これもまた、後悔の種

夜更かしをしたくてしている人なんているのだろうか。少なくとも私は望んで夜更かしをしていることはない。出来るならさっさと床に就き、寝息で明日への希望を膨らませ、凹ませ、という風にしていたいのである。ただ、今日という一日があまりにも不満足な結果に終わってしまったから仕方なく翌日から時間を借りている、というだけのことなのだ。夜更かしは時間の借金であってその利息は翌日の日中に眠気や気怠さとして払わされてしまう。


夜更かしは悪いことではないという感じもする。作業がひと段落して伸びをした時、湾曲した背骨がみしみしと引き伸ばされる感覚は病み付きになるし、作業中に啜るコーヒーは格別の味がする。そして何より夜半に湧き上がるアイデアは夜食のように、非常に美味しそうに見える。


だがしかし、夜食を口にすると必ず後悔するのと同様、夜半に浮上したアイデアを採用すると大抵碌なことにならない。あれはなんなのだろう。かつて夜を徹して書き上げた恋文を思い出す。いやあれはメールだったが、当時中学生だった私は、さすがに深夜に送るのはと憚られ翌日の朝に送信しようと下書きに入れておいて浅く眠った。目覚めてから確認したそれはどうも眠っている間に腐ったらしく、あれ程自信たっぷりだった冒頭のポエムを2行読んだだけで読むに堪えずゴミ箱に葬ってしまった。


フランスには「La nuit porte conseil(夜は助言を運ぶ)」という意味の慣用句があるそうだ。夜更かしの効用をそれでも信じたい私は「夜になると良いアイデアが浮かんでくる」という風に捉えたいのだが、実際の用法としては「一晩寝るといいアイデアが浮かぶ」というのが多いらしい。やはりと言うべきか、自らの夜更かしに対する執着が間違っていることに愕然としてしまう。同様の意味で言うと日本語の「寝かせる」というのは後者の意味に近い表現なのかもしれない。


ただ、明確に存在する今日と明日の境目を感じられるという点で夜更かしは偶には良いものだとも思う。まず鳥の第一声だ。あれは面白いもので、第一声を発してからやっとあらゆる生き物、例えばセミやカエルなど―が鳴き声を発するのである。反対に第一声がなければ静まったまま。誰かが動くまで待つ、人間と同じだなぁなどと思う。暫くすると日がのっそり顔を出す。私の部屋に差し込む陽の光は時間の借用期限が満期を迎えたことを知らせ、また夜更かししてしまったと落ち込むまでが私にとっての”今日”で、床に就いて明るい部屋から一瞬で意識がブラックアウトしてからが”明日”だ。夜更かしなんて懲り懲りだと思うのに、また不満足な一日の延長戦を申し出る。明後日を借りることにしよう。

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