第7話


待ちかねた昼休み、岡崎は初めてカミングアウトした階段の踊り場に俺を連れていった。

ここに来るということは、他の誰にも聞かれたくないことなのだ。


「岡崎、俺……」


なんて切り出せばいいのか分からず、うつむいたまま俺は岡崎と向かい合った。


「松坂、あの言葉、本当?」

「あの言葉って?」

「俺の歌、もっと聴きたいって」


顔が上げられず、岡崎がどんな表情をしているのか分からない。

でもコイツの歌を聴きたいなんて軽々しく言ってしまったから、怒っているんだ。

うなだれたまま、俺は小さく頷いた。


「岡崎、ゴメンな。オマエが歌うのは並大抵のことじゃないのに、俺、簡単にあんなこと言っちまって」


もっとハッキリ話さなければ岡崎には伝わらないと思いつつも、ついボソボソとしゃべってしまう。


「天音。これからは名前で呼んでよ」

「え?」


俺は思わず弾かれたように顔を上げた。

岡崎がフフッと笑う。


「やっと俺を見た」

「何だよ、からかってんのか?」

「そんなんじゃないよ。またオマエ、何か勘違いしてんじゃないかと思って」


勘違い?

勘違いも何も、オマエ怒ってるだろ?

だって午前中ずっとニコリともしなかったじゃないか。

俺は訝しげに奴を見た。


「俺、歌いたいなって思ったんだ」

「え?」

「今、歌っていい?」


岡崎は突然アカペラで、昨日の曲を小さな声で歌いだした。

……やっぱりすごい。

耳が不自由だとは微塵も感じさせない。

鼓膜を直接くすぐっているかのような、柔らかな振動を帯びた声。

オマエ男なのに、なんでこんな高い音が出せるんだよ。

声変わりしてる筈だよな?

俺一人で聴いてるのがもったいないよ……。

いろんな想いが胸の中を駆け巡る。

岡崎が歌い終わっても、俺は余韻に浸るようにボーっとしてしまった。


「俺、嬉しかったよ。今まで歌なんて歌ったことは無かったんだ。でもオマエがもっと聴きたいって言ってくれて、俺、もっと歌いたいって思ったんだよ」

「岡崎……」

「だから、天音、だ。貫(いずる)」


急に名前で呼ばれてドキッとする。

コイツ、俺の名前憶えていたんだ。


「勘違いしてただろ?気分悪くさせたって思ってただろ?ゴメンな。俺もいろいろ考えて、オマエに話すのを先延ばししてたから」

「岡……、天音」

「俺、合唱団はやっぱり無理だけど、また見に行きたいんだ。あそこでいろんな曲を勉強させてもらえたらって思ってる」

「怒ってないのか?」

「ははっ、怒ってないって。むしろ、気付かせてくれて感謝してるくらいだよ」


やっぱりコイツはすごい。

俺の失言めいたことも、プラスに受け止めてくれる。

聴こえない音を探りながら過ごす毎日がどんなに大変なのか、このひと月余り隣で見ていて痛いほど感じていた。

以前、しんどくないか?と尋ねたときに、もう自分にとってはアタリマエだからと言いつつ苦笑してたよな。

そんなコイツに、更に負担をかけるようなことを言ってしまったのに。


「俺さ、小・中学校と、音楽の授業受けさせてもらえなかったんだ。みんなと同じように聴こえないからってさ。そんなの音楽に限ったことじゃないのにな」


そうだったんだ……。

俺もコイツは音楽を楽しめないと勝手に決めつけてたよな。


「ゴメン、俺やっぱりオマエを傷つけてた」

「ん?」

「ほら、初めて望月が合唱団に誘ってくれた時、俺……」


あぁ、と小さくつぶやいて、天音は穏やかな視線で俺を見た。


「そっか、そうだったよな。でもあの時も言っただろ。オマエは気遣ってくれたんだから、嬉しかったって。音楽の授業は、俺を排除する意味合いだったから」


その言葉は、鋭く俺の胸を突いた。

排除?

そんな、ひどすぎる。


「貫のキモチは分かってるから気にするなよ。話戻すけどさ。楽譜から音を想像するのは、実は前からやってみようと思ってたんだ。でも授業を受けてなかったから、楽譜を見ながら生の歌を聴く機会なんか無くてさ」

「じゃあ、この前の見学の時初めて試したんだ?」


天音は嬉しそうに口元を緩めながら頷いた。


「オマエ、大変だろ?授業の整理とか家に帰ってからやってんだよな。その上合唱団なんて、キャパオーバーじゃねぇの?」


その気にさせてしまった俺が言うことじゃないだろうけど、しんどくなりすぎるコイツを見るのは嫌だ。

しかし天音はフッと笑って、窓の外に目を遣った。


「正直、大変だと思うよ。でも俺、やっと自分のやりたいことに出会えた気がするんだ。こんな風に、自分から進んでやりたいと思ったことなんて無かったからさ。それが歌だったなんて、皮肉だけど」


一瞬遠い目をした天音は、ゆっくり俺を振り返った。


「オマエはまだ考え中なんだろ?合唱団に入ること」

「そりゃそうさ。週4日の練習は、ホントにやる気にならないと出来ないことだろ?」

「だよな。正式に入団となると、楽しいだけというわけにはいかないもんな」


そう、楽しいだけじゃないんだ。

正直言うと今まで何もやらなかったのは、やりたいものに出会えなかったのもあるけれど、そこに出来る人間関係が煩わしかったのが大きな要因なのだ。

この合唱団も雰囲気が良いだけに、それを壊さないように俺は細心の注意を払わなければならないだろう。

俺には人間関係の方が、練習そのものよりもハードルが高い。


「俺さ、自信ないんだよな」


本当の不安を、コイツになら話してもいいような気がした。

何が?というように、天音は首をかしげて俺を見る。


「天音は知ってるだろ?俺の失言とか、空気の読めなさとか。人の気に障ること、気が付かないうちにやっちまうと思うんだ。そんなんだから、友達もみんな離れて行って……」


情けなくなって、俺はうつむいた。


「合唱団はホントに面白そうだと思うよ?でも、みんなと上手くやれる自信が無い」


天音はジッと俺を見ていた。

その顔に浮かんだ笑顔が切なく歪む。


「貫は、寂しかったんだなあ」

「え……」

「いいか?そいつ等の目は節穴だ。オマエはイイ奴だ。失言って何だよ。間違ったことなんか言ってないぞ?空気読めないって、空気は吸うものだ。読むものじゃない」


コイツなりのジョークなんだろうか。

一応クスリと笑ってみせる。


「世の中の全員に好かれる奴なんか、いないんだ。逆に、全員に嫌われるヤツもいないよ。オマエが今まで嫌われてたっていうのなら、これからはきっと好かれるばかりの人生だぜ」


……ずいぶん乱暴な理論だ。

でも。

ヤバい、鼻の奥が痛い。

ひとりっきりの時にだけに許してきた痛み。

今はダメだって。

そう思えば思うほど、その痛みはどんどん強くなってくる。

俺はフイッと顔を隠した。

天音はわざと再び外を見遣る。

まるで、見てないぞ、というように。

そのさりげない心遣いが嬉しかった。

そしてふと思った。

きっとコイツも、今までずっと一人で泣いてきたんだろう。

心無い奴らに傷つけられた過去、今だって泣いているのかもしれない。

だからこそ、人の痛みが分かるのかもしれないな……。


「教室、戻ろう」


何事も無かったように、天音が呟く。

俺は制服の袖でグイッと目をこすった。


「なあ、望月にまた見学行くって言おうと思うんだけど、貫どうする?」


廊下を歩きながら、天音はチラッとこっちを見ながら聞いてきた。

どうする?と言いながらも、一緒に行ってほしそうな顔をしている。


「ん……、俺も行ってみてもいいかな」


煮え切らない返事なのに、天音の表情がパッと明るくなった。


「良かった!頼ってばかりじゃダメだって分かってるけど、やっぱり貫に居てほしいんだ」

「それって、俺の声ならちゃんと聴こえるから?」


あ、またおかしなこと聞こうとしてる、俺……。

無意識に掌で口を押えた。

キョトンとした顔でしばらく言葉を失っていた天音は、突然高笑いし始めた。


「ははっ、バカだな、貫」


それはどういう意味だろう?

ホントは俺なんか必要ないけど仕方なくってことだったら……。


「確かにキッカケはオマエの声だけど、それだけでずっと一緒に居ようとは思わないよ?」

「…………」

「オマエが好きだよって俺、前に言ったよな?もう忘れた?」


俺は思わず立ち止まった。

5時間目始業のチャイムが鳴り響く。

生徒は慌ただしく教室に入ってしまって、廊下は俺たち二人きりだ。


「天音、俺……」

「さっきも言っただろ?これからの人生は、好かれるばかりだ。な、悩むなよ」


大丈夫だ、安心しろよ、と言いながら天音は俺の肩を軽く叩いた。

ああ、また変に勘違いしてしまった。

カッと頬が赤らむ。

でも、嬉しい……。

天音、ありがとう。

こんなに自信が無くて脆い俺を、オマエはいつもグッと引き上げてくれる。


「いつ行くつもりなんだ?合唱団」

「ん?とりあえず望月に聞いてみないと。また見に行きたいって言ったら喜ぶぜ、きっと」


再び歩き出しながら、天音はクックと笑いながら話す。

その髪が窓からの光に透けて、フワフワと揺らめいた。

俺は横目でそれを見ながら、早く教室に行かなきゃと、天音を急かしながら早足で歩いていった。

                       

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