狭界の剣姫

プロローグ

 視界の隅に撤退を告げる信号弾が上がる。

 破弓アスロックを構えて砕矢ヘジホッグをつがえたまま、ミウト=タカナシ軍曹ぐんそう狭界きょうかいの海をただよっていた。眼下に広がる光景は今、警報けいほうに市民達の悲鳴と怒号どごうが入り混じる。

 街が今、燃えていた。瞳に炎が揺らいで映る。


「今日もまた、何もできなかったよ……兄さん」


 自分の背中にそうつぶやいて、ミウトは翼をひるがえした。

 首から下を包む、鋼の鎧。無骨ぶこつながらも生身を浮き立たせる曲線の、狭流導線甲冑ワイヤードアーマーに無数の光が筋と走り、腰部ようぶより後方へ伸びる左右一対の銀翼ぎんよくがしなる。武装架パイロン矢筒ポッド砕矢ヘジホッグをしまうと、ミウトは狭流力フィングを振り絞った。たちまち異国の大地が遠ざかる。しかし、戦火にあえぐ声は耳から離れない。まるで抗議するように、出撃時から減っていない砕矢ヘジホッグもガチャガチャと鳴った。

 翼持つ者達が乱れ飛ぶ、狭界の海は荒れていた。


「よくも首都を……諸君、破弓騎兵ボマーの逃げ遅れがいる! 生かして帰すなっ!」


 怨嗟えんさに満ちた憎悪ぞうおの声は、補足されたことを示す警鐘けいしょう。ミウトは矢筒ポッドをパージし、破弓アスロックもかなぐり捨てる。騎兵のならわしに従い、胸に飾られた増花タンクが後を追った。死者にたむける花はもう、狭流の力を吸い尽くされて枯れていた。

 それらが天へと吸い込まれるより早く、ミウトは四肢を広げてダイブ。かき混ぜられた視界にはもう、敵の破剣騎兵ファイターが乱舞していた。抜剣ばっけんきらめきとちがうたび、けずれる命が消えかける。


「!? 背中に……注意されたし! 敵は――」

「い、いや、よく見ろ。さやだ、鞘だけだ……奴は違うっ!」


 完全にミウトは囲まれた。教練きょうれん通りの機動は全て、手練てだれ敵騎てっきが封じてくる。騎兵を狩る騎兵……破剣騎兵ファイターに捉えられることは、破弓騎兵ボマーにとって死を意味していた。逃げるミウトを囲む檻は、徐々に小さく狭くなってゆく。


「オーケェ、ケツを取った! まだガキだ、女みてぇなツラしてやがる」


 肩越しに振り返れば、背負う空鞘からざやの向こうに敵騎が迫っていた。高々と上段に構えられた

破剣トゥピードが、象句ソネット燦々さんさんと輝かせて発象限界リミットアウトきざんでいる。九、八、七、六……その鋭さを手に、死は急加速で接近。

 しかし、追っ手の破剣トゥピードがミウトに突き刺さり、象句ソネットぜることはなかった。


殿下でんかではない、が。友軍を見捨ててはおけんな」


 りんとした声が戦場を突き抜けた。

 同時に、鮮烈せんれつさが目の前を通り過ぎる。それはミウトをかすめて、背後に短い悲鳴をかなでた。強力な狭流力フィングを込めた一撃が、容易たやす狭流導線甲冑ワイヤードアーマー貫通かんつう穿うがたれた無名の破剣騎兵ファイターは、血を吐きながら呆然ぼうぜんと、胸に生える破剣トゥピードを、その象句ソネット見詰みつめている。

 三、二、一……発象限界リミットアウトを迎えた破剣トゥピード炸裂さくれつして、男は内側から四散しさんした。その爆風ばくふうあおられるミウトは、目をかばう手の、指の隙間から見た。深紅しんくにたなびく総髪そうはつの翼を。

「殿下を、シズル殿下を見なかったか? 少年。ん、君は確か……」

 紅蓮ぐれんに燃える髪を揺らして、一人の少女が武装架パイロン破剣トゥピードを抜く。混乱する敵が統制とうせいを取り戻すよりも早く、彼女はミウトに一瞥いちべつくれるなりせた。また一人、せられた破剣騎兵ファイターが、己へ突き立つ破剣トゥピードと共に爆散ばくさんする。

 舞うように次々と敵騎を撃墜げきついする、その背中をミウトは知っていた。こんなにも近くで見るのも、言葉をかけられるのも初めてだったが。


「故郷の海に散るか? 命を粗末そまつにするな、逃げれば追わぬ」


 あか麗人れいじんは静かに、翼に並ぶ破剣トゥピードを次々と抜き放つ。

 一際強くとも象句ソネットが刻むのは、対峙たいじする破剣騎兵ファイター達の残された命。それを知ってか、誰もが波間なみまに後ずさった。少女はただ、無表情に剣を構えて中空の大地を踏み締める。


全騎ぜんき下がれ、私が相手をしよう。彼女があの、紅蓮の翔騎士シュヴァリアーだよ」


 翔騎士シュヴァリアー……それが、狭界の海を統べる絶対強者ぜったいきょうしゃ。そして、ミウトを救ったのは、紅蓮の二つ名を敵味方にとどろかせる、エース中のエースだった。翔騎士シュヴァリアーを倒せるのは、翔騎士シュヴァリアーのみ……下がる敵兵の中から、一人の男が滑り出る。


「アギキタ領領主が長子ちょうし雷鳴らいめい翔騎士シュヴァリアーナルヒコ=アギキタ! 手合わせ願おうか、紅蓮の翔騎士シュヴァリアー


 真っ赤な少女は静かに静止せいしすると、翼に下がる破剣トゥピードを全て捨て、構えた一振ひとふりも放り投げる。その発象リミットの爆光を浴びながら、背の剣を鞘ごと手に取った。まるで工芸品のように華美かびな、細工で飾られ光る剣。それを目の前に真っ直ぐ、手を伸べつかと鞘を握り締める。見るもたくましい眼前の男を前に、いささかも動じる素振りを見せない。

 皆が皆、ミウトを追うのを忘れたかのように息を飲んでいた。


「ツルガ公国軍中尉ちゅうい、カナデ=ヒツガヤ」


 それが紅蓮の翔騎士シュヴァリアーの名。

 名乗るやカナデは、己が翔騎士シュヴァリアーであるあかしを構える。相手も同様に、それが儀礼ぎれいであるかのように背中の剣を手に取った。


「<雷咆らいほう>、装刃リロードっ! いざ尋常じんじょうに、勝負っ!」

「御相手しよう、ナルヒコ殿。<焔音ほむらね>――」


 <雷咆らいほう>に<焔音ほむらね>。それが翔騎士シュヴァリアーの手に許された、特別な創剣カノンと呼ばれる、いにしえの昔より

狭流力フィング強き者のみが振るえる、狭界最強の剣。

 カナデは目の前で、手にする創剣カノンを抜く。わずかに姿を見せるやいばに、<火>の象句ソネットが光るのをミウトは見た。同時に装刃リロードを告げるや、カナデは再び鞘へと創剣カノンを押し込む。静かに構えれば、創剣カノンを包む鞘に紅蓮の刃が灯った。燃え盛るほのおが音を立ててほとばしる。

 相手の翔騎士シュヴァリアー、ナルヒコの手にもまた、いかずちまと電光でんこう創剣カノンがあった。

 翔騎士シュヴァリアー同士の一騎討いっきうちに、ミウトの拳が汗を握った。


「一つたずねる。ナルヒコ殿、この海でシズル殿下を見かけなかったか?」

「ハッ、あの姫君ひめぎみが海を飛べる訳っ、あるまいっ!」


 業火ごうかが燃えて、稲妻いなずまひらめく。翔騎士シュヴァリアー同士の戦いは問答もんどうを置き去りに、激しく刃を踊らせた。この時代の科学力で、工房こうぼうにて鍛造たんぞうされる破剣トゥピードとは違い、創剣カノンの威力は神代かみよの一撃。一薙ひとなぎするたび、しおが激しくかきまぜられる。その余波よはにさざなみが広がり、破剣騎兵ファイター達もミウトも姿勢の制御に狭流力フィングを振り絞った。

 必死に眼で追う、ミウトの胸中を去りし面影おもかげが過ぎった。自然と手が背中の鞘に回る。


「皆の者っ、何をしておる! 兄様に奴は任せて、早くあの逃げ遅れをっ!」


 幼い声に周囲は、剣舞けんぶ観劇かんげきから目覚めて戦士の顔を取り戻す。咄嗟とっさに加速したミウトのほおを、鋭い突きが擦過さっかした。まだ窮地きゅうちを脱してはおらず、危機は今、小さな少女破剣騎兵ファイターの姿でにくはくしてくる。逃げ惑う他なく、ミウトはしかし横目にカナデの姿を追った。燐火りんかに舞うその姿は、正しく紅蓮の翔騎士シュヴァリアー見惚みとれながらも、必死でミウトはせわしく翼を制御した。

 短い破剣トゥピードを指の間に数本握って、敵はミウトへと放ってくる。その一本が掠めて象句ソネットが炸裂し、ミウトは大きくバランスを崩した。思わずつぶった瞳が開かれれば、すぐ目の前に、真横へ破剣トゥピードを振り絞る少女。輝く象句ソネットが、ミウトの残る命を数えていた。

 思わず叫んだのは、兄の名だったが……不意に優雅ゆうがな笑みが耳朶じだを打つ。


「タクトはもうおらぬぞ? ふむ、あまり似ておらぬな」


 翼が羽撃はばたいた。

 突如とつじょ視界を、純白の羽が、半裸はんらの背中がおおう。華奢きゃしゃ痩身そうしんは、手に長大ちょうだい鉄塊てっかいを握っていた。それは剣の形をしてはいたが、刃のない鈍器どんきだった。銀髪ぎんぱつがさらりとなびいて、荒波あらなみが巻き起こる。気付けばミウトは弾き飛ばされ、その命をもうとしていた少女は踏み台に。

 そうして、まるで太古の鳥のような姿は、真っ直ぐ翔騎士シュヴァリアー達の舞踏ぶとうに割り込んだ。

 雌雄しゆうを決すべくしのぎを削る、翔騎士シュヴァリアー達の輪舞ロンドが怒りと驚きでリズムを乱す。


「殿下!? よもや翔騎士シュヴァリアーおきてをっ!」

「クッ、水入りかっ!? あ、貴女あなたは……そんな、馬鹿な」


 激しく斬り結ぶ、ナルヒコとカナデの剣戟けんげきに不協和音。非礼にたけるカナデを遮り、鈍く黒光くろびかりする鋼が振り上げられた。迫る冷笑れいしょうに、ナルヒコの表情が凍る。

 象句ソネットのない、ただの鉄塊。それを白い肌もあらわな細い腕が、片手で軽々と振り下ろした。


「バッ、バケモノ……」

「その言葉、二度目じゃな。さらばじゃ、婿殿むこどの


 鉄槌てっついがナルヒコをすり潰した。鼓膜こまくむし金切かなきこえと共に、その身を包む狭流導線甲冑ワイヤードアーマー端微塵ぱみじんくだける。慌てて破剣騎兵ファイター達は、口々に名を呼びながら、力なく漂う領主の息子へ集まった。その姿は徐々に、遠ざかるアギキタ領の方へと消えてゆく。


「殿下、何故なぜこのような……説明を求めます」


 手にする創剣カノンの輝きを納めて、カナデが突然の乱入者へ詰め寄る。荒れはじめた波頭に逆らい、その声に涼やかな笑みを返す翼は、ふむ、と考える素振りをみせた。

 その姿は本来、この場所に……非情の摂理せつりが支配する、狭界の海にいる筈のない艶姿あですがただった。


「はて、どこから話したものかの。とりあえず……まずは帰ろうぞ。我等がツルガの地へ」


 のう、と同意を求めるように、暴虐ぼうぎゃく剣姫けんきはミウトに微笑ほほえんだ。

 それがカナデとシズル、二対の高貴こうきなる翼との出会いだった。

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