第3話 日本と中国の神仏観と自然観のちがい

空海紀念堂のある赤岸鎮は福建省の海沿いにある漁師町なので、海上安全の祈願のために地元の人々がお参りする「媽祖まそ廟」と呼ばれる廟があります。中国の南方の沿岸部には、この「媽祖」と呼ばれる女神を祀った廟が数多く存在します。

宋の時代、福建省に実在した黙娘モーニャン

という女性が、神通力を使って人々の病を治したりしていました。彼女の没後、後の世の人々によって彼女は神格化され、媽祖と呼ばれる女神になりました。信仰を広めたのが福建省沿岸部の船人たちだったため、いつの間にか、媽祖は海上安全に御利益があると信じられるようになったそうです。

横浜や神戸の中華街でもおなじみの関帝廟は三国志の関羽を祀っている場所です。

関羽は生前、信義をとても重んじる人物だったので、信用が大事な商売において、商売繁盛のご利益がある神様として祀られています。中国のみならず、東南アジア各地に、孔子を祀った孔子廟があります。儒教の開祖、孔子は学問の神として信仰されております。

このように、中国では実在した人間が神格化される事例がいくつもあります。

中国人の心の中では、聖人の延長上に神仏がいるようです。


日本人は通常、食事をする際、手と手を合わせ、「いただきます。」と言う習慣があります。ちなみにこの習慣は中国にはありません。ふつう、中国人は食事の前に行う儀式的な挨拶はなく、各々、ご飯と箸が手元にあれば、すぐに食べ始めます。

ここで日本人の我々は、三度の食事の際、一体何に向かって手を合わせて感謝の祈りを捧げているのかを、もう一度考えてみる必要があるかと思います。もちろん、犠牲となった命、そして料理にたずさわった人々に感謝します。それ以外に、目に見えないものにも感謝しているはずです。ブッダやキリストといった特定の聖人に対して感謝しているわけではなく、我々が感謝している対象というのはおそらく、もっとぼんやりした巨大な何かのはずです。母なる大自然。生きとし生けるもの。天地の恵み。そういったきわめてマクロな対象に向かって感謝の祈りを捧げているのではないでしょうか。

日本には、仏教伝来以前のいにしえから、森羅万象に宿る八百万やおよろずの神々を信仰する習わしがありました。いわゆる神道シントウです。その影響からか、大自然に対しての感謝と畏怖の精神が日本人の遺伝子の中に根付いているのです。

近畿地方の人は、食べ物をよく擬人化します。「お芋さん」、「おかゆさん」、「飴ちゃん」。日本は古来より、「物の怪」のいる国です。

どんな物にも仏性が宿るとする感性は、仏教の教えというより、神道の名残かもしれません。


黄河と長江を生命線とする漢民族は、

何千年も洪水と干ばつに泣かされてきました。

民を餓えさせない為に治水と雨乞いを行うのは為政者の義務であり、民族的宿命でありました。「治める」の「治」の漢字のつくりの「ム」の部分はすきを表していて、工具を使って掘ったり盛ったり、人工的に手を加えるという意味を持っています。「口」は言葉を表しています。さんずいは河川を意味しており、この一文字で治水工事そのものを表しているのです。本来、国を治めるということは、水をコントロールすることに他ならないのです。

中国の皇帝の象徴は龍という架空の動物です。

龍は雨と雲、水をあやつる力があると信じられてきました。

水を意のままにあやつる者こそ、権威であり、皇帝であり、神である、という概念が漢民族の根底にあります。

隋の時代には長江と黄河をつなぐ全長2500キロの大運河を作りました。そして現在、水資源の豊富な南方地域から、慢性的な水不足で悩む北方地域まで、長江の水を供給する「南水北調」プロジェクトを進めています。


2008年、8月8日、午後8時8分。中国人が最も好む「8」という数字が並んだこの時、

北京オリンピックは雲一つない夜空のもと、円満に開幕いたしました。国の威信をかけた開幕式、面子を重んじる中国人としては、雨天だけは絶対に避けたいところでした。実を言うと、あの日の北京の晴天は、あらかじめ人工降雨ロケット弾を打ち上げ、雨を降らせておいて人為的に用意されたものだったのです。

このように、今も昔も中国人は、意のままに天地をねじふせる気概を持ち、人智の絶対を信じています。


日本語の「耐震構造」という言葉は、中国語で「抗震建築カンジェンジエンジュー」と翻訳されます。

意味は同じですが、使用する漢字が違い、

日本人と中国人の地震に対する心構えの違いが表れています。

日本人にとって、地震はひたすら「耐える」対象であるのに対して、中国人にとって地震は「あらがう」対象なのです。日本の建築物は、地震の揺れに逆らわず、しなる竹のように揺れて、しなやかに衝撃を吸収する構造を基本にしています。日本車にしても、わざと柔らかい車体を作り、車体が事故時の衝撃を吸収し運転者の安全を確保します。

日本人はこのように自然に発生する衝撃に対して、「柔よく剛を制する」、「柳に雪折れなし」という和の精神で対処します。


お大師さまは、今なお香川県に現存する日本最大のため池、満濃池を手がけました。神泉苑では雨乞いも成功させています。まさに水を意のままにあやつったと言える偉業です。

一体、お大師さま自身はどういった自然観をもっていたのでしょうか。

そのヒントとなる御言葉を後の世に伝えております。


「良工は、その木を屈せずしてかまう」(遍照発揮性霊集より)


優れた大工は、木材を折らずに素材を活かして家を建てる、という意味です。

ありのままの自然を、ありのまま活かす。

お大師さまは満濃池の堤防をアーチ形に設計し、

自然の重力に逆らわず、耐久性の高い堤防をお作りになりました。

自犠利他だけがエコではなく、自利利他、エゴとエコの調和を目指すことこそ、

より密教的ではないでしょうか。

脱原発が叫ばれる今、何がエコで、何がエゴなのか、

我々人類はもう一度、考えてみる必要があるようです。


                             合掌

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