第15話 「美人は得か」 妖怪「みにくい」登場

    1


     心の闇にとらわれて 出口の見えない人がいる

     天狗の力の少年が 来たりてこれを焼き払う

     てんぐ探偵只今参上 お前の心の悪を斬る



 ブサイクは罪だ。ブサイクは悪だ。「カワイイは正義」なのだから、ブサイクは悪だ。


 雑誌もテレビも、メディアの全てが、女の子の見る何もかもが、「悪なるブサイクを隠して、カワイイに変身しよう!」と吹き込んでいる。それは脅迫だ。その変身の為に、モノが買われるからだ。脅せば金が生まれる。つまり女の子は、毎日様々な脅迫を受けている。

 ブサイクは罪で、隠さなければならない悪だ。ブサイクと知られてはならない。ブサイクは悪の秘密結社であり、隠れ切支丹きりしたんであり、正義に滅ぼされるべきだ。

 心の闇「みにくい」は、そんな心に取り憑く妖怪である。


 小学校高学年ともなれば、今時の女のコはオシャレに目覚め出す。小学生用のメイクが特集され、小学生用の日替わりモテコーデが紹介される。アイドルのように、モデルのようになりたいと思い、その「術」を勉強する。「男子からの好かれ方」という雑誌の特集をリビングで見ながら、綾辺あやべミヨは「自分には無理だ」と呟いた。自分の基準ではなく、他人の基準に合わせるのか? それは、「本当の自分」を覆い隠すテクニックを競っているように思えたからだ。

 綾辺ミヨは、心根の優しく、明るく頭の良い、五年二組のシンイチのクラスメートである。先日妖怪「弱気」に取り憑かれ、屋上で自殺しそうになったのをシンイチに助けてもらったばかりだ。後日、彼は「今世の中には、新しい妖怪が増えている」と説明してくれた。それは「心の闇」という、人の心の暗いところ、濁った心や歪んだ心を餌とするのだそうだ。その後、彼はその妖怪退治を密かに続けているらしい。こないだは兄の哲男に憑いた妖怪「上から目線」も退治してくれた。「妖怪のことはあんまり言っちゃいけないよ」と釘を刺され、彼女はこのことは、彼との二人の秘密だと信じている。

 あの屋上で、自分のことを「明るくてしゃべるのが素敵だ」と言ってくれて嬉しかったけど、それは本心からのことか、自分に自信を取り戻して妖怪を外させる為の方便だったのか、彼女には分らなくなってきた。

 シンイチくんは、こんなフェミニン系モテコーデとか、クール系モテコーデとか、ピンクのリップをしてる子が好きなのかしら。そういえばこないだ、鈴木有加里のことをシンイチくんは心配していた。彼女の清楚なお嬢様キャラには、丁度こんな服が似合う。雑誌の中のカワイイ笑顔をふりまくモデルは、有加里にどことなく似ていた。自分のようなちんちくりんな庶民よりも、シンイチくんは有加里のようなカワイイ子が好きなのかも知れない。

 彼女のため息を妖怪「みにくい」が嗅ぎつけ、部屋に入ってきた。濁った赤色の、太った顔で、目に隈が出来、歪んでむくれた唇であった。

 ミヨは鏡を見た。ムスッとした顔の自分がいた。妖怪「みにくい」にそっくりだった。

 テレビのCMでは、芸能人でもないカワイイ女の子たちが、白く輝く笑顔をふりまいている。特に有名でもない癖に、世の中は美人ばかりで溢れている。頂点の美人相手なら諦めもつくが、美人の裾野は、裾野まで美人だ。一方現実の私ときたら、有加里のようなお嬢様でもないし、あんなに輝く笑顔じゃないし。あの人たちは、きっといいことがあったからあんなに楽しそうに笑えるんだ。カワイイから、勝ち組で、毎日楽しくて笑っていられるんだ。ミヨはもう一度鏡を見た。

「私、かわいくない」

 妖怪「みにくい」は彼女の肩に座りこみ、そこを棲み家と定めた。



 ミヨちゃんが連続して休むのは珍しい。二、三日なら風邪ということもあるけど、もう五日になる。シンイチは、道理でクラスに何か足りないと思った。彼女の明るい笑い声がクラスに足りないのだ。シンイチは不審を覚えた。以前タケシに取り憑いた「アンドゥ」の発見が遅れたことを、シンイチは今でも悔しがっている。「心の闇」は成長してエスカレートする以上、早期発見が肝だ。

 シンイチは野良猫ネットワークにミヨちゃんの情報を聞いてみたが、彼女の部屋はカーテンを閉じたままで中が見えないと言われた。「音は?」と尋ねるも、静かで咳などの病気の兆候や、逆に暴れるなどの様子もないという。

 シンイチは担任の内村うちむら先生に相談した。

「……心の闇の仕業かな。単純に、病気かもだけど」

「可能性はなきにしもあらず。シンイチ、てんぐ探偵の出番だな。とりあえず日直のフリをして、プリントを彼女の家に届けて様子を見るんだ」

了解ラジャー

 「プリントを届ける作戦」は、今はじめて内村先生が思いついたようで、彼はドヤ顔をしていたが、実際この手は既に鈴木希美子のケースでシンイチが発明していた。ドヤ顔の内村先生にはそのことは黙って、シンイチはミヨの家へ向かうことにした。


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 母親の綾辺奈美なみは、「ミヨは人と会ってくれない」と嘆いた。兄妹とも引きこもりになってしまい、自分の育て方に問題があったのかと、自分を責め始めた。

「彼女と話をさせてください。多分、人より繊細なんだと思うんです」

 シンイチの笑顔には、人を安心させる力がある。


 廊下でドア越しに、シンイチはミヨに話しかけた。

「一体どうしたのミヨちゃん。なんで部屋から出てこないのさ? 学校へ行こうよ!」

「……外になんか出たくないの。私は一生、この部屋の中で暮らす」

「部屋の中で何やってるの?」

「小説を読んでる」

「小説? あんな字だけなのより、マンガの方が面白いじゃん!」

「字だけだからいいのよ。見た目がないから。概念だけの世界が素敵」

「じゃ、外に出たくないの?」

「私、ブサイクだから。だから見た目と関係ない小説がいいの。あの中に入りたい。あの中で暮らしたい。人間は肉体を持たずに、精神だけの生き物だったらいいのに」

「ははは。分るよ。オレ足遅いし、ちょっと音痴だし、背も低いし。この身体じゃなかったら、と思うこともある」

「シンイチくんは絶対この部屋に入らないでね」

「なんで?」

「私のブサイクなんか見せたくない。服もぼろぼろだし、可愛くないし」

「服は買えばいいじゃん」

「服を買いに行く服がない」

「ミヨちゃんは、ブサイクじゃないって!」

「ブサイクよ。鏡を何度見てもブサイクよ。見れば見るほどブサイクよ」

 シンイチは少し考え、提案してみた。

「オレ、ミヨちゃんに会いに来たんだ。目つぶって入る。それならいい?」

「……」

「プリント届けに来たのは嘘なんだ。本当は、ミヨちゃんが心配でさ」

「……嘘」

「嘘じゃないよ」

「シンイチくん、本当は有加里のこと好きなんでしょ」

「は? 何それ」

「有加里みたいなかわいい子が好きなんでしょ?」

「? 考えたこともないけど。なんで鈴木?」

「こないだ様子を心配してたじゃない」

「? ……ああ、アレ! 忘れたのかい? 鈴木のお母さんが『心の闇』に取り憑かれてたって!」

「え? そうなの?」

「妖怪『心の闇』のことは、誰にも言ってないよね?」

「うん」

「二人の秘密だからね!」

「分ってる」

「実はさ、オレ、ミヨちゃんが『心の闇』に取り憑かれたんじゃないかと思って来たのさ」

「そんな。また? だって兄貴にも取り憑いて、私にも……また?」

「うん。風邪のウイルスだって何種類もあんじゃん。目つぶって入る。それならいい?」

「……」

 ドアがカチャリとあいた。中の部屋は暗く、外から様子は伺えない。

「カーテン閉めて、電気消した。それでも目つぶってよ」とミヨの声がする。

「分った。約束する」

 シンイチは目をつぶった。


「どこ? そこに座ってる?」

「うん」

「なんか元気そうじゃん」

「目開けちゃダメ!」

「声でなんとなくそう思ったんだよ。……あのさ」

「なに?」

「ミヨちゃんは妖怪『心の闇』は見えないんだよね。そこいら中に漂う、極彩色の奴ら」

「うん」

「どうもオレだけが、妖怪が見えてるみたいなんだよね。でもオレ、本当は妖怪なんて見たくないのさ」

「どうして?」

「見逃せないだろ。いちいち妖怪退治やらなきゃならないじゃん。今のところなんとかなってるけど、相手は妖怪だぜ? 本当は凄く危険なのかも知れないしさ」

「じゃあなんでそんなことすんのよ」

「オレだけしか、助けられないかも知れないからだと思う」

「……」

「本当は妖怪のせいなのに、原因不明の死って扱われる人が沢山いるかも知れない。あいつらは、宿主の負の感情を餌にして、どんどん成長していくんだ。カラッカラにひからびさせて、死ぬまで栄養を吸うんだ」

「……」

 シンイチはあの巨大な「弱気」に取り憑かれ、ビルの上から飛び降りた男のことを今でも思い出す。あの虚ろな目も、のばした手を払われた生々しく冷たい感触も。「助けられなかった」。それがシンイチの動機だ。

「オレは、ミヨちゃんを助けられるかも知れない。だから来たんだ」

「私が心の闇に……二回も?」

「回数とか関係ないんじゃないかな。やつらは全然違う性質を持ってる。『心』ってのが色々違うように、その闇の色も違うんだと思う」

「私のせいじゃなくて……」

「そう。妖怪のせい。目をあけて、顔を見ていい? オレには妖怪が見える」

「妖怪のせいじゃないわよ。私がブサイクだからよ」

「鏡は見た? 宿主なら、鏡に映った心の闇が見えるんだ」

「鏡なんか見たくないわよ! 醜い私が映ってるだけじゃないの!」

「醜くなんかないよ! ミヨちゃんの笑う顔は結構かわいいよ!」

「嘘よ。そんなの方便でしょ!」

「笑った顔をして。オレはそれを一秒見ればいいから。一週間、うちのクラスになにが足りないか、やっと分った。ミヨちゃんの笑顔だよ。妖怪じゃなかったら、これで帰る。一生この部屋に入らない」

 ミヨは、自分の表情が引きつっているのを知っている。それでもうまく笑おうと努めた。自分が普段どうやって笑っているのかも覚えていなかった。

「……一秒だけだからね」

 シンイチは目をあけた。ミヨは引きつりながら精一杯笑っていた。その肩に、妖怪「みにくい」が不機嫌な顔をして鎮座していた。


    3


「さて、どうしよう」

 妖怪「みにくい」をシンイチは観察した。「みにくい」はぶくぶく太って歪んだ顔を更に歪ませ、シンイチを挑発した。シンイチはミヨちゃんを褒めてみた。

「ミヨちゃんはカワイイ。カワイイ。カワイイ。カワイイ」

「それ私に思い込ませるつもり? 洗脳?」

「……ダメか」

 シンイチは床に散乱しているファッション雑誌を見た。表紙の女優がマジックで黒く塗りつぶされている。どのページをめくっても、モデルさん達の顔が黒く塗りつぶされていたり、目や唇が針の痕でぐちゃぐちゃにされている。

「よし! 逆に、ミヨちゃんを一番の美人に変身させよう!」

「は?」

「美人だったら外出できるでしょ! 外の空気を吸いに行こうよ!」

 シンイチは腰のひょうたんから、天狗七つ道具のひとつ、天狗のかくれみのを出した。

「天狗のかくれみのは被ると透明になる。ついでに、変身することも出来るぜ! 今一番の美人の、誰になりたい?」

泪沢るいざわセシル」

「じゃあそれになろう! 着て、その泪なんとかさんをイメージして!」

「なんとかじゃなくて、泪沢セシル。シンイチくん、セシル知らないの?」

「知らない。変身したら思い出すかも」

「……分ったわよ!」

 ミヨは天狗のかくれみのを自ら被った。ぼん、と煙が上がり、小学五年生のちんちくりんのミヨは、たちまちスタイル抜群の、一七五センチのモデルに変身した。透き通った茶色い瞳と白磁の肌をして、スラリと伸びた長い脚を赤いミニスカートから出す、二十四歳のハーフタレントだ。

「ああ! この人! よくテレビ出てる!」

「カワイイ?」

「カワイイ!」

 自分の目線が一七五センチになって、ミヨはとまどっていた。急に視線が高くなり、身体が不安定だ。その体で、鏡で自分を見てびっくりした。

「マジで泪沢セシルじゃん!」

「天狗の力、なめちゃ困るぜ! まあ、かくれみのを作った天狗が凄いだけだけど!」

 ようやく鏡を見れたミヨは、自分の肩で不気味に笑う、赤黒い「みにくい」を確認した。

「こいつか。……こないだのとは違うの?」

「だいぶ違うね。とりあえず、その姿なら外に出れるだろ?」

「うん。……ためしにちょっと、歩いてみたい!」


 二人は外に出た。セシル(ミヨ)は、最初こそハイヒールに慣れず不恰好な歩き方だったが、商店街のショーウインドウに映る自分を見ながら、すぐにモデル歩きをマスターした。背筋を伸ばし、まっすぐ前を見る。長い脚が鋭く、海を切り裂き白い波を立てる、船の舳先だ。自然とセシル(ミヨ)は笑顔になってきた。それは世界を切り拓く歩き方だ。

「スゲエ。ホントのモデルさんみたい」

「ふふん。私だってこんだけスタイルよくてルックスいけてたら、これ位楽勝よ。あ、これ、服とか変えられる?」

「イメージすれば」

 ショーウインドウのマネキンの着る、緑のワンピースを見ながら、セシル(ミヨ)は「ふん!」と一言言った。ぼん、と煙が出て、彼女の服はそっくりに変わった。

「すげえよミヨちゃん!」

 彼女はガラスの前で自慢気にポーズを取った。

「この服、四十万円だって」

「まじ!」

 その店の隣にも、隣にも、色とりどりの服が飾られていた。セシルは次々に「ふん!」と言って、次々に服を変えた。セクシーゴージャスなゴールドのドレス、白のスポーティ、ピンクのカジュアル。

「ふん! ふん! ふん!」

 紫のゴシック調、黒い革のボンテージ風、サイケで派手な服、淡い色のお嬢様服。

「カバンとか持ち物も?」

「多分」

 次々にカバンや靴も変えて見せた。帽子やサングラスやピアスやネックレスもだ。かくれみのによる、一人ファッションショーだ。

「すごい! 私全部カワイイ! シンイチくんはどれがいいと思う?」

「えーっと……」

 正直シンイチには区別がつかないので、何でもよかったのだが、「ミヨちゃんはどれが好き?」と聞いてみた。

「私は緑のやつかゴールドがいい!」

「それは目立ちすぎるから、最初のがふつうでいいんじゃない?」

「ええー地味」

「でも目立ちすぎるでしょ。それに赤いスカートがミヨちゃんのイメージに合ってたし」

「イメージに合ってたのか。わかった」

 ぼん、とまた煙が上がって、彼女は最初の赤いミニスカート姿に戻った。実のところ、そのミニスカート姿が一番見たくてそう言ったのだが、それは彼女には隠していた。

「私がどれだけカワイイか、もっと人のいる所で見てみたい!」

「? どこ?」

「原宿とか!」


 ざわざわとする原宿まで出てきた。ファッションストリートが表通りにあり、古着で有名な裏原宿が点在するオシャレエリア、という説明をセシル(ミヨ)に聞いたが、シンイチはよく分っていない。歩いていくうちに、雑誌から抜け出てきたかのような色とりどりの服装の人々が歩いていて、カメラマンたちがそのスナップを撮っていたりして、そういう街なんだと分ってきた。

 人の海の真ん中を颯爽と歩くセシル(ミヨ)に、皆が振り向いた。海が真っ二つに割れるように、彼女の道が開いた。こっそり写真を撮る者すらいた。

「みんな私を見てる。私やっぱカワイイのね!」

 そこへ金髪の男が二人、声をかけてきた。

「おねーさん超カワイイッスね!」

「セシルに似てる。意識してるっしょ!」

「まあね」とセシル(ミヨ)は得意がって見せた。

「俺らと茶でもしませんか?」

「それとも飲みでも?」

「飲み?」

「酒っすよ酒。楽しいクラブ知ってんすけど、どうよ」

「えっと、お酒は……そう、連れがいるので」

 と、シンイチの後ろにセシル(ミヨ)は隠れようとした。

「そんなこと言わずにさあ!」

「行こうよ!」

 男たちは強引にセシルの腕をつかみ、力づくで彼女を連れて行こうとした。

「痛い! ちょっと、やめてよ!」

「行こうよ!」

 セシル(ミヨ)は恐くなった。男二人の力は強く、まるで悪者にさらわれそうな恐怖を感じた。

「不動金縛り!」

 シンイチは二人組の男に不動金縛りをかけた。二人は変なポーズのまま固まった。シンイチは彼女をつかんだ男の指を、もう一人の鼻の穴に突っ込んで金縛りを解いた。

「いててててて!」

「逃げようミヨちゃん!」

 シンイチは彼女の手を取り走り出した。

「アハハ。アハハハハ」

 セシル(ミヨ)は笑った。二人は走って逃げて、ひと息ついてまた笑った。


「でも、肩の妖怪はちっとも外れないね」

 とシンイチは心の闇「みにくい」を観察しながら言った。

「私、このカワイさで、どこまで行けるか見てみたい!」

「は?」

「オーディションを受けるの! カワイイの中のカワイイになりたいの!」

「オーディション?」

 シンイチは腰のひょうたんから、一本高下駄と千里眼を出した。ラフォーレの屋上へ高下駄で飛び上がり、千里眼を覗き込んでオーディション会場を探した。

「あった!」

 日比谷の裏手のビルに、「主演女優オーディション」の看板が見えた。

「映画のオーディションっぽい!」


    4


 受付は一瞬ざわめいた。泪沢セシルがこのオーディション受けるなんて聞いてねえぞ、とライバル女優たちが動揺したのだ。

 「銀の一族(仮)」と題された台本を渡され、これからやるシーンを軽く説明された。順番が来るまで待ってください、と言われ、セシル(ミヨ)は控え室に通された。スタッフが代わりにドアを開けてくれて、セレブになった気分だった。

 そこは会議室を控え室代わりにしていて、七人のモデルと七人のマネージャーが既に待たされていた。シンイチはかくれみのをミヨに貸したので潜入する手段がなく、会場の外で待機中だ。なにかあれば不動金縛りで乱入するつもりだった。

 セシル(ミヨ)は一番端の椅子に腰かけ、台本を頭に入れた。ヒロイン姫子ひめこの役で、久しぶりに再会した恋人小次郎こじろうと一夜を過ごし、先に眠った彼の寝顔に語りかける、月夜の一人芝居の場面だった。

 台詞が頭に入ると、ミヨは台本越しに美人たち興味津々に見た。「美人たちの世界」を覗き見したかったのだ。

「マネージャー、缶開けて」

 美女の一人が、青い背広のマネージャーに缶ジュースを開けさせた。自分より随分年上の男の人にやらせている感じが変で、ついミヨ(セシル)は言ってしまった。

「自分であければいいのに」

 その美女は手を止めた。

「アンタ馬鹿? 私のネイルに傷がつくでしょう? このオーディションの為に五十万かけた爪なんだから」

 彼女は七色に光る爪を見せびらかした。

 そこに次のモデルが入ってきた。彼女は荷物をひとつももたず、グレーの背広のおじさんマネージャーが、みっつの大きなかばんをふうふう言いながら抱えてあとについてきた。

「ちょっとは自分で持ったら? マネージャーさんフラフラじゃない」

 とまたもミヨ(セシル)は質問をぶつけた。

「私が疲れちゃうでしょ」

「え?」

「疲れた私が、オーディションで輝ける訳ないじゃない」

 その女はマネージャーに「台本かして」と言い、ぶつぶつと音読をはじめた。

「……ショウ、つぎ……」

「それ、『こじろう』です。恋人の名前」とマネージャーは漢字の読みを教えた。

「……私たちがはじめて会ったときのこと、……」

「おぼえて」と、「覚えて」の読みをマネージャーは教えた。

「十七……」

「さい」と「才」の読みを教える。

 思わずミヨ(セシル)は言ってしまった。

「そんなのも読めないの? 小学校で習うでしょ」

 ずっと待っていた別の女が口を開いた。

「さっきから何? アンタウザイんだけど」

「文句言うなら、アンタ読んでみなさいよ」と、五十万の爪の女が因縁をつけてきた。

 ミヨ(セシル)は立ち上がり、台本を読み始めた。


   姫 子「小次郎。私たちがはじめて会ったと

    きのこと、覚えてる? 私まだ、十七才だ

    った。小次郎が学院の正門で大暴れして、

    総長室で蘭子らんこさんに殴られて。あれから

    もう十年も経つのね。……ねえ小次郎。私

    が行かないで、って言ったら行かないでく

    れる? 私のわがまま、一回ぐらい聞いて

    くれる? 私、あなたと逃げたいの。『世

    界が混沌カオスに飲み込まれる』なんてどうでも

    いい。小次郎。私と世界から逃げようよ」


 電気もつけない真夜中の部屋。月明かりに照らされたヒロイン姫子の横顔。その静かな情熱が伝わってくるいい芝居だった。窓の外のざわつく風が、樹々を揺らす様さえイメージできた。

「ふん。……まあまあじゃない」と爪の女は強がった。

 ミヨ(セシル)は提案した。

「みんなただ待っても意味がないから、ここで練習すればいいんじゃない? 不安なのはみんな一緒でしょ!」

 ミヨは、この美人たちの芝居を見たくなったのだ。

 ところが、彼女たちの芝居はものすごく下手だったのである。


「アレカラ、モー十年もタツノネー」

「私ノワガママ、一回グライ聞イテクレル?」

「小次郎ー、ワタシトセカイカラ逃ゲヨーヨー」

 みんな棒読みだ。犬が歩けば一歩目にぶち当たるぐらいのまっすぐな棒だ。すがすがしく垂直な無限棒だ。

「もっと情感込めて読まなきゃ! 姫子の気持ちになって。さびしいのよ? 多分、大好きな小次郎ともう二度と会えないのよ?」

 爪の女が、不満そうに反論した。

「そんなの、監督が指導してくれるわよ」

「そうよ。私たちは監督の言うことをきけばいいのよ」と漢字が読めない女が追従した。

「余計なことをするより、監督の言うとおりにする子のほうが選ばれるわよ」

「そうよ」

 周りの美人たちは皆口々にそう言った。ミヨ(セシル)は思わず反論した。

「でも、それじゃ人形じゃん」

 全員が、きょとんとした顔をした。

「?」

「……あなたは、人形じゃないの?」

 ミヨは恐ろしくなった。この美人たちは、全員が全員人形だと言うのか。この人たちは自分の意志がなく、単に世間の期待のとおりのことをするロボットなのだろうか。ここに手を出して。足を組んで。この服を着て。目線はこっち。顔はこう。ハイ笑って。

「私たちはつくる人じゃないから。つくる人はつくる専門の人がいるから。私たちは華なのよ?」

「花にだってさ、自分の意志ぐらいあるわよ」

 ミヨは反論した。周囲の空気がトゲトゲしてきた。

「何かさあ、調子に乗ってないあんた?」

 爪の女が立ち上がった。むかついた美女達は全員立ち上がった。


 そこへ突然、拍手の音が聞こえてきた。扉の向こうの廊下からだ。ピンクのTシャツの、小太りの中年おじさんが拍手をしながら入ってきた。

「なかなか貴重な場面を拝ませてもらったよ」

 この映画の監督、大門だいもんしゅんだった。

「監督!」と彼の顔を知る皆が緊張した。大門監督は続けた。

「休憩の時間にタバコ吸いに行ってたら、台本ホン読みの声が聞こえてね。廊下で聞き耳立ててオーディションすることになるとは思わなかったよ。きみ、名前は?」

 と、大門はセシル(ミヨ)に尋ねた。

「泪沢、セシルです」

「隣のオーディション室に来たまえ。その他は、おつかれさま。帰っていいよ」

 女たちは納得のいかない顔をした。

「ちょっと待ってください! どうしてですか! オーディション受けさせてください!」

「そうです! 私なんでもします! 言われたこと、なんでもします! 脱げと言われればいつでも脱ぎます!」

 監督は断った。

「みなさん美人なのは認めるよ。裸も見れるものなら拝みたい。わはは。でも、僕が探しているのは人間だ。このお話を一緒に語ろうとする人だ。僕は、人形遊びをしているわけじゃないんだ」

 監督はセシル(ミヨ)に尋ねた。

「あなたは今恋人がいるね?」

「は、はい?」

 シンイチのこと? ミヨ(セシル)は顔が真っ赤になってきた。

「それか、とても大切な人だ。好きな人のことを語るとき、人は変わる。とてもいい『思い』だったよ。そして彼ともう二度と会えないかも、という台本に書いていない姫子の思いにまで考えが至った。大切な人の足手まといになるのが嫌だという悔しさまで伝わってきた。今好きな人がいなかったとしても、人の気持ちをちゃんと分かって、ちゃんと台本の裏まで読んでいる。きみという人間の優しさや頭の良さも伝わって来たよ。泪沢さん、是非、仕事のパートナーとして考えたいのだが」

 セシル(ミヨ)はその言葉を聞いて、苦しそうに監督に訴えた。

「すいません。……私も……帰っていいですか……」

「どうして? まさか、この子達をかばっているの?」

「ち、違うんです!」

「じゃなに?」

「……!」

 ミヨは思い切ってかくれみのを脱いだ。

「さっき嘘つきました! 私、泪沢セシルじゃないんです! 綾辺ミヨなんです!」

 身長一七五のスラリとしたモデルは煙と共にしゅぼんと消え、中からちんちくりんの女子小学生が出てきた。

「本当は、単なる小学生なんです!」

「なにこれ!」と、女たちは騒いだ。

 しかし監督は動揺もせず、「ほほう」と言った。不思議なことを信じる仕事をしているだけあってか、理解と対応が一人だけ違った。

「なんと小学生が正体とは。こいつは困ったぞ」

 監督は頭を三十回高速で掻いて、必死に考えた。

「待てよ。今回の役を小学生に書き換えることは出来るかな」

 ミヨは反論する。

「無理です。十七才にはじめて出会って十年後の設定です。私十才だし」

「そうかあ。うーん。敵の術にかかって幼女になったって設定に出来ないかなあ。……出来ないよなあ。ラブシーンあるしなあ……。惜しい。残念。うーん畜生」

 監督ははげしく頭を掻き、考え、諦め、それから膝を折ってミヨの目線で話した。

「是非このままちゃんと成長してくれ。そして大人になって、女優に興味があったら是非業界の門を叩いて。信頼できる事務所も紹介する。その時まで僕が第一線で活躍できてたら、一緒に仕事をしよう。綾辺ミヨさん」

 人懐こい笑顔の監督だった。ミヨは名刺をもらい、それは彼女の宝物になった。



「シンイチくん、帰ろう」

 外で待っていたシンイチに、ミヨはセシルではなくミヨの格好のまま現われた。

「あれ? セシルは?」

「うん。……もういい」と、ミヨはかくれみのをシンイチに返した。

「もういいって、何かあったの?」

「ちゃんとまとめて話す。それより、私学校に行かなきゃ!」

「え?」

「いっぱい勉強しなきゃ。アホで何にも出来ない女になるわけにはいかないわ。美人はドアも缶も開けてもらえるし、荷物も持ってもらえて楽もできる。きっと楽し続けて、うっかり頭が空っぽになっちゃうのね」

「?」

「さっき、チンピラからかばってくれてありがとうね! 今日一日、すっごく楽しかった!」

 ミヨは「好きな人」に心から笑った。ひきつった笑顔では、もうなかった。

 ミヨの肩に取り憑いた妖怪がするりと落ちた。シンイチは腰のひょうたんから天狗の面を出し、周囲に不動金縛りをかけた。シンイチは天狗の面を被ると天狗の力が増幅する、てんぐ探偵である。

「火の剣、小鴉!」

 炎の剣が、凝り固まった体の妖怪「みにくい」を切り裂いた。

「一刀両断! ドントハレ!」

 廊下には姿見が置いてあって、鏡にうつった一部始終をミヨは見ていた。

 心の闇「みにくい」は、朱い炎で浄化された。セシルの赤いミニスカートの色に似ていた。赤は、何かを燃やしているから美しいのかも知れない。



「あの映画、絶対見に行こうね! 誰がオーディションであの役勝ち取ったか見てみたいし、絶対私よりあの台詞上手く言うだろうし! そうそう、大門監督の作品レンタルしなきゃ!」

「ミヨちゃん最近その話ばっかだね」

 休み時間、ミヨはシンイチと前にも増してよくしゃべるようになった。

 赤いミニスカートをはいているのに、鈍いシンイチは全く気づいていない。

「せっかくデートの約束してるつもりなんだけどなあ」

 と、シンイチの背中を見ながらミヨは独り言をつぶやいた。ミヨはカバンから透明のリップクリームを出して、自分の唇に塗ってみた。

「どう?」

「な、なんかさっきと変わった!」

「それは妖怪リップクリームの仕業!」

「???」

 自分を隠すんじゃなく、見せていってもいいんだ。意志のある小さな赤い花が、ここにひとつ咲いた。



     てんぐ探偵只今参上

     次は何処の暗闇か







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