第15話 花火

 それからは、度々三人で会ったよ。いつも夜だ。花火大会、楽しかったな。あの時が、一番よかったなあ……。

 補習教室が休みの日には、コバンくんの部屋に行ったんだ。レオが勉強をしている間、コバンくんはいつも読書に没頭しているんだよ。表紙にシミの付いた古い本ばかりを押し入れから出してくるのさ。それは、今の十代がとても読めそうにない、旧字体で書かれた文学作品だったり、哲学書だったり、時には医学書だったり……。

 全然喋らないのに、あんな晦渋かいじゅうな物を読めるのが不思議だった。きっと、彼女にとっては、その本が教科書だったんだ。

 そんな夏の日、花火を観たいと言ったのはレオだった。コバンくんが大勢人の集まる所に行けるのかが心配だったけど、意外にあっさりついて来たのは、レオのことをよほど信頼していたからだろう。俺はあいつらのために、わざわざバイトを休んで場所取りまでしたんだぜ。

 夕方になれば少しは涼しくなるだろうと思っていたのに、ちっともそんなことはなくて、とても暑い夜だったよ。相変わらずレオは、子供の頃と同じように、喉から胸にかけてを湿疹で赤く腫らしていたけれども、慣れているせいか気にもせず、コバンくんを連れて屋台を歩き回っていた。俺がひとりでレジャーシートに座り、留守番していたというのにな。

 昔の同級生が何人か目の前を通り過ぎて行ったけど、うわべだけの友達なんてのは、年月が経てば、初めから知らなかったように振る舞うものなんだな。顔も名前も憶えているくせに、もう、にっこり笑う義理なんてありゃあしないんだから。例えばパソコン画面から、顔も性別も判らないくせに、ずけずけと君の縄張りに踏み込んでくる奴らと変わりはしないんだぜ。

 レオは、屋台の焼きそばやトウモロコシをきちんと三人分買って戻ってきたよ。コバンくんが、俺の前ではくちを開かないのを知っているくせに。でも多分、家に帰ってから、ふたり仲良く喋りながら、それをつついたんだろう。

 ようやく少し涼しくなった頃、腹も肥って気持ちよくなったのか、レオは俺に寄り掛かって居眠りを始めたんだ。じきに花火が揚がるからと、コバンくんの方に肩で押したら、今度はコバンくんが俺の方に押し返してきた。そのうち、花火が大きな音で揚がり、観客が歓声を上げるようになっても、レオは起きなかったよ。右に左にと、俺とコバンくんに揺さぶられているのに。

 そんな中でもコバンくんの表情はよく見えたんだ。大きくくちを開けるのを我慢するように、肩を揺らし、笑っているコバンくんが……。

 思い返すほど遠い昔ではないはずなのに、なぜだか俺は、あの頃の俺たちが愛おしいんだ。……楽しかったのは、あれっきりだから。

 花火大会の夜から二週間ほど経って、レオから俺のケータイに連絡が入った。電話に出たけれど聞こえるのは、遠くで喚くレオと、コバンくんのすすり泣く声だった。

 それでコバンくんの家に駆けつけたら、いつものように黒い猫が寝そべる廊下から、開け放した襖の奥が見えた。あの子が、コバンくんが……ベッドの上でタオルケットにくるまっていたんだ。レオは……部屋の隅で、子供のように膝を抱えて大声で泣いていた。

 誰も知らなかったんだ。俺とレオ以外、誰も知らなかったんだよ。あの子のお腹に赤ん坊がいることを……。だけど、偶然母親に知られたコバンくんは、どこにあるのか……町から離れた医者まで連れて行かれて……。

 あのままお腹が大きくなっていったら、どうするつもりだったんだろう。あの子にはあの子の考えがあったのだろうけど……。こっそり産んで育てられるとでも思っていたんだろうか。君だって、テレビのニュースで時々観るだろう? スーパーのトイレに産み落とされた、へその緒がついたままの赤ん坊や、駅のコインロッカーに捨てられた子供の話。

 捨てたり虐待するくらいなら堕胎する方がいいんだと言う、コバンくんのお母さんの気持ちだって解るんだよ。何が正解かと問われれば、正解なんか無いと答えるしかない。やり直そうと思えば出来ないこともないだろう。

 レオを宥めるのは大変だったよ。まるで玩具おもちゃを奪われた幼児のように感情のまま泣き叫ぶレオに、何をしても購うことなどできないと、あの子だって判っていたんだ。勿論レオだって、ままごとみたいな妄想に暮らしていても駄目なことが、ここまできてやっと解ったんだよ。

 コバンくんは心も体も酷く傷付いていたはずだから、それを知ったうえで、レオは俺を標的にするんだ。肩を抱き、頭を撫でて慰める俺に向かって、怒りなのか哀しみなのか本人にも理解できない感情が、許容量を超えて暴力に変化するんだ。成長に伴って容量は増えたのだろうけど、起こってしまった事を受け入れるまで、暴れたいだけ暴れるのは、子供の頃のレオと同じだった。

 ふたりで寄り添って生きていた 、レオとコバンくんを見守ることしかできなかった俺は、それぞれが泣き寝入りした明け方に部屋を出た。

 来た時に廊下で寝そべっていた老猫が、帰りにも同じ姿でいたのが不思議だったから撫でてみたら、冷たくなっていたよ。いつ、息を引き取ったのか……。まるで赤ん坊のお供のように死んでしまったから、グレープフルーツの樹の根元に埋めたんだ。真夏だというのに、小雨が降っていて濡れた服が冷たかったけど、石を使って浅い穴を掘ったんだ。

 そんな事があっても、ふたりは離れられないんだね。だけど、顔を合わせれば嫌な事だって思い出すんだ、きっと……。レオはずっと以前から医者に処方された薬を服用していたけれど、効かなくなったようで、体調の悪い日が増えた。

 もともと、薬を飲めば昂った気持ちが鎮まる代わりに倦怠感に襲われるようだったけど、回復には向かっていたはずなんだ。薬に頼らなくても気持ちがコントロールできようになっていたのに、こんな事になるなんて……。なかなか上手くいかないものだよな。

 だから俺は、お互いが少し距離を置いて、頭を冷やすことだって必要だと思ったんだよ──────

 

 

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