中学デビュー

 祭り好きという言葉を聞くたびに、疑問に思う。

 祭り嫌いなんているのか? と。

 それに係わる要因を含めてではない。準備が面倒だからとか、人が多いからだとか、そういうのは抜きにしていただきたい。

 純粋に祭りというイベントそのものが嫌いだという人がいるのならば、見てみたいものだ。

 何もバカにしているわけじゃない。

 自分の中ではあり得ないことなので、単純にそんな感覚が存在するのかと興味津々なだけだ。


 私は祭りが好きだ。

 この単語を聞くだけでもワクワクしてくる。

 北海道に在住している私だが、札幌には代表する祭りが二つある。

 「雪まつり」と「YOSAKOIソーラン祭り」だ。どちらも動員数が200万人ほどの、日本の中でも有数の祭りとなっている。

 しかしこの祭り、はしゃぐのは参加者と観光客ばかりで、地元民はあまり関心がない。もちろん中にはきちんと祭りに携わり、満喫している者もいる。

 私は大人になり、自分の主張だけを押し付けてはいけないことを知った。自分の判断よりも、世間の判断を優先することにした。そうすると、間違いがないからだ。

 多数決によりと、地元民は祭りによって起こる混雑や騒ぎに迷惑しなければいけないらしい。だから私は祭りには行かない。

 一人でこっそりとテレビで楽しんでいる。すぐそこでやっているにもかかわらず、ムズムズする心の高鳴りを抑え、「うるさいなぁ」と言うようにしている。



 中学。私は親の転勤でド田舎から田舎へとランクアップした。具体的に言うと、町民から市民に進化した。

 後に書くつもりだが、小学校で手痛い失敗をしてきた私にとって、これは転機だった。卒業する時も、私は微塵も泣かなかった。共に過ごした級友たちと別れることを知っていても、悲しいという感情すら起こらなかった。


 知らない町。知らない人たち。

 私が知らないように、誰も私を知らない。

 じっと大人しくしていた。とにかく人の言うことを聞いて、にこにこしていればよいと思っていた。

 少しずつ新しい環境にも慣れ、友達も出来た。

 いける。これなら、やり直せる。


 ある日、体育でドッジボールをするという授業があった。

 中学の体育に必須の競技ではないように思う。多分、オリエンテーリングの一環なのだろう。

 ボールを持った瞬間、私は豹変した。

 誰もが甲高い声をあげながら逃げ惑う中、私だけが野太い声で叫びながらガチでボールをぶち当てていた。

 血が沸き立つという感覚は、このことを言うのだろう。自制がきかない。

 気づけば狂ったように笑いながら、体育を終えていた。

 着替えを済ませて教室に戻る間、友人は顔を引きつらせながら「なんか印象と違うね」と言った。

 後に一人の男子が私に言った。

「入学してすぐのお前のことが好きだった」

 生まれて初めての告白は、既に過去のものだった。

 私の中学デビューは失敗に終わった。


 祭りというものは、本性が露呈する危険なものだ。

 私は祭りが好きだ。

 だからこそ、本気で祭りを楽しまない。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る