明治列島

@kkb

第1話

 佐藤亮一が妻と伊豆を訪れるのは、実に四十年ぶりだった。子供たちは独立、自らも大手自動車ディーラーを定年退職し、ようやく自由になる時間が出来たばかりだった。

 以前から天城越えにあこがれていた。伊豆の踊子の主人公のように、修善寺、湯が島を経て、急な坂や狭い道を克服し、天城峠を越えた。本当は一人で来たかったのだが、妻を置いていくわけにはいかず、夫婦での自動車旅行となった。

 半島東岸に出ると、北に向かった。休憩がてら立ち寄った伊豆海洋公園にて、太平洋を眺めながらくつろいでいると、

「大島ってあんなに近かったの?」と妻の聡美が聞いてきた。

 たしかに、ほんの数キロ先に大きな陸地が見える。伊豆大島なら十キロ以上離れているはずだ。それに島にしては大きすぎる。というのも、その陸地は左右に延々と続いていたからだ。

 それで彼はこう答えた。

「あれは大島じゃない。ムー大陸が浮上したんだ」

 そうとしか考えられなかったが、その陸地はムー大陸ではなく、能登半島だった。それからしばらくの間、川端康成の言葉を借りれば、とうてい現実と思えない海の怪奇を眺めたまま、彼は棒立ちになっていた。



 佐藤総左右衛門は、目出度く大日本帝国陸軍に入隊が決まった。配属先は本土なので、故郷佐渡島を去る前にしっかりとその目に焼き付けておこうと、外海府海岸の岩場にたたずみ、夕暮れの日本海をひたすら眺めていた。

 この海の彼方には大国露西亜がある。いつの日か我が国も、西欧列強と互角に戦えるようにならねばならない、などと考えていたが、遠い将来ではなく、今すぐ戦闘の必要性を感じ取る出来事が起こった。

「大変だ! 露西亜が国ごと攻めて来た」

 彼が、そう勘違いしたのも無理はない。

 すぐ目の前の日本海に、延々と続く陸地が押し寄せていたからだ。ただし、それは露西亜ではなく、房総半島だった。



 内閣総理大臣榊原修吾は、次々と入って来る情報をそのまま受け入れることができなかった。

 最初の一報で、日本のすぐ南に巨大な陸地が出現したと報告され、地震も起きていないのにそんなことは起きるわけがないと突っぱねた。

 それが緊急報道で、陸地の映像が映し出されると、危機管理室を設置した。それからずっと会議を重ねている。閣僚や官僚に加えて、危機管理や地震の専門家もいる。みな真剣な面もちだが、すべてが悪い冗談にしか思えない。

 衛星写真には、日本列島のすぐ南にもう一つの日本列島が映っている。限りなく接近しているが、重なり合っている箇所はない。

 南側の能登半島の北辺が、日本列島の房総半島の先端から伊豆半島をつなぐような形に。南側の稚内付近が、日本列島の北海道南部の襟裳岬と釧路の中間付近、ちょうど十勝川の河口辺りに近接している。最も近い場所では五百メートルしか離れておらず、日本列島の紀伊半島南端と南側の山陰も比較的近い。

 南側の佐渡島が、日本列島の房総九十九里浜に近接。日本列島の伊豆大島が南の能登半島と重なり、南の隠岐諸島が日本列島の紀伊半島の中に重なっている。二つないといけない伊豆大島がひとつしかないということは、そこの住民の安否が気がかりだ。


「機械の故障じゃないのか」

 榊原は気象庁の役人に聞いた。

「このようなはっきりとした映像でのエラーはありえません」

 防衛省の役人も、

「ヘリなどで視察を行っています。巨大な陸地が出現したのは間違いありません。写真の通りだとすると、当然、領有権は我が国にありますから、領土が倍になったことになります」

「そんなことより伊豆大島の住人はどこへいった」

「それはその……」

「今日はエイプリルフールで、全員で私をだましてるんじゃないのか?」

 榊原は、猜疑心が強いことで有名である。

 そのとき、慌てた様子で、若い官僚が入ってきて、新しい情報をもたらした。

「陸地に住人がいることがわかりました」

「宇宙人か?」

 総理が聞いた。

「いえ、人間です」

「どこの国の?」

「それがその……日本人のようです」



 総左右衛門は、大陸が迫ってきても、その場から逃げなかった。しばらくすると、露西亜は空を飛ぶ丸い物体を飛ばしてきた。

 彼はヘリコプターというものを知らなかったが、さすがに軍隊を志願しただけのことはあり、それが兵器の類だとすぐに見抜いた。

「恐るべき、露西亜人。あのような空飛ぶ兵器を作るとは」

 周囲に強い風を起こしながら、ヘリは近くに着陸した。これは自分に近づくためだと、彼は理解し、そちらへ駆け寄った。

 中から出てきたのは、白人ではなく、自分と同じような顔をした男たちだった。広大なシベリアには黄色人種もいるのだろう。食糧事情の違いからか体も大きく、迷彩色の服装は初めて目にする。総左右衛門は、ひるむことなく、兵士達に近づいた。

「ヘロー」

 相手から話しかけてくる。

「何言ってるかわからん」

 彼がそう言うと、兵士達は驚いて、顔を見合わせた。

「あの、ひょっとして日本の方ですか」

 一人がそう聞いた。日本語だ。露西亜は日本語を解する者を送り込んだのだ。

「そうだ」

「ここはどこですか?」

 そんなことも知らないのか

「佐渡島だ。それより、おまえ達は露西亜人なのか」

「いえ、我々は日本人です」

「嘘をつくな」



 謎の陸地の出現から一週間が過ぎた。これまでにわかったことは、日本列島のすぐ南にもう一つの日本列島が突然出現し、そこには1887年の日本社会があったということだ。世界はこの奇妙な現象にどう対応していいかわからず、暫定措置として、新日本列島(通称、明治列島)は日本国の施政下に置かれることになった。ここでは便宜上、現在の日本国を日本、大日本帝国側を明治と呼ぶことにする。



 福沢諭吉は密かに、自らが設立した慶応義塾大学(日本列島)に行き、正体を隠して未来社会の調査を行った。文明開化という言葉を作った彼でさえ、世の中の進歩にはどぎもを抜かされた。

 維新以来体験してきた幾多の驚異すら色あせた。十人にひとりが読んだとされる大ベストセラー学問のすすめはとうに時代遅れになっていた。

 歴史によると、我が大日本帝国も、米国との戦争に敗れ、それまでに獲得した領土を失っている。軍事力で破れたことは間違いないが、世界が帝国主義からの修正を試みている時期に、帝国主義を突き進んだ結果だ。

 その後、世界は冷戦を迎えるが、西側の勝利に終わり、いまやグローバリゼーションの時代になった。

そして彼が出した結論は、英語とインターネットを強化することだ。このグローバル社会の中で我が国が大発展するには、日本語を捨て、英語だけを話すようにすればいい。

 固定電話などなくてかまわない。低価格の携帯電話を普及させることだ。対清主戦論を展開した彼は、明治政府要人に中国メーカーから低価格のスマートフォンを大量に購入するよう要請した。


 諭吉は、現代の日本社会についても研究した。我が国よりはるかに発展しているが、国民は歳をとり、財政赤字が増え続け、産業力は衰えつつある。それなのに、国民はどうでもいいような芸能報道にうつつを抜かし、大きな問題を先送りしている。政治家が世襲化し、公務員が特権階級化し、国民の負担となっている。それにしても、国民の平均年齢が我が国の平均寿命より長いとは、すさまじい医学の進歩だ。

 このままでは、ずるずると落ちてゆくだろう。子孫ながら情けない。我が大日本帝国臣民がこの国土に住むのなら、たちまち立て直せる。それなら愚かな子孫達は、先祖から受け継いだ土地を速やかに返すべきだ。いや、我々が領土を取り戻す。今の状況では無理だが、産業を富ませ、諸外国から武器を調達すれば、後十年もすれば達成できそうだ。こうして対清主戦論者は、対日主戦論者になった。



 前代未聞の大珍事から一月経っても、大日本帝国初代総理大臣の伊藤博文は、まだ混乱していた。信じがたいことだが、明治二十年の大日本帝国は、百三十年後の世界に移動していた。しかも、本来の位置より南で、すぐ北には百三十年後の我が国が控えている。


 列強に互する強国を目指し、ようやく亜細亜の一等国の座が見え始めたというのに、世界一遅れた国になりはててしまった。

 さらに彼を気落ちさせたのは、この国際協調の世界では、植民地を持ったり、領土を広げることができなくなっていることだ。実際、国どうしの戦争は、ほとんど起きていない。あっても、小さな島の領有権をめぐる小競り合いぐらいだ。

 それは、我が大日本帝国にとっては受け入れがたい。なぜなら、我が国は帝国だからだ。帝国とは、軍事力を持って、自国を越えた領土を支配する国家のことを言う。そのため、国を富ませ、兵を強くしてきた。

 それが、いくら軍事力があっても、使い道がないのだ。

 それなのに、どの国も防衛を名義として強大な軍事力を持つ。

 戦争がないのに、軍隊だけがある。訓練だけで、実際に戦わない軍隊の存在理由は、防衛部門と軍需産業の利益のためという。大切な国富を役に立たないことに使うとは、なんとも理解しがたいが、現代における戦争とは、軍事部門とそれ以外の部門による、国家予算獲得戦争ということだ。この観点からすると、敵国の軍隊は、お互いに相手の驚異を訴えて、予算を増額していくビジネスパートナー、いわば戦友だ。


 いくら軍事力が強くても、国土の小さな国は小国のままだ。いまや、あの日の沈むことがないと言われた大英帝国ですら、島国のひとつにすぎない。これから我が国は遅れた島国として、肩身の狭い思いをしなければいけないのか。

 もし、この状況を覆そうと、領土獲得戦争を仕掛けたら、海外との交易を絶たれ、諸外国の連合軍が攻めてくる。それでも言うことを聞かなければ、核兵器というもの凄い爆弾で、都市がまるごと破壊される。なんとも恐ろしい世の中だ。

 逆に言うと、我が国が攻められることはないことになる。実際、今の軍備では、列強どころか小国にすら負ける。それなら、富国強兵の強兵をやめて、富国だけに力を入れればいい。大日本帝国に軍隊は不要となった。

 それでも、これまでの強兵策を捨てることは、軍部や国民は納得しないだろう。いや、近代兵器の前に完膚なきまでにたたきのめされれば、彼らも黙るに違いない。それには敵が必要だ。しかし、国と国とが交戦するような状況にない。戦いの口実がない。


 いや、ひとつだけ、領土として正当性を主張できる地域がある。北に控えるもうひとつの日本列島だ。日本が二つあるわけはない。だからひとつにしなければならない。よそからどうこう言われる筋合いはない。あそこは、当然、我が国のもの、いや我が国なのだ。

 しかし、今の流れでいくと、我が大日本帝国は、国際連合とやらのお節介で、国として認められず、日本国に併合されるか、属領となりはてる定めにあった。

 だからこそ、負けるとわかっている戦いを仕掛けるのだ。敗北を目的とした戦争だ。

 相手は子孫だ。父祖の地を徹底的に破壊するような非道なまねはできないはずだ。

 こうして大日本帝国は、未来の自分に戦いを挑むことになった。



 明治政府は、子孫が暮らす日本国を仮想敵国扱いした。事の始まりは名称にあった。同じ島が二つずつあるのだ。混同しないように区別する必要がある。明治側は、北にある日本列島の地名については、第二東京、第二淡路島といったぐあいに、自分達の土地の名に第二をつけることで統一した。日本側はそれに対抗して、明治側の土地名の頭に、明治をつけることに決めた。お互いに相手側の呼称に抗議した。

 特に揉めたのは、二つの本州に挟まれた海峡だ。明治側は日本海と呼び、本来の日本海を第二日本海扱いしたが、日本側は南日本海と呼ぶことにした。 

 そのうち明治国民は第二の代わりに、日本の世襲化を皮肉る意味もあり、二世を使い始めた。それが訛って偽日本などと言い出した。


 第一次伊藤内閣は、世襲四代目の敵国宰相の家系を調べ、父方の先祖に当たる銀行家を利用することにした。人通りの多い町中で、銀行家を柱に縛り付ける。柱のてっぺんには、「末代が恥」という看板を掲げる。その隣の柱の看板は、「末代 偽日本の糞売り」という文言で、その前に榊原総理の顔写真を貼った人形が、肥桶を担いでいた。

 群衆は、それを見て、笑い、罵った。それを欧米の新聞記者が報道した。

 官邸でその様子を観た榊原は、

「何だ、糞売りとは。総理にかけただじゃれのつもりか。一国の総理をここまで侮辱するのは、一等国のすることではない。明治日本は途上国どころか、野蛮でならず者の国だ」

 と言って激怒した。 

「明らかな人権侵害です。国連人権委員会に報告しましょう」と秘書官は言った。

「あの地域は我が国に委ねられている。こちらで解決する」

 ついこの間まで、彼は明治の元勲伊藤博文を尊敬していた。それがいまや憎しみへと変わった。先祖といえど許すことはできない。明治の糞ども、血縁関係のある先祖以外は皆殺しだ。

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