40.わたしのなかの優しいあなた

 ひとりぼっちの屋根の下、まるで孤独が世界を押しつぶすみたいに、雪は延々と降り積もる。


 僕はこの凍てついた街にたった一人残された人類。


 きっとこのまま誰にも会わず、ひっそりと絶望しながら土に還るのだと思っていた。


 あの日、サヤと出会うまでは。




 世界が変わり始めたのは僕がまだ十代の頃。


 どんどん下がり出す地球の気温。それが地球がふたたび氷河期に入る予兆だったなんて、その頃の僕は知らなかった。


 おまけに街じゃ奇妙な病気までもが流行り始めていて、地球が滅びるんじゃないかと、みんな噂してた。


 人々は恐怖にかられた。自暴自棄になって犯罪を犯す者まで現れた。


 そして、パニックに陥ったのは僕も例外ではなくて――


 死んだ親父が残してくれた遺産で、僕は街じゅうの食料品を買い占めるとシェルターの中にこもり、当時まだ珍しかった冷凍睡眠コールドスリープ装置のスイッチを入れた。


 目覚めるのは五十年後。五十年もたてば寒冷化も収まり、謎の病気の治療法も分かって、街は蘇ってるんじゃないかと、淡い期待を抱いて。


 だけど冷凍睡眠から目覚めて外に出ると、現実は全く逆で、地球はさらに寒冷化が進み、賑やかだった街は雪と氷に覆われていた。


 目覚めたばかりの体で、吹雪の中、白銀世界を歩き回る。




「これは......」


 変わり果てた街に言葉にならない。




 雪に埋もれた住宅。



 氷のオブジェと化したデパートや図書館。



 見渡す限り真っ白な大通り。



 吹きすさぶ雪屑の嵐。凍てつく世界。





 そこには人っ子一人いなかった。




 街は滅んだのか、病気で街の人たちは皆死んだのか。それとも、もっと南の地域へ移住でもしたのだろうか。


 何にせよ分かったのは、今の僕は一人ぼっちだということだった。


 それでも僕は、他に人がいないか雪に埋まった町中を探し回った。


 何日も何日も誰もいない冷たい街をさまよい歩いた。


 息を切らし、霜焼けになりかけても、それでも。


 そしてようやく、僕はサヤを見つけた。


 教会のすぐ側で、眩いステンドグラスの光を浴びながら、サヤは白雪姫のように眠っていた。




「人間だ!」


 ようやく人間に会えたのだと、僕の心は踊った。必死で雪をかき分ける。


 だけど彼女の体にかかっていた雪を払いよく見てみると、それは十七歳か十八歳ぐらいの女の子の外見をしたアンドロイドだった。


 人間ではないことに多少落胆したものの、誰もいないよりはましだと、僕は早速自分の家に持ち帰ると電源を入れてみた。


 白い可憐な花が開くように、アンドロイドの少女は大きな瞳をゆっくりと開ける。


「君のご主人様はどこだい?」


 僕は聞いてみた。


「ご主人様?」


 サヤは首をかしげる。

 サラリと滑らかな黒髪が音を立てた。


 僕は質問を変えた。


「君は誰?」


「私はサヤ」


「君は誰と暮らしていたの?」


「お爺ちゃんと婆ちゃんよ。お父さんとお母さんは私が小さいころに亡くなって、私はお爺ちゃんお婆ちゃんの元で育てられたの」


 そこまで話すと、サヤは急に不安げな表情になる


「ねえ、二人は――二人はどこ?」


 サヤの言動から察するに、どうやらサヤは自分のことをロボットではなく人間だと思っているようだ。


 もしかすると孤独な老夫婦が寂しさを紛らわすため、そういう設定にしたのかもしれない。


「そうか。じゃあ、お爺ちゃんお婆ちゃんが見つかるまで一緒に暮らそうか」


 サヤは頷いた。


 そんなわけで僕はこの奇妙な少女ロボット・サヤと一緒に暮らすことになったのだった。









「ねぇねぇ、今日は外で小さな雪ウサギを見つけたんだ。こんな世界でも、まだ生き物は生きているんだね!」


 サヤがとびっきりの笑顔で報告してくれる。


「そうなんだ。生き物がいるって思うと、何だか心強いね」


 僕もつられて笑う。ここしばらく忘れていた表情だ。


 サヤはロボット。でも、返事がある。会話ができる。それだけで僕の小さな心は、ふわふわとした温かいもので満たされた。


「捕まえようと思ったんだけど、逃げられちゃった。捕まえたら、もしかして久しぶりに新鮮な肉が食べられたかもしれないのに」


「それは残念だね。でも、可哀想だし、まだ備蓄食料はあるから大丈夫。落ち込まないで」


「うん、ありがと」





 優しくて純真なサヤに、いつしか僕は心を許すようになっていた。


 サヤと話し、サヤと過ごすことが僕の日課になっていた。サヤがロボットだなって忘れるくらい、サヤは僕の生きる理由になっていた。





「そう言えば、僕、花を摘んできたんだ。白い花が、雪の下に咲いていたんだ」


 僕は倒壊した建物の下で偶然見つけた小さな白い花をサヤに渡した。


「……これを、私に?」


 サヤは白い花を受け取ると、天使のような笑顔ではにかんだ。


「ありがとう!」


 しかしサヤはロボットで不死身なのに対し、僕は寿命のある人間だ。食料だって、いつ底を尽きるか分かったものじゃない。


 ある朝、僕は決心すると、雪の下で見つけた小さな白い花を根っこから摘み取った。


 植物図鑑を開く。


 雪の下から掘り起こした図書館で見つけたこの本によると、花の名はユキノシタ。


 その名の通り寒さに強く雪や氷の下に生える花だという。


 茎を地面に置いて土をかぶせておくと根が生え、増えるらしい。


 僕は増やしたユキノシタを植木鉢に入れ、部屋に置いた。


 それから生き残ったわずかな生き物、うさぎやネズミなんかを捕まえると、シェルターの中で飼い始めた。


 もし僕が死んでも、世話をする生き物がいればサヤも寂しくはないだろう。そんなことを考えながら、僕は眠りにつく。


 ふたりが暮らす屋根の下、雪はしんしんと降り積もった。


 それにしても、今日はやけに冷えるな。

 もしかして、僕の命もここまでかもしれない。


 そんなことを考えながら――









 だけれども、朝目覚めると僕は生きていて、代わりにサヤが、ガラスの棺に収まったお姫様みたいに、ピクリとも動かなくなっていた。


「......どうして」


 話しかけても返事はない。揺り動かしても反応がない。


 背筋が凍りつく。


 昨日まで暖かかった人工皮膚はじんと冷えて、まるでただのマネキンのようだ。


「どうして、どうしてだよサヤ」


 死ぬのは、僕の方が先だと思っていた。

 機械だから、サヤは永遠に生き続けるんだと思っていた。そう思っていたのに。一体どうして。


 懸命にサヤを直そうとした。だけど僕にはロボットの知識は無いし、何度起動スイッチを押しても駄目で――



 ――カサリ。



 僕の手が何かの紙に触れた。

 震える手で紙を拾い上げる。


 封筒だ。枕元に、サヤからの手紙が置かれていたのだ。


 僕はゆっくりと封筒を開き、手紙を読み始めた。






 拝啓 マスター


 私を氷の中から掘り起こしてくださりありがとうございます。


 あの時は前のご主人様たちの消息も分からず、私は自分の素性を聞かれたとき、いつもご主人様たちから聞かされていたように、ミヤザワ夫婦の孫娘であると答えました。


 あなたは、そんな私を見て「このロボットは自分を人間だと思っている」「このロボットには感情がある」と思ったようでしたが、実際には私は自分を機械であると知っていますし、感情なんてものはありません。


 それでも人間のふりをし続けたのは、私の中に「側にいる人間の安全を守る」というプログラムがなされていたからです。


 このような閉鎖的な状況下で、人間にとって一番危険なのは精神を病んでしまうことです。


 無機質な機械と一緒にいると思うよりは人間と一緒に過ごしていると思ったほうが気が楽になる、そう思った私は「自分を人間だと思い込んでいる哀れなロボット」のふりを続けました。


 あなたは、私が自分のことを人間だと思っているから、体は機械でも私は人間なのだと考えているようでした。


 私にとっては謎の理論ですが、そうすることで精神安定が保たれるのであればと、私は人間のふりを続けました。


 さて、本題に入りますが、近頃私には心配事があります。それは私の体のことです。


 ずっと雪の中に埋まっていた私の体は、人工皮膚に覆われた外側からは分からないかも知れませんが、内側はかなり劣化が進んでいます。


 あなたは機械の私の命が永遠だと思っているかも知れませんが機械は人間よりもずっと脆いのです。


 このままではいつ止まってしまってもおかしくありません。


 そこでその日に備えて、私は準備をすることに決めました。


 まずは食料です。あなたが見つけたユキノシタを増やし、品種改良をして食用にできないか今実験をしています。


 見つけたウサギやネズミの住処にも行ってみて、そこに動物たちの食料となっている過酷な環境でも生育できるコケも見つけました。これも品種改良できるかもしれません。


 ウサギやネズミも繁殖させ、増やして食用にできないか模索しているところです。


 あなたは可哀そうだとおっしゃるかもしれませんが、彼らは立派な蛋白源です。


 食料が尽きたとき、彼らはきっと役に立つことでしょう。試しに一匹捕まえて料理を作ってみましたので、ここにレシピも記しておきます。私が居なくなってもあなた一人で料理を作れるか、少し心配ですが。


 最後に。私が居なくなっても決して悲しがらないでください。私はただの機械です。洗濯機や掃除機でも壊れたと思ってくださればいいのです。


 あなたは私のことを優しくて純真だとおっしゃってくださいましたが、それは間違いです。私はただプログラムされた通りに動き、ふるまっているだけなのです。


 あなたは以前言いました。自分は自分が生き残るためだけにシェルターにこもり、冷凍睡眠によって他の人たちを見捨てて逃げ出したと。


 しかし私にしてみれば、あなたのとった行動は理にかなっており、自分の身を守るためにした当然の行為です。


 例えあなたが何をしたところで、この街の状況は変わらなかったと断言できます。


 私に言わせれば、優しいのはあなたのほうなのです。


 あなたが私のことを優しいと思うのは、あなた自身が優しいからです。あなたは自分自身の優しい心を私に映しているのです。


 だから、もし私が壊れて動かなくなっても、決して悲しまないでください。あなたが思う優しくて純真な少女は、あなた自身の心の中にいます。


 もし私が壊れても、悲しまないでください。私はただの機械です。私のことはすぐにでも忘れてください。


 大丈夫、人間はあなたが思うよりもずっと強いから。


 そしてあなたは自分の中の優しいあなたを大事にし、どうか長生きしてください。いつまでも長生きしてください。それが私の願いです。


 世界で一番幸せな機械、サヤより。






 僕はサヤの手を握る。


 大丈夫だよ、サヤ。安心して。

 僕は悲しまない。

 きみのために悲しまないから、心配しないで欲しい。だから――


 僕は、僕の中の優しくて純真な少女のために思い切り泣いた。

 




【終】

 

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