第4話 可能性の扉は開かれた!(裏社会)

「――――いやあ、全く済まなんだ! また来てくれや。ほれ、飴ちゃん用意しとくからの」


「ああ……少なくとも人志さんが復帰するまでは絶対来ないと思うよ……とりあえず、髪をカットしてくれたことはありがとう。それじゃ……」


――――僕は、何とか一命をとりとめた。


 今は嘘のように穏やかな顔をした目の前の老人が、突然発狂して殺しにかかって来るという異常事態を必死に収めた。


 昼間っから生命の遣り取りを経て、僕は酷い虚脱感に襲われている。床屋のオマケで貰える飴ちゃんなんかで、この疲労は癒せない。


 髪は何とか正気を取り戻した爺さんに改めてスポーツ刈りにしてもらった。


 ただ、正気を取り戻すまでは狂乱のおきなに刃物を振り回され、僕の顔面には無数の切り傷痕が残った。眉毛も薄くなっただけでなく片方が半分だけ剃り落とされている。アイドルへのいじめか何かかよ。髪も今後は面倒でもバリカンで自らスポーツ刈りにしよう。


 外科手術などに使われる軟膏があったのでそれを全ての傷痕に塗ったが、血が赤くにじみ、ズキズキと熱を持って痛む……。


 爺さんは怪我をさせたお詫びに、代金は要らないと言った。


 それはそうだ。


 財布への打撃は和らぐかも知れないが、顔面を傷だらけにされて眉毛も変な感じに落とされた上にカット代金まで取られたら散々である。訴えたら多分勝てるだろう。


 ただ、人志さんが散々な目に遭って爺さんの精神状態も不安定になったのだと思うと、訴えるのも気の毒だ。


 何より、僕はよっぽどのことでない限り争い事は嫌いだ。


 顔面の傷痕ぐらいしばらくすれば治るだろうし、僕はお世辞にもモデルや芸能人ってわけじゃあないんだ。顔面の傷痕からの影響など、ただでさえ彫りが深い強面の僕に何のことは――――


――――いや、待てよ。



 顔面の傷痕からの影響だって? 



――――あったぞ。そういうことか。



 さっきから道行く人たちが僕の顔を見るなり顔色を真っ青にして逃げ出している。


 心なしか、道端にたむろしているヤンキーたちが鋭い眼光を向けている気がするし、今通り過ぎた銀行の出入り口にいた警備員さんが無線を取り出して何やら通話をした。



 もはや言わずもがな、僕はヤンキーかそっちの業界の住人だと思われているのだ。


 なんということだ……僕は気付いてからすぐに人目に付きにくい路地裏に隠れた。


 そう言えば、さっき髪の毛のカットが終わった後も疲労で気付きにくかったが……鏡に映った僕の顔はかなり恐かったような気がする。


 僕は傍にあったガラス窓を覗き見た。


「ひいいいィィィッ!?」


――――思わず悲鳴を上げた。


 顔面に無数の切り傷痕に右眉の半分が落ちている。


 それぐらいならまだ人によっては恐い顔でない、面白い顔になるかもしれないが……頭蓋骨の形状的に僕はスポーツ刈りにするといかつい角刈りっぽくなる。しかもあのお爺さん、いつの間にやったのか前髪の両サイドにソリを入れている! 


極めつけは元々彫りの深い僕の顔。自分でも自嘲の念無くハッキリ思う。これは暴力の世界で生きている人間の顔じゃあないか!


 僕はうずくまって頭を抱えた。そして自然と涙が出る。


 任侠映画のオーディションがあったら顔面のインパクトだけで審査員も(恐怖に圧されて)「超イイね! エキストラ以上の役に即採用ッ!」などと言われそうなクオリティの顔に、僕は恐さのあまり震え上がって泣き出してしまった。


 そう。自分の顔を見て自分で泣いたんだ。


 例えば、交通事故で顔面が崩壊したとか、ホラー映画の特殊メイクだとかそういったベクトルとは違う顔の恐さに自ら泣く。


 こんな体験って他人にあるのだろうか? もしあるのならばそれを乗り切るポジティブシンキングはあるものか問いたい。そしてこの悲しみを分かち合いたい。


 とりあえず、人目を避けて家に帰らなければ……こんな顔になってしまったからには引きこもりだ何だと言われようが安心出来る場所でしばらく過ごしたい。良くて顔を隠して外出するか、だ。


「学校のみんな……僕のこと受け入れてくれるのかなあ」


 思わず独り言も出る。


 クラスメイトにいじられる程度ならまだかわいいものだが、この顔は不良の使いッパにされかねない……いや、する方か? 


 今後の生活を憂いて狼狽しまくる僕。


「おおい。そこの兄さんよ……」


――――突然、路地裏の奥の暗がりから声がした。


 何やら、酔っ払っているような不安定なトーンの男の声だ。


 何だ? 僕は振り向き、よろよろと近付いてくる人影を見た――――

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