第20話 「働」という漢字のある国

何をもって「大人」と見なすか、国家や民族によって考え方はいろいろ分かれますが、日本においては、「学生」と「社会人」という分け方が一般的かと思います。就職しているか否かが大きな判断基準となっています。

日本において、一般的に学生のうちは「お年玉」をいただけますが、自分で働いて稼ぎがあるようになれば、大人からもらう側から、子供に与える側になります。

中国でも春節の時に、お年玉を包む習慣があります。赤い袋に包んで渡すことから、ご祝儀を「紅包ホンバオー」と呼び、お年玉のことを「圧歳銭ヤースイチエン」と呼んだりします。

中国のしきたりでは、社会人であっても未婚であれば、30代、40代でもお年玉がもらえることになっています。

中国において、「既婚」か「未婚」かが重要な判断基準になっているようです。


中国では結婚することを「成家チョンジアー」とも言います。バブル景気で、地価は異常に高騰しましたが、「結婚」イコール「家を買う」という伝統に未だに縛られています。

中国で家を買うといえば、一戸建てではなく分譲マンションを意味するのですが、日本の分譲マンションとの大きな違いは、買ったばかりの時は、部屋の中は何ひとつ家具もドアもついていない、一面コンクリートの壁だけの殺風景な空間なのです。そこで内装業者に頼み、自分で買い揃えた家具を使って、自分好みの家を作っていくのです。

私の何人かの友人は自分の家の内装工事をしている期間は、普段の仕事を休んでいました。これはどういうことかというと、内装業者がいい加減な材料を使ったり手抜き工事をしないようにちゃんと見張っておかなければならないということでした。

手抜きのことを中国語で「偸工減料トウゴンジエンリアオ」と言います。目を離せば手抜き仕事をする、こういった責任感の欠如は、中国のありとあらゆるレベルで普遍的に見受けられます。「羊頭狗肉ヤントウゴウロウ」という熟語があります。これは頭だけは立派な羊だが、実際に売るのは犬の肉であるという、古来の喩え話ですが、現代でも中国人の仕事全般が「羊頭狗肉」方式と言えます。

下水道の中に廃棄された食用油を再利用する「地溝油ディゴウヨウ」などの食品安全問題、PM2.5をはじめとする環境汚染問題、偽ブランド品の横行。こういった諸問題の根底には、「お金さえ儲かれば良い」という場当たり的な拝金主義と、仕事に対する責任感の欠如が横たわっています。


「鮪」「鰯」「鯖」、お寿司屋さんの湯飲みでおなじみのこういった魚へんの漢字は、実は日本にしかない和製漢字です。これは日本人の生活と海水魚が身近だったことを物語っています。中華文明は、黄河や長江沿いの内陸部で発展してきましたので、当然、魚へんの漢字は少ないのです。中国に無いものは、漢字にもありません。

人のために動くと書いて「働く」。この「働」という漢字も、実は和製漢字です。中国語では仕事の事を「工作ゴンズオ」と言います。

労働は、「労動ラオドン」と言います。

中国人は、友人や家族のためならどんな犠牲もいとわない「熱情ルーチン」を持っています。しかしその反面、「人のために動く」という、職業に対する美意識は見受けられません。



徹底した品質管理とアフターサービス、細部まで気の利いたおもてなし。資源の乏しい小さな島国が、世界第2位の経済大国までになれたのは、欧米から「仕事中毒ワーカホリック」と揶揄されるほどの日本人の勤勉さの賜物に他なりません。日本語で、解雇のことを「クビ」と言います。かつて日本が武家社会だった頃、不始末をすると、喩え話ではなく本当に首が飛びました。真面目にすること、本気で取り組むことを日本語の副詞では「真剣に」と言います。こんな言いまわしがあること自体、日本人が滑稽なほど生真面目な民族であることを物語っています。

 

しかし一方で、日本の精神風土は、アリのような働き者タイプには合うでしょうが、キリギリスには辛いものがあります。

「働かざる者、食うべからず」。日本社会は、無為徒食の輩に寛容な社会ではありません。

たとえば、40代で未だ独身の私が職を失った場合、社会的にはもう立派な不穏分子でありまして、犯罪者予備軍の仲間入りです。

職業安定所を「ハローワーク」という、聞こえが良いカタカナに改名したのも、「無職はなんとなく後ろめたい存在」という社会通念があるからです。こういった強迫観念があればこそ、職を失った事を気に病んで、自死を選ぶ日本人は後を絶ちません。

一方、中国では、何を生業にして生活しているのかサッパリ見当がつかない、無為徒食の輩がそこらじゅうにいます。一日中、友人たちとお茶を飲みながら談笑し、麻雀にふけり、夜は友人を款待したり、友人に款待されたり。またある者は日がな喫茶店でコーヒーをすすり、ノートパソコンでオンラインゲームや株の投資に興じていたり、とにかく気ままに過ごします。こういった、何となくぶらぶらしている方々の中には、とんでもないお金持ちの投資家や、「富二代フーアルダイ」と呼ばれる、裕福なお坊ちゃんもいますが、「小康シアオカン」と呼ばれる中間層もいます。

不労所得の有無に関わらず、彼らに共通しているのは、天地に何ら悪びれることなく、ヒマを堂々と謳歌していることです。


私の父は、かつて華々しく活躍したこともあった漫画家でした。しかし私が物心ついた頃には仕事らしい仕事もなく、家の中でなんとなくゴロゴロしている、漫画家とは名ばかりの無職でした。家族からは「寝たきり老人」ならぬ「寝たふり老人」などと呼ばれて煙たがられていました。

当然、肩身が狭い思いをしていると思いきや、本人はまったく意に介しているふうもなく、四半世紀以上、家の中で悠然とゴロゴロしていました。


働かない父親というのは、存在そのものが子供の精神衛生上、よくありません。

心ない友人からは「売れない漫画家の息子」とからかわれもしました。

父は時々、誇大妄想気味の世迷いごとをいうところがあって、

「俺が死んだら、きっと新聞に名前が出るぞ」などと言うので、

(寝言は寝て言え)、と思いつつ、家族の誰もが聞き流していました。


父の死後、主要各紙に父の訃報が掲載されていました。

お父さんのこと、正直なめていました。ごめんなさい。

棺の中の父を見て、(お父さんが死んだふり老人だったらいいのになあ)、などと思ったものです。人間、働くことはもちろん素晴らしいことですが、人生はきっと、それだけではありません。


                           合掌


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