1-35.上空

「はぁ……」


 なんだかよく眠れない。溜め息を一回つく。

 エルダードラゴンさんとイミッテが何をしていたのかは分からないが、やる事を終えたらイミッテも部屋に入ってきて、すぐにベッドに潜り込んだ。エルダードラゴンさんも外で休んでいるらしい。

 ……後に残ったのは、この静寂。四人以外誰も居ない町の淋しさだ。

 もし僕達が負けたら、世界はこんな状態になるのだろうか。

「いや……ならないか」

 僕達が負けたらジャームが人間に取って代わるんだ。だったら、この静寂を破るのはジャームだろう。そうなったら、人間はどうなるのか。もし伝承通りになるとしたらと思うと寒気がする。

 そして、ジャームはいずれ、この世界を包む結界をも破って、僕の世界へと侵攻していく。そんな気がする。


「ううん……」


 エミナさんが、むくりと上半身を起こした。


「あ、エミナさん、お早う」

「おはよう、ミズキちゃん」


 エミナさんは僕ににっこりと微笑みかけてくれた。


「おはよう」


 僕も微笑みを返した。あれだけ疲れていたのにエミナさんの意識ははっきりとしているようだ。寝覚めがいいタイプなのかもしれない。


「イミッテ、エミナさんが起きたよ」


 エミナさんが起きたら出発する。そういう手筈になっている。


「んん……もう少しだけいいだろ……あと五分……いや、五時間だけ……」

「なんで増えるんだよ。てか、五時間は多いよ。ほら、早く早く!」


 イミッテをゆっさゆっさと揺らす。こんなやりとりをしていると、元居た世界を思い出す。高校へ行くとき、僕も時々、こんな気分になっている。


「ああ……分かった分かった……起きるよ。全く……」


 イミッテがゆっくりと起き上がる。そして、徐にベッドから出て、備え付けのクローゼットの方へと向かった。


「ついに決戦だな」


 いきなりキリっとした声になった。こっちは寝覚めが良いのか悪いのか分からない。


「これに着替えて、外に出ろ。私が手塩にかけて作った特製バトルドレスだ! 頑丈さはオリハルコンの鎧にだって負けないぞ!」


 イミッテはクローゼットからバトルドレスを取り出すと、両手に持ったバトルドレスを、僕とエミナさんにそれぞれ差し出した。


「ああ、これを作ってたんだ?」

「そうだ。それからお前達がこうしてゆっくり眠れるのも、私が……まあ、私は武術専門だから、実際張ったのはじじいなのだが……私も手伝って作った、ジャームを寄せ付けない結界のおかげなのだぞ」

「そうなんだ。ありがとうね」

「うむ。でだな、このバトルドレスは魔力の蓄積量増加させたり、龍の加護によって素質を引き出したりだな、後はな……えーと……他にも、もろもろの能力を全体的に強化するバトルドレスなのだ!」

「その二つしか覚えてないのか……」

「そ……そんな事はないぞっ!」

「分かったよ、気になる事があったらエルダードラゴンさんに聞く事にするから。エミナさん、着替えよ」

「ええ」

「くそー、私が覚えてないのを前提に話しやがって……着替えたら早く来いよ! じじいの所で待ってるからな!」


 イミッテは、ドアをバタンと大袈裟な音を立てて出ていった。


「着替えて外に行けばいいんだな」


 僕はちらりと窓の外を見た。入り口のすぐ前に、エルダードラゴンさんの巨体がある。うつ伏せに寝て、くつろいでいるようだ。


「どしたの? 早く着替えよ」

「うん、そうだね……あ……」


 エミナさんは服を脱ぎ終わって下着姿になっている。


「どうしたの?」


 エミナさんは、僕が元は男だと知った筈だが、どうやら、もう気にしていないようだ、しかし、逆に、僕の方が意識して戸惑ってしまう。


「な、なんでもないよ!」


 頭の中を真っ白にしながら上着を脱ぐと、下には大きな胸が見えた。そう。僕もまた女の子。そして、今の僕はもう女の子なのだ。

 加えてエミナさんはもう気にしていないみたいだが……やはり、気まずい。エミナさんと逆の方向を向いて、そそくさと着替えを進める。


「着替えられたみたいだね。行こ!」


 僕が着替え終わると、エミナさんは既に部屋の出口の前に居た。準備は万端といったところだ。

 そして僕も部屋から出て、階段を下りて宿屋の外へと出た。


「ん……準備は整ったようだな」


 横たわったエルダードラゴンさんが僕とエミナさんを一別すると、その巨大な体躯をゆっくりと起こした。

 エルダードラゴンさんの巨体が目の前で動くと、こんなちょっとした動作でも、凄い迫力を感じてしまう。


「さあ、私に乗るがよい。魔王の所へゆくぞ」

「ええと、背に乗るんだよね、多分。……どうやって乗れば?」

「私も龍の背に乗るのなんて初めてだから……後ろ足を足場にするのかな……あっ」

「おっ」


 景観が急に変わった。


「エルダードラゴンさん、飛ばした?」

「如何にも。さあ、ゆくぞ。乗り方は、また機会があったら教える事にしよう」


 バサバサという音と共に、足元がぐらつく。


「おっと」

「座っていろ。飛び始めは揺れるぞ」

「う、うん」


 僕とエミナさんはエルダードラゴンさんの背に跨がって、しっかりと、エルダードラゴンさんの皮膚に生えている毛を掴んだ。

 エルダードラゴンさんが翼を羽ばたかせると、辺りに土煙が巻き起こり、僕の体は大きく揺らいだ。エルダードラゴンさんが飛び立ったのだ。

 その後に感じたのは浮遊感だ。激しい振動は、もう無い。

 エルダードラゴンさんの毛を、いつの間にかぎゅうっと握り締めていた僕の手も緩む。

 しかし、下を覗き込むと、再び僕の全身が強張った。


「た、高いな……」


 陸地がぐんぐんと離れていき、あっという間に雲の高さまで上昇した。こんな高い所から落ちたらひとたまりもなさそうだ。ビルから身を投げた僕が言うのもおかしいが、怖いのだから、しょうがない。


「凄ーい! 凄い眺めだよ!」


 エミナさんが興奮している。


「エミナさん、平気なの? 結構高いけど……?」

「高いね。こんな高い所から地上を見下ろした事、無いよ。いい景色ー!」


 エミナさんは、高い所は平気らしい。


「なんだ、怖いのか?」


 イミッテが悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「ええ? いや、その……」


 怖いが、からかうように言われると、素直に怖いと言いたくなくなる。


「怖いなら、寝ろよ」

「へっ!?」

「昨日、私が部屋に入った時、起きてただろう」

「う、うん……なんだか緊張しちゃって、寝付けなくて……」

「えっ、そうなの? でも、気持ち、分かるよ。私は気絶したようなものだけど、そうじゃなかったら、私も寝れなかったと思う」

「大事な戦いの前というのは、誰でもそうだ」

「今は、眠いの?」

「うーん……言われてみると、今になって眠くなってきたような……」

「じゃ、寝ろ! 寝れば恐怖だって感じなくなる!」

「うん、私、落ちないように見てるから。ね、イミッテちゃん」

「ああ、私も見ているよ。」

「お前達……私は、そんなに警戒するほど飛行が下手ではないぞ。気にせんで休め」

「じ、じゃあ、そうしようかな……」

「このタイミングで寝るのは良いことだぞ。魔力の蓄積には、睡眠が一番だからな。エミナよ、そなたも、今はゆっくりと体を休め、魔力を蓄えておくがよい」

「はい」

「じゃあ……お休み」

「お休み、ミズキちゃん」


 僕は静かに横になり、目を閉じた。体に風を感じて心地よい。それに、エルダードラゴンさんの背中はフカフカで、揺れもさほど感じない。


「ああ、気持ち……いいな――」

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