第5話 日本的責任と中国的面子

中国人の挨拶といえば、「你好ニイハオ」が一般的ですが、中国人の親しい間柄においては、実のところ、ほとんど使いません。

「你好」は若干、かしこまった間柄における、よそいきの挨拶という感じです。

友人に「你好」と挨拶するのは、日本人の感覚で言うと、

親兄弟に対して「どうもこんにちは」と挨拶するようなもので、変によそよそしい印象を与えてしまうのです。

では、中国人は普段、親しい人同士でどういう挨拶をするかと言うと、


飯吃了没ファンチーラメイ?(ご飯を食べましたか?)」と、

相手に聞くのが一般的です。


私が福建省、霞浦県の赤岸鎮に赴任したばかりのころ、

出会う村人すべてが私に「ご飯を食べたか?」と聞いてくるので、

てっきり、みんな私に食事を御馳走してくれる準備があるものと思ってしまいました。私は正直に、「まだ食べてないよ」と答えていましたが、今思うとそれは不粋というものでした。食べたか食べてないかにかかわらず、「吃了チーラ(食べましたよ)」と答える決まりになっています。

四千年の歴史を持つ中国人が、一日三食の生活になったのは、

ここ30年の話でしょう。

文化大革命の時は、公共食堂での配給でしか食事が出来なかったわけですから、

この挨拶には、「あなたは食いっぱぐれていないですか?私はあなたに関心を持っていますよ」、という親愛の情が込められています。

おたがいに関心を持ち合い、おたがいに迷惑を掛け合う、というのが中国社会のしきたりです。中国人は水くさい遠慮の気持ちを「客気クーチー」と呼んで忌み嫌います。レストランで食事をした後、会計を割り勘にするということはありえません。必ず誰かが御馳走してくれます。

食後、御馳走いただいた方に私が一言、

謝謝你款待シエシエニイクワンダイ」(御馳走していただき、ありがとうございます)」などとお礼を言いますと、彼は一言、「見外了ジエンワイラ不客気ブークーチー(他人行儀だぞ、水くさいことはやめろ)」と言って、

私をたしなめました。日本には「親しき仲にも礼儀あり」という言葉がありますが、中国人にとっては、お礼を言うこと自体、もうすでに他人行儀なのです。

べつに礼を言う必要はなく、いつか自分が恩を返す気持ちがあれば、それでいいのです。お礼は口先で済ませるものではなく、行動で恩を返すものなのです。

こういった精神風土が、中国のコネ社会や汚職と根深く関係しているのもまた事実です。


日本語の「すみません」は、お詫びの意味だけではなく、じつは感謝の言葉でもあります。本来、お礼を言うべき時に、なぜか日本人はお詫びを言うのです。多くの日本人にとって、人のお世話になることは、人に迷惑をかけることに他ならないからです。一方、中国人は滅多にお詫びを言いません。お詫びを言うことは負けを認めることになると思っているフシがあります。中国語でお詫びの言葉は、「対不起トエブチイ」と言います。直接の意味は、「対を成せない」、ということです。つまり、自分が相手と向かい合わせる顔がない、面子を無くすことを意味しています。日本の社会は、人に迷惑をかけない、責任感のある人間が好ましいとされます。

一方、中国の社会は、人から頼りにされる人間が好ましいとされます。

レストランで食事の支払いをめぐって、中国人の客同士が激しく口論しているシーンをよく目撃します。両者どちらもおごりたいので、互いに伝票を譲りません。その際、必ず言う台詞があります。

給我面子ゲイウォミエンズ(私の面子を立ててくれよ)」、

口論の末、しぶしぶ御馳走してもらった方は、感謝するのではなく、

今天我給你面子ジンティエンウォゲイニイミエンズ(今日はあなたの面子を立ててあげます)」などと言います。

中国の社会では、友人の世話になれば、その友人の面子が立ちます。

日本では、自分の友人の友人は、

直接、自分と面識が無ければ友人とは言えず、「他人」に該当します。

しかし中国において、友人の友人は、たとえ自分と面識がなくても、やはり友人なのです。その交友範囲の広さが、自分の面子になります。

中国では人と人とが、ものすごい近距離で付き合っています。プライバシーの概念が希薄で、「あなたの給料はいくら?」という質問を、おそらく私は何千人という方々から受けました。


中国に赴任中、一年に一度か二度ほど、日本に帰国していました。久しぶりに実家のある横浜に帰ったある日、姉の子供を迎えに、保育園まで行きました。甥っ子はすっかり大きくなっており、記念にデジタルカメラで一枚写真を撮ったところ、

保母さんが駆け寄ってきて、「園内での撮影は禁止になります。写真を削除していただけますか?」と言うではないですか。

ほかの園児まで映ってしまったらプライバシーの侵害になるとか。

私は何か釈然としない気持ちでしたが、写真を削除しました。

日本で人に迷惑をかけずに生きていくことの難しさを感じました。

今、日本ではどこでも、人権やプライバシーを重視しすぎてピリピリしています。個人的なことを女性に訊ねただけでセクシャルハラスメントになってしまったり、上司が部下を食事に誘っただけでパワーハラスメントになってしまったりします。学校の教育現場でも、教師がイジメや体罰の加害者にならぬよう、恐る恐る学生に接しなければいけません。日本人の誰もが、無自覚の加害者になってしまうことを怖れながら、息を詰まらせて暮らしているような気がします。迷惑になるから人に関心を持ってはいけない、人との距離を保たなければならない。そんな空気が今、日本中に蔓延しています。この空気を読むこと、この空気に従うことが出来る人こそ、「正しい日本人」なのです。


日本では身寄りのない老人が、自宅で死後何ヶ月も経って発見され、そして遺体の引き取り手もいないという「無縁死」が深刻な社会問題になっています。人知れず人生を終える老人の方々も、もともと家族や友人がいなかったわけではありません。ただ、人に迷惑をかけたくなかったので、周りの人々と疎遠になってしまったのです。中国人の感覚からすると、老いた親の面倒も見ず、死に目すら会わないというのは、親不孝の極みであります。

お大師さまは「秘蔵宝鑰ひぞうほうやく」の中でこう述べております。

「菩薩の用心は 皆慈悲を以て本となし 利他を以て先とす」。

人に迷惑をかけることを怖れるのではなく、利他をもたらすことが肝要なのです。人に迷惑をかけない日本人の国民性は素晴らしいですが、

私は中国で、人に迷惑を上手にかける生き方を学んだような気がします。

今日、ご飯を食べたか、よく眠れたか、風邪をひいてないか、なにか困ったことはないか、自分を気にかけてくれる特別な誰かが周りにいるか、もう一度確認してみましょう。


                             合掌


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