第11話 「いっけねえ」

 君は、学校の友達のことを考えたりはしなかった? 君だって、ある日を境に学校に行くことをやめたんだろう? それは、なぜ?

 君は十歳になった頃、君の妹が小学校に入学してくるのを指折り数えて待っていたんだね。毎朝手を繋いで通学できることを夢に見ていたのに……あの可愛い笑顔をみんなに自慢できると思っていたのに……学校から帰ると、妹もお母さんも消えていたんだね。君が学校に行っている間に何が起こったのか、未だに事実を聞かされていないんだね。君のお父さんは、きっと、「大人の事情」で片付けたんだろうね。

 君は大人のやることが、ちっとも解らなかっただろうね。だけど、子供だって、けっこう残酷だったりするんだよ。

 レオは目立つ子供だったから、それでも、ふと話題になったことはあったよ。でもね、俺さあ、コバンくんがいなくなったことには、長い間気づかなかったんだ。

 なあ、酷いと思うだろ? いつ、いなくなったのか、まったく憶えていないんだ。確か……三年生までは同じクラスだったはずだけど……その後の記憶がない。小学校を卒業する頃には、すっかり顔まで忘れてしまったよ。元々、喋っているところを見たこともなかったからね。憶えていたのは名前だけだった……。

 俺は、レオのこともコバンくんのことも……手の傷のことも、他人ひとに訊かれさえしなければ、思い出したりはしなかった。

 それなのに、何だか大事な用を思い出したような、「いっけねえ」という気持ちになったのは、進学した中学校の入学式の時だった。だって、壁に張り出されたクラスを確認していたら、コバンくんとレオの名前があったんだものな。それも、同じクラスにさ。レオは、久しぶりに見た名前だ、って思ったし、コバンくんについては、正直なところ……いなかったことに、やっと気づいた瞬間だった。入学式で、ふたりを見ることはなかったけれど。

 君は、いつが卒業式だったのか、いつが入学式だったのか、何も知らされなかったと言うけれど、たぶん先生が家に来て、「仲間と一緒に卒業しよう」と言ったと思うよ。君のお父さんが何も知らせなかったのは、きっと、ここで鍵盤に身を委ねる君の全部を知っていて、それでも君を失うのが怖かったからだろう。だから、君の席も、ちゃんと用意されていただろう。俺と同じ教室にレオとコバンくんの席があったようにね。ふたりと一緒に授業を受けたことは一度もなかったけれど……。

 レオに再会できたのは、入学して一年くらい経ってからだと思う。

 その日、日直だった俺は、半分だけ電気の消えた廊下を走って、職員室の扉を開けようとしていたんだ。もうすっかり陽が落ちて中庭が暗かったから、先生が帰ってしまわないかと焦っていたのかもしれない。

 俺が扉に手を掛けたと同時に、すぐ隣りの部屋から人が出て来たんだ。俺は、学ランもジャージも着ていないと眼が合った途端に、「あっ」と叫んじまった。そいつの方は、案外冷静に、「よお」なんてね……ふふ……レオとの再会は、そんな感じだったのさ。

 職員室の隣はね、集団生活の苦手な生徒のための教室だった。レオは毎日登校しているわけじゃなくて、気が向いた時にぶらっと寄って行くだけだったから、そうそう会えるわけじゃなかった。偶々、帰宅時間が遅くなったり、ちょっとぐずぐずしていたりすると、ひょっこり顔を合わせるくらいだ。簡単に挨拶して終わりだ。

 ああ、だけど、昔より穏やかになっていたかなあ。俺が言うのもなんだけど……。

 はあ、暑い。ジャケットを脱いだのに、まだ、暑い。何だい? ああ、これか。スウェットシャツの袖をたくし上げたら、見えてしまったんだね。この左腕の、内側についた傷のことだね。そんなに目立つかい? 大きくて細い月の形をした傷が、君には怪しげに見えたんだね。大したことは無い。これは、ちょっとした事故でついた傷なんだ。どうか、気にしないでくれ。

 学校では、レオの顔はちょいちょい見ることはあったけど、コバンくんには一度も会わなかったな。三年間、一度もだよ。

 中学校の卒業式には、ふたりとも来なかった。来るわけない、と思っちゃいたけどね。

 俺は、あまり深くは考えず、あたりまえにそうするものだと思って、偏差値だけを見て高校に進んだ。目標を見据えていた奴も、少ないながらに居たことは居たけれど、無理やり将来のことを考えても、やりたいことがわからなくてね。五年先、十年先の自分が想像できなかったのさ。

 だけど、あの頃、想像できなかった未来に、確実に近づいているんだよな。本当に、今の自分は、想像していなかった。

 君も、そうなんだろう? でもね、選んだのは自分なんだぜ。

 周りのみんながそうするから、俺もそうやって無難に高校生活を送るわけよ。クローゼットの中にしまってある傷だらけのランドセルを見た時くらいしか、もう、レオのことは思い出さなくなっていた。

 受験勉強に明け暮れて、希望の大学にようやっと合格して、バイトも始めて友人にも恵まれて。俺って奴は、平凡だけど、なんて幸福なんだろうって思っていたのさ。親の庇護を受けて、一番いい時を過ごしていたんだ。もちろん、今だって……ね。

 あちこちに傷を残している俺が、幸福だ、と言うのがおかしいかい? 平気さ。体の傷なんか、いつかは癒える。

 君だって、自分が甘え放題なのも、このままでは良くないことも、ちゃんと知っているんだろう。解っているよ。別に、君に説教なんかしやしないさ。

 鼻を鳴らして、レオが寝返りを打ったな。やっぱり暑いんだろう。腰に巻きついたダウンケット、取ってしまおうかな。ちょっと、埃をはたかせてくれ。

 その程度の仲で、俺とレオがふたりだけで旅しているのが不思議なんだね。君には、俺が連れ回しているペットに見えるんだろう? ははは……いいよ、いいよ、別に。

 新品のランドセルと、拳に残る傷の、あるいは濡れ衣を着せられた恨みが、飼育という形で折り合いをつけようとしているとでも思ったかい? そんな昔の事なんて、もう、どうでもいい。

 一緒に旅をするのに理由が必要なの?

 それじゃあ、俺たちが仲良くなった頃の話を聞かせようか。 

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