第13話 新山教授の協力

 綾野先生からの連絡は先日のメール以来無

かった。もし帰国しているのなら直ぐにでも

連絡がある筈だ。橘助教授からは全く連絡が

無い。何らかのトラブルに巻き込まれている

のは確実だ。もしかしたら二人には二度と会

えないのかも知れない。


 浩太は考えが段々悲観的になる前に決心を

した。


「一人でヴーアミタドレス山に向おう。」


 それは岡本浩太が悲壮な決心をしたのでも、

自棄になって決めたことでもない。持ち前の


(何とか成るだろう。)という楽観的な気持

ちで決めたことだった。


 決めてしまったら、浩太の行動は早かった。

拝藤女史から聞いた方法には、ある稀覯書が

必用だった。浩太には頼る人は居ない。ただ

一人心当たりが在った。あの古本屋の主人だ。

浩太は直ぐに京都に向った。


 浩太が『京極堂』を訪ねると主人がいかに

も面倒くさそうに出てきた。


「君は確か岡本浩太君じゃないか。どうかし

たのかね。」


「ご主人、実はある本を探していただきたく

て来ました。この間は彼方達に協力したので

すから、今度はどうしても協力してもらいま

すよ。」


「儂にできることなら出来る限り協力はする

が、一体なんの本を探しているのかね。」


「僕の目的はこの間話した通りです。そのた

めに必要な書物。ご主人ならご存知のはずで

すよ。かの『サイクラノーシュ・サーガ』で

す。」


 主人は驚愕の表情を浮かべた。


「きっ君はそんなものが実在するとでも思っ

ているのかね。あれはラヴクラフトでさえ想

像上の書物として言及しなかった紛い物だよ。

他の研究者も一切研究の対象にしたことはな

い程のものだ。どこで聞いたのか知らんが、

馬鹿も休み休みにいいたまえ。」


「じゃあどうしてご主人はそんな書物をご存

知なんですか。どこにも言及されていない、

研究対象にもなっていないものを。」


 主人の顔は正に(しまった。)と書いてあ

るかのようだ。こんな小僧に心理を読まれて

しまうとは。


「いっいや、儂も小耳に挟んだだけで、いっ

たいどんな本なのか、何が書かれているのか、

何時書かれたものなのか、誰が書いたのか、

総てが謎だ。そんな噂を聞いたことがあるだ

けなのだよ。それより君は一体その本の名前

を誰から聞いたのかね。まずそれを教えて貰

おうじゃないか。」


「いいですよ。多分ご存知なんじゃないかな。

鈴貴産業の拝藤さんという女の人からで

す。」


「拝藤?」


 古本屋の主人は知らないようだった。それ

を隠そうとしたが、もう無駄だった。


「ああ、拝藤さんね。それで彼女は今どこに

いるのかね。」


「そんなことは知りませんよ。僕も初めて遭

ったんですから。向こうから訪ねて来たんで

す。」


「向こうから訪ねてきた?何故君を訪ねてき

たのかね。それにどんな用があったんだ。」


「それは向こうの都合でしょう。僕はただ彼

女から聞かされた話の中に出てきた本をご主

人に探して貰おうと訪ねてきたんです。」


 どうも納得がいかないらしい。岡本浩太の

重要性は自らが先日浩太に話したのだが、自

分が知らないことをこの青年が知っている、

というのが不満のようだ。浩太が思うに、ア

ーカム財団や綾野先生達ほど彼らから重要視

されていない組織、というのが実情なのだろ

う。自分達はそう思っていないようだが。


 岡本浩太の身体を調べたデータもアーカム

財団の方が有効利用できるかも知れない。


「まあ、無駄だとは思うが心当たりを当って

みよう。だが君は何をするつもりでその本を

探しているのかね。」


「それはツァトゥグアに捉えられている友人

を救い出すために決まってるじゃないです

か。」


 浩太はさりげなく嘘を吐いた。相手は全く

気付いていない。


「判った。もし見つかったら直ぐに連絡しよ

う。その代わり、君もその拝藤という女から

連絡があれば直ぐに知らせて欲しい。約束し

てくれるかね。」


 浩太は稀覯書を探す以外に彼らに価値は無

いと思っていたが、この場は承諾をした。稀

覯書の探索は一流なのだ。だからこそ、綾野

先生や橘助教授も付き合っていたのではない

だろうか。自らを過大評価していることを除

けば、人類の為に戦っている気でいるのだか

ら悪い人間ではない。


浩太には、相手の心のうちが手に取るよう

に判った。もしかしたら、ツァトゥグアに一

旦吸収された影響なのかも知れない。それが

良いことなのか、悪いことなのか、今のとこ

ろ判断がつかなかった。


 京極堂の主人に稀覯書探しを頼んだ後は、

その他に必用な物を手に入れるために大学へ

戻った。琵琶湖大学には浩太の所属している

伝承学部の他、多少変わった生物学部がある。

絶滅種を復活させる研究室もあった。そこに

行けば何か助けになってくれる筈だ。


 研究室は二十四時間実験が続けられている

ので、閉められることは無かった。浩太が大

学に戻ったときは、もう午前二時をまわって

いた。


「誰かいませんか?」


 研究室の中では浩太には全く想像も出来な

い機械が動いており、パソコンのモニターに

はデータの羅列が次々とスクロールしていた

が誰もいなかった。休憩中なのか、特に誰か

が付いていなくてはいけない実験ではないの

だろうか。


 暫く所在無さ下にうろうろと見回している

と、誰かが入ってきた。


「あれ、岡本じゃないか。こんなところで何

をしているんだ。」


 生物学部に在籍している杉江統一だった。

杉江は開業医の長男だったが、医学部ではな

く生物学部に入学してしまったので親からは

勘当状態だった。岡本浩太とは同じ年齢なこ

ともあり、共に貧乏学生という共通点もあっ

て桂田利明らと共に遊び仲間だった。


「杉江、ちょっと頼みがあって来たんだ。」


「なんだよ、何だか様子が変だな。こんな時

間に訪ねてくるなんて。そう云えば、桂田は

どうしたんだ。最近ちっとも顔を見ないけ

ど。」


「ここは、今お前一人か?」


「今日の宿直は俺と新山先生だけど、先生は

仮眠中だから、今は一人だ。」


「真面目に茶化さないで聞いてくれるか。」


 浩太は今までの出来事を掻い摘んで杉江に

話した。何時に無く真剣に話す浩太に、冗談

では済まない深刻さを感じたのだ。


「それは本当の話なんだな。」


「ああ、それでこの間例の大穴の調査に来て

いた城西大学の橘助教授はイギリスに、綾野

先生はアメリカに飛んでいるんだ。」


「そういえば、綾野先生が急に相談も無く渡

米したと学長が怒っていたと新山先生が話し

てたっけ。なるほど、話の大筋は判ったけど、

それで俺に一体如何しろというんだ。」


「それなんだけど。」


 浩太はツァトゥグアを復活させるために必

用な物のうち大半がこの研究室で揃う筈だと

いうことを杉江に説明した。


「でも、これだけのものを直ぐに揃えろって

言われても無理だぜ。出入りの業者に無理を

頼んだとしても2~3週間はかかるぞ。」


「いいよ、その間にこっちはこっちでいろい

ろと準備があるから。」


 その間に本が見つかり綾野先生や橘助教授

が戻れば言うことはない。


「しかし、216ってのは大変だぜ。なんか、

その数字に意味が在るんだろうな。ああ、な

るほど獣の数字って訳か。」


「多分そう云うことだろうな。聖書も馬鹿に

出来ないってことさ。あの手の本にも何らか

の真実が隠されているなんてことは結構ある

ことなんだ。綾野先生の受け売りだけど

ね。」


 琵琶湖大学生物学教授、新山晴信。綾野と

一歳しか違わないこの男は、綾野と同じよう

に変人として知られていた。再生、蘇生など

のメカニズムを研究していることは、ある程

度論文等で発表されているものもあるので、

周囲の研究者達も理解していたのだが、その

研究の本質は実は研究室の中でも極一部の者

しか理解していなかった。彼は俗に言うとこ

ろの不老不死の研究を行っていたのだった。


 一概に不老不死といっても、不老と不死は

全く別問題と新山教授は考えている。不老に

ついては動物実験ではかなりのところまで研

究が進んでいる。新陳代謝を遅くする方法や

新しい細胞の活性率を究極まで高める方法は、

その生物によって違う方法では在るが様々な

方法の効果が確認できている。


 問題は不死だった。不老に近い状態は創り

出すことは可能なのだが、それでも最終的に

は“死”が訪れるのだ。外見上の問題を除け

ば、かなりの長期間、老化を抑えることはで

きる。ただ所謂若返りとなると相当難しくな

ってしまう。そして、同じようにぶち当たっ

てしまうのが、“死”という問題だった。


 新山教授はさらにその先の「蘇生」につい

ても研究の手を広げていたが、その辺りに関

してはかなり人類を冒涜しているとも取られ

かねない実験を内密に繰り返しているが、未

だ成功した例はなかった。


 新山教授の研究にとって岡本浩太が提供で

きる情報はかなり重要に意味を持っている。

その辺りを十分理解している、新山教授にと

って最も信頼の置ける生徒であり、研究員で

ある杉江統一は、岡本浩太の申し出には全面

的に協力するつもりだった。ツァトゥグアに

ついての知識はあまりなかったが、その封印

を解く方法が、人間の蘇生方法に十分流用で

きる方法であるとの情報はつい最近新山教授

から聞かされたところだった。


 杉江は新山教授からある程度の内容を聞か

されていた。その中には岡本浩太がいずれ

近々研究室に友人である杉江を訪ねて来るは

ずだ、ということも含まれていた。深夜の訪

問は意外だったが、新山教授と二人の当直の

夜だったので、好都合だ。岡本浩太が用意し

て欲しいと申し出た物については数日前から

用意できているのだが、肝心の本が入手でき

ていない。


 この手の実験にある種の呪文のような物が

非常に有効な手段になることは、新山教授と

の数々の実験によって目の当たりにしている。

一度など、本当に一瞬であったが死者が蘇っ

たかのように動いたことがあった。医学部か

ら極秘で回して貰った、医学生の解剖の実験

に使われた検体だった。それが上半身を起こ

して杉江の方を見たのだった。新山教授は最

終的には、例えば焼かれて灰になってしまっ

た遺体や、埋められて数百年経って原型を留

めなくなってしまった遺体、ミイラなども実

験対象となる予定だと話していた。


「じゃあ、悪いけど揃ったら直ぐに連絡をく

れるかな。僕は僕でやらなければならないこ

とがあるんだ。桂田の命がかかっているんだ

から、頼むよ。」


「判っているさ。でも大っぴらにそれだけの

ものを揃えることは俺には無理だから、なん

とか教授を説得しないとな。ちょっと呼んで

くるからお前から頼んでくれよ。」


 杉江は直ぐに新山教授を呼びに行った。


「教授、例の件で岡本が来ました。」


「もうここまで辿り着いたのか。岡本浩太と

いう生徒も結構頭が回るようだな。」


「でも何故教授はそこまであいつらの情報に

詳しいのですか?」


「杉江君。君はそんなことには首を突っ込ま

なくてよろしい。それが身のためだよ。」


「そういうもんですかね。」


 岡本浩太は新山教授は顔を知っているだけ

で話したことが無かった。


「初めまして、伝承学部の岡本浩太といいま

す。杉江君に聞いていただいたかと思うので

すが、友人の一大事なものでよろしくお願い

します。」


 中途半端に隠しても話の辻褄が合わなくな

ってしまうだけなので、総て正直に話すよう

に杉江に言ってあったので、浩太も話しやす

かった。


「事情は聴いたよ。直ぐには信じられる話で

はないが、私もその現場に連れて行って貰え

るのなら善処しよう。それが条件だ。それか

ら、綾野君は一体どうしたのかね。あの男は

昔から研究に熱中するかと思ったらフラフラ

と外遊にでてしまう、研究者としてはあまり

いい傾向ではないな。」


「いえ、綾野先生もこの件で奔走している筈

です。ただ今のところ連絡は取れないのです

が。」


「私の情報では国内に戻っているらしいよ。

何だか初老のアメリカ人と二人で連れ立って

成田に着いたということだ。」


「本当ですか。でも新山教授はどうして綾野

先生の動向をご存知なのです。」


「君達は踏み込まない方がいい世界が、世の

中にはある、ということだよ。とにかくもう

暫くすれば彼は戻る筈だ。ある程度の成果を

得た上でね。あの男は決して無能な訳ではな

いから、アメリカ東部くんだりまで行って収

穫も無く戻るようなことは無い。同行してい

る人物も気になる。私の情報でも確認が取れ

なかった人物だ。」


「判りました。教授もお連れすることは、綾

野先生が戻られるのならご一緒にご同行して

いただけると思います。綾野先生の情報、あ

りがとうございました。それでは是非とも早

急に揃えていただきますようお願いしま

す。」


 仮眠しているところを起こすことになった

ので、早々に失礼します、と言い残し岡本浩

太は新山教授の研究室を辞したのだった。

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