二十一日目

「こんな生活、長く続きやしないんだ」

 私が監禁されてから二十一日目の朝、食事の席で唐突に彼はそう自嘲した。

「……そうね」

 私は頷いた。私が彼に監禁されてから約三週間。周囲はもう、私の身に何かあったのではないかと勘づいているだろう。それに彼も私と同じようにずっとこの家にいる。不審に思われないように日常生活をこなしたりもせず、ずっと私の傍から離れない。彼の身にも何かあったのではないかと周囲は不審に思い始めているだろう。

 私と彼が恋人同士なのは周知の事実。その二人が同時に姿を消しているのだ。私と彼が同じことに巻き込まれたのではないかとすぐに関連づけられるだろう。そして本気で心配し始めたら、私達それぞれの家に訪問しに来るだろう。

 私の家はもぬけの殻だからいいとして、ここには彼と、監禁された私がいる。居留守を使ってもいいのだが、大家さんから合鍵でも持ってこられて侵入されればそれで終わりだ。

 私は解放され、二人きりの監禁生活には終止符を打たれる。けれどその場合、彼は悪人としてきっと逮捕されてしまう。たとえそうならなかったとしても、彼は社会的信用を確実に失ってしまう。それは私の望むことじゃない。

 けれど遅かれ早かれそうなってしまうだろう。このまま二人きりの世界なんて続かないし、やめなければいけないのだ。

「ねえ、私の存在、まだ信じられない? 私はあなたの前から絶対にいなくならないよ」

「君が、心からそう言ってくれているのはわかるよ。けど駄目なんだ。君が……、君が……、いなくなってしまうんじゃないかって不安で、もう離せなくて、そして……。僕は一体何をしているんだろうね。こんなことを続けたいはずじゃないのに、どうしてやめられないんだろう? ごめん。君もそろそろ愛想を尽かす頃だよね。もう僕のこと嫌いになってきたよね」

「違う! 私はあなたのことが好き。愛想も尽かせないし、絶対に嫌いになることなんてない! 私が愛しているのはあなただけなの。あなたのことを愛しているの。あなたがどうしようもなくて、こんなことをしてしまっていることもわかっているわ。頭でわかっていてもやめられない、どうしようもないことってあるもの」

 乾いた声で笑う彼に、私は力一杯否定した。口調を強めて、彼になんとか思いを届けたかった。

「そうだとしても、僕は君を傷つけている。どうしようもないなんて言葉で片付けちゃいけないんだ。そんなことで正当化なんてできない」

「そんなこと言ったら私だって過去にあなたを傷つけた。たくさん、何回も」

「君は僕を傷つけてなんかいない。僕みたいに監禁なんてしたことないだろう。自由を奪ったり、無理矢理犯したり、首を絞めたり、痛めつけたりしてないだろう」

「確かに肉体的には何もしていないかもしれない。でも私はあなたを傷つけたわ。あなたの心を! あなたの心を踏みにじって、色々な人に抱かれにいった」

「それは僕が不甲斐なかっただけだ。君の弱さに気づけなかった、君の信用に足る男じゃなかった、僕のせいだ。それに心なんて傷ついたってなんともない。肉体的にも精神的にも傷つけている僕の方がよっぽど罪深いだろう!」

 私は椅子から立ち上がり、彼に抱きついた。自分のことを責め続け思い詰めている彼を見ていられなかった。

「大丈夫。私はずっとあなたの傍にいる。私はあなたになら何をされたって構わない。絶対に嫌いになんてならない。愛してるわ。あなたのことが好き! あなたを愛しているの! 好きなの! だからお願い。私を信じて!!」

 私は腕に力を込める。彼の肩に顔を押し付ける。ただただ想いを伝えたかった。ぎゅっと抱き締める。

 どうすれば彼は私のことを信じてくれる? 実感してくれる? 安心してくれる?

 彼の出してくれる食事はだいぶ質素に、なおかつ品数が少なくなってきた。肉料理がなくなり、朝食にはトーストの代わりにご飯が並ぶようになった。そんな食卓風景に彼はバランスが悪い上に粗食ですまないと謝ってきたりしていた。

 生もの以外の食品は一ヶ月くらいならば余裕でもつ。彼は用意周到に食料をきっと買い込んでいるだろうから、食べ物に困ることはもうしばらくはきっとない。けれど、それも限りがある。

 ずっと彼と二人きりの世界に閉じこもることはとても良いことだけれど、現実はそれを許してくれない。それに彼のためにならない。できるならばなんとかしなければならないのだ。

「……」

 彼は黙り込んだまま、私にされるがままになっている。彼の身体の震えだけが私に伝わってきた。

 彼は私のことを疑っている。私がいなくなってしまうんじゃないかと恐れている。ずっとされるがままに過ごしてきても、こうやって抱き締めても全然彼には伝わらない。

「ねえ、結婚しよう」

 私はぽつりと言った。彼の肩から顔を離す。目を大きく見開き震わせる彼の瞳と視線が合った。

「結婚すれば私達はずっと一緒だよ。それが義務にもなるし、財産とかも二人で共有することになるわ。法律に縛ってもらいましょう。法律は絶対的な効力を持っているし、これならあなたも安心できるでしょう」

 私はゆっくりと彼に語りかけた。

「……」

 彼はしばらくの間、目を見張ったまま固まっていた。

「ぼ、僕は……。僕は……君にそんなことを言わせたかったんじゃない。その台詞は……。結婚は……僕が……」

「うん。あなたから切り出したかったのは知っているわ。あなたが私のためにお金を貯めていてくれていたのもわかっているわ。けれど、もう無理でしょう?」

 途切れ途切れに声を震わせながら言葉を紡ぐ彼に私は言った。

「けれど僕は君にいつかウェディングドレスを着せるって……、きちんと式を挙げさせるって約束していた……」

「いいよ、別に。私に清純さの象徴であるウェディングドレスなんて似合わないし、式なんて挙げなくったって構わないわ。あなたと一緒にいられるだけで私は幸せだもの」

 表情を歪め、苦しげに吐き出す彼に、私は優しく伝える。

「……違う。そうじゃない……。僕は……。僕は……。僕はこんなことがしたかったんじゃないのに……。もっとちゃんと……、もっときちんとして、そして……。なのになんで、それができないんだ? どうして……」

 うわごとのように紡がれる彼の言葉の断片は筋が通っておらず、私に向けられたものではないことがわかる。彼が自分自身に向けた言葉。けれど、きっと私にも心のどこかで聞いて欲しいから声に出しているのだろう。だから私は何も言わずに彼の話しに耳を傾ける。

 彼は目を大きく見開き表情をこわばらせたままガタガタ震える。

「うっ……、うわああああああああああ」

「ッ!」

 彼に首を掴まれた。そしてそのまま押し倒される。すごく大きな音がし、背中に鈍い痛みと床の冷たさが走った。けれど彼は私の首を掴むだけで絞めてはこなかったから、苦しくはなかった。

「どうして君は僕のことを嫌いにならない? 嫌いって言いなよ。もう嫌だって。こんなことされ続けるのは嫌だろう? こんな何もできない、君に危害を加えることしかできない男なんか嫌だろう!?」

 彼は怒鳴り散らした。けれどその両手は震えているものの、私の首に触れている程度だった。

「あなたのこと、嫌いになんてなれないわ。それに嫌いにもなっていないわ。だって私はあなたのことを愛しているもの。あなたの弱さも含めて全部が大好きなの」

 彼の不安定な瞳を私はまっすぐ見つめる。そして彼の顔に向かって右手を伸ばす。彼の目から涙がこぼれ落ち始めていたから。だからそれを拭ってあげる。

 あなたはやっぱりどんな風になっても本当は優しい。

「君は……、君は嫌じゃないのかい? こんなことされ続けるのは」

 彼は小さく、震える声で言った。さっきまでの激しさは消えていた。

「あなたになら何をされてもいいわ。それであなたが満足するなら。でもあえて言うなら、痛いのは嫌。激しいのは嫌いじゃないけど、できれば優しくして欲しい。それだけよ」

 私は静かに口にした。彼の手が首から離れた。

 私は泣き顔の彼の首に手を回し引き寄せ、その唇に深く、深く、口づけをした。






 

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