第2話 幼馴染み♂は俺の嫁 その8

 家に帰って、ラフな部屋着に着替えたりなんだりしてからパソコンを起ち上げ、【ルインズエイジ】にログインすると、光はすでにログインしていた。


『あ、やっと来た。遅いじゃない』


 俺ことクラッシュがログインしたのは、前回ログアウトした地点――砂漠マップのただ中に存在するオアシスの畔だ。隣にはルミナが座っている。

 俺はチャット欄に返事を書き込んだ。


『俺が遅いんじゃなくて、そっちが早すぎるんだと思うぞ』

『そうかな? あ、でも、そうかも。だって早めに帰宅したのも、早くこっちに入りたかったからなんだもん』


 光ことルミナはそう発言して、照れたように頬を押さえる仕草をする。それが、さっきまで実際に顔を突き合わせていた相手だと思うと、俺の口からは乾いた笑いが出てきてしまう。


『……おまえ、帰り道でもテンション高かったけど、いまは三割増しでハイテンションだな』

『え、そうかな? って、そうかも。だって嬉しいんだもん』

『ああ、そりゃそうか。色々解決したわけだし、テンション上がってるのも、まあ当然だよな』

『うん、それもあるね』


 そう発言したルミナに、俺はちょっぴり違和感を感じた。


『その言い方……テンション上がってる一番の理由は他にある、みたいに見えるな』

『それはそうだよ。だって、もう不安がらずに全力でドキッとできるからね!』


 ルミナは発言すると、またも頬を押さえて嬉しげに照れ笑いする仕草をした。

 俺はといえば、ルミナの言葉にそこはかとなく不穏なものを感じている。


『ええと……不安というのは?』

『ルミナがいくらドキッとしても、リアルとは別物だって確信できたから、もう不安なしに遊べるぞってこと』


 そう言ったルミナは、今度は頬を押さえて照れる仕草に加えて、桃色ハートの視覚効果エフェクトを頭上に撒き散らす。


『……まあ、いいけどな。光が楽しそうならさ』


 俺がそう発言するなり、ルミナの頭上に青筋を立てるようなエフェクトが浮かび上がった。怒っているぞ、という感情表現だ。


『え、何か変なこと言ったか?』

『言ったよ!』

『ええ!?』

『光じゃなくて、ルミナだよ。ちゃんと言い直して』

『ええと……ルミナが楽しそうならいいけど、でOK?』

『はい、よろしい♥』


 光は――もといルミナは、またもハートの視覚効果を飛ばして微笑んだ。


 いや……まあ、うん。


 光がなのか、ルミナがなのかは分からないけれど、ともかく悩み事を吹っ切ったのは本当のようだ。うん、よかった。いいことだ。幼馴染みの友人として、じつに満足だ。

 ……で、いいんだよな? いや、いいことにしよう。道を踏み外そうとする幼馴染みの背中を押してしまったのかもしれない――と考えるのは止そう。道なんて結局、踏み締めたところにできるものなのだから。うん、そう考えよう。

 俺はパソコンの前で実際に頷きながら、チャットを打った。


『でも本当に良かったよ。これで俺は完璧にお役御免ってことだよな』


 光が立案した計画では、クラッシュはルミナと結婚した後、適当なタイミングを見つけてログインしなくなるフェードアウトする予定だった。そしてルミナは、


『旦那はいまリアル事情でログインできない状況なんです。でもゲーム外でも連絡を取っているしラブラブなので、告白とかはしないでくださいね♥』


 という男避けの大義名分を掲げて、一門のみんなとこれまで通りに仲良く遊び続けるのでした。めでたし、めでたし――となる手筈だった。

 ところが、ルミナの反応は俺の予想と違っていた。


『そのことなんだけど……それ、止めにしない?』

「え……」


 俺はパソコンの前で思わず呻いてから、チャットでも聞き返した。


『止めるって、なんでだ? まだ何か、俺にやらせることがあるのか?』

『そういうわけじゃなくて、さ』


 ルミナは歯切れ悪くチャットを途切れさせる。

 きっと長文を打ち込んでいるのだろうと思って、俺はルミナの発言を待った。

 何十秒か待ったところで、ルミナの頭上に長文のずらっと詰め込まれた吹き出しが表示された。


『フェードアウトしてもらったほうが、夫婦でペア行動を強制されたりしなくて気楽に遊び続けられるかなぁと考えていたんだよね。ほら、システム的にも夫婦ってことになると、いつでも二人セットで扱われちゃうのは想像に難くないでしょ。それは面倒だなと思って、クラッシュには途中退場してもらうつもりだったんだ』


 ルミナの発言は一回分の文字数では収まらず、さらに続いた。


『でも、考えが変わったんだよね。べつに、セット扱いされてもいいかなぁ問題ないかなぁ、むしろ歓迎かも……って。だからまあ、そういうわけで、クラッシュには今後も、うちの旦那として一緒に遊んでくれると嬉しいなあって』


 ふむ……つまり、どういうことだ?

 俺はチャットログを三回ほどじっくり読み直してから、ようやく返事を打ち込んだ。


『つまり、現状維持ってことか?』

『うん、そんな感じ』

『おまえとの夫婦プレイを続行しろ、と』

『勘違いしないでもらいたいんだけど、あくまでもルミナとの夫婦を、だからね!』

『それは今日すでにもう何度も聞いたから』

『なら、いいんだけど』


 ルミナはそこで口籠もるような間を置いて、言った。


『でも、面倒だったら、いいから』

『うん?』


 聞き返す俺に、ルミナはゆっくりと言う。


『要に頼んだのは偽装結婚するまでだったし、これ以上は時間をもらいすぎる。だから、無理強いはできないよ』


 その言葉に、俺はまた少し考えてしまった。

 考えてしまった理由は、ルミナが――光がまったくもって見当違いな思い込みをしていたからだ。


『おまえさ、根本的に勘違いしているようだから、確認の意味も込めて聞くが、』


 俺の発言に、ルミナは小首を傾げて疑問符を浮かべる仕草で応じる。それを見ながら、俺はクラッシュに続きを喋らせた。


『おまえは、俺がおまえに無理強いされて、嫌々でログインしているとでも思っていたのか?』


 ルミナの返事はないけれど、俺は構わずに続ける。


『とういか、いくらおまえの頼みだからって、なんで俺が嫌々ゲームしないといけないんだよ。俺はおまえに金をもらって、バイトでゲームしているわけじゃないんだぞ』


 ようやくルミナが発言する。


『じゃあ……楽しかったの?』

『むしろどうして、楽しんでいないと思った?』


 ルミナの頭上に浮かんだ吹き出しが消える前に、俺は吹き出しを重ねた。


『え、えっと、』


 ルミナは汗を飛ばして焦る仕草をする。いちいちキャラに仕草を取らせるあたり、じつはわりと余裕があるのかもしれない。


『でも、要にだって放課後の予定があったんじゃない?』

『あったら、断ってたよ』

『放課後に何も予定がないって、それはそれで寂しくない?』

『いいだろべつに! 放課後くらい好きにさせろってか、いま関係ないだろそれ!』

『うん、なんかごめん』

『謝らなくていいから!』


 いかん、このままだと話が脱線する!

 俺は急いでキーを打ち、チャットの方向を元に戻した。


『とにかく、俺は俺自身の意思でここにログインしているんだ。いまもそうだし、これまでもそうだ』


 俺の発言に、ルミナは首を縦に振って同意する仕草を取る。


『それに、おまえが俺に言いたいのは、これからは俺の自由にしてくれ、ってことだろ』


 今度もルミナは頷く。


『だったら、これからは俺の好きにさせてもらう。これまで好きにしていたのと同じように』


 ルミナは、今度は頷かなかった。発言もしなかったでも、俺は黙って返事を待つ。

 長すぎる沈黙の後、ルミナはようやく、耐えかねたように発言した。


『それ、やばいね』

『は?』


 その一文字をチャットで打ち込みながら、実際にも声に出してしまった。

 意味を計りかねている俺に、ルミナは怒濤の連続発言。


『いまの言葉は、クラッシュとして、ルミナに向けて言った言葉だよね』

『今日、ルミナと自分はちゃんと別物だって確認していてなかったら、変に勘違いしちゃうところだったよ。やばかった』

『でも、大丈夫。もう分かってるからね。いま、要の言葉にドキッとしちゃったのは、要がいまはクラッシュで、こっちがいまはルミナだからなんだよね』

『ルミナがクラッシュの言葉にドキッとするのは当然のことだから、むしろドキッとしたので正常なんだよね』

『あ、つまり全然やばくなかった。平常運転だったよ』


 矢継ぎ早に発言した後、ルミナはあははっと顎を上げて大笑いする仕草をした。


「……」


 俺はしばらく、チャットログを眺めて首を傾げる。


「……」


 右に傾げる。


「……ん?」


 左に傾げる。

 そして、


「……うん」


 パソコンの前でひとつ頷くと、俺はおもむろに発言を打ち込んだ。


『なんかもう、それでいいや』


 クラッシュがそう発言すると、ルミナは抱きついて頬にキスしてきた。頭上には大きなハートマークが浮かび上がって、花火のように弾け、いくつもの小さなハートマークになって、きらきら輝きながら消えていった。


『ありがとっ、要』

『じゃなくて、クラッシュ』

『大好きだよ、旦那さま♥』


 そしてまた抱きついて、ギュッとしてチューでハートがドーンッのエモーション。


 ……うん。

 まあ、うん。


 光がとっても楽しそうだし、色々言いたいことはぐっと呑み込み、考えるのも止めにしよう。

 なぜなら、そう――いまの俺は俺ではなく、クラッシュなのだから。

 だから、そう――こんなことを言っても、それはおかしいことではなく、むしろそれこそが平常運転なのだ。


『俺もだよ、ルミナ』

『えっ』

『大好きだよ、俺のお嫁さん』


 そう発言するためにエンターキーを押したとき、指が震えた。でも、ゲーム画面の中でクラッシュの頭上にその発言が表示されるのを見たとき、よく分からない高揚感がぞわわぁっと背筋を駆け上った。指の震えも収まっていた。


『クラッシュ……嬉しい!』


 ルミナが感激の声を上げて、また抱きついてキスしてきた。

 今度は俺のほうからも、同じ仕草を返す。


『これからもよろしくな、ルミナ』


 ルミナをぎゅっとハグして、頬にキスして、頭上にハートの花火を打ち上げた。


『ああ、やばい』


 ルミナが座ったまま、頭を振る。さらに頷き、困ったように小首を傾げる。感情表現コマンドをいくつも手当たり次第に実行しているのだ。

 俺は――クラッシュは、ルミナの肩を抱き寄せる。


『やばくないよ。普通なんだろ』

『そうだけど、やっぱやばいよ』

『どうやばいんだ?』

『ドキドキが止まらなすぎて頭ぐらぐらしてきた』

『あはは、大丈夫だよ。俺もだから』


 俺はそう言って、もう一度、ちゅっとする。


『うあ』


 ルミナが呻く。


『馬鹿ほんと止めよ。タイム休憩お願い!!』


 喚くようにチャットして、首をぶんぶん横に振るルミナ。そんな姿に、ぞくぞくしてくる。いつの間にか唇が半開きになっていて、喉がからからにくっついている。息苦しい。頭が熱い。ぼぉっとする。酸欠なのか? 耳元を走る血管の、血がどくどく流れていく音が聞こえる。

 熱っぽい思考に急かされるみたくして、俺の指はキーを叩く。


『照れてるルミナも可愛いよ』


 ルミナは答えず、頭上に湯気をぷんすか噴き上げるという怒りの仕草をする。でもそれは、ルミナがますます照れているからだ。手に取るように分かる。

 ルミナ、もう一回キスしようか――とチャット欄に打ち込んでいたとき、ルミナが急に発言した。


『あっ緊急連絡』


 その一言で、俺は素に戻された。戻されてしまった。


『え、なに?』


 画面の中のクラッシュは普段通りの様子で発言しているけれど、画面の手前の俺はといえば、首の後ろや脇の下に冷たい汗を掻いている。


(いま、すごい恥ずかしいこと言ってた。俺、すごい恥ずかしいこと言ってた。要を相手にすごい恥ずかしいこと言ってたああッ!!)


 心臓がバクバク早鐘を打ち、嫌な汗が背筋をべっとり流れる。

 そんなことを知るよしもない光は、心持ち早打ちのチャットで言ってきた。


『いま、ファミリーのマスターからWISが来て、昨日のことを謝りたいって』

『そうか……どうするんだ?』

『このまま一門のみんなと喧嘩別れしたいわけじゃないし、向こうが謝るというのなら、素直に受け入れるよ』

『そうか。うん、いいと思うよ』

『それで、そのときはクラッシュも一緒に来てほしいんだけど。なんか、みんながクラッシュにも謝りたいんだって』

『おう、分かった。付き合うよ』

『じゃあ、夜にまたーということで、いまはいったん落ちるね』


 ルミナは言うなり、手を振る仕草をして、すぅっと消えた。ログアウトしたのだ。

 呼び止める暇もなかった。

 ……正直、ほっとしている自分もいる。

 チャットログを遡ると、さっきのやり取りがまだばっちり確認できる。


「うっあ、あ、あ、ぁ」


 窓内に表示される文字列を見ているだけで、喉から奇妙な音が出てくる。声じゃなくて、音だ。


「うあぁ……なんだってまあ、俺はあんなことを言いまくったんだ……むしろ、言いまくれたんだ……!?」


 自分で自分が怖くなった。さっきの、怒濤の如く『好きだよ、可愛いよ』だとかチャットしていた自分を思い出すと、ぞっとする。腋の下が汗でぐっしょりになって、また変な音が口から漏れてきそうになる。


「――よし、ひとっ風呂だ」


 まだ夕焼けも沈みきっていないような時刻だったけれど、俺は【ルインズエイジ】をログアウトして、風呂場に直行した。



 早めの長風呂でさっぱりして、夕飯のカレーでまた汗を掻いて、また風呂に入って――すっかり気分一新リフレッシュした上で、俺は【ルインズエイジ】に再ログインした。

 ルミナと落ち合った後は、ルミナの移動スキルで一門の溜まり場であるホテル的な室内マップに出向き、そこでマスターを始めとした一門の面々から謝罪を受けた。


『昨日は君たちの気持ちも考えずに、勝手なことを言って盛り上がってしまった。あの後、これじゃあのストーカーと何も変わらないって気づいて、みんなで反省したんだ。本当にすまなかった! どうか許してください!』


 一同を代表したマスターからのそんな謝罪に、俺もルミナもかえって恐縮してしまうほどだった。

 元々、偽装結婚してまでこの一門に居残りたいと思っていたルミナはもちろん、一も二もなくその謝罪を受け入れた。俺もそれに倣った。

 個人チャットのほうでも、これまでさんざん誹謗中傷してくれやがった面々から一応ながら、


『ゴメンンサ、モウシマセン』


 の発言があったし、まあよしとした。

 俺だって男だし、グループの女子がいきなり知らない男とくっついた――なんて状況になったら、やっかみのひとつくらい言ってしまうかもしれない。その気持ちは分かるから、今後は静かになるというなら、まあいいさ。

 それから、マスターの提案を受けて、クラッシュもルミナと同じ一門に入った。それは、クラッシュがこれからも削除されずに存在し続けるということだった。

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