2 委細面談

 サンプルは俺しかないが、小説家になりたがる奴はわがままだ。

 既製作品では満足できなくて、自分好みの話を書きなぐる。そのくせ、他人には自分の書いた話だけ認めさせたいと思っているのだ。自分は他人のそれを否定しまくっているくせに。

 一人っ子だったから、というわけでもないのだろうが、俺は幼い頃から本を読むのが好きだった。親も俺が本を読むのを止めなかった。俺が今の俺になってしまった責任の一端は親にもあると思う。

 自分でも小説のようなものを書きはじめたのは、たぶん小学校高学年くらいから。が、あくまで〝ようなもの〟だ。国語の授業で書かされた創作作文と大差ない。

 中学に上がってようやく小説らしきものになり、高校生になってかなり本気で小説家になりたいと思いはじめた。出版社に投稿しはじめたのもこの頃からである。実は中二のときに初めて投稿していたが、このときの原稿は出来云々以前に未完成品だった。若気の至りということで、あれはなかったことにしておきたい。

 しかし、俺は憧れの高校生作家になることはとうとうできなかった。おまけに、学業よりも小説を優先させたために、大学受験にも失敗した。

 だが、俺はこのまま社会に出るのは嫌だった。高校生作家が駄目なら今度は大学生作家。そんな不純な動機で一年浪人し、とある三流私大に滑りこんだ。

 その頃はちょうど親父がけっこうな額の給料をもらっていて、俺はアパートで一人暮らしをすることも、本に大金をつぎこむこともできた。

 そんな生活ができている間に、今度こそ作家デビューできればよかったのだが、結局俺は大学生作家にもなれないまま、就職活動にも失敗した。俺の人生二度目の挫折。そして、これ以降は挫折の連続だった。


 ――に帰って、働きながら書きつづければいい。


 俺の夢を知っていた(しかし、俺の書いた小説を読ませたことはない)親はあっさりそう言った。

 確かにそのとおりだ。が、少しでも執筆時間を確保したかった俺は、大学卒業後も実家には戻らず、正社員ではなくバイトとして働くことを選択した。

 だが、学生時代からわかってはいたが、俺はとても要領の悪い人間だった。仕事でも、人間関係でも。

 特にきつかったのが人間関係だった。学生のときなら苦手な人間はある程度避けられるが、仕事ではそうもいかない。バイトを続ければ続けるほど俺の神経はすり減らされ、小説を書く気力も失われていった。

 本命はあくまで小説家になることなのに、これではまったく本末転倒だ。俺は少しでも気楽に働ける職場を求めて転職を繰り返したが、それは一刻も早く小説家になりたいという焦燥を強める役にしか立たなかった。

 そんな俺がその求人広告を見つけたのは、おまえはどこに行っても通用しないと太鼓判を押してくれたバイト先を辞めた数日後のことだった。

 なじみのスーパーから持ち帰ったなじみの無料求人情報誌の片隅に、まるで人目を忍ぶようにひっそりと掲載されていたのだった。


 音読バイト募集!

 できれば小説家志望の方。委細面談。


 募集元を見ると、自費出版専門の出版社らしい。同じ市内にそんな出版社があったなど、俺はそれまでまったく知らなかった。

 しかし、その求人広告には激しく興味を引かれた。バイト内容はさっぱりだが、バイトとしてでも出版社に潜りこめたらコネで作家デビューさせてもらえるかもしれない。そんな下種な下心をついつい抱いてしまったのだ。

 震える手で連絡先に電話をかけると、事務員らしい若い女性が応対してくれた。興奮のあまりどもってしまった俺にも優しく接してくれた彼女の声を聞いたのは、このときが最初で最後である。

 彼女は明日の午後二時に面接するので履歴書を持って来るようにと俺に指示した。だが、その面接場所は出版社ではなく、そこから少し離れたファミレスだった。不思議には思ったが、向こうにもいろいろ都合があるのだろう。俺は自分に都合のいいようにそう考え、わくわくしながら電話を切った。面接をこれほど楽しみに思ったのも、これが最初でおそらく最後だろう。

 翌日、俺は交通費節約のため、自転車でそのファミレスに向かった。面接担当者はスマホで電話をかけるまでもなくすぐに見つかった。彼女が言ったとおり、窓際の席の一つに座り、某古典探偵小説――おどろおどろしい表紙だから、遠目からでもすぐにわかる――を両手で持って読んでいたからだ。灰色のスーツ姿のその男は、俺に気づくとニヤッと笑ってみせた。


「やっぱり古典はいいよね」


 それがその男――高野さんの第一声だった。

 正直、俺は探偵小説より伝奇小説のほうが好きだったが、その意見に異論はなかったので「そうですね」と本心からうなずくことができた。


雨宮あめみやさとるくんだったね? 僕は高野たかの七生ななお。あそこの編集者の一人だよ。とりあえず座って。注文は話が終わってからしよう」


 できる営業マン風の高野さんは、やはり話し上手でもあった。内容を箇条書きにするとこうなる。


 一、音読バイトとは、文字どおり、小説を音読するバイトである。

 二、そのバイトを必要としているのは、実は高野さんが属している編集部ではなく、編集部の下請け的に働いているフリーの校正者である。

 三、したがって、バイト料はその校正者が支払うことになる。

 四、バイト料は一月十万円からスタート。ただし、その校正者の事務所兼自宅に住みこむことが必須条件。その校正者の家政夫も兼任するなら生活費も校正者が全面負担する。

 五、どうしても小説家になりたいなら、それなりのバックアップはする。しかし、実力のない者をプッシュすることはしない。


 どれも俺の予想を超えていたが――五だけは期待を裏切られたと言うべきか――特に驚かされたのが四だった。

 住みこみで十万円。得なのか、損なのか。

 高野さんによると、その校正者は残念ながら(と高野さんが言った)俺と同年代の男だそうである。無口なので、エサを与えたら(とこれも高野さんが言った)、俺は自分の部屋で自分の好きなことをしていいらしい。つまり、自分の好きな小説を好きなだけ書いていていいのだ。


「でも、こんな条件じゃ悩むよね」


 困惑している俺を見て、高野さんは訳知り顔で苦笑した。


「だから、君の都合さえよかったら、これからその男と直接会ってみないか? その男がどうして君のようなバイトを必要としているか、その説明もしたいしね」


 次のバイト先を早急に見つけなければならなかった当時の俺に都合も何もなかった。俺はすぐに「お願いします」と答え、高野さんの奢りでコーヒーを一杯飲んでから――もっと注文すればいいのにと言われたが、夕飯にはまだ早すぎる時間帯だったし、高野さんの心証も悪くしたくなかった――自転車を押し歩きしてその校正者の住んでいるマンションへと向かった。

 ――そう。そこから歩いていけるほど、そのマンションは近距離にあったのだ。きっと、その校正者とすぐに引き合わせられるように、面接場所も出版社ではなくあのファミレスにしたのだろう。三階建ての赤レンガ風のマンションの前に立ったとき、俺は勝手にそう考えて自己完結した。

 その校正者の部屋は三階のいちばん奧にあった。エレベーターはなく階段だけ。高野さんは頻繁にここに来ているらしく、これがいつもつらくてねとぶつぶつ文句を言っていたが、三階ならまだ許容範囲だろう。

 各階に部屋は五つあった。どの部屋にもインターホン――ザルセキュリティでもさすがにこれはあった――の上に表札があったが、最後の五番目の部屋にはなかった。まるで空き部屋のように空白。


「ああ、表札は出していないんだ。ここを訪ねてくる人間なんて僕くらいしかいないしね。本人は別に、人間嫌いというわけでもないんだけど」


 俺の視線の先を見て、俺が何を思ったのか察したのか、高野さんは苦笑いしながらインターホンに手を伸ばした。


「ただ、本当に無口な男だから、仕事中以外は話しかけても何も答えないよ。だから、無視されたと思って落ちこんだりしなくていいからね」


 そう言い置いて、高野さんは呼び鈴を鳴らし、相手の返事を待たずに一方的に話し出した。


「辻島くん? 僕だよ、高野。昨日連絡した面接希望者連れてきたんだけど、入れてもらっていいかな?」


 校正者――辻島がインターホンに出た気配はあったが、言葉は一言も返ってこなかった。

 こんな人間と同居などやっぱりできないかもしれない。ただでさえ俺は人付き合いが苦手なのだ。俺が次のバイト探しを真剣に考えはじめたとき、唐突に玄関ドアが開いた。

 俺と同年代と事前に聞かされてはいたが、俺よりは年上、高野さんよりは年下に見えた。

 身長は平均よりやや上の高野さんよりかなり上。ちなみに俺は平均よりやや下だ。

 高野さんの話から、眼鏡をかけた偏屈そうな男を想像していたが、俺たちの前にのっそりと現れた辻島は、確かに愛想はなかったものの、クールな作家役を演じている俳優じゃないかと思ったほど秀麗な容貌をしていた。切れ長の瞳でじっと見すえられ、俺はあわてて高野さんの陰に隠れた。


「初対面からガン飛ばさないでよ。雨宮くんが怯えてるじゃない」


 非常に不本意ではあったが、高野さんにそう言ってもらってほっとしたことは否めない。辻島は俺から高野さんに目を転じると、中に入れとでも言うように玄関ドアを大きく開けた。


「いやあ、この部屋の中まで入れてもらえるのは久方ぶりだね。……雨宮くん。どうやら一次は突破できたみたいだよ」


 高野さんは悪戯っぽく笑うと、まるで自分の部屋のように「どうぞお入りください」と俺を促したのだった。

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