第7話 忠誠と野心

 その夜床についても、史郎はなかなか寝付けなかった。

 主君の裸身が頭の中でちらついてどうにも眠れない。

 優しく、美しく整った顔立ちに対して、武芸に鍛え抜かれた静の体は、色気を醸し出すと言うよりはむしろ性別を超越した中性的な印象があった。 考えても見ればまだ二十歳にもならぬ少女なのだ。中性的なのは無理もない。

 時折、領主であることさえ忘れたように無邪気に自分になつく静の素顔は、確かに少女のようであった。だからこそ、かわいらしいと思ってしまったのだろう。

そういえば、静は寒がりにしても厚着である。体の線がでないように気を使っていたのだろう。そう思うと首や手など妙に丸く見えてくる。

 何より女嫌いなのがその証拠だ。

思い返せば心当たりはいくつもあった。

その静が、自分を好きだという。だから召し抱えたとまで言ってくれた。

 嬉しくないわけはなかった。以前から好感を持って仕えていた主君である。

男色家でなくてよかった…などと安堵する気持ちでいっぱいになる。

「城の女性が知ったら泣くなあ…。」

 この事実の意外性に女達はどんな顔をするだろう?そう考えるだけでどこか痛快な気分だった。

 ふいにあの時触れた、静の乳房の感触が手に残っていることに気が付く。

 あの柔肌が、男のものであるわけがない。

 女の格好をした静の姿だけは、どうしても想像が付かないのだが、一枚一枚着物を脱ぎ捨てて裸になっていく静の姿が何度も頭に浮かぶ。下着まで男物を身につけていた。

 わずか十六歳の若さにして一国一城の主となり、老成した政治家と渡り合えるほどの実力を持つ椎野静。優しげな外見とは裏腹に、近隣諸国では荒くれ武者たちを束ねる名将として鳴り響く。あの凛とした声音、落ち着きのある物腰。戦の最中でも常に冷静さを失わぬ武者。

 さぞ幼き頃からお励みになったのだろう…十六歳とは思えぬ貫禄が静にはある。

 その静が、自分の手に組み敷かれ一枚ずつ着物を剥がされていくのを想像するだけで史郎の胸は破裂しそうである。

 恥じらいながらされるままに身をゆだねる主の表情を思い浮かべただけで、女を知らない史郎は赤面し蒲団をかぶってしまった。

 なんということ考えているのだ俺は…!

自己嫌悪に陥りつつそれでも想像を止めることができない。

『わしの初恋じゃ…そなたに会ったとき、わしは自分が男ではないことをつくづくと思い知らされた。笑うても良いぞ。』

 恥ずかしそうにそう告げた愛らしく、どこか爽快な声。

 言い換えれば、史郎と出会ったことで静は初めて女になったと言うことではないか。

 そんなことを堂々巡りしながら考えている史郎の中に、暇をもらって静の元を去るなどと言う考えは露ほども浮かばなかった。


 その年も押し迫る師走半ばに、美里城からの使者が到着した。

「…ほう、祥の婚礼が来年早々に…素早い事よ、さすがは吉野の親父め。」

 佐々木家からの縁談は、山背国で再び戦争が起こったために一時保留になっていたのだが、戦争が終結してまもなく、婚礼を願う使者が来たようである。

「佐々木め…かほどに何を恐れておるのやら。」

 濃紺にかすりの模様をあしらった平服と黒い袴を隙無く身につけた堀河城主が、使者の手紙を読んで唇の端を上げた。

 先程までここにいた使者は別室でもてなしをうけてもらっている。この対面の間にいるのは城主及び家臣の岩井・三浦両名と、美里城から父親が付けてくれた重臣竹脇道長(たけわきみちなが)、織部也正(おりべ なりまさ)の五人であった。

「祥とお才殿の婚礼が決まった。年明けてすぐのことじゃ。」

 母、お陽からの手紙を折り畳んで右脇に控えた織部に手渡す。織部は七十歳を越える老臣であり、静にとっては祖父と言ってもいいほど年齢差がある。

「めでたき事にござる。お喜び申し上げまする。」

 年齢のわりには力のこもった声で老臣は若い主に祝辞を述べた。

 よく日に焼けた細面の顔に、真っ白なひげと眉毛がよく目立つ。総髪も白い。顔には年輪のごとく刻まれたたくさんのしわがあり、織部也正という男の人生を物語っていた。彼は、故椎野猛(たける)(静の祖父・涼の実父)の代から仕える古参の重臣で美里城の生き字引と呼ばれている。

「これで父は、相馬・丘越・水汀の三国を従え、山背を同盟国に持つ大名に成り上がったわけだな。」

 静が皮肉でも感嘆でもなく率直にそう言うと、

「お次は天下でも狙いますか?」

 三浦がまるで静の本心を試すかのように切り返してきた。

 対面の間に、明るい笑いがはじけた。静を含めた三浦以外の者全員が吹き出したのである。自分の国を守るだけで精一杯だった今までを思えば、全国統一など思いも寄らないことだった。

 だが、三浦は笑われたことが不服らしい。

「何がおかしゅうございますか。お館さままでそのように笑って、それがし心外でござる。」

 三浦の向かい側に座る竹脇が笑いをおさめ、軽く咳払いをした。

「確かに、若殿は戦上手でおられる。しかも駆け引きまでも巧妙だ。この若さでこのような見事な戦をなさるとは、大殿に勝るとも劣らぬお力です。この辺り一帯を少しずつ攻めて領地としていくことはできない話ではないでしょう。しかし」

 竹脇は四十近い子持ちだが、その性質は三浦や岩井に負けぬ血気盛んなものである。

 …この男、戦争が好きなのだな。気の毒に。戦場にしか己の居場所を見つけられない…

と、静に思わせるほどの戦上手で、ここ最近の涼・静親子の戦勝歴はこの男に負うところも大きい。

 それだけに視野が広かった。かつて放浪の旅に出たとき、あまた他国の戦の仕方を目の当たりにしてきたというだけに彼の武将を見る目は他の者と少し違っていたようである。

「しかし、なんでござる」

 三浦が噛みつくように詰め寄った。

「京が遠過ぎまする。それに、お言葉ではございますが、静様のように内政も外交もつつがなくこなし、なおかつ虎視眈々と全国を狙う武将は他にも見られまする。その中で我が殿が誰とも比較にならぬ程のお方とはまだ言えませぬ。」

 歯に絹着せぬあんまりな物言いに、主自身は怒るより呆れ、若い二人は脇差しを抜きかねない勢いで腰を浮かせた。

「貴様!御前でありながら何と無礼な!」

「控えよ、両名。」

「殿!しかし…」

「わしの言うことが聞けぬのか。」

 静は二人を穏やかに制して、自嘲するかのように唇の端を上げた。

「つまらぬ事よ。」

「ご無礼かとは存じましたが、殿の本心をうかがいたく思いきって申し上げました。」

 竹脇が平伏してそれだけを言上する。

 最年長の織部は終始沈黙を守っている。まるで若い領主の采配を検分しているかのようだ。

「…三浦、それから竹脇。身の回りの蠅さえ、身中に巣くう悪しき虫さえ退治し切れぬというのに、そのような遠大な話はわしには無縁のことじゃ。そちらがそのような野心のある主に付きたいと思うなれば構わぬ故ここを出て行け。」

「と、殿!」

 口調は優しいが厳しいことを言う若い主に二人は狼狽する。

「わしの望みは常々言うておることじゃ。生き残るため、領民を守るため、その為だけにわしは闘いもするし、謀略もめぐらす。領土を広げるのは更なる大きな敵に侮られてはならぬため。その為ならば喜んで降服もしよう、腹も切ろう。そう思うておる。…できればそこまではしたくないがのう。」

 四人全てに諭すように言い聞かせる。彼らが自分の幹部を構成する大切な家臣達だからこそ、自分の思いを知っていてもらわなければならない。

「それが不服なれば、出て行け。わしを己が野心への道具として使おうと思うておる家臣など信用できぬ。」

 穏やかで、優しい声。けれども決然とした強い意志を秘めた静の声であった。

 年若く少しばかり聡明なことをうまく利用しようなどということは、もってのほかだと言っているのだ。

 竹脇は満足そうに笑った。

 織部も白い眉をハの字にゆがめて笑っている。

 岩井と三浦は困ったように顔を見合わせて苦笑した。

「心ないことを申し上げました。お許し下され。」

 竹脇が再び頭を下げる。

 二人の若者もようやく引き下がった。

「よい。祥の婚礼の儀であったな。わしはこれに出席せねばならん。織部」

「は。」

「わしの留守中は城代として預かってくれ。」

「かしこまりました。」

「岩井。」

「はいっ」

「わしに先んじて美里城へ入り、わしが追って帰城することを母上と父上に伝えよ。後で祝いの品々を相談しよう。」

「かしこまってござる。」

「竹脇。」

「はい。」

「時環国(ときわのくに)には行ったことがあるか?」

 時環国は山背国の更に北東に位置する。領主畝傍山(うねびやま)城(通称・欅(けやき)城)主は、日達(ひたつ)・舞州(ぶしゅう)・濃州(こうしゅう)・東雲(しののめ)そして本国・時環の五国を治める大名であり、近在では最も中央に対し力を持った国と言われていた。

「はい、ございますが」

「ちと、調べて欲しいことがある。領主椚山(くぬぎやま)公に二、三歳の男子がおらるるかどうか。」

「は?」

「手紙にはもう一つ知らせがあってな。」

 若い主人は様々な意味に取れそうな笑いを再び口元に浮かべ、

「お照殿に女の子が産まれたそうじゃ。」

と、知らせて片目をつむって見せた。

 お照殿とは、父・涼の愛妾の一人で美里城下古参の老舗、薬種問屋の娘である。

「それは重ねておめでとうござるな。かしこまりました。」

 竹脇は静の言わんとすることを理解したのか、こちらもにやりと笑った。

「よいことが続きますなあ。」

「まことに」

「今までの大殿のご苦労がようやく報われたのであろう。」

 対面の間に明るい空気が流れ、静も今度はそれに乗るように声を立てて笑った。あまり大声で笑うわけにはいかぬが、さすがに嬉しさを隠しきれない。

「わしはお照殿とお会いしたことがない故、祝いの品も何を選んだものか皆目分からぬ。三浦、そなたお照殿の実家のものと懇意だったらしいな。」

「はい、薬種問屋東西屋の主人は私の家にも出入りがございますゆえ」

「お照殿はどのようなお方じゃ?」

「それがしが最後にお照様にお会いしたのは一年ほど前になりますが、とても温和しい優しげなお方でした。勿論、一目で目が離せなくなるような美しい容姿で…そうでござる、お照様は絵巻が大層お好きなのだそうで。」

「ほう。都の物がお好きか…」

「東西屋彦右衛門(とうざいやひこえもん)がよく嘆いておりましたな。大層金がかかると…」

「ふむ…ようわかった。そのことについては後でそなたと相談いたそう。日も暮れて参った。それぞれ下がって休むがよい。使者には今夜泊まってもらい、明日返書を持ち帰ってもらうとする。返書は今宵わしがしたためる故、明日の朝にまた、ここに集まってくれ。」

 一覧した使者の手紙を岩井から受け取ると、静はそれだけ言って立ち上がり四人の家臣に額ずかれて速やかに退室した。

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