始まりのエリュシオーネ.05

 月曜日は憂鬱ゆううつだと、誰もが口を揃えて言うが。少なくともエリにとっては、そんな事は全然無かった。

 時間と手間を惜しまず、事前に綿密な準備をほどこして挑む授業。教育という仕事はわずか一教科とは言え、非常に責任重大な職務で。彼女はその事に自尊心プライドと誇りを持っていた。

そんな彼女の授業は概ね好評で。世界史の小鳥ことり先生と呼ばれなつかれれば悪い気はしない……無論、目上の人間に対する態度としてそれは不適切だと、その都度注意をするのだが。


『エリは立派だな。この地球の歴史に詳しい……立派な歴史オタクだ』

(何でそうなるのよ。エルベリーデ、貴女あなた皇族こうぞくだから礼儀作法とかには詳しいでしょうけど、それを礼儀作法オタクとは言わないでしょ?)

『そ、そうだな……加えて言えば、私はあまり皇室の作法には明るくない。苦手なのだ。最低限の事はやれるつもりだが』

(ふーん、まあでも皇族の義務を感じるからこそ、単身地球に来たんでしょ?いいじゃない)


 次の授業の準備をして、足早に教室を移動するエリ。彼女はすでに、我が身を共有する同居人との念話も慣れたもので。素早く環境に適応し、元通りの日常生活に復帰していた。変わった事と言えば、地方故の少ないチャンネルの、さらに少ないアニメ枠をらさず録画予約するくらい


「先輩、小鳥遊タカナシ先輩」


 自分を先輩と呼ぶ人間は一人しかいない。呼び止められて振り返ればやはり、そこには秀樹ヒデキの姿があった。今日は仕事のいででは無く、エリにわざわざ会いに来たのだろう。その手には本の代りに、小奇麗な紙袋が握られている。


「昨日約束したものです。とりあえずこれだけ」

「あ、ガンダ……ありがと。放課後にでも図書館に顔出そうと思ってたのに」


 手渡されるまでそれが、昨日頼んだアニメのDVDだと気付かずに。また、周囲の誰にもそうだと悟らせない配慮が、少しだけエリにはありがたかった。用件だけ済ませると、多忙なエリに合わせて直ぐに場を辞する秀樹。

 庵辺秀樹イオリベヒデキは背も高く、顔も悪くは無いとエリは思う。何より性格が温和で優しく、細かな気配りの出来る人間だ。

 例えばアニメのDVDを人に貸す時も、その人間が周囲にどう思われているかを察してくれる。パッケージ丸出しで持ち運び、大声で呼び止めて渡すような、どこかの誰かさんトミヤヨシアキとは違うのだ。


(どう?遂に念願が叶ったわよ?家に帰ったら見てあげるから、もう少し我慢してね)

『ありがたい。一気に視聴したいが、エリの生活に影響が出ない範囲で楽しませてもらう』


 どこかの誰かさんに心酔するエルベリーデは、殊勝な事を言いながらも。その声色は弾み、喜びが隠しきれていない。

 きっと本音は、今直ぐにでもエリの身体を……エリュシオーネのコントロールを奪い、一目散に帰宅して観たいだろうが。彼女は聞き分けよく黙って、エリの授業を邪魔しようとはしなかった。


「さて、次は四組か。これは流石に持っていけないな、一度職員室に」


 中身が解らぬ様になっているとはいえ、教壇に私物は持ち込めない。エリは電源を切っていた携帯電話を取り出し、電源を入れて時間を確認する。

 まだ次の時間、三時限目の開始までは余裕があったから。一度職員室に戻ろうと思ったその時。不意に携帯電話が鳴った。聴き慣れない着信メロディは、設定した覚えが無かったが。通知される番号も見覚えは無く……ディスプレイに表示されているのは、電話番号ですらない記号の羅列られつ

 不審に思い電源を切ろうとした時、不意に頭の中でエルベリーデが叫んだ。その声はいつに無く緊張感に漲り、逼迫ひっぱくした様子で脳裏に響く。


『そのコード!本国からの緊急暗号通信だ。非常事態かもしれない、出てくれエリ』

(いつの間に登録したのよ、私の携帯に……もう、メールとか見てないでしょうね)

『エリと初めて会った日に登録させて貰った。プライベートは見ていない。因みに着信を知らせる音楽はガンダスターの主題歌だ』

(どこから持って来たのよ、そんなもん。いいわ、ちょっと待って)


 廊下を足早に歩くエリの、その手の中で鳴る独特な曲調に。極少数の生徒がすぐさま反応して振り返った。その顔は一様に、余りにミスマッチな取り合わせに困惑の表情で。それはしかし、もしや同好の志ではとの疑念を抱かせるには充分なインパクトだった。顔から火が出そうな程に恥ずかしかったが、黙ってうつむき職員室へ急ぐエリ。


「おや、小鳥遊先生……何か家で御不幸でも?」

「すみません、ちょっと。ホントすみません」


 鳴り止まぬ携帯電話を手に、職員室へと駆け込めば。真っ先に教頭先生に声を掛けられ、エリは只管に恐縮する他無い。学園内では基本的に生徒も職員も、携帯電話の私的利用は禁止されていたから。

 周囲の同僚達にもペコペコ頭を下げながら、自分の机に座ると。先ずは秀樹から借りたDVDを引き出しに仕舞しまってから、携帯電話を耳に当てて着信に応じる。その瞬間耳元で不可解な異音が響いた。思わず顔をしかめるエリに、頭の中でエルベリーデが語り掛ける。


耳障みみざわりだろうが我慢して欲しい。今、こちらで暗号を解読している……ふむ、これは!?』

(随分とアナログなのね、宇宙人なのに……凄い科学の通信機とか持ってないの?)

『エリュシオーネに内蔵されている機能の大半は、エリの完全移植と引き換えに失われてしまったのだ。通信機能が回復する目処は立っていない』


 嫌に騒がしい周囲の教師達と、目が合う度に謝りながら。しかしどうも、中休みに私用で携帯電話を使用しているエリなど、誰もがどうでもいいようで。それ以上の何かが、この職員室を騒然とさせているらしかった。

 クラスを担任する何人かは、慌しく自分の受け持つ教室へと走り去る。校内放送がどうとか言いながら、教頭先生も出て行ってしまった。

 何事だろうかと首を傾げるエリはしかし、耳障りな不協和音を聞き続ける。


(何かあったのかな、学内で。ねえエルベリーデ、まだ終わらない?ちょっとこっちも)

『今、解読が終了した。今から読み上げる、落ち着いて良く聞いて欲しい……悪い知らせだ』

(ごめん、後にして貰える?私も教職員だし、そっちを優先した……)

『つい先程、リヴァイウス共和国が宣戦布告した。既に敵戦力がもう、地球に降下したらしい』


 脳裏で響くその声は、エリにはもう届いてはいなかった。彼女は、他の教師達が見入るテレビの騒がしさに、呆然と言葉を失い立ち上がる。その手から携帯電話が机へと落ちた。画面に今、青森市内の観光物産館かんこうぶっさんかん、通称アスパムの三角形を模した建物が半分だけ映っていた。

 もう半分が見えないのは、手前に巨大な人影が屹立きつりつしているから。人影と言うには無骨で刺々しい、まるで鎧武者のような白い巨人。

 まるでリアリティの無い映像はしかし、狼狽ろうばいしながら実況するアナウンサーの臨場感で現実を訴えていた。


「何、あれ……」

『ついに開戦か、出来れば戦いたくは無かったが。ん、あれは……ば、馬鹿な、そんな……』


 念話も忘れてエリは、気付けば声に出して喋っていた。しかしそれも周囲から見れば、何もおかしくは見えない。誰もがそう思い、彼女と同じ趣旨の言葉を呟いてテレビに釘付けだったから。

 ただ、エルベリーデだけがエリの中で、一際激しく動揺していたが。


『あ、あれは……ガンダスター!?い、いや違うな、細部が違う。グレートガンダスター、でもない』


 頭に響くエルベリーデの声に、咄嗟にエリは机の引き出しに手を掛けて。中から先程、秀樹に借りたDVDを取り出す。もどかしげに紙袋を空けて中を覗けば……パッケージには、今テレビに映る巨人と酷似こくじした姿。しかしこれはアニメではない……アニメではない。本当の事なのだ。


(ちょっとエルベリーデ、これはどういう事?説明して頂戴)

『あれは恐らく、リヴァイウス共和国の認定戦争用地球人類心証良好兵器にんていせんそうようちきゅうじんるいしんしょうりょうこうへいきだ。しかしあの姿、もしやヨシアキの身に何か?』

由亜紀ヨシアキ君が?待って、由亜紀君って共和国に……まさか。ううん、そんな人じゃない、と思うけど)

『ヨシアキは裏切ったりなどしない!兎に角っ、予定より早いが小鳥遊エリ、協力を要請する』


 ぼんやりとテレビを見詰めるエリ。その奥でしかし、エルベリーデは鋭い眼光で睨んでいるだろう。彼女の大好きなアニメ、彼女の大好きな者の大好きなアニメ……ガンダスターを模した巨大な兵器を。

 協力を要請と聞いて、身がすくむエリ。まだ事情は半分も説明されておらず、覚悟も出来ていないまま。どう見ても巨大ロボットとしか思えぬ侵略者と戦えと言う。

 そう言うエルベリーデは戦意も高く、その為のエリュシオーネという身体を共有するエリには、拒否する権利など無いように思えて。込み上げる恐ろしさにエリは、震えてその場にへたり込んだ。


『しっかりしてくれ、エリ。大丈夫だ、私とヨシアキのエリュシオーネは無敵だ』

「無理よっ!あんなのとどうやって戦うの?私が戦うんでしょ?嫌よ……今度こそ本当に死んじゃうわ!」


 職員室の誰もがエリの絶叫に振り返り、彼女は奇異の視線を集めてしまう。年配の教師が心配そうに、エリの元へと近付き声を掛けた。


「大丈夫ですよ、小鳥遊先生。きっと映画か何かの撮影ですから」


 落ち着かせるように優しい声で、他の同僚がエリの肩に触れる。その震えを感じて察したのか、同僚は保健室に行くよう彼女に進めたが。エリはもう、腰が抜けて立てなかった。


『巻き込んだ事、重ねて申し訳無いと思っている。図々ずうずうしいのも解っている。それでも頼む、この通りだ』

(この通りって、どの通りよ?頭でも下げてるの?もう嫌……本当に戦争になるなんて)

『そうだな、戦争は私も嫌だ。本国でも戦争回避の努力はしたのだが……戦争は本当に、アニメや漫画の中だけにしたいものだ』

(でも現実なんでしょ?貴女が持ち込んだ……私、関係無いのに。ただの、普通の学校の先生なのよ?)


 誰か彼女を保健室に、と言う声を遮って。何とか弱々しく立ち上がるエリは、そのまま逃げるように職員室を後にした。耳をふさぎながら。

 そんな事をしてもエルベリーデの声を、頭の中から追い出す事は出来ないのに。彼女は一人、怯えながら叫んで廊下を走る。


「いつもみたいに身体の自由を奪って、一人で勝手に戦えばいいのよ!」

『それも出来る。だがエリ、私はエリに共に戦って欲しい……私も怖い、恐ろしいのだ』

「……エルベリーデ?貴女」

『未開の地で孤独に戦うのは、私でも一人では耐えられない。ヨシアキも側には居てくれないばかりか、敵の手に』


 由亜紀の名を聞き、エリは足を止める。エルベリーデの弱音は、逆にエリを少しだけ落ち着かせた。

 普段なら身体の中から、ある程度エリの心身をコントロール出来るのに……今はそれもせず、静かに言葉をつむぐエルベリーデ。彼女もまたエリ同様に怖いのだ。

 だが、身分が退く事を許さない。彼女はファフナント皇国第三皇女だいさんこうじょ、エルベリーデ・ファ・メル・ファフナントだから。何より囚われの由亜紀に恋する、一人の乙女だから。


『エリ、私を支えて欲しい……身勝手な話だが、地球もヨシアキも救いたいのだ。エリ?』

「……私に何か出来るのかな。痛いのはちょっと」

『エリは見てるだけで……側に居てくれるだけでいい。戦闘モードに移行すれば、痛覚は遮断する事が出来る。元よりこのエリュシオーネを傷付けるつもりはない』

「もういいわよ、やったろーじゃない。この星の歴史が不埒ふらちな侵略者を許さないって事、たっぷり教えてあげるわ!」


 未だに震える手で、しかし固く拳を握ると。エリはついに覚悟を決めた。彼女とエルベリーデを乗せて、未だ待機モードのエリュシオーネは身を翻すと。人目の付かぬ屋上へ向けて駆け出した。

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