27

 太平洋上――

 ファントムは日本の領海を出たところで力つき、池田博士の頭部を持ったまま洋上に墜落していた。

 すでに飛行形態はとっていない。恐らく、変形もしていられないほど消耗しているのだろう。

 事実、このとき、ファントムの生命の火は燃え尽きようとしていた。

 ドクターの脳髄を本部に届けなければ……。

 その思いだけがある。

 ファントムは、完全に勝利を信じ切っていた。

 当然であろう。

 光子炉の爆発は、数万発の核爆弾が放出するエネルギーをも遙かに凌駕する。その圧倒的な熱量を凝縮した光子炉の爆発に耐えられる生命など、この世には存在しようがないのだ。

 だから、あとは、任務を達成しさえすればいい。

 そう思っていた。

 身体の機能が正常ならば、光子炉の生み出すエネルギーで、全く補給や休息なしに太平洋を横断し、アリゾナにある本部まで五時間ほどで到着することが出来る。

 だが、今は――

 光子炉は正常とはいえ、半身がほとんど麻痺してしまっているのだ。太平洋上にまで出てこられたこと自体奇蹟に近い。

 しかし、ここまでだった。

 空中で急速に速度を失ったファントムは、洋上を極秘で航海する『ノウド』の潜水艦に救難信号を送り、そのまま海上に墜落したのである。

 変形は、海面に激突し気を失ったときに、どうやら解除されてしまったようだ。

 エネルギーがどんどん海水に吸い取られていくのがわかる。

 体内の生体部品は海水に浸っても錆びることはないが、無駄なエネルギーの消失だけは少しでも防がなければならなかったので、ファントムは救難信号を発し続ける最低限の機能だけを残し、スリープモードに移行することにした。

 そのモードでは、血圧、脈拍、呼吸数が一〇分の一程度に減少し、光子炉の「光の回転」活動も抑えられる。

 脳の活動も低下するため、考えることもできない。そのため、通常モードに復帰するには、救出されたとき、外部からモード移行の指示を待つほかないのだった。

 そんな状態がどのくらい続いたのか。救助はまだ来ない。

 視覚はすでにない。聴覚だけが、波の音、鳥の鳴き声などを伝えてくる。

 その闇の中――

 ファントムは「光のゆらめき」を知覚した。

 見た、のではない。視た、のだ。

 光は視覚を通してではなく、機能の低下した脳裡に直接、現れていた。

 幾重にも回転する「光」――

 中央は眩しすぎて静止することが出来ない。

 その光の中、ファントムは「何か」を視た。

 そう思った。


 暗転。


 闇はまだ続いていた。

 もはや、眩しすぎるほどの光はない。

 だが、光の「ゆらめき」のようなものは知覚できた。

 声だ。声が聞こえる。

 光が揺らめく度に、なにか、遙か彼方で声が聞こえる。

 ああ、俺は目覚めつつあるのか。

 そう自覚した。

 そして、その声はこう言っていた。


〝いきているよ〟


 と。

 なんだって?

 なにが、いきているって?

 瞬間、覚えのある顔が脳裡を疾り抜ける。

 まさか、奴が生きているというのか!?

 眼を開いた。

 そこは、見覚えのある部屋であった。

 どうやら、無事に『ノウド』の潜水艦に拾い上げられたらしい。

 そして今、ファントムは調整室にいる。

 調整室の中央に設置されたものものしい金属製のベッドに寝かされ、全身をさまざまな機械で固定されていた。

 全身からいろいろな色のチューブやケーブルが伸び、四方の壁にあるコンピュータにつながっている。

 ときおり視界の隅で火花が散るが、どこを修理しているのか、首を固定されているファントムにはわからない。

 すでに痛覚がロックされているのか、何も感じない。

「目覚めたか、ファントム」

 声がかかった。

 彼のまわりには数人の白衣を着た男女がいたが、その声をかけたのは彼等のうち誰でもない。

 いつの間にか、新たな男がその部屋に入ってきていた。

 入口のドアは自動ドアであるが、それがいつ開いたのか、全く不明である。

 ただ一つ確かなことは、さっきまでいなかった男が、今、自分の目の前に存在するということだ。

 そして、その男を見たファントムは、自分の声が震えるのを感じた。

……」

 男。

 果たして、本当に男であったのだろうか。

 人間を超える美しさを持った存在。

 流れるような金髪の下にあるのは、信じられないまでの美貌であった。

 神々しささえも感じさせる存在だった。

「ご苦労だったな」

 その声は、まるで天上の音楽のようにファントムの耳に届いてくる。

 スタッフたちの動きが止まっていた。

 その男とファントムの会話を邪魔せぬかのように、凝っとしている。

「無事に、博士の脳髄は我々の手許に届いているよ」

「おお……」

 涙を流しそうな、感極まった声であった。

「だが、詰めが甘かったな、ファントム」

 微笑みながら言った。

「――!?」

「わからないか? 生きているんだよ、奴は」

「な――!?」

 声が震えた。

 男を見たときとは違う震え方だ。

 まさか――!?

 そんな筈が――

「ガルムの光子炉を暴走させ、あの街を巻き込んで奴を消滅させようとした。それはいい」

 男の表情が次第に悽愴なものへと変化していく。

「だが、奴は生き延びた」

 凄絶なほど邪悪な笑顔。

「そ、そんなバカな!?」

 その言葉を耳にした途端、ファントムが吠えた。

 吠えて、今にも全身を拘束する金属製の固定具を引きちぎりそうな勢いで、身体を揺すろうとした。だが、身体は動かない。

「うおおおおお!?」

 それでも咆哮を続けるファントムに、男が嗤うようにいった。

「そう暴れるな、ファントム。君は今から、我等『ノウド』の機械化兵士最強の機械マシンになるのだから」

「――!?」

「君の身体は奴の攻撃を受けて傷つき、海水に浸かってボロボロになっていた。だから、いま、新しい身体を作っているところだ」

 そう告げられて、ファントムは初めて、いま、自分の首の下につながっている身体が、もとの身体でないことに気づいた。

 チューブやシリンダー、人工筋肉がむき出しになった醜い身体である。

「うおおおおお!? 殺してやるぞ、一〇五号! 俺を、こんなふうにしやがった貴様を、俺は絶対に許さんぞ!」

 咆哮を続けるファントムを横目に、男は唇に酷薄な笑みを浮かべていた。

「はやく、俺の身体を作れ! 今すぐ、奴をぶち殺しにいってやる!」

 その怒鳴り声は、まわりを取り囲む白衣の技術者たちに向けられたものだ。

「お、落ち着いてください! 興奮されては、正常なデータが取れません!」

「うるさいっ! 奴の身体をこの手で引きちぎるまでは、落ち着いてなどいられるかっ!」

 金属製の固定具があちこちでぎしぎしと鳴り始めている。

 凄まじい怒りの想念が、ファントムを中心にして渦を巻き、まるで龍のように室内を暴れ回っている。

 男には、それがえた。

「ククク。ファントム、焦らなくてもいい。君には最高の身体を用意してあげるよ。無駄なところのない、そう、文字通り兵器の塊だ。そして、君はこれから本部へ戻って再調整を受けるんだ」

「し、しかし――」

「大丈夫だよ。奴は必ず本部へ来る。そういうようにお土産をおいてきたからね」

 男は、凄絶な笑みを浮かべていった。

 さしものファントムすら寒気を覚えるような、そういう笑みであった。

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