老婆 ―Old Woman―.03


 あの日、イエロ兄さんは、俺達の目の前で化物になった――。

 町を破壊し、永遠の愛を誓うはずだった恋人も――殺した。


 俺達は何も出来なかった。

 なんでこんなことになったのか、誰にもわからなかった――。


 イエロ兄さんは暴れに暴れた後、やってきたDDSの傭兵達に追い立てられて、姿を消した――。


 それが、俺達がイエロ兄さんを見た、最後だった――。




 ◆   ◆   ◆




 白い粒子を纏う突風。その中を突き進むアンノウン。


 浮遊都市ザナドゥの総人口は50万人を越える。当然、その殆どは一般人だ。


 アンノウンの出現と、執拗な攻撃が始まって以降、一度も地上への着陸を許されなかったザナドゥは、未だ民間人の避難を完了出来ていない。


 今も無数のヘリがザナドゥから別のオーバー艦艇へと発艦し続けているが、全ての民間人を逃がすことは到底不可能。

 ここでこの巨大エネミーを撃破できなければ、逃げ遅れた人々は皆、ザナドゥと運命を共にすることになるだろう――。





 ――地上。

 進撃を続けるアンノウンの足下。逃げ惑う兵士達。そして一人、また一人と力尽きていくDDSの傭兵部隊。


 対エネミー用に作られた最新兵器の数々も、着弾、もしくは至近で炸裂させられなければ意味がない。最早ザナドゥの陥落は時間の問題かに見えた、その時――。

 


『最終防衛ライン、突破されたようです』


 降り積もる雪とアンノウンの粒子。その中を建物から建物へと凄まじい速度で飛び移る黒い影――。


 ユウトは既にアンノウンへと肉薄していた。巨体によってなぎ倒され、崩落する廃ビルへと潜り込み、できる限りの速度で高層階へと駆け上がる。




 アンノウンの細胞によって覆われた外界を走り抜けることは不可能だった。




 ユウトは近隣の建物を遮蔽物に、降り積もる細胞との接触を避け、最後に残った巨大な廃ビルを足場に、全長100メートルを超える巨体めがけ、弾丸のような速度で駆け抜けようとしていた。


 上層へと向かい、ビル内部を駆け抜けるユウト。

 だが、ビルの崩壊はある一点で限界に達する。


 衝撃と共に床と天井が同時に抜け落ち、ユウトは一瞬で足場を失う。


 瞬間、ユウトはショルダーホルスターに備えられたジェットパックから圧縮空気を放出し、ビルの窓から自身を中空へと弾き飛ばす。


 地上70メートル。崩落する高層ビルから白煙の尾を引いてユウトが飛び出す。

 腕をクロスさせ、砕けた壁面を蹴り飛ばして吹雪の中へと身を躍らせたユウトの視界に、闇に浮かぶ灰色の巨体が飛び込んでくる。


『ユウト、アンノウン周辺の突風は、最接近領域では停止している模様』


 アリスの声。ユウトが動く。


 崩落するビル。ジェットパックが小刻みに鳴動、ビル壁面に着地するユウト。


 アンノウンめがけて寄りかかるように倒れていくビル。

 ユウトは倒壊するビルの慣性を利用し、ビル壁面からアンノウンへと跳躍。足場の壁面に蜘蛛の巣状のヒビが入り、粉々に砕ける。




 ユウトの視界を奪う白い嵐。

 その向こうに浮かび上がる、巨大な影――。




 ――嵐が、止む。




 瞬間、ユウトは腰部から三つ目の銃を引き抜き、即座にその銃を巨人の肩めがけて撃ち放つ。

 撃ち放たれたはたわみを見せつつ直進。

 見事肩部へと突き刺さると、高速でユウトを引き上げるフックロープへと変じる。ユウトは大きく揺さぶられながら伸身回転。全身に付着した細胞を振り落とす。


 加速する視界。


 高速で引き上げられる中、ついにアンノウンが自身に取り付いたユウトの存在に気づき、雄叫びをあげる。

 左側面から取り付いたユウトめがけ、その小さな体を握り潰さんと、二つの巨大な右腕が迫る。


 ユウトは大きく揺れるロープを振り子のように更に揺らして一つめの腕を紙一重で回避。

 更に迫り来る二本めの腕めがけて発砲、直撃。反重力子弾の一撃をまともに受けた巨大な右腕、その手首から先が粉々に弾け飛ぶ。


 のたうつアンノウン。反重力子弾の有効性を確認したユウトは即座にフックロープを手放すと、先ほど自身へと襲いかかった二つの右腕のうち、健在な側へと着地。

 痛みによってめちゃくちゃに振り回される右腕にヒートナイフを食い込ませ、しがみつく。


 右腕に食い込むユウトをアンノウンの紫色の瞳が捉える。

 その物言わぬ瞳は、先程までとは違い明らかな怒りの色を帯びていた。


『左腕、来ます!』


 悲鳴のようなアリスの声。だがユウトは動じない。




 銃声。それは二発――。



 

 ユウトは上下定かならぬ視界の中で、正確に迫り来る左腕めがけ発砲。重力子弾を直撃させると、そのまま足場としていた健在な右腕にも発砲。

 同時にヒートナイフを手放すと、崩壊し粉砕される右腕を足場に回転跳躍。手放された後も主の帰りを待っていたフックロープのグリップへと復帰。


 四つの腕のうち三つまでを潰され、怒りの咆哮を闇夜に響かせるアンノウン。


 大気が励起し、地上の兵士達を相手にしていた小型のエネミーがそのターゲットをユウトへと変える。が、遅い。

 ユウトはすでに肩へと着地。驚異的なバランス感覚で揺れる足場を物ともせず、巨大な頭部へと肉薄する。


 ユウトの息が白く染まる。眼前へと迫る巨大な頭部。

 いかな規格外の巨大さを誇るアンノウンとはいえ、頭部を完全に破壊されては生存は不可能。

 ユウトが二丁めの拳銃を抜き放ち、視界に広がるアンノウンの頭部へと狙いを定める。そして、トリガーを――。


「……ユ……ウト」

「――ッ!?」


 銃声は聞こえなかった。

 代わりにユウトが聞いたその声は、ユウトの動きを一瞬で停止させた。




「――にい、さん?」




 足が動かない。持ち上がらない。


 ユウトが、ゆっくりと、視界を降ろす――。



「ユ……ウ……ト」

「そ、んな――イエロ兄さんが――この、エネミーの?」




 足を、掴まれていた。


 細胞片にではない。


 それは人型の、ユウトが幼少期に兄と呼んでいた、よく知る顔を持つ人の姿が、アンノウンから生え出ていた――。




「な、あ……ユウト……教えて……くれ……おふくろは……?」




 侵攻を続けていたアンノウンの動きが止まる。




「イエロ、兄さん――。どうして、兄さんが――!?」

「おれ、が、馬鹿、だったんだ。だまされ、た。みんなで、オーバーで、くらせる……と」


 ユウトの足にしがみつくイエロ。その下半身はアンノウンと同化し、肌の色はエネミーと同色の灰色に。更には喉も潰れ、黒目は失われていたが、それでもユウトは、彼をイエロだとすぐに認識できた。


「アリス! 応答してくれ、アリス!」

『ユウト? どうしたの――何が起こっているの?』

「イエロ兄さんが、アンノウンから……早く切り離さないと!」


 自らに迫る危機。それにも構わず必死の形相でアリスへ通信を試みるユウト。だが、イエロはそんなユウトを力無く制した。


「い、い、んだ。ゆうと」


『ユウトの、お兄さん……? でも急がないと、他のエネミーが――!』


 叫ぶアリス。彼女の言葉通り、アンノウンから生まれた小型のエネミーはその動きを止めず、それどころかはるか頭上のユウトを狙い、一斉にその巨体を這い上がってきていたのだ。


「ディグニ、ティだ。ディグニティが、アークエネミー……を、生み出して……!」

「ディグニティ……? まさか……DDSの!?」




 ユウトの脳内に、忘れもしない惨劇の情景が蘇る。


 どうして思い当たらなかったのか。


 DDSの傭兵達は、なぜあれほど早くあの場所に駆けつけることが出来たのか――

 あれでは、アークエネミーがあの式場に現れることをとしか――。




「ゆる、してくれ……」


 イエロはその白く濁った瞳で涙を流し、必死にユウトに訴えていた。

 自らを変えた元凶の存在を――。


 


「俺は、帰りた、かった……家に、ミンナのところに……」

「兄さんは……帰ってきてる、帰ってきてるよ……!」


 ユウトの周囲に、無数のエネミーが群がり始める。ユウトはそれらに気づかぬ様子で膝をつき、必死にイエロに呼びかけ続けていた。


 ここが、彼が目指していたであろう、故郷であることを――。





「そうなのか――? ここが、家――?」




 イエロは何かを悟ったように呟くと、その表情にどこか安堵の色を浮かべた。


 そして――。




「……ただいま」



 最後にそう呟いて、イエロは崩れた――。




 ユウトの眼前でイエロが消滅したのと同時、動きを止めていたアンノウンと、そこから生まれた小型のエネミーの群れにも異常が起こる。


 ひび割れ、砕けていく体。灰色の肉体がまるで砂のように溶け落ち、それはアンノウン自らが起こす突風によって、どこかへと運ばれていく――。


 ユウトは、自壊する巨人の肩で瞼を閉じていた。

 その様子はまるで、何かを刻むように。忘れまいとしているかのようだった――。




「――おかえり、イエロ兄さん――」 




 吹きすさぶ白と灰の風の中。

 ユウトはただ目を閉じて、何かを慰めるかのようにそう呟いた――。


 次に目を開けたとき、彼の瞳にはまた新たな決意が灯っているだろう。また別の色が浮かんでいることだろう。




 その決意と色が何を引き起こすのか。




 それを知るものは、この時にはまだ、誰一人として存在しなかった――。




◆   ◆   ◆




 まるで全てが錆び付いたかのような景色。


 赤と茶の壁面に、更に夕暮れの日射しが染みていく。


「そうかい……あんたがエネミーをねぇ……」


 その日射しをガラス越しに受けながら、一人の老婆が皺の刻まれた表情で呟く。

 老婆の手には、彼女には到底似つかわしくない、無骨な拳銃が携えられていた。



「――おばさん。俺の住んでいるところに、来ませんか?」


 少年の声――。


「ありがとうねぇ……でも、この町には息子も義娘もいるんだよ……私一人、離れる訳にはいかないのさ……」


 静かに、はっきりとそう告げる老婆の声。

 そして訪れる静寂。その静寂は、一瞬にも、永遠にも感じられた。


「――また、来ます」

「ああ、いつでもおいで。ここは、あんたにとっても故郷なんだからね……」


 しわがれた音と共に扉が閉まる。部屋は、再び静寂に包まれる。


 退室した少年の背を見送ると、老婆は一人、手に持った拳銃――息子が残した、遺品の拳銃を優しくなでた。




「ゆっくりおやすみ……イエロ……」




 ――僅かに聞こえ始める老婆の嗚咽。




 その音は、空が闇に染まり、傷ついた町を月が照らしても、止むことは無かった――。

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