地球最強姉妹キャンディ番外編・どまんなかの女の子

山本弘

第1話 平均点は八十五点

「森田、七十五てーん。山口、八十てーん」

 ここは八桜市立小学校、五年二組の教室。先生が点数を読み上げながら、算数のテストを返している。

「湯原、九十五てーん。おしかったな。こんどは百点をめざせよ。横田、五十五てーん。おまえはもっとがんばらなくちゃだめだ」

 テストを返し終えると、先生は言った。

「今回はみんな、よくがんばった。平均点はなんと、八十五点だったぞ」

 教室の中に「おおー」という声がわき起こる。

「あー、ちくしょう、平均点以下かよー」

「やったー、野田に勝ったー」

「男子がもっとがんばってくれたら、平均点も上がるんだけどねえ」

「横田がひとりで平均点、下げてるもんねえ」

「うるせー! くやしかったらサッカーでおれに勝ってみろ!」

 口々によろこんだりくやしがったり、にぎやかな生徒たち。そんな中、ひとりの女の子だけがだまりこんでいた。

 中道真菜香なかみちまなか。出席番号十八番。十月一日生まれ。美人というほどではないが、ブサイクというわけでもない。これといって特徴のない顔だ。くやしがっているような悲しいような、複雑な表情で自分の答案用紙を見下ろしている。

 テストの点数は八十五点。


 ホームルームが終わると、真菜香は他の生徒たちといっしょに教室を出た。階段に向かうには、となりの五年三組の前を通らなくてはならない。

 五年三組では、ちょうどホームルームが終わったところだった。「先生、さようなら」という生徒たちの声がしたかと思うと、いきなり扉ががらっと開き、茶色い影が風のように飛び出してきた。真菜香にぶつかりそうになる。

 それは女の子だった。茶色い髪を長く伸ばし、鼻の頭にバンソウコウを貼っている。男の子みたいに半ズボンをはき、真っ赤なランドセルをせおい、上ばきの入った袋を持っていた。「あっと、ごめん!」と言いながら真菜香の前をすり抜けると、廊下を横切り、窓を開けて、ひょいとよじのぼる。その子がはだしであることに、真菜香は気がついた。

「わっ!?」

 真菜香はびっくりした。女の子は窓から外にジャンプしたのだ。ここは三階なのに!

 あわてて窓の外を見る。学校の裏にはコンクリートの塀がある。女の子はその塀の上、幅二十センチほどしかないところにうまく着地し、腕を広げて「おっとっと」とバランスを取っていた。

「と、虎ノ門とらのもんさん!」

 五年三組の女の先生が、血相を変えて教室から飛び出してきて、窓にしがみついた。

「あ、あなた、そんなあぶないことしちゃいけません!」

「ごめんなさーい! 今日は急いでるんで!」

 振り返って窓を見上げ、悪びれたようすもなくそう言うと、女の子――虎ノ門夕姫とらのもんゆうきは塀からひょいと飛び降り、学校の裏の路地を走り出した。たちまち見えなくなる。

「うひゃあ、やっぱ、虎ノ門はすげえなあ」

 五年三組の他の生徒たちも教室から出てきて、窓に集まり、がやがやと騒いでいた。

「確かに、校門までぐるっと回るより、こっから出た方が早いもんなあ」

「でも、あいつ、下ばきはどうすんだ?」

「はだしだったよねえ?」

「あ、今朝、ランドセルに靴入れてるの見たわよ」

「えー、じゃあ、今朝から計画してたんだ」

「なんかそわそわしてると思ったよ」

 先生は青い顔で口をぱくぱくさせていたが、どうにかひきつった笑いを浮かべ、生徒たちに向かって言った。

「み、みなさんはあんなことしちゃいけませんよお~」

「しねーよ!」

 生徒たちはいっせいにツッコんだ。


 校門を出てからも、五年三組の生徒たちは夕姫のことで盛り上がっていた。

「すごいよねえ、虎ノ門さん」

「野球部とかサッカー部とか水泳部とかが、しつこく勧誘してるよね。『ぜひ、うちの部に入ってくれ』って」

「でも、みんな断わってんだぜ。もったいない!」

「あれだけの運動神経なら、将来はオリンピックで金メダルまちがいなしよね」

「つーか、今出ても銅メダルぐらい取れんじゃね?」

「この前、百メートルを十二秒で走ってたもんな」

「さ来週の運動会、うちの組はかなり有利になるよな」

 陽気に笑う五年三組の子供たち。

 その少し後ろをひとりで歩きながら、真菜香の表情は暗く沈んでいた。

「やなやつ……」

 だれにも聞こえないよう、小声でつぶやいた。


 その翌日。土曜日の夜。

 マンションの十四階にある夕姫の家では、夕食の最中だった。

「ねえ、お姉ちゃん、あのクジラの声、やっぱカニと関係あんのかなあ?」

 夕姫がトンカツをほおばりながら、姉の竜崎知絵りゅうざきちえに話しかけた。

「ん? クジラ? カニ?」

 お父さんの虎ノ門次郎とらのもんじろうさんが首をかしげる。ひげもじゃで、クマのような体格の人だ。

「ああ、ゲームの話よ」と知絵。「今、夕姫とオンライン・ゲームやってるの」

「あら、夕姫ちゃんもゲームに興味が出てきたの?」お母さんの竜崎七絵りゅうざきななえさんがうれしそうに言う。「知絵とは趣味が合わないかと思ってたのに」

 知絵と夕姫は、三か月ほど前に親同士が再婚して、姉妹になったばかり。それまで夕姫は探検家であるお父さんの次郎さんといっしょに、世界じゅうの国を渡り歩いてきた。それもジャングルや砂漠や山の中など、電気も通っていないところばかり。だからゲームをしたことなどほとんどなかったのだ。

「そんなことないよ。お姉ちゃんとよくいっしょに遊ぶもん。ねえ、お姉ちゃん?」

「ええ。夕姫はゲームがかなりうまいのよ」と知絵。「シューティングとか、レーシングとか、フライト・シミュレータとか、すごい腕前」

「でも、頭使うの苦手だから、謎ときはお姉ちゃんにやってもらってるんだ」

 自然界で育ったワイルドな夕姫に対して、知絵は完全な都会っ子。額が広くてメガネをかけた顔は、とても頭が良さそうに見える。実際、すごく頭がいい。

「ほう、二人で協力してるんだな」次郎さんが感心する。「そのゲームにクジラとカニが出てくるのか?」

「うん。海底にカニのモンスターが出没してるんだよね」夕姫がフォークでトンカツをつつきながら説明する。「でも、その正体とか目的とかが、まだわかんなくて」

「それを調べてたら、クジラの鳴き声が何度も聞こえたの」と知絵。

「怪しいんだよね。きっと背後にカニをあやつってる大物がいるんだよ」

「ほう。悪の大魔王か?」

「たぶん、そんなとこ。悪いことやってるんだったら、どうにかしないとね」

「うむうむ。ゲームの中だろうとなんだろうと、悪を倒すのはいいことだ」次郎さんはしきりにうなずいた。「そうか、夕姫もゲームに興味が出てきたか……じゃあ、クリスマスには新しいゲーム機、買ってやろうか」

「ほんと?」夕姫が目を輝かせる。

「うむ。ほら、テレビでよくCMやってるじゃないか。アメージング99だっけ? 新型の携帯ゲーム機」

「でも、あれってすごい人気で、なかなか手に入らないそうよ」と七絵さん。「ほしがる人が多くて、ネットではプレミアがついてるらしいし。東京の方じゃ、電器店の倉庫に泥棒が入って、ごっそり盗まれたって」

「ああ、ニュースで言ってたな。だが、クリスマスはまだ二か月も先だし、それまでには手に入るだろう」

「やったー!」

 食事中なのにばんざいをする夕姫。その拍子に、おはしからトンカツのひときれがすっぽ抜け、天井に貼りついた。「あれ?」と見上げると、その顔にトンカツが落ちてきた。

「ただし」次郎さんはにらみつけた。「もっと勉強すること」

「げっ」

「げっ、じゃない。昨日の算数のテストはなんだ? そりゃあ、ちょっとぐらい勉強が苦手でもかまわないとは言ったが、さすがに三十五点というのはひどいだろ。もっとがんばらないと、プレゼントはやれないぞ」

「はあい」

 夕姫は鼻にトンカツを乗せたまま、しゅんとなった。

 食事が終わりかけたころ、ピンポーンとチャイムが鳴った。

「はあい」

 七絵さんがカメラつきインターホンのボタンを押す。画面に現われたのは、ちょっぴり太った、やさしそうな細い目をしたおじさんだった。

「あ、PTA会長の……」

「こんばんは、大池おおいけです」


 十分後。

 PTA会長の大池さんは、リビングルームのソファにすわり、とてもすまなさそうに頭を下げていた。次郎さんは「うーむ」とむずかしい顔で腕組みをしているし、七絵さんも不安そうな顔をしていた。

 大人同士の話だというので、知絵と夕姫は席をはずしている。

「つまり、うちの夕姫を運動会に出すな、と?」

「いえ、すべての競技ではないんです」PTA会長さんはあわてて言った。「つな引きとか玉入れとか、団体競技はいいんです。問題は百メートル走とかリレーでして」

「夕姫が出れば、必ず勝つからですか?」

「はい。必ず負けると最初からわかっていたら、ほかの生徒がかわいそうだという意見が、父兄のあいだから上がっておりまして」

「でも、足が速い子と遅い子がいるのは、あたりまえじゃないですか?」と七絵さん。

「でも、ふつうのこども同士の競走なら、がんばれば勝てる可能性があるわけです。しかし、おたくの夕姫ちゃんは特別ですからなあ。もう、ほかの子は絶対に勝てません」

「たしかに、負けるこどもはかわいそうですけど……」

「しかし、気に入りませんな」次郎さんはふきげんそうにふんぞりかえった。「『負けるのがいやだから強いやつは出るな』なんて、ひきょうな考え方ですよ。勝ち負けなんか関係ない。せいいっぱい戦うのがスポーツ精神というものではないですか?」

「わたしもそう思わないでもないですが、『こどもがかわいそうじゃないか』と言われると、反論できませんで……」

「失礼ですが、会長さんのお子さんも足が遅いんですか?」

「いえいえ、じまんじゃないですが、うちの子はかなり速い方ですよ。よく一着になってます。だからこそ、『負けてもいいじゃないですか』とは言えないんです。それを言っていいのは、負ける側の人です。勝つ側がそれを言うのはざんこくでしょう」

 会長さんはとてもつらそうだった。

「昔――わたしの父や母の時代は、もっとひどかったらしいですよ。特にわたしの住んでいた県は人権問題にきびしくてね。『こどもに差をつけるのはよくない』と言われて、運動会では一着とか二着とかの順位をつけないことにしようとか話し合われていたそうです。速い子も遅い子もみんな一着にしようと」

「それはひどい。いくらがんばって走ってもむだということですか?」

「『順位をつけるのは足の遅いこどもを差別することになる』と言って。競走そのものをやめてしまおうという話もあったそうです」

「だったらテストに点数をつけるのもいけないことになるんじゃないですか?」と七絵さん。

「そうなんですよ。昔の通信簿は、1から5までの五段階評価だったそうですが、それはいけないというんで、『よくできました』と『がんばりましょう』の二段階になったんです。わたしなんか、テストの成績はかなり良かった方なんですが、まあまあの成績のやつも自分と同じ『よくできました』なのは、納得いきませんでしたねえ。

 まあ、さすがにやりすぎだというので、だんだんあらためられてはきたんですがね。ただ今回は、夕姫ちゃんの足があまりに速すぎることが問題になっておるんです。父兄の中に、強く抗議されている方がおられましてね。娘さんが『あの子といっしょに走るのは絶対いやだ』と泣いてるんだそうで」

「しかし、足の速い子を競技に出させないというのも、差別じゃありませんか」次郎さんはだんだん腹を立ててきた。「だいたい、そんなことを言い出すやつは、気に入りませんな。きっと大会社の社長とか、政治家とか、金と権力でなんでも思い通りになると思ってるやつにちがいない」

「いえ、中道さんはごくふつうの中流家庭のサラリーマンで……あっ」

 口をすべらせてしまい、会長さんはあわてて口を押さえた。しかし、もう遅い。次郎さんの目がきらっと光った。

「その中道さんという人が、抗議しているわけですな?」

「あ、いや、今の名前は聞かなかったことに……」

「いえ、べつにその人の家にどなりこんだりはしませんよ。そんなおとなげないことはね」次郎さんは、ぷいっとそっぽを向いた。「でも、夕姫は運動会に出させますよ。理不尽な圧力に屈するような子には、育てたくないですからな」

「はあ……」


 その話を、夕姫と知絵は勉強部屋で聞いていた。「勉強部屋に行っていなさい」と言われたのだが、気になったので、クモに見せかけた超小型のロボットをリビングルームに忍びこませ、話を盗聴していたのだ。クモのマイクロフォンが聞いた声は、知絵のケータイから流れてくる。

「中道さんって知ってる?」

「うーん、ボクのクラスじゃないなあ」

「あなたと走るのをいやがるんだから、他のクラスの子よ」

「あ、そうか」

「走る順番って、足の順?」

「うん。体育の時間にタイムを計ったんだ。遅い人が最初で、当然、ボクがクラスでいちばん速いから、いちばん最後」

「その中道さんのタイムがクラス一なら、あなたと当たる可能性があるわけね。でも、わかんないなあ」

 知絵は額に指を当てた。考えこむときのポーズだ。

「その子、なぜそんなに、あなたと走るのをいやがるのかしら?」

「そりゃ、負けたくないから……」

「でも、それだけじゃない気がする。たかが運動会の順位なんて、そんな深刻になるようなもんじゃないでしょ?」

 知絵の目が、メガネの奥で、きらっと光った。

「何か裏がありそうね」


 その二日後の月曜日。

 登校した夕姫は、ゲタ箱の中に手紙を見つけた。そこにはこう書いてあった。

『あなたにぜひお話ししたいことがあります。秘密の話です。放課後、裏山のお地蔵さまのところにひとりで来てください。五年二組 中道真菜香』

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