第4話 中国武術というものについて(1)

 「武術関係者のオタク率の高さについて」とか「入門後の人間関係」とかを順序立てて書こうと思ったが、所詮趣味の文章なので思いつくままに書いてみることにしました。

 書いていく内容は個人的に取捨していった上での情報なので、ある程度のバイアスがかかったものとして話半分以下として読んでいただきたい。

 で、それはそれとして中国武術関連資料以外に中国の歴史や体制や、役人と宦官の腐敗と汚職や、秘密結社の歴史などを調べたり、武侠小説(カンフー小説?みたいなもの。日本でもいくつか翻訳されている)を読んでみると面白いよ。



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 さて――――


 まず、中国には「文武両道」という感覚がない。



 文と武の重要度でいうと、圧倒的に文が上で武は下である。

 もっと実も蓋も無いことをいってみると、代々一族で家伝の武術を伝えているという人以外で、武術を自発的に行なうような人は、はっきりいってヤクザやゴロツキやロクデナシ、乱暴者のたぐいと思われていた。

 逆に額に汗せず、肉体を使わず、馬鹿な民衆を支配し、適度に賄賂(賄賂のことを「人情」と称する)を受け取り、かつ汚職で告発されない程度に民衆から搾り取り、教養があって学問ができる、というのは中国では理想の人間であり生き方なのだ。

 日本のように武装勢力である武士が途中から政権をとって運営していた社会とは、前提が全く違うので注意が必要である。


 武術から少し離れた話になるが、中国における軍というものに少しだけ触れる。

 戦時中もそうだが、中国における平和な時の軍隊というのは、農業や商業からはぐれた、腕っ節だけの乱暴者を食わせるために存在していた。

 なんでそんな危ない奴らを軍隊に入れるかというと、こいつらを放置しておくと盗賊やら山賊になって、一般人を襲い始めちゃうのである。

 あるいはヤクザになって、集団になって、役人にも楯突いちゃったりするようになるのである。

 それぐらいだったらある程度の金と食い物を与え、お上がコントロールできて行使できるようにしておいた方がいいということなのか、軍に組み込む。


 各王朝の初期は大体の場合、軍事勢力が前王朝を直接に打倒、あるいは前王朝を滅ぼした勢力を打倒して自分が新しい皇帝となる。

 それだけを理由にはできないだろうが、新王朝になってしばらくすると、かつて仲間だった軍人達がいつ自分や自分の一族を滅ぼさないかと皇帝はおちおち安心して寝られなくなってしまう。

 そこで、軍人の中で功績のあった将軍連中は貴族にして軍との関係をぶったぎり、大半の軍人はある程度の金品を与えた後でばらばらに分割するなどし、あるいは適度に処刑し、文官の下に組み込んで自分達の天下の安定のために弱める。

 非常の時のほかは武をいやしめておかないと、俺達にも天下がとれちゃう、と思われかねないのである。


 外敵を退けた優秀な将軍が、戦争の後にしばしば無実の罪をきせられて処刑されるのもこの理由によるもので、いくさに勝てば勝つほど将軍と部下の直接の絆が強くなるが、皇帝の下で皇帝以上に軍に影響力を持つ人間がいると都合が悪いのである。

 なんか戦わせられてばっかりだけど、ほうびが少ねえ、よーし、俺達の大将に天下を獲らせてみんなで幸せになろうぜ! と盛り上がっちゃって大反乱、という事件は歴史上何度も起こっており、彼らの恐怖も決してただのいいがかりではない。

 体制にとって、軍隊というのはいいように命令を聞いてさえいれば都合がよく、レベルの高い軍人が存在されると、逆に困るのである。

 あくまで、ごろつきに毛が生えた程度にとどまるのを、最初から期待されている。 


 そんなレベルの連中なので、例えばどこかで盗賊団が現れて村を襲った、ということになるとまともに働かない。

 盗賊はまたしばらくしたらやってくるつもりなのでむやみやたらに殺したりしないが、討伐隊は村にやってくると、適当な村の人間を盗賊に仕立て上げて首を斬って「盗賊の首謀者を処刑した」などと大いばりで帰って恩賞にあずかったりするのだ。

 そんな馬鹿な話は無いと思うかもしれないが、地方の役所は「盗賊が出た」ということになると中央の政府から怒られたり、長官の首がとんだりするので、それが一番丸く収まることになってしまうのである。

 役所も軍隊も盗賊も困らず、ただ記録も残せず力も無い一般人民だけが世に知られずひどい目にあう。


 ちなみになぜこんな事が後世の研究者によって知られたかというと、上記のようなちょっとした盗賊団が後に地方の大反乱に発展したり、大反乱の上に中央の皇帝が倒れちゃったりして、正式な記録が残ってしまうケースがあるからである。

 また、清朝以降は、実際に中国に外国人(明治維新後の日本人含む)が入って、見聞きした記録がある。 



 さて、以上の話を読んだうえで。



 お上の軍隊が信用できないのでどうするかというと、村々で自衛のために武術を練習し、盗賊に備えるようになった。

 一族に伝わる武術というものが伝わるのはこういった理由による。

 村単位をこえる軍隊(例えば北方から略奪と侵略を兼ねてやってくる異民族の軍隊など)に対しては、地域一帯での武術結社を結成して追い返しちゃったりする。

 有名な少林寺の武術も自衛や抵抗のために寺の僧兵達が伝えていたものが最初と思われる。

(中国では、時々思い出したように道教やら神仙道やらにのめりこんで、仏像をぶっ壊したり、各地の寺が持っている土地を取り上げたりする皇帝が出現する)


 また、別方面の理由として、水争いや土地争い、一族の誰かが隣村で喧嘩にまきこまれて大怪我したり死んだりした時などに、村と村で戦争状態になる場合があり、これを械闘というが、そのような場合にも武術は大活躍する。


 ちなみに太極拳の源流とされる陳氏太極拳は陳氏拳だとか陳氏の砲捶だとか言われていた、特定の一族の武術だった。


 この「陳さんとこの武術」が「太極拳」になっちゃうまでの間には、隣村に伝わったのが発展して今の形の源流になったとか、金持ちで教養があるが武術大好きな変わり者の兄弟がただの武術では馬鹿にされるから名前を「太極拳」(大宇宙根本拳法とでも名乗ったと思いねえ)にしたとか、ついでに開祖が陳さんの一族だと外聞が悪いので張三豊とかいう伝説上の仙人ということにしましたとか、北京に出て有名になった後のスタイルが逆に元の陳さんとこの武術に影響を与えたとか、だから陳氏拳は太極拳じゃねえと言い放った人間が出てきたとか、だったらどこからが太極拳なのかとか、太極拳は諸説入り乱れて凄いことになっているので、興味のある人は自分で調べてみよう。




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 械闘については国語辞典などで「革命前の中国で起きていた」などと説明されているものも見かけるが、おそろしいことに現代でも起きていて、たまにニュースになっている。

 しかもどういうわけか、どこかから横流しされた銃器が持ち出されたり手製の大砲をぶっ放したりするケースもあるらしく、今でもかなりシャレにならないレベルのものが発生している。

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