免許合宿紀行 15日目 「吉田吉田人」

1時限目(8時20分~9時10分)

【18時限目】

技能教習第2段階

項目12 自主経路設定


これが最後の技能教習、運転を学ぶための時限であった。

後に控えるのは、第2段階みきわめ、つまり、卒業検定模擬試験、そして、卒業検定、2つの試験だけである。


相性の良い教官であったからか、反省すべきことがみつからないほどに、上手く運転することができた。

漸くではあるが、自信がつきはじめていた。


自信がつくというのは、良いことである。

自信というものは、往々にして、実力と共に備わるものだからだ。

実力が備わっていなければ、自信も生まれはしない。


実力はないけれど、自信だけはある。

そんな例外な人もいるかもしれないが、残念ながら、私の心は、それほど幸せではない。

いつも不安でいっぱいだ。

だから、考え、答えを探す。

反省する。

努力する。


アクセルペダル、ブレーキペダル、クラッチペダル、シフトレバー、それらの操作に気を取られることも少なくなった。

半端であると感じていた周囲確認は、「危険を予測した運転」で過剰に首を振り回した経験から、 どこまでが意味があって、どこからが意味があるか、その境界を把握することができた。


残された課題は、一つだけであった。


1時限目(9時20分~10時10分)

【18時限目】

技能教習第2段階

項目16 教習効果の確認(みきわめ)


苦手意識というのは、如何ともし難いものである。


苦手であると意識した瞬間に、それは無意識下で活動を始める。

タールのようにねばりつき、拭っても拭っても、広がっていく。

ネガティブな記憶を繋ぎ合わせ、そういうものだという設定をつくりだし、強固にしていく。


論理はあるようでない。

だから、論理ではどうにもならない。

生理的な衝動は、容易く克服することはできない。


40代後半から50代後半の教官に、苦手意識があった。

そして、助手席に座ったのは、40代後半から50代後半の教官であった。


何かをされたわけでもないし、何かを言われたわけでもない。

ただ、記憶から導かれた統計に意識は汚染されていく。


失敗する。

失敗する。

失敗する。


頭では解っている。

隣に座る教官で、運転が上手くなったり、下手になったりしてたまるものか。

やることは変わりはしない。

それが論理だ。

それが現実だ。


運転席に座れば、緊張はどこかへ失せる。

冷静だった。

そのはずだった。


だが、失敗した。

自動車学校を出て間もなく、電柱にドアミラーをぶつけそうになった。

それは奇しくも、第2段階に入ってから、 最も上手く運転ができなかった「危険を予測した運転」の時に、やってしまった失敗と類似するものだった。


やはり、冷静ではないのか?

そう疑いはじめる。


集中しろと叱責する。

集中しようと意識している時点で集中などできていない。

既に、バランスは崩壊している。


力が入り、心は急く。

その結果、運転は、忙しいものとなる。


電柱に寄り過ぎた以外に、失敗といえる失敗はなかったが、我ながら、実に、安定感のない運転であった。


みきわめは終わった。

判は押された。

だが、釘も刺された。

こうして、苦手意識の連鎖は続いていく。


卵が先か鶏が先か。

失敗が先にあったのか、教官と先に何かあったのか、既に記憶は遠い。

ただ、苦手意識というものだけは、厳然としてそこにある。


まったく、ため息しか出ない。


何れにせよ、合格は合格だった。

その結果が全てだ。

引きずっていく必要はない。

そう考え、振り切った。


みきわめを突破し、ついに明日、卒業検定を受検する運びとなった。

だからといって、大人しくしているという選択肢はない。

ホテルの部屋にこもって悶々としていても仕方がない。


そんなわけで、アイスキャンディーを食べながら電車を待っていた。


先日、放送されていたNHK松江放送局の番組"しまねっとNEWS"で紹介されていたことを、ふと思い出して、松江駅の中にある売店で購入したものだ。

傾いて刺さった歪な割り箸。

番組で紹介されていたものと特徴を同じくしている。

睨んだとおり、同じ会社が製造したものだろう。


選んだのは、抹茶味。

幼い頃に抹茶を飲んだ記憶などないのだが、懐かしい味がした。

半分ほど、食べたところで、全体が溶け始めていることに気付き、一気に口に入れた。

耐久力は中々に低いらしく、時間をかけていたら、面倒なことになっていたかもしれない。


まず、向かおうとしていたのは、松江市から30キロメートル西、宍道湖の向こうにある、出雲市である。

山陰本線出雲市・江津方面行きの電車に松江駅から乗車し、40分ほど揺られ、出雲市駅で降車した。


出雲市には、かの"出雲大社"があるが、今日の目的地はそこではない。


駅周辺の観光はそこそこにして、バスの発着場へと向かい、そこから、広島行きの長距離バスに乗った。

明日の卒業検定が怖くなって、広島に逃げ出そうとしているわけではない。


バスの車窓から望む緑豊かな風景は、時間を忘れさせてくれた。

50分ほど揺られ、そして、バスを降りた。


ここが最初の目的地、"道の駅たたらば壱番地"である。


何の変哲もなくはないが、普通の道の駅である。

そこら中に"吉田くん"がいるくらいで、特におかしなところはない。


吉田くんの故郷は、島根県雲南市吉田町であり、 そして、ここ、道の駅たたらば壱番地は、島根県雲南市吉田町にある。

また、吉田くんの特別住民票の住所は、島根県雲南市吉田町たたらば1番地となっている。


つまり、ここは、吉田くんの吉田くんによる吉田くんのための施設のようなものと言っても過言ではないのかもしれないということである。

とにかく、数ある吉田くんの中から、目的の"吉田くん"を撮影した。


電車と長距離バスを乗り継ぎ、2時間をかけてきたのは、はっきり言ってしまえば、これだけのためである。

とはいえ、蜻蛉帰りするつもりはない。

ここまで来るからにはと、しっかり、周辺にある観光施設はチェックしてきた。


道の駅たたらば壱番地から、コミュニティバスに乗り、2kmほど離れた、吉田町の中心部へと向かった。


バスの停留所の前には、"来坂神社"という名の神社があったので、まずはそちらを参拝していくことにした。

来坂神社へと続いていく坂を登った先には、展望台があり、道中には、六角形の堂があった。

格子窓から中を覗くと、仏像の姿があったので、合掌し、頭を下げた。


坂の途中には、地蔵の姿が幾つもあった。

おかしなところはない。

ただ関心を引いた。

その一つ一つに、瑞々しい花々が供えられていたからだ。

そっと触れてみたが、造花ではなく、確かに生花であった。

なんというか、言葉がなかった。


吉田町の中心部には、どこか懐かしさを感じさせる街並みが広がっていた。

石が並べられた白い坂の道を歩いて行くと、まず漆喰の倉庫が現れ、そして、近代和風建築が連なっていく。


現代的ではないが、如何にも伝統的というわけでもない。

一方で、田舎的ではなく、洒落ている。

そんな独特の風景があった。


街を歩き、その奥にある、"長寿寺"を参拝し、また街を歩いた。

一巡りし、足を止め、そっと、仰ぐ。


石垣と漆喰と瓦で構成された和塀。

それに囲われた2階建ての近代和風建築。

眼前にある建物こそ目的地とした"鉄の歴史博物館"である。


いざ入館と考えたのだが、どうにも、その気にならなかった。


少し歩き疲れていたし、喉も乾いていた。

一休みできる場所はないものかと、辺りを窺ったところ、鉄の歴史博物館の斜向かいに、 商店が見えたので、訪ねてみることにした。


外観からは、雑貨屋さん。

立地からは、おみやげ屋さん。

そして、店内からは、よく解らない。

そんな印象のお店だった。


土産物らしき何かが売られていたので、とにかく商店であることは、間違いないようで安心する。


茫としていると、愛想の良い女性が奥から現れ、迎えてくれた。


とりあえず、何か口に入れるものをと、店内を探したところ、ガラスケースの中に和菓子が飾られていたので、幾つか頼むことにした。

ついでに、飲み物がないかを尋ねたところ、お茶を出してくれることになり、 さらには、座る場所まで提供してくれることとなった。

至れり尽くせりとは、この事である。


島根の方は、社交的で明るく、親切な人が多い。


軒先に座って一休みしていると、間もなく、和菓子、そして、お茶碗が載せられたお盆が配された。

切子硝子の茶碗を、まずは一気に呷り、乾いた喉を潤す。

うまい。

お茶はよく冷えていた。


次いで、和菓子に手をつける。


一つめは、小ぶりの饅頭である。

包装を剥がし、口へと運ぶ。


美味い。

不意打ちだった。


べとべとせず、しつこくなく、すっととけていく。

そんな餡だった。

いくらでも食べられそう。

そんな爽やかさを感じさせてくれる饅頭だった。


もう一つと、薄く桃色がかった立方体のお菓子に手を伸ばす。

包装を剥がし、口へと運ぶ。


これも美味い。

ふわふわ、つるつる。

口に入れると上品な甘さが広がる。

美味しい。


お菓子の名を尋ねたところ"淡雪"という名であるそうだ。


何処でつくっているかを尋ねた。

女性は、きょとんとした顔をして、うちでつくったものですと笑顔で答えた。

それを聞いた私は、一瞬、停止した。

きょとんとした顔をしていたに違いない。

そして、ようやく、ここが和菓子屋さんだったことに気づき、おかしくなって笑った。


美味しい、それもすごく。

そう伝え、次いで、もう2つ和菓子を頼んだ。


幾つか、お土産にしたいとも考えたのだが、生菓子であるため、日持ちしないと言うことを教えられた。

考えあぐねていると、代わりに、"公園飴"なるお菓子を勧められた。


試食させてもらったところ、羊羹のような、飴のようなお菓子であった。

透明で美しい色合いをしており、琥珀を連想させた。


公園とは、先ほど参拝した"来坂神社"のことであり、そこにある仏様に因んで、この和菓子屋さんが独自につくったものであるそうだ。


旅先で土産菓子を買うことはない。

それが工場でつくられた大量生産品であることも、通信販売で買うことができることも、知っているからだ。

だが、そうでないとなれば、話しは変わる。

ありがたく、お土産にさせて貰うことにした


それから、和菓子とお茶のお代わりを頂き、喉を癒し、舌を喜ばせた。

話をしていたこともあって、なんだかんだで、ゆっくりしてしまった。


常連客らしき方がいらっしゃったところで、お礼を言って、お店を出た。

心も身体も休ませることができたことに感謝しつつ、眼前にある鉄の歴史博物館へと赴いた。


館内には、砂鉄から和鋼を製造する日本独自の製鋼法である"たたら製鉄"についての資料が展示されていた。


鉄の歴史博物館を擁する、吉田町はかつて、製鉄によって栄えた土地であり、鉄の歴史村を自称している。

吉田町の北にある"菅谷高殿"は、全国で唯一現存する高殿様式の遺構であり、 そこでは、1751年から1921年まで、170年間もの長きに渡って鉄がつくり続けられていたとのことだ。


館内の映像展示では、たたら製鉄の復元を記録した映像が上映されていた。

それは、正に、目を見張るものだった。


暗闇の中で、炎よりも赤く燃える鉄と対峙する男たちの姿は、雄々しく、額ににじむ汗さえも美しく視えた。


砂鉄を原料とするたたら製鉄は、鉄鉱石を原料とする近代製鉄と比較して、精錬された鉄の価格が圧倒的に高かったことが、衰退の要因であるとのことだ。

手間と時間を直視すれば、効率主義の近現代においては、滅びざるをえなかったことは、自ずと知れる。


書き記しておかなければならないのは、たたら製鉄は、ただ非効率的なだけの製鉄方法ではないということだ。

精錬される鉄の総量は、原料の砂鉄の1/4ほどであるが、その中には、玉鋼と呼ばれる極めて質の高い和鋼が含まれている。


玉鋼は、主として日本刀の原材料に使用されるものであり、現代においても、刀匠に供給するだけのために、年に2回、たたら製鉄が行われている。

近代製鉄によって精製された鋼では、質の高い日本刀を打ち上げることが困難であったため、たたら製鉄の復興が求められたとのことである。


最初から、興味、関心があるわけではない。

まず、知ることによって、それは生まれる。

まず、知らなければ、面白いも、つまらないもない。


だから、知るということは、幸せなことであり、鉄というものを知る機会を与えてくれた、この場所に感謝をした。


帰り際、受付の女性に、バスの時刻表があるか尋ねたところ、車で送って頂けることになっていた。


またしてもである。

島根の方は、社交的で明るく、親切な人が多い。

やや心配になってしてしまうほどだ。


こちらから、送って欲しいなどとは、天地神明にかけて、口にしてはいない。

全て、ご好意からのものだ。


相手を思いやり、自然と助けの手を差し伸べる。

島根は、そういう教育、文化が息づいている土地なのだろう。


鉄の歴史博物館の閉館を待ち、それから、受付の女性の方の車に乗車し、たたらば壱番地まで、送って頂いた。

何度となく、頭を下げて、去っていく車を送った。


マリンプラザ島根の男性、鉄の歴史博物館の女性。

二人共、何ら緊張せず、自身の手足を動かすかのように、車の運転をしていた。

自然だった。


気負うことなどない。

自然体で挑めばいい。

そう教えられたような気がした。


バスに乗り、そして、電車に乗った。

車窓からは、宍道湖に浮かぶ夕日が視えた。


燃える鉄を連想させるような赤い陽が、湖面を焼いていた。


■本日の支出

高速乗り合いバス

出雲市駅からたたらば壱番地まで

往路1,280円

復路1,280円


JR山陰本線

松江駅から出雲市駅まで

往路570円

復路570円


和菓子

公園飴600円

和菓子350円


鉄の歴史博物館 入館料

500円


合計

5,150円


■チェックポイント

㉑道の駅 たたらば壱番地

鉄の歴史博物館

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