1-45.日常と非日常

「はぁ……」


 ベッドの上のエミナは、天井をぼおっと見上げていた。


「ミズキちゃん……会いたいな……今日とか、来ないかな……」


 別れたのはつい最近の事なのに、ミズキちゃんと分かれて随分と経っている気がする。

 ―― コンコン。

 扉をノックする音が聞こえた。


「はーい」

「エミナお姉ちゃん、あったかいスープが出来たよ」


 部屋に入ってきたのはレミール。エミナよりも十歳年下の少女だ。両手でお皿を抱えている。


「ありがとう、レミール。頂くわ」


 ベッドの上のエミナは、ゆっくりと体を起き上がらせた。

 レミールにスープを渡されると、木のスプーンでそれを掬って口に運んだ――温かい。


「本当だ、温まるわ。それに、いい匂いもする」

「ハーブを入れてあるの。傷が早く治るようにだって。私もハーブ千切るの手伝ったんだよ」

「そうなんだ、偉いね。うん……傷も早く治りそう」

「本当!? やった!」


 ――コンコン。

 再び扉を叩く音がした。誰だろうと、扉の方を見てみる。すると、父さんが立っていた。


「父さん、どうしたの?」

「お客さんだよ、エミナ。……どうぞ、お入り下さい」

「あ、ど、どうも」

「やっぱり、ミズキちゃん!」

「久しぶり。本当は、もっと早く来るつもりだったんだけど、なんだかゴタゴタしちゃってさ、忙しかったんだ」


 ミズキはそう話しながらエミナの元へと歩み寄り、レミールはその横を通り抜けてすれ違った。

 エミナはミズキが近づくにつれ、胸の高鳴りが大きくなるのを感じている。


「久しぶりー! 本当に来た……っ……」


 嬉しさのあまり、体に力が入り過ぎて、傷が痛む。


「だ、大丈夫? あんまり大声、出さない方がいいよ」


 一度ベッド脇の椅子に座りかけたミズキが、慌てて中腰になる。


「あ……大丈夫。ありがとうね」


 エミナはゆっくりと、体を元の体勢に戻した。シクシクとした痛みは残ってしまったが、こうやって寝ていれば、じきに無くなるだろう。


「はぁ……本当に来たんだね、ミズキちゃん」

「へ? 本当にって……来ちゃまずかった……?」

「違う、違う。大歓迎だよ。今、ミズキちゃんに会いたいなって、丁度考えてて……なんだか嬉しい」


 エミナはにっこりと笑った。エミナの顔が、あまりにも幸せそうなので、ミズキは自分までほんわかしてしまった。


「そうなんだ……僕も嬉しい。久しぶりだもんね」

「うん」

「傷……どう?」

「順調に良くなってるって。まだ寝てないといけないけど」

「そっか……魔力が戻れば、傷の治りも早くなるはずなんだけどな……」

「あれから丁度一か月くらいだけど、魔力は徐々に戻ってるみたい。だけど、まだまだ、まともに魔法が使えるくらいの魔力は無いみたい」

「傷の回復も魔力の回復も、早まってないって事か……」

「うん……」


 ミズキの脳裏にはユーベル戦の後の記憶が蘇ってきていた。

 ユーベル戦の後、僕とエミナさんは、エルダードラゴンさんによって病院へ運ばれて、すぐに治療が行われたらしい。

 二人共危ないところだったけれど、様々な治療によって、一命を取り留めたのだそうだ。僕がエミナさんよりも早く回復したのは、僕の方が早く、簡単な魔法を使えるようになるまで魔力を取り戻したかららしい。

 エミナさんは、僕よりも魔力を使い慣れているので、僕よりも効率よく魔力を放出したらしい。その事が逆に仇となって、僕よりも魔力の消耗が激しかったらしいのだ。

 そして、医者と回復魔法士が分析した結果、僕とエミナさん二人共、無意識のうちにトリートを唱える癖がついてしまっているらしく、魔力が十分に溜まっている時は、寝ていても常にトリートを唱えているので傷の治りが早いのだそうだ。

 この魔力でノンキャストのトリートを使ったところで深い傷には焼け石に水だが、僅かな効果でも常に唱え続けていれば、その回復力には差が出る。

 つまり、取り戻した魔力の差が、傷の回復に如実に表れているという事らしい。


「そっか……まあ……気長に待つしかないよね。でも、魔法が使えるくらいに回復したら、エミナさんの方が回復は早くなるっていうし」


 魔法が使えるようになっても、また以前と同じくらいに魔法が使えるようになるには長時間のリハビリが必要になるのだそうだ。

 エミナさんの場合、僕よりも魔法を使い慣れているので、その分、回復は早いということだった。


「早く治ればいいね。……ところでさ、あれは一体……?」


 扉が半分くらい開いていて、その陰で沢山の人が見ている。


「おお……」

「あれが異世界から降り立ちし勇者の巫女、ミズキ殿……!」

「俺にも見せてくれ! お前らは前に見ただろ!」

「あの時は異世界から降り立ちし勇者の巫女だって分からなかったんだよ! うーむ……改めてみると、なかなかどうして、神秘的だ」


 僕とエミナさんを見ている人は、興奮した様子で色々な感想を飛び交わせている。


「なんか、皆、色々やってるみたいだけど……」

「あはは、やだなぁ皆、普通でいいんだよ、ミズキちゃんはミズキちゃんなんだから。ね、ミズキちゃん」

「え……それはまあ、そうだけど……これは一体、何事?」

「エルダードラゴン様がね、私達の事、皆に知らせてくれたんだよ」

「知らせた?」

「これ、見て」


 渡されたのは、いつぞやに都で見た、ネオンの映った万華鏡……いや、万華鏡に見せかけた、あっちの世界の物で例えるならビデオプレイヤーだ。ルミナグラス……だったと思う。

 嫌な予感がするが……僕はルミナグラスを覗き込んだ――。


「キシャァァァァ!」


 いきなり映像に出てきたのはジャームだ。


「「うわあっ!」」


 僕の叫び声と、映像の誰かの叫び声が重なったかと思うと、映像がぐるぐると回転した。雰囲気的に、どうやら、さっきのは、この映像を撮っている人の声で、体のどこかにカメラの様な物が付いているという事らしい。


「立てジョニー! 立たんと死ぬぞ! ……うわぁっ!」


 これを撮っている人はジョニーと言うらしい。


「隊長……隊長!」

「おぉ……」


 思わず声が漏れた。隊長と呼ばれる人のであろう、血しぶきが飛び散る。僕は思わず目を反らした。


「大丈夫、この人は死んでないよ。早く治療したから、一命を取り留めたの」

「そ、そうなんだ? 良かった」


 エミナさんの言葉を聞いて、僕はほっと胸を撫で下ろした。


「ひ……ひぃぃぃぃ!」


 ジョニーの叫び声を聞いて、再びルミナグラスに目を向ける。ジャームはいつの間にかカメラの目の前まで迫っていてジョニーは今にもジャームの爪に引き裂かれそうだ。


「か……母さん……俺……」


 ジャームの爪がジョニーに触れようとした瞬間だ――ジャームが黒い粉になって、霧散した。何故か、消えたのだ。


「……え?」


 ジョニーは手で目を抑えていたらしく、今気付いたみたいだ。


「ここからだよ」


 横のエミナさんが、意味深な感じで微笑んだ。


「皆の者! 世界は救われた!」

「あ、エルダードラゴンさんだ」


 声で分かった。今聞くと、ちょっと懐かしい。


「勇者エミナと、巫女ミズキによって、魔王は封印されたのだ!」


 映像が上を向くと、空にぼんやりとエルダードラゴンさんの姿が浮かび上がっている。後ろの空が少し透けて見えるので、恐らく像だけなのだろう。つまり、僕の世界でいうホログラムだ。


「えっ……何これ。勝手に」

「やっぱりミズキちゃんも思うよねぇ」

「は……恥ずかしい……」


 顔がカァッと熱くなる。


「この様子だと、この世界全体に流したんだよね」

「そうだよ。でも安心して。これだけで、私達の姿は出してないそうだから」

「声だけでもなぁ……ここの皆は、分かってるっぽいし」


 周りを見渡す。皆の視線が、なんかキラキラとしている。気まずい。


「エミナさんは普通にしてるけど……」

「うふふ……私だって、最初大変だったんだよ。……という事だから、皆、私もミズキちゃんも恥ずかしいから、覗き見とかしないでね」

「おお……! 左様か巫女殿、それは申し訳無い。ほれ、皆も下がるんじゃ。エミナと巫女殿に失礼じゃぞ」


 婆がそういったら、皆はそそくさと散らばって、人だかりはすぐに引いた。


「ふえー、たまげたなあ」

「びっくりしたでしょ。でも大丈夫。皆、暫くしたら、また普通に戻るから」

「ええ? そういうもんかなぁ……」

「結局、最後に使った力で魔力は元通りになったようなものだし、勇者が倒すべき魔王も封印されたし……全部、元通りになって……だったら、勇者の私だって、勇者になる前の私だって、別にどこも変わらないでしょ?」

「落ち着くところに落ち着いた……って事なのかなぁ……」

「そうかもね。だから、ミズキちゃんも大丈夫だよ。ミズキちゃんの場合、異世界から降り立ちし勇者の巫女だからミステリアスで興味を引くのかもしれないけど……皆、珍しがってるだけだから、飽きたら元通りになるよ」

「えっ、何、その肩書き……」

「どこから広まったかは分からないけど、皆、ミズキちゃんの事を、そう呼んでるんだ」

「うへぇ……」


 異世界から降り立ちし勇者の巫女。なんと大袈裟な肩書だろうか。更に恥ずかしさが増していく。


「ここの村は大丈夫なの? この村の人はエミナさんを知ってるけど、外から来たりするんじゃ?」

「たまには評判を聞き付けた人が、ここを訪ねてきたりはするわ。でも、ちょっと賑やかになって、かえって良かったと思う」

「そっか……じゃあ、良かったね。僕も……きっと良かったんだろうな」


 僕の方は、女の子の体はそのままで、魔法の力も少しは回復している状態だ。現代に居る時はライアービジュアルを使って元の姿に化けなければいけないが……それでも、あっちはあっちで、ちょっと不思議な事件という事で済んでいる。結局、僕の日常も戻ってきたのだ。

 前と比べて大きく変わった所といったら、こうして、こっちの世界にも来れる事だろうか。

 こっちの世界は緑が多いし、女の子の姿でも大丈夫なので、魔法を使い続けなくていい。さっきの様子だと暫くは騒がしそうだけど、それもじきに収まるだろうし、あっちの世界よりも羽を伸ばして落ち着けそうだ。

 そして、何よりこっちの世界に来て、一番嬉しい事がある。それを僕の口から言おうと思ったが、先にエミナさんに言われてしまった。


「……でも、ミズキちゃんに、こうやってまた会えただけで嬉しいよ」


 そう、エミナさんに、こうして会えただけで、凄く嬉しい。


「僕もだよ。今はまだ、あっちの世界でごたごたしてて忙しいけど、また週末には来れると思うから」

「そっか……じゃあ、一週間後には、また来てくれるんだ」

「うん。魔法を使えるようになったらさ、また、二人で練習しようよ」

「あ! それ、いい! 一緒にやろ!」


 良かった。どうやらエミナさんも乗り気のようだ。


「あ、そうそう、イミッテはどうしてるの? エミナさんと一緒だったはずだから居ると思ったんだけど、見当たらないみたい」

「最近までお世話してくれたけど、もう発ったよ。これだけ回復すれば、もう大丈夫だろうって」

「そっか……挨拶だけでも、何か一言話したかったな」


 ユーベルの手先に乗り移られたのが余程気に入らなかったのか、イミッテは更に力をつけるために修行の旅に出ると言っていた。しかし、これほど早く出発するとは思ってなかった。


「また会えるよ、異世界に居るミズキちゃんにだって、こうやって会ってるんだから」

「そうだよね、修行の旅に出るだけなんだし。会う機会はある……か……でも、ちょっと寂しいかもしれないな。エルダードラゴンさんもムストゥペケテ山脈へ戻っちゃったから、会うのは難しいし」

「……戦いが終わって、皆、それぞれ動き出してるんだね。あーあ、私も早く怪我を治して自由に動きたいよ」

「ははは……。まあ、もう少しだろうから」

「うん……そうだ、ミズキちゃん、ちょっと起こしてくれない?」

「いいの? 寝てなくて」

「昼間は座って本くらいは読めるから、大丈夫。壁に寄り掛かっていれば傷も痛まないし」

「そう?」


 ミズキはそっと、エミナさんの背に手を当て、ゆっくりとエミナさんを起き上がらせた。


「よいしょ……ミズキちゃん、ここ、座って」


 エミナさんは壁に寄りかかりながら、ベッドの空いた部分を右手で示した。


「いいの?」

「うん。髪、弄らせてほしいなって……」

「ああ……」


 ミズキは納得してベッドに乗り、エミナさんの前に腰を下ろした。


「結構、痛んでるね……今度、ヒメヅクリの葉を煎じて塗ってあげるね」

「ヒメヅクリ……」

「温かくなると黄色い花を咲かせる花なんだ。葉を煎じて髪に塗ると、髪にいいんだよ」

「へぇ……」


 思えば、この村を出た馬車の中でも、こんな感じでエミナさんと話しながら、毎日髪型を作ってもらっていた。


「ね……この髪型を決めた時も、この部屋だったよね」

「そういえば、そうだね。なんだろ、もう懐かしくなってる」

「うん……あの時はびっくりしたな、馬車が暴走してて、その馬車にはミズキちゃんが乗ってて」

「そうだね……ほんと、びっくりした」


 死ぬつもりで、実際死んで……でも、何故か生きてて……この異世界に来て、どうしていいか分からなくて……足掻いているうちに、そんな事も、結局忘れていって……。


「でも、良かったな、大怪我したけど、生きてて」

「うん……大変だったけど……これでもう、皆、元通り、穏やかに過ごせる」


 明日もまたここに来て、エミナさんと過ごしたい。明日は学校に行って……次の週末にもここに来て……きっと、次の次の週末にも、このファンタジーな異世界へ遊びに来てしまうのだろう。

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