。ゲリラ豪雨のような蝉時雨がぴたりと止み、風が吹いて風鈴が鳴った。黄金色のマントがその風に翻った。

 妖怪の名は、「完璧主義」と言った。


 大吉は、プールをさぼった帰り道、おかしな行動に出はじめた。

 道をきっちり九十度曲がらなければ、気が済まなくなってしまったのだ。きっちり九十度曲がるか直線を歩くか。そう歩かなければムズムズする。八十度ぐらいの曲がり角も、緩いカーブも許せなかった。

 三叉路に出た。イライラした大吉は、「完璧じゃねえ!」と叫んで道を引き返す。いつまで経っても家に戻れなかった。今度はアスファルトの黒と道路に引かれたペンキの白が気になり始め、白い所でないと歩けないようになった。しかし白線は直線ではなく、途切れ途切れの所もある。

「完璧じゃねえ! 道は完璧じゃねえ! 町も完璧じゃねえ!」

 そう叫んで大吉はイライラし、道を普通に歩けなくなってしまった。日が沈み、晩ごはんの頃にようやく大吉は家に帰れた。九十度の道も白線も家の前にはないことを思い出し、「完璧じゃねえ! 許せん!」とイライラしながら諦めて帰ってきたのだ。

 しかし食卓でも、大吉は「完璧じゃねえ!」と叫んだ。茶碗に盛られたご飯粒がバラバラの方向を向いていたからだ。

 大吉はご飯粒を一度皿にあけ、ひと粒ひと粒方向を揃えはじめた。ラグビーボールのような形の白米が同じ方向を向くように、一々揃える。

「どうしたんだ大吉?」と父が言う。

「ごはんを完璧にしてる」

「何それ流行ってんの?」

 気楽に物事を考える大吉の両親は、その異常をさほど気にしなかった。

 しかしそのあと、また冷凍肉のスライスを大吉は頼まれ、「端っこの肉」の不完全さに、再び向き合うこととなった。

「肉は完璧じゃねえ。端っこの肉がどうしても出る。町は完璧じゃねえ。ごはんも完璧じゃねえ。俺も完璧じゃねえ。ラジオ体操もプールもハンコがひとつ欠けた。通信簿も、1とか4とか3とかで、完璧じゃねえ」

 大吉はスライスされ続ける肉を見て、機械を止めた。この機械に自分を入れようと思ったのである。

 しかし自分の肉の端っこが余ることを気にし、そこにあった紐で首をくくる方法に変えることにした。

「人間は完璧じゃねえ。だから生きる意味はない」

 大吉は首を吊った。直後、父が肉の様子を見にきて、慌てて大吉を助けた。

「何やってんだ大吉! オイ! 救急車を呼べ!」

 大吉は呼吸困難を起こし、むせた。むせたことで酸素が入った。救急車のサイレンが、夜のとんび野町に大きく響いた。


 そのサイレンを、シンイチはネムカケとの銭湯帰りに聞いた。

「ネムカケ。なんだろう。事件かな」

「こっちに来たぞい」

 道を曲がってきた救急車は、二人の隣を通り過ぎ、追い越した。

「商店街の方向だね」

 二人が何気なくついてゆくと、団精肉店の前で赤ランプが回っていた。

「大吉!」

 大吉の両親が心配そうに見ている。ストレッチャーに乗せられた大吉の姿が一瞬見えた。さらにシンイチは見た。大吉の肩に膨れあがった妖怪「心の闇」。

「あれは……妖怪『完璧主義』!」


    3


 そういえば今日のサッカーに大吉がいなかった。プールには大吉の起こす大波がなかった。ラジオ体操にも来ていなかったのだが、シンイチは寝坊を決めこんだので知らなかった。

 自殺未遂、と両親から聞いた。妖怪「完璧主義」の負の力は強力そうだ。

「自分が完璧じゃない、って思って自殺したのかな」とシンイチはネムカケに聞いた。

「おそらく。完璧主義は潔癖で高潔であるが、その分脆い」

 命に別状はなく、大吉はその日のうちに家に帰された。両親が自殺しないように見張ると言い、今晩はシンイチも家に帰ることにした。

「ネムカケどうしよう。このあと、タケシみたいに引きこもるパターンかな?」

「『アンドゥ』に比べて、症状の進行が早そうじゃのう」

「明日目を離した隙に、……ってこともあるし、大吉を外の遊びに誘おう!」

 シンイチは商店街のシャッターに貼られたポスターに気づいた。

「あ! 明日盆踊り大会じゃん! これなら大吉も来るって言うっしょ!」


 明けて本日の盆踊り。ミヨちゃんはシンイチを誘うために、ハイビスカス柄の浴衣を新調していた。友達の公文ちゃんと赤坂ちゃんも誘うつもりだった。ススムも公次も春馬も芹沢も誘って、シンイチたちは大吉と盆踊りにくり出すことにした。

「ショボイ。なんだこの飾りつけ。中途半端だ。全然完璧じゃねえ」

 と完璧主義が肩に乗ったままの大吉は毒づいた。

 商店街の駐車場スペースに矢倉が組まれ、紅白の飾りつけがされていた。小さなスーパーボールすくいと、氷水につかったペットボトルの飲み物ぐらいしか出店がなかった。

「シンイチくん、カキ氷発見!」

 ミヨちゃんが、シンイチの好物であるアイス(の仲間)を目ざとく見つける。シンイチはテンションが上がった。

「ヤベエ! ストロベリーかメロンか、迷う!」

「私ストロベリーにするから、シンイチくんメロンにして、途中で交換しようよ!」

「OK! ……あっ」

「何?」

「そういえばカキ氷のシロップって、色だけ違って味は一緒、って知ってた?」

「ええ? 嘘!」

「前、60アイスクリームの五味ごみさんって人に習った!」

「まさか!」

「じゃあ試してみようぜ!」

 二人は目をつぶってカキ氷を食べた。

「ホントだ!」

「な!」

 盛り上がるシンイチとミヨちゃんを、大吉は白けた目で見ている。

「オイ、大吉も食おうぜ!」

「……くだらねえ」

「何がだよ!」

「こんなショボイ祭り、何が楽しいんだよ。完璧な祭りじゃねえぜ」

「祭りはショボくても、カキ氷は最高だぜ!」

「いつか解けて消えてしまうのは、完璧でも何でもない」

「……そりゃそうだけどさ」

 シンイチは辺りを見渡した。人出はまばらで、たしかに「お祭り」といえるレベルかどうかは微妙だった。

 まだ日も暮れる前に、ばちを持った法被の人が矢倉に登った。

 どどん。

 生の太鼓は腹に響く。自分が太鼓になったような気すらする。古いスピーカーから古い音源の東京音頭が流れ出す。今年の盆踊りが、粛々とはじまった。

「シンイチくん! 踊ろうよ!」

 ミヨちゃんはシンイチの袖を引いた。

「オレダメだよ! 踊れないよ!」

「別にいいのよ! 他の人を真似しながらやればいいの!」

「間違ったら恥ずかしいよ!」

「間違っても誰も責めないわよ! 誰だってそうやって盆踊りを覚えるんだから!」

 さらに炭坑節がスピーカーから流れた。

 シンイチはまばらな周囲の人に混じって、ミヨと踊ってみた。

「こうか? こうか!」

「そうそう! シンイチくん上手いわよ!」

「でも間違った!」

「関係ないわよ! 間違った数だけ上手くなるの!」

「大吉も来いよ! 踊ると楽しいぜ!」

 ススムも公次も皆、ぎこちなく踊り始めた。しかし大吉はその輪に入ろうとしなかった。

「オイ大吉!」

「踊りなんか、何の為にあるんだよ」

「いいから来いって!」

 シンイチは無理矢理大吉の手を引いた。大吉は仕方なく輪に加わった。

「左手左足引いて右手上げ、その右、左に月、右に月、右手右足前で左手添え、その左、右へ、左へ、パパンがパン……」

 完璧主義の取り憑いた大吉は、完璧に踊りを覚えるまで踊り出さない。

「完璧じゃねえ……完璧じゃねえ……」


 と、大吉の目の先に、美しく、完璧な踊りをしている集団がいた。

「うめえ!」

 日本舞踊柳流の教室の人々であった。柔らかい指先、手首、目線、足の歩みの美しさ。裾さばき、袖さばき。とくに先頭の小柄のおじいさんが抜群に上手い。動きは小さく最小限で体力を使わなさそうなのに、ひとつひとつの動作が柔らかく自然な位置に決まる。ダイナミックに西洋風に美しいのではなく、日本庭園のような美しさ。止まっては動き、動いては止まる。それは苔むした、優雅な渓流のようであった。

「あの人だけ次元が違うぞ!」

 とシンイチが叫んだ。

「あの人は踊りの先生で、柳流の柳月文さんだよ」とお弟子さんのおばさんが、シンイチに教えてくれた。

「大吉! あの人についていこうぜ! あの踊りなら、完璧だろ! あの完璧な踊りをマスターしようぜ!」

 柳月文が美しく舞う。お弟子さんたちが後につづく。シンイチ、ミヨちゃん、大吉、ススム、公次たちがそのあとにつづく。ハーメルンの笛吹きのように、子供たちがその列のあとにつづき、矢倉の周りをまわりはじめた。

「やっべ面白くなってきた!」と、シンイチはテンションが更に上がった。

 大吉は、月文の完璧な動きを完全コピーしようと必死だった。しかし腰の柔らかさ、手先の微細な動き、何度やっても必ず同じ位置に止まる手足や目線。この道五十年以上の鍛錬に敵うわけもなかった。

「完璧な踊りだ。俺、あの人みたいになりたい」

 大吉ははじめて前向きになった。肩の「完璧主義」は膨れ上がってゆく。

 炭坑節。北海盆歌。東京音頭。曲は歌につれ歌は節につれ。宵闇もいつの間にか腰を下ろし、盆踊りの本格的な時間帯がやってきた。

 踊る人たちは少しではあるが増えてきたようだ。曲間の小休憩で、シンイチは走っていって月文先生に話しかけた。

「おじいさんスーパー上手いよね! 踊りの先生なんだって?」

「わはは。今年の盆踊りは、子供が沢山ついてきて楽しいね」

「どうやったらそんな上手くなれるの?」

「そうだね。ひとつひとつ丁寧に心をこめることさ」

「こいつ、先生みたいに踊りたいんだって!」

 と、シンイチは大吉を紹介した。

「丁寧にやればいいんですね?」と大吉は聞いた。

「そうだよ。精確に、寸分の狂いもないように。盆踊りはくり返しだろ? 丁寧にくり返して、毎回同じようにやるんだよ」

「そっか! 『型』にはめるのか!」とシンイチは感心した。

「でもな、踊りはそれだけじゃないんだ」

「?」

「型にはまらない、面白い盆踊りをする人が昔いてね」

 曲がはじまり、皆が踊り始めた。月文は踊りながらシンイチと話した。

「どんな感じ?」

「私らの流儀が機械のように精確に同じことをするのだとしたら、その人、とくさんというのだけど、一度も同じ踊りをしないんだ。毎回雲のように変化する。変幻自在の天才だったなあ」

「ふうん。あんな感じの踊り?」

 とシンイチは踊りの輪の中の一人を指差した。

 輪の反対側に、飄々としたおじいさんがいて、タコ踊りのような面白い踊りで子供たちを沸かせていた。

「そんなバカな!」

 月文は目をむいて驚いた。

「どうしたの?」

「あれは徳さん!」

「良かったじゃん! また会えて!」

「そんな訳ない! 徳さんは、俺が子供の頃に亡くなった、五十年前のおじいさんだ! そんなバカなことがあるか!」

「でも踊ってるよ? 別人かな」

「いや……あの天才的な自由な踊り……間違いなく徳さん!……」

「あ! お盆だから、あの世から故郷に帰ってきたんじゃない?」

「そんなまさか……しかしあれは確かに……」

 月文は精確な踊り。徳さんは自由闊達な踊り。踊りの輪の中に、対照的な二人が反対側に位置し、月光に照らされている。子供たちはわあわあと二人の達人の後ろをついて踊る。

「オレ、徳さんの所へ行ってくる!」

 シンイチは走って徳さんの所へ行った。

「徳さん! お盆だから、あの世から帰ってきたの?」

 徳さんは笑ったまま踊り続けた。無心な笑顔だった。源兵衛げんべえの幽霊をかつて見たことのあるシンイチは確信した。本当に、ご先祖様が盆踊りの輪に加わっているのだと。落ち着いて周りを見れば、生きている人に混じって、ちょいちょいこの世のものでない人が楽しそうに踊っているではないか。江戸時代の人。戦国時代の人。落ち武者姿。日本兵の連隊。それは幽霊というより、ご先祖様と言ったほうがぴったりだった。昔この町で生まれ、この町で育ち、この町を故郷とする人々。踊っている人は夢中で気づかないが、シンイチには分かった。


「月文。まだ優雅さが足りんな」

 気づくと、月文の隣にもう一人老人が踊りながら現れた。

「し……師匠!」

 柳流の先代、二十年前に亡くなった、二十三代柳進之助しんのすけだった。

「どれ。久しぶりに稽古をつけてやろう」

「お、……お願いします!」

 進之助の踊りを、肉眼でまた見れるとは。なんという奇跡だろう。お盆は先祖と会える日だと言うけれど、あの少年がこの不思議を呼び寄せたのだろうか。


 夜の帳はいよいよ濃く、煌々と提灯が闇を照らす。

 盆踊り実行委員の商店会の人々は、踊りの輪を眺めながら言った。

「やはり今年も人出はいまいちですねえ。来年からの中止は決定ですかねえ」

「でも私にはなんだか、例年より人が増えているように見えますが……?」


 東京音頭。炭坑節。北海盆歌。曲のバリエーションが少ないのが、かえってひとつの踊りを何回もすることになり、集中できるようになる。シンイチは、徳さんの型にはまらない踊りを徹底的に真似する。一方大吉は、柳流の二人の、柔らかい完璧さに迫ろうとする。

「先生。型を忠実にやるのと、その型にはまらないのと、どっちが偉いのですか?」

 と大吉は尋ねた。

「どっちが偉いとかはないよ。どっちが得意かで決めればいいさ」

「ウチは、肉屋なんです」

「ああ、団さんのとこの子かい」

「はい。肉をスライスすると、真ん中の所は奇麗な売りものになる。でも端っこが余るんです。スライス肉は完璧だから売れる。でも端っこはいらないんです。完璧じゃないんです」

「そうかな」

「?」

「端の肉も、旨いじゃないか」

「はい?」

「肉は肉。旨いに変わりはないよ」

「そういうことじゃないんです!」

「そういうことだよ。……我々も徳さんも、違うルートから真実にたどり着こうとしてるんだよ」

 徳さんの真似をしてジャンプするシンイチを、大吉はうらやましそうに眺めた。

「……ちょっと向こうの踊りを覚えてきていいですか」

「ああ。いいとも」

 大吉は、徳さんとシンイチの間に割って入った。

「大吉! 徳さん超おもしれえぞ! 全部違う踊りで来るんだぜ! 予測もつかねえよ!」

 大吉はぎこちなく、その自由な形を真似しはじめた。

「体が硬いぞ。もっと柔らかく」と、徳さんは大吉にウインクした。

 踊りに加わる人たちは、次第に増えてきたようだ。

「ん?」

 シンイチは気づいた。踊る人々の中に、妖怪たちが混じり始めていることに。

「まさか!」

 一つ目小僧、赤鬼、百目。「心の闇」なる新型妖怪ではなく、昔ながらの妖怪たちだった。彼らは新型の「心の闇」が都会から駆逐し、遠野や田舎の山へと追いやったはずだ。

 お岩さん、海坊主、境鳥さかいどり。入道、油すまし、朧車おぼろぐるま鳴釜なるがま、子泣きじじい。彼らが闇から現れて、こっそりと人の輪の中に混じって盆踊りを踊っているのである。ご先祖たちも生きている人たちも、等しく輪をぐるぐる回っている。輪廻という言葉をシンイチはまだ知らないが、それはいのちの輪、輪廻であるのかも知れなかった。

 妖怪は益々増えてきた。豆腐小僧、泥田坊どろたぼう、七人岬、人面樹、化け狸、はらだし、脛こすり、三つ目小僧、笠地蔵、天狗……

「て、天狗?」

 その妖怪の中に、なんと遠野にいるはずの大天狗が混じって踊っていた。

「大天狗! ていうか、なんで人間の大きさなの!」

「ん?」と大天狗は振り向いた。

「見つかってしまったか。わはは」

 大天狗は身の丈二十尺(約六メートル)に渡る大巨人の筈だ。それが人間サイズで、愉快に盆踊りを踊っているのであった。

「身長は修行によって、ある程度自在なのじゃ」

 すでに大酒を食らった大天狗は、すっかり上機嫌だ。

「空にも奴が来とるぞ」

「あ! 飛天僧正!」

 赤い衣の僧が、空中で衣の端をはためかせ盆踊りを踊っている。満月に照らされた、なんともシュールな光景だった。

「なんで妖怪たちがここにいられるの? 都会から逃げたんじゃなかったの?」

「それは、お盆だからだな」

「?」

「お盆は先祖が現世に還れる。それを人間たちが分かっている限り、先祖も妖怪も、闇に体を置けるのだ」

「……妖怪たちがいなくなったのは、人間たちが妖怪のことを忘れてしまったから?」

「そうかも知れぬな」

 大天狗は腰のひょうたんの天狗酒をあおった。

「さあ宴もたけなわじゃ!」


 大吉は徳さんに聞いた。

「その踊りはどうやって発明したの? どんな法則でつくったの? たとえば、柳流の型とか法則を裏切るやり方があるの?」

「いいや」と徳さんは笑った。

「適当」

「ええええ?」

 自分の思いもよらなかった答えが返ってきて、大吉はびっくりした。

「楽しい気持ちで、体が勝手に動く」

「勝手……に……?」

 大吉はその衝撃を月文先生に教えようと、柳流の所へ戻ってきた。

「徳さん、勝手に体が動くんですって! だから法則がないんです!」

「そうだったのか。それは凄いなあ」

「それはそれで完璧。柳流は柳流で完璧。どっちも完璧ということは分かりました!」

「……いや、違うよ」

「?」

「完璧なんてこの世にまだないもののことだよ。我々は、それぞれの道からそこに至る途中なのだよ」

「??」

「ひとつ聞こう。みんなが全く同じ動きをし、みんなが完全に型に嵌った、一糸乱れぬように踊ったら、それが完璧な理想形かい?」

 大吉は想像して、気味悪がった。まるで軍隊の行進だ。

「それはなんかキモイ」

「そうだろ。じゃ、理想の盆踊りはなんだい?」

 大吉は考え、皆の輪を見て、楽しそうに跳ねるシンイチを見て答えた。

「……みんなが、思い思いに踊ることですか?」

「踊りは、何の為に踊る?」

「何の為?……」

「たのしいからに決まってるじゃないか」

「……?」

「肉は、うまい。スライス肉でも端っこ肉でも。踊りは、たのしい。型破りでも型通りでも。形は関係ないんだよ。あ、踊りの先生がこんなこと言っちゃいかんけどね」

 月文は笑って、優雅な踊りを続けた。

 プールは楽しい。ラジオ体操は楽しい。肉はうまい。踊りは、たのしい。

「……たった、それだけ?」

 月文も、師匠の進之助も、徳さんも、たのしそうに踊っている。

「きゃっほう!」とシンイチは飛び上がって、左右反対で間違っている。

 大吉は、シンイチの真似をして左右反対に踊ってみることにした。

 しかし初手から間違い、誰とも違う踊りになってしまった。

「ははは。……俺、いきなり間違えた!」

 それを見た月文が聞いた。

「それが、君の踊りだね?」

「……はい。間違えたけど……」

 大吉は、満足そうに笑った。

「たのしい」

 かくして、妖怪「完璧主義」は大吉の心に住む場所を失い、金色のマントをひるがえらせ、大吉から離れて宙に浮いた。

 大天狗は無礼講を指示した。

「シンイチよ。不動金縛りなんて無粋はいらんぞ。今日は祭りじゃ。皆に火の興を添えよ」

「オッケー!」

 シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「火よ在れ! 小鴉!」

 天狗の火の剣が、祭りのかがり火代わりとなった。天狗の面のシンイチは、一本高下駄で天へ飛ぶ。それは豊穣の神に捧げる神楽である。

「一刀両断! ドントハレ!」

 妖怪「完璧主義」は真っ赤な火柱に包まれ、清めの塩柱と化した。踊りの輪の中心に、巨大な火柱が立つ。それは、人類が誕生して以来ずっと闇の中で続けてきた光景と同じであった。

「踊るぞ!」

 大天狗が叫んだ。人も、先祖も、妖怪も、天狗もネムカケも、思い思いの踊りでひとつの輪になった。


「なんか……今年は人の出が多いような……」

 目をしばたかせて、商店会の実行委員は闇に目を凝らした。

「これが盛り上がってないとでも言うのかよ! ぼやぼやするな! 俺たちも輪に入るぞ!」



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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