第17話 「ベストを選ばなきゃ損」 妖怪「ベスト」登場

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     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 シンイチのアイスクリーム好きは筋金入りだ。先日もソフトクリームを持って商店街を走っていたら、妖怪「いい子」に取り憑かれたパンクロック姉ちゃんに出会ったばかりだ。

 今回の出会いの舞台は、「60シックスティアイスクリーム」というアイスクリームチェーン店。「二ヶ月間毎日違う味を楽しめる」ことを売りに、アメリカからやって来たことで有名だ。シンイチが商店街のはずれのこの店にやって来る少し前、「六十の味から、どれを選ぶのがベストか」で悩む小太りの女がいた。彼女の名前は緑川みどりかわ佐代子さよこ。行き遅れた独身OLである。


 佐代子は、六十色ものアイスクリームを前に、三十分前からずっと悩んでいた。佐代子はいつも決断が遅い。それが自分の欠点だと分ってはいる。彼女は、「選ぶ」ということにおいて特別遅い。ベストチョイスをしたいのは人の常だが、彼女の場合、それは度を越していた。


 まず最初に悩んだのは、オレンジソルベかレモンマスカルポーネ。爽やかな柑橘系の気分が良いとまず最初に思い、シャリッとスッキリした食感のソルベに行くか、やわらかい濃厚なマスカルポーネチーズ入りにするか迷った。一端決断に迷うと、目移りしてしまう。ベストを必ず選ばなければという、使命感すら帯びてくる。

 ラズベリー&ブルベリーの、アメリカンな酸味と甘味のバランスも捨てがたい。ミントライムの香りなら、人生がすっきりしそうだ。同色系で抹茶という和の落ち着きもあり得る。甘さばかりを考えず、ブラック&ビターという大人の選択肢もあり得るし、ソルトライチという塩の選択肢もあり得る。キャラメル&ナッツという、後頭部に突き抜ける天才的甘さに振り切る手もある(シナモンパウダー追加が、彼女の定番だ)。

 とにかくひとつしか選べないのだ。慎重に、慎重に慎重に、慎重に慎重に慎重に決めなければならない。端の方の変化球に目が移るかと思えば、ど真ん中に堂々と座す王道バニラが正しい気もしてくる。浮気してごめんよと泣きついても、正妻バニラは正座して濃厚に私を待っているだろう。しかし同じ白系列でも、ココナッツ&ミルクは、甘えん坊ぶりで正妻を上回る。

 とにかくひとつしか選べないのだ。ふたつ選ぶのはどうか? ふたつは駄目だ。ただでさえここ最近佐代子の体重は増えてきて、ダイエット中なのである。


 大体、佐代子の人生は昔からこうなのだ。いつも選べない。あの子と遊ぶのかこの子と遊ぶのか、文系か理系か、A君かB君か、フレンチかイタリアンか、西荻窪にしおぎくぼに住むのか幕張まくはりに住むのか。鯖の味噌煮定食か唐揚げか。人生の選択肢で、彼女はずっと迷い続けてきた。ベストは何か? ベストを選んで得したい。むしろ、ベストを選ばなきゃ損だ。

 結婚相手も彼女はベストを選び続け、ついに決められぬまま、彼女は独り身の三十路へと突入した。かつてモテなかった訳ではない。ただ「ベスト」と思わなかっただけだ。結局、彼女は独り身のまま生きて、こうしてアイスクリーム選びに三十分以上かけている。

 丸みと厚みを増しつつある彼女の背中ごしに、六十色の平原が広がっている。それはそのまま、彼女が選びきれなかった「ベスト」の墓場である。


「キャラメル&ナッツ、シナモン多めで」

 結局、ベストの確信がないまま、彼女は猛烈に甘いものを選ぶことで、ひとときの満足を買った。その場で舐め始めながら、残り五十九色と比べてベストだったのかを悩み始める。背後の気配に振り返ると、ショウウインドウに貼りつき六十色を眺める、シンイチと目が合った。

 いや、この子はアイスクリームを見ているのではない。佐代子を見ていた。

「……何?」

 帰ってきた答えは、佐代子が生涯はじめて聞いた言葉だった。

「あなた、妖怪に取り憑かれていますよ」


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 佐代子は鏡の中の、自分の左肩に取り憑いた妖怪「ベスト」をしげしげと眺めた。

 コーンを逆さまにしたような形で、ペパーミントグリーン色だ。60アイスクリームで言えばミントライム色。様々な色の目がついている。赤、水色、黄、ピンク、オレンジ、ブルー。どの色も60アイスクリームのどれかの色に似ていた。カシスレッド、ハワイアンオーシャン、レモンマスカルポーネ、ストロベリーライチ、オレンジソルベ、ディープベリーといった所か。即座に味が舌に立ちのぼってくる。その妖怪は六十の目で、四方八方をやぶにらみに見ていた。

「つまり私は、妖怪『ベスト』に取り憑かれて、ベストを選ばなきゃ損だって強迫観念に囚われてるってこと? 妥協を許さず、でも結局どれもベストと思えない、優柔不断な私の人生。それは、妖怪『ベスト』のせいだと」

「まあ、そういうこと」

 佐代子はキャラメル&ナッツ、シナモンパウダー多めのアイスを舐めながら、鏡を見て自分の肩の「ベスト」をしばらく観察した。キャラメルとシナモンがチョコを媒介に溶け合い、脳味噌がしびれるような甘い快感が走る。不気味な六十の目は、各々別の方向を向き、世の中全てを見ておかないと気が済まないとでも言うようだ。

 佐代子より早く、シンイチはレモンシャーベットのアイスを食べ終えた。自分と対照的に、シンイチはあっという間の二秒で注文を決めたのを、佐代子は疑問に思っていた。

「レモンシャーベット以外の他のは、気にならなかったの?」

「気にならなかったよ?」とシンイチはあっけらかんと答える。

「どうして?」

「レモンシャーベットが目に飛び込んで来たからさ!」

「……それじゃ単純すぎるでしょ」

「単純?」

「つまり、どれがいいかもっと迷うでしょ」

「オレはレモンシャーベットが食べたいって思ったから、別に。あ、奢ってくれてありがとうね! ウマかった!」

 シンイチは満面の笑みを浮かべた。佐代子は頭を抱えた。子供は単純でいいなあ、と。

「私がこの歳まで行き遅れなのも、色々考えすぎだから? それとも、この『ベスト』のせい?」

「そこまでは分んないけど、そうかもね。大体、なんで結婚しないのさ」

「うーん、ほんとにこの人がベストかどうか、確信が持てないからじゃないかなあ。私、最近ずっとお見合いしてるのね。パーティーとかに出て」

「流行りの婚活パーティーってやつだね!」

「まあ、そうね。で、何人見ても、何人見ても、全然いいと思える人に出会えなくてさ。出会いすぎて、分んなくなっちゃったのかも知れない。ベストって何なのかが」

「アイスみたいに?」

「そうね。……週末またパーティーの予約をしてるの。そこでもベストを選べないんじゃないかなあ」

 佐代子はため息をついた。妖怪「ベスト」はその瘴気を吸い、大きさを少し増した。

 シンイチは無邪気に提案した。

「じゃもう、『最初の人と結婚』て決めればいいじゃん!」

「いやいや無理でしょ」

「じゃ二人目だ!」

「いやいやいや、もっと情報収集しないと」

「じゃ三人目!」

「全然サンプルが足りない」

「四人目」

「まだまだ」

「じゃラストの人!」

「それまでにベストの人がいたら、手遅れじゃん。それに」

「それに?」

「次のパーティーにベストの人がいるかも知れない」

「……でも、いないかも知れない」

「……はあ。そうなのよねえ」

 婚活パーティーとやらに、シンイチは天狗のかくれみのを着て、ネムカケと忍び込むことにした。バイキング形式だから料理を勝手に取ってもいいよ、と言われ、シンイチはやる気まんまんとなった。


    3


 西麻布にしあざぶの瀟洒なレストランで行われたその婚活パーティーは、年収も年齢も様々な人たちが集まる、バラエティー豊かな集まりだった。写真選考があり、容姿に問題ありそうな人は事前に弾かれているのが特徴だ。佐代子は太る前の写真を出したので、どうやら選考をクリアしたようだ。中央にはバイキング形式の料理があり、どれを食べるのがベストかまたもや佐代子を悩ませたが、今回は料理がメインではないと割り切った。男女五十名ずつが入り乱れた、表向きは異業種名刺交換会のようなものだった。

 シンイチは相棒のネムカケを連れ、かくれみので潜入し、バイキング料理を食べつつ彼女の様子を見ていた。ローストビーフと焼きそばとハンバーグをシンイチは気に入り、ネムカケは焼魚などの和食がないことを嘆いたが、デザートのあんこだけは気に入った。


 年収三千万の外科医・四十歳。年収九百万の銀行員・三十七歳。年収千二百万のTVプロデューサー・三十六歳。年収不定の俳優兼モデル・二十七歳。

 どの人も不快な感じはなく、人が良さそうではあるが、何の決め手がある訳でもない。俳優兼モデルの冬彦と名乗った男は、多少イケメンでおおっとなったが、結婚相手に顔だけを求めても仕様がない。

 さて。これだけの人数を見ても、佐代子はまた同じ感情に取り憑かれてため息をつく。

 どれがベストか分らない。そして、ベストを選ばなきゃ損な気がする。


「ここ、いいですか?」

 佐代子の向かいの席に座った男は、かなりの巨漢だった。体重で言えば百キロをゆうにこえるだろう巨体で、額に汗をかいていた。

「スイマセン、デブなんで、すぐ汗かいちゃうんですよ。あ、五味ごみ等志ひとしといいます。はじめまして」

「緑川佐代子です」

「緑川さん、こういうのよく来るんですか?」

「いえ、初めてです」

 佐代子は嘘をついた。初心うぶに見せる為のテクニックだ。この人にそう見せたいわけではなく、普段からそうしていないと癖にならないからである。

「ボクこういうのちょいちょい出るんですけど、苦手で」

「はあ」

「何人出会っても、どの人がいいかなんて、中々決められないタイプなんで」

「そう思います。……ホントそうです」

「『秘書の問題』って知ってます?」

「なんですかそれ?」

「元々、『秘書を面接で決めるときに誰にするか』を、数学的に解析した問題です。今じゃすっかり、こういうお見合いのときに使われる」

「はあ」

「N人の人を面接するとしましょう。順に見ていき、いいと思った人に即座に決定しなければいけないルールとします。あとからさっきの人を呼び出すことは出来ず、今決めなきゃいけないルール。何人目まで様子見をし、何人目までに決めると、最も優秀な人を選ぶ期待値が高くなるか、という数学的問題。つまり、ベストの相手を選ぶ確率的、統計的方法ってこと」

「……ベスト」

 佐代子の興味が少し動く。

「結論から言うと、ネイピア数1/e(=0.368…)に収束する。つまり、36%まではスルーし、37%以降に、捨てた第一集団よりもいいと最初に思った人に決めると、ベストを選べる確率が最大になるんです」

「……本当に?」

「あくまで理論上ね。ちなみにボク、何人目?」

「えっと……18人目」

「50人の37%は……19人目か。はい、スルーで」

 五味は笑って立ち上がった。

「あ、年収とか、そういう話してませんけど」と、一応佐代子は言った。

「そういうの、ボク興味ないんで。あ、名刺置いていくルールでしたね」

 五味はポケットから名刺を出し、テーブルに置き、おじぎをした。

「こういう者でした」

「あっ」と佐代子は声をあげた。こういう偶然もあるのか、と驚いた。

 名刺には、「60アイスクリーム 開発部」とあったからである。


「私大ファンなんですよ、60アイスクリームの!」

 佐代子は五味を呼び止めた。

「ありがとうございます。いつもお世話になっております」

 五味はうやうやしく大げさに一礼し、真顔になって佐代子にたずねた。

「ちなみに、新作のジューシーパイナップル、どう思います?」

「うーん、一回食べてもういいやってなったかな」

「ほう」

 五味は急に表情が鋭くなった。

「何故?」

「そもそもパイナップルの甘さって、甘さと酸味のバランスだと思うんですよ。だったらラズベリー&ブルベリーのほうが優秀だし、柑橘系の爽やかさならオレンジソルベのほうがキャラが立ってるし、あ、こないだのゆずのピールも苦味が尖ってて良かったかな。専門的なことは分らないけど、パイナップルって甘く濃厚にすればするほどいいという訳でもないと思うんです。シロップ漬けのパイン缶を目指してるわけじゃないんだから」

「ほう」

 五味は目を輝かせた。半分去りかかっていたテーブルに、再び戻ってきた。

「あ、ごめんなさい。悪く言うつもりはなかったです」

「いえ。正直に言ってくれるほうが有難いんです。では、キャラメル&ナッツはどうです?」

「あ、あれ前と味変わりましたよね? シナモン多めにしないと、前みたいにならないんですよねえ」

「シナモン多め?」

「私いつも行く所で、店員さんに交渉して、五十円上乗せしてやってもらうんです」

「ふむ。……」

 五味は頭の中で味を想像した。

「なるほど、それはあるぞ。ちょっと安っぽくなったキャラメルが、シナモンパウダーが行き届くことでエキゾチックに中和されそうだ!」

「分りますか!」

「分るとも! だってボク、弊社のフレーバー開発責任者なんで」

「あっ……」

「だからこんなにデブなんですけどね!」

 と五味は笑った。さらに身を乗り出し、五味は尋ねた。

「お腹すいてないですか?」

「どうして? バイキングで食べ放題でしょ?」

「ぶっちゃけ、味いいと思いました?」

「バイキングならこんなもんかと。ぶっちゃけ美味しくなかったので、殆ど食べてないです」

「かあーッこれは痛快! 殆どの女性はね、表面上でも美味しいなんて言うもんですよ! 味音痴なのか嘘つきなのか! ボクはね、婚活パーティーがはじめてとか嘘つくのはどうでも良いんです。味に嘘つく奴が許せんのですよ! ウマイ焼肉屋が近くにあるんで、抜け出して食いに行きませんか!」

「焼……肉?」

「世界一ウマイ料理のひとつでしょう? 焼肉は!」

「そうですよ。そりゃそうですけど」

「じゃ話は決まった」


 婚活パーティーに来たら、何故だか焼肉屋に舞台がうつっていた。予想もつかないシュールな展開で、佐代子は騙されてるのかと思った。シンイチとネムカケは、かくれみので尾行を続けている。

 ここは煙をもうもうとあげる、西麻布の地下の焼肉屋だ。

 五味はメニューを見せながら佐代子にたずねた。

「何からいきます? タン(舌)シオあたりから様子見しますか?」

「私赤身からなんです。ハラミ(横隔膜)が一番です」

「いいね。ロース(肩や背の腰まで)やカルビ(肋付近)は?」

「ハラミに敵わないと思うんですが」

「国産のロースやカルビは脂が乗ってますよ?」

「焼肉は肉を食べるもので、脂を食べるものではないと思うんです」

「思った通りだ。あなた、いい舌を持ってる!」

 その後二人は、どの部位が好きかを延々と話した。赤肉だけでなく、白肉(ホルモン)の話もした。ミノ(第一胃)のサクサク感、ハチノス(第二胃)のふわふわ感、センマイ(第三胃)のぶつぶつの気持ちよさ、ギャラ(アカセン、第四胃)のもちもち感をはじめ、シマチョウ(小腸)やテッチャン(大腸)の焦げた所の旨さについても語り合った。ウルテ(喉骨)やコブクロ(卵管)のコリコリぶりや、オッパイ(胸腺)のとろみについても意見が合った。

「ここまで話してアレですが、緑川さん的には、どの部位がベストです?」

 と五味は聞いてみた。しかしここで、それまでの佐代子の快活な語りが止まった。

「……」

「あれ? 何かボク悪いこと聞きました?」

「違うんです。今『ベストが何か決められない病』なんです、私」

「そっか。分りますよ。肉はどこも旨いしね」

 また失敗したか、と苦い顔になった佐代子に、五味は新しい提案をした。

「ちなみに次の月曜の夜、空いてますか? 渋谷の60アイスクリームで、新商品の試食会やるんですけど」

「はい?」

「スタッフだけの会なんですけど、その舌を買って、是非忌憚なき意見を聞いてみたい」

「そんな、私なんか」

「いや。あなたの舌は相当正確ですよ。目隠ししたってどのアイスクリームかぐらい分るでしょ?」

「え? そりゃそうでしょ」

「ところがウチのスタッフでもそれを正確に出来る奴はいないんだよなあ」

「そんなバカな!」

「そう思うでしょ? アイスクリーム屋が味の差見分けられなくて商売やっちゃいかんと思うのですよボクは。アイスクリーム食べ放題ということで、次の月曜いかがです?」

 60アイスクリームの新作試食会。それだけで佐代子の心は少し躍った。それまで黙っていたシンイチも同じくだ。月曜に備えて、佐代子はダイエットをしっかりしようと思った。


    4


 シンイチはアイスクリーム食べ放題を楽しみにして、佐代子と共に月曜の夜、60アイスクリーム渋谷店にやってきた。ネムカケは和風の新作、きなこあんみつ味に興味をそそられてついてきた。親戚の子供という設定を佐代子が考えついたので、シンイチはかくれみのを被らずに、堂々と新作を試すチャンスを得た。シンイチはスパイシーカレーを気に入り、ネムカケは栗金時を気に入るかと思いきやマンゴー&ドリアンへ転んだ。

 広い渋谷店には、本部の人たちや開発スタッフが沢山来て、立食パーティーのような様だった。

「どう?」と五味が聞いてきた。

「どれもウマイよ!」とシンイチは上機嫌だ。

「アンタ何でもウマイって言うんじゃないの?」と佐代子は言う。

「そんなことないよ!」

「じゃ聞いてみるけど、お祭りのカキ氷あるじゃない?」

「うん! 大好き!」

「あれはどれが好き?」

「ストロベリーもいいし、メロンもいいよね! ブルーハワイもレモンもいいなあ。やっぱストロベリーかな!」

 佐代子はにやりと笑い、五味の顔を見た。

「五味さん。ここでカキ氷つくれたりする?」

「シロップはあると思う」

「じゃあスタッフにもやらせてみたら? 利きカキ氷」

 五味もにやりと笑った。

「面白いことを言うね、緑川さん。君はあの・・話を知ってるんだね?」

「ふふ。もちろん」


 シンイチも含め、五味はスタッフに全員利きカキ氷をやらせてみた。目を瞑って食べさせ、何味か言わせるだけだ。結果は五味と佐代子の予想通りだった。それぞれの味覚はバラバラで、ブルーハワイをストロベリーだと言ったり、オレンジをメロンだと言うスタッフもいた。シンイチもどれがストロベリーか分らないよとこぼした。

「そりゃそうですよ皆さん」と五味は言った。

「だって全部味は同じだもの」と佐代子は続けた。

「えええ?」

 スタッフはざわついた。五味が解説を加える。

「カキ氷のシロップってのは全く同じもので、着色料が違うだけなんだ。香料を加える商品もあるけど、それにしても匂いの差で味の差は生じない。ここで使ったものは無香料タイプ。つまり全部同じ味だ。あなたたちは、それを見分けられなかったんです」

 人々はショックを受け、黙り込んでしまった。

「緑川さん」と五味は笑顔で佐代子を振り返った。

「はい」

「このカラクリ、知ってて振りましたね?」

「ええ。私、自力で七歳のお祭りのときに気づいたんですよ。食いしん坊だったので」

「絶対音感みたいに、絶対味覚みたいなのがあるのかね」

「味を忘れたくないって思って、頭の中で何度も反芻したから気づいたのかなあ」

 佐代子は自虐的に笑った。五味は、真面目な顔で尋ねた。

「その舌の力で、是非新作を批評してくれませんか」

「えっ……いいんですか?」

「その為にあなたを招いたんです。忌憚なきご意見を」

 佐代子は小さく咳払いをし、語り始めた。

「黄桃&チェリィだけど、どっちもエグみがケンカしてると思う。昔あったやさしめの白桃系の味にして、たとえば白桃&チェリィならまとまるのでは」

「……ほう」

「ココナッツ&カラメルは、カラメルの焦げをもう少し足さないと、苦みの旨さが足りない。黒砂糖の味がもっとあれば。水が欲しくなるだけの甘さだったなあ。ティラミスのチーズは、チーズ&クランベリーに入ってたチーズのほうが、チョコと合うと思う。それか今7:3の比を、6:4くらいに下げるか。スコーン&ハーブティーはローズヒップが強すぎてミント系の香りを消していると思うし、アールグレイ系の渋みを活かしていったほうがいいんじゃないかなあ。昔あったアールグレイ&キャラメルスコーンのイメージが近いんだけど」

「えらくマイナーなのを知ってるね」

「ふふ。いつも死ぬほど迷ってるし。あと、ショコラオレンジと、トリプルフルーツのオレンジは、違うオレンジを使ってます?」

「どうして分った?」

「レモンとの相性はいいけど、ストロベリーとの相性は、ショコラオレンジ側に寄せたほうがおいしいと思う。あと、キウイ&ラズベリーは面白い試みだと思ったけど、レモンシャーベットの王道キャラの陰に隠れちゃうよね。酸味同士の組み合わせはいいけど、甘味方向か、キウイの種を使って食感に振らないと、まだぼんやりしてるかなあ。あ、洋梨のカスタードは良かったです。でも名作洋梨ムースの復刻版って感じで、マスクメロン系に伸ばしたほうがおいしくなるかも。色的にピスタチオ系と濃淡で合わせてもいいかなあ」

「……」

 五味は言葉を失った。周囲のスタッフも言葉を失ったまま佐代子を見ていた。その異様な雰囲気に、まくしたてるように一気に喋った佐代子はようやく気づいた。

「みんな、聞いたか?」と五味は研究スタッフ達に言った。

「……あ、ごめんなさい、素人が好き放題言って」

「とんでもない。みんな黙っちゃったのはね、面白い事実がひとつあって」

「?」

「あなたの指摘は、ボクが事前に指摘したコメントと、殆ど一緒なんだ」

「ええっ?」

「ボクは6:4じゃなくて、逆に3:7に振り切った方がいいって言ったぐらいかな」

「んー、あ、それもアリですね!」

 佐代子は頭の中で味を想像し再現し、納得した顔をした。

 五味はあらたまった顔で、佐代子に尋ねた。

「緑川さん。ここに百近くのアイスクリームが揃っている。あなたは我が社の過去の名作にも詳しい。一千は下らないその名作群について、ひとつ聞かせてくれないか」

「はい」

「ベストは、何?」

「え?」

「今までのベストを、是非教えて欲しい」

 一番困る質問をまた佐代子は受けることになった。固唾を飲んで見守る何十人もの目。成長して行く妖怪「ベスト」。突然佐代子は涙が溢れてきた。

「……決められないの」

「?」

「決められないの! 私には何がベストか分らないの! ごめんなさい! 期待に応えられそうにありません! ベストは……ベストは……この中にはないです!」

 必死で答えた。涙が止まらなかった。混乱した佐代子は店の外へ飛び出した。


「待ってください! 待って!」

 五味は走る彼女を必死で追いかけた。走る小太りの女を、走るデブが追いかけた。五味は息が切れる。必死だった。うしろから声をかけても彼女は止まらないので、五味は必死に彼女を追い越し、彼女の前に立ちはだかった。佐代子は顔が涙まみれで、五味は汗まみれだった。

「何なんですか! 私は何もかも分らないんです! もうついて来ないで!」

 五味はその場で土下座した。

「お願いです!」

「お願いされても、私なんかに……」

「違うんです! ボクと結婚を前提につきあってくれませんか!」

「はああああ?」

 あまりにも意外な展開に、しばし佐代子の思考回路は止まってしまった。五味は続けた。

「確信したんですよ! あなたはちゃんと違いが分る人なんだって! すべての違いが分る正確で繊細な感覚があるからこそ、千に至る味を全て分かり、分類し、系統立てて理解してるんですよ! だからだ! だからベストを決められないんだ!」

 五味は土下座した顔を上げた。

「だって、ボクもあの中にベストがないって思ってるから!」

「ええっ?」

「はじめてだ! はじめてボクと話が合う人を見つけたんだ! ボクは緑川さんとなら、延々と微妙な違いについて議論できる! 同じ感覚を持つ人なんだもの! それって、男女で一番大事なことでしょう?」

「は、……はあ」

「お願いです! ボクとベストをつくりませんか!」

「ベストを、つくる?」

「ベストの味がないから、つくるんです! 結婚だって同じだ! ベストの人は選ぶんじゃないと思うんだ! 二人で、ベストの関係を、つくっていくものなんだ!」

「ああ。……そうか。そうなんだ」

 佐代子は突然、納得がいった。彼女は五味の手を引いて、ゆっくりと立たせた。

「選んでるから、なんだ。選ぶだけだから、どっかで損とか得とか、勘定してるだけになっちゃうんだ」

 五味のズボンについた埃を、佐代子は払ってあげた。

「あなたのひと言で目が覚めました。つくるってこと、考えてませんでした。……私でよければ、よろしくお願い致します」

 こうして佐代子の肩の妖怪「ベスト」は、彼女の心から遊離し、宙へと解放された。


「不動金縛り!」

 ここからはシンイチの出番だ。シンイチは腰のひょうたんから、天狗の面と火の剣を出した。

シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「火の剣! 小鴉!」

 小鴉から放たれた炎は妖怪「ベスト」を取り巻き、熱い黒い刃がバターを切るように「ベスト」を真っ二つにした。カラメルの焦げる匂いが香ばしい。洋風の「ベスト」も、天狗の火の剣の力にかかれば和風に浄火だ。清めの粗塩と化した「ベスト」は、ぼふうと音を立てて大爆発した。

「一刀両断! ドントハレ!」



「あれだけアイス食べて、お腹ゆるくならないですか?」

 五味は、帰り道に佐代子に尋ねた。

「食いしん坊万歳」とお腹をなでて彼女は笑った。

「ははは。実はボクもなんです」と五味は太い腹を叩いた。

「知ってます? 渋谷にも、ウマイ焼肉屋があるって」

 五味は笑った。佐代子も笑った。

「じゃあ、連れてってください」

 二人は、夜の街へと消えた。


 食いしん坊たちほど胃袋が強くないシンイチとネムカケは、翌日二人揃ってお腹を壊した。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か






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