きみがすきだよ

ひなた にこ

1 きみはさようならといった

「ごめん・・・・・・別れよ」

私の聴覚を刺激していた多くの雑音がその言葉により一瞬にして消え去った。

付き合って今日で二年と一週間ほど。君の勤める会社が繁忙期に入り、私も大学の試験期間でなかなか会えなかったけれど、約一ヶ月ぶりに、私と君は、私が一人暮らしをしているアパートの最寄り駅構内にあるセルフサービススタイルのカフェで落ち合った。

右手に持つ、今夏の新作ドリンクの冷たさが手に突き刺さるような気がした。

「その・・・ほんとに、ごめん。」

私が何も言わないので、君は私の顔全体に目を向けてみたり、君の分のドリンクのストローを弄ってみたり、頑張って目を合わせてみようと試みたりした末に、小さな声で言った。

「ちょっと・・・・・・その・・・君とはもう付き合えなくて・・・。好きな人、が、できて、さ」

午後二時半頃のカフェは人口が徐々に増え始め、彼らの話し声やマシンの音などでとても煩かったはずだけれど、もはやそのような関係の無い音は私の耳には届かず、ただ君が言葉を放つたび、それらが脳みそに直接たたきつけられるように刻まれていく。

なにがごめんなのか。なぜそんなにも申し訳なさそうなのか。二年もの月日が流れたから?私と付き合っているのに好きな人ができたから?裏切りだと思ってるから?私がかわいそうだから?

「・・・なんか言って?」

私が好きな、君の困った顔が、瞳が、声が、私のこんなにもすぐそばにいる。

なぜカウンターを選んだんだろう。もちろん、隣り合ってより近く君と座ることができるからだ。一ヶ月ぶりの君の手に触れ、髪に触れ、君の服や髪から香る君のかおりを堪能できるからだ。でも、こんな展開があると分かっていたらちゃんと向かい合って座ることができる二人用の席を確保したのに。すぐ隣に人が来ないような、隅の方のテーブルを。そうすれば私はそこの一人がけソファの背に身を預けて息を吐き出して、君とも自分のこの気持ちとも距離をとることができたのに。

不思議と涙が出ることは無くて、悲しみで喉が塞がれたり瞳が潤まなかったりしたことはこの状況で唯一幸運と思えた。私は人前で泣くことが嫌いだ。特にこんな、恋人との別れ話といったようないかにもな場面で。

「大丈夫?みーちゃ」

「みーちゃんって呼ばないで」

思ったよりも強く大きな声が出る。君の隣に座る、ノートパソコンを開いて何やら電話をしているらしい男性が、ちらりとこちらを見た。

私は笑顔を浮かべることに全神経を集中させることにした。そうすればこの困惑したとりとめのない気持ちをごまかすことが出来るだろう。君は眉を寄せて、手からプラスチックカップを手放した。結露したカップから滴が一粒、カウンターテーブルの木目に流れ落ちる。

「あ、み、みゆ」

「わかったよ。君が別れて欲しいならそうする。ちゃんと、口で言ってくれてありがとうね。すきなひととうまくいくといいね」

噛まずに言えた。

「みーちゃ、美幸みゆき、ほんとにごめ」

「じゃあ、気をつけて帰ってね?」

左手首に嵌めた、君からの1年目のクリスマスプレゼントの時計を見る。茶色のベルトが擦り切れ始めている。

「そろそろ電車来ると思うよ?じゃ、さよなら」

声のトーンをいつもよりも少し上げて、爽やかさを出せるよう調節した。上手くできたと思う。私はスツールから降りると、膝に乗せていたリュックを背負い、手を振って、ドリンクを手に早足で店の外へと向かった。これ以上君の隣にいるのは無理だ。

ガラス張りの壁。視界の端に、スツールから腰を下ろしかけて私を目で追う君と、電話を終えた男性が君をちらちらと見ているのが映った。

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