次に、デート

 「……どう、しよう」

 携帯の液晶画面を見つめたまま、私は自分の部屋でひとり、ベッドに座り込んでいた。

 さんざん考えた結果、ごく簡単な文面になってしまったお礼のメールを送って、ほっとしていたところに、思いの外早く、返事が返ってきたかと思ったら、とんでもない内容で。

 今日一日だけでもよく仕事でミスをしなかったな、と思うほど動揺していたのに加えて、ついさっきまでも、ずっと心臓に響くような猛攻にさらされていて、やっと解放された、はずだったのに。

 「また、何も予定が入ってないからなあ……」

 強張っていた肩の力を抜くように小さく息をついて、私はそう零した。

 仕事に就くにあたって、実家からでは通勤があまりにも厳しいので、適度に家賃が安く、通勤時間も無理のない、上橋端に住居を構えてからというもの、距離的な問題で、地元の友達と遊ぶのも、なかなか難しくなってしまった。

 しかも、先週実家に帰ったばかりだし、同期の仲のいい子は、あいにく彼氏とデートで。

 だから、今週はのんびり溜まった本を読んだり、見たかった映画などをはしごしようか、などと考えていた程度だったのだが、


 映画、かあ。

 まさしくデートの定番、みたいな感じだよね……


 けれど、ひとりで行くのと、森谷さんとふたりで行く、ということは、それこそ天と地ほどの差が出て来てしまう。それに、私が見に行きたいものを、森谷さんがいいと思ってくれるかどうかも、分からないし。

 そこまで考えて、ふと、自分が既に行くことを前提にしていることに気が付いて、少し気恥ずかしくなる。理由は分からないけれど、これだけ驚かされたり迫られたりはしても、拒みたくなるような気持ちは沸いてこなかったのだ。

 多分、それは、あまりにも衒いなく、気持ちを伝えてもらったせいで。

 「……だめ、ちょっと落ち着こう」

 どこかむずがゆいような心持ちになるのを、軽くかぶりを振って吹き飛ばしてしまうと、ベッドヘッドに置いてある目覚まし時計に目をやる。思ったより食事に長く時間が掛からなかったせいか、今はまだ午後九時四十二分だ。

 お風呂に入ってさっぱりしてからにしようか、とも考えたけれど、相手に返事を待たれていることもあるし、何より自分が落ち着かない。

 迷いながらも、結局こんな風にメールを送ってしまうことにした。



 To:森谷博史

 Re2:実は明日は


 映画に行く予定にしていたんですけど、

 それでもいいですか?

 『水際に触れる』っていう、小説が

 原作になっているものなんですけど。

 少し好みが別れるところがあるので、

 だめそうなら、変更も大丈夫です。

 

 時間は、出来れば午後二時からの枠に

 間に合うくらいで、いかがでしょうか。


 好き勝手に言ってしまってすみません。

 それでは、また。



 誤字脱字をチェックしてから、よし、とばかりに送信を済ませてしまうと、私は携帯を閉じて、ようやくベッドから立ち上がった。指を組んでから腕を振り上げ、うん、と伸びをすると、よほど固くなっていたのか、肩や首から小さく音が聞こえてくる。

 時間も時間だから、早くお風呂に入らなきゃ、とクローゼットに近付きかけた時、またもや予想よりも遥かに早く、着信音が鳴り響いた。



 From:森谷博史

 Re3:構いませんよ。


 藤宮の、クラウドモールのシネコンで

 間違いないですか?

 それでよければ、チケット取っときます。

 細かい時間はまた連絡しますが、一緒に

 食事してから映画か、それとも映画の後に

 お茶、のどっちがいいか。

 これだけは考えといてください。


 それにしても、いい度胸してますね。

 きっと断ってくると思ってたのに。

 まあ、渡りに船なんで楽しみにしてます。

 それでは、風呂に入るのでまた後で。



 「……自分でも、こんな風だなんて、思ってもみませんでしたよ」

 突然、どんどん攻め込まれて、逃げる暇もなく応戦していたら、今までになかった心の動きや、反応を次から次へと引き出されて、息つく暇もなくて。

 それに、おそらく一度断ったとしても、また次はどうしますか、という選択を迫られるのは間違いないから、ここは即断即決で、と思ってしまったのもあるけれど。

 それに従って、大丈夫です、お手数ですがお願いします、あとお茶するのがいいです、とだけ送り返して、今度こそお風呂だ、とクローゼットの扉を引き開けた時、今更ながら重大なことに気付いた。

 ……明日、着ていく服とか、どうしよう。

 映画だし、そんなに気張った格好でなくても良い、とは思うのだけれど、男の人と二人きりで出かけるということ自体、正直に言えば、初めてだ。

 パンツがいいのかスカートがいいのか、すらもとっさに思いつかなくて、無意味にそれほど多くもないワードローブを引っ掻き回しながら、私はひたすら途方に暮れていた。



 そんなこんなで、迷いに迷っているうちに、無情にも日は変わってしまって。

 結局、歩き回るだろうから動きやすさを重視して、コーデュロイのショートパンツに、背中にレースとリボンを配したカットソー、タイツにもこもこのショートブーツ、という、実は、先週実家に帰った時とまるきり同じ服装で臨むことにした。

 コートだけは、少し前にバーゲンで買った、ショート丈のフード付きのもので、軽くてあったかいのが気に入っている。色はネイビーだから、無難にどんな色でも合わせやすいのもいいところだ。

 これにブラウンのショルダーを合わせて、いざ、とばかりに家を出たのだが、やはりというか、昨日と同じく、こうして行くまでの足取りが非常に重い。会ってしまえば、その対処に追われることになるから、ある意味諦めもつくのだが。

 楽しみ、とは全く異なる複雑な気持ちを抱えながら、それでも足は止まらず、待ち合わせの時間にきっちりと間に合うように動く。やがて静かな住宅街を抜け、踏切の警告音も聞こえてくるあたりにさしかかると、遠くに駅が見えてきた。

 ここからは、ひたすらに道は真っ直ぐだから、駅前ロータリーの横のちょっとした広場(長いベンチ複数と可愛い花壇がある)で、バス待ち、タクシー待ち、そして人待ち、といった感じで、そこここに立っている人の群れも目に入って。

 そして、その中に、どう見ても見覚えのあるシルエットが、姿勢よく立っていて。

 「……森谷さん?」

 背が高いひとだから、遠目にもすぐにそれと分かった。

 スタンドネックの黒のショートコートに、ユーズドデニム、という組み合わせの彼が、軽く右に重心を置いた体勢で、じっと立ち尽くしている。

 その姿を思わず二度見してから、さっと腕にはめた時計に目をやる。

 今は午後十二時五十分だから、約束の時間よりは、十分前だ。五分前行動、と思って、そのくらいに着くつもりでいたのに、もう来ているだなんて。

 私は慌てて鞄を抱え直すと、お休みだけに、それなりに人通りのある道を駆け出した。晴れているとはいえ、さほどきつくはないけれど風もあって、かなりの寒さなのに、長く待たせるわけにはいかない。

 広場に渡る信号のない短い横断歩道を、左右を見てから一息に抜けてしまうと、まるで気配を感じ取ったかのように、森谷さんは顔をこちらに向けてくる。と、

 「早かったね。まだ九分前だけど」

 「そちらこそ、早過ぎますよ……寒いのに、こんなに早く来ちゃだめです」

 「遅れるよりはいいだろ?それとも、冷えた分、君が暖めてくれる?」

 早速からかう気満々、という気で口の端を上げて、昨夜のように手を差し出してくる。予想していたわけではないけれど、私はコートのポケットに手を突っ込むと、あるものを取り出して、その手のひらの上にぽん、と乗せてやった。

 「……使い捨てカイロって。確かにあったかいけど」

 「冷え症の私には大事なものなんです。それを譲るんだから、有難いと思ってください」

 そう軽口を叩きながらも、渡す時に少しだけ触れた指先は、本当に冷たくて。

 途端に心配になって、どことなく不服そうな森谷さんを見上げると、私はその手の中にしっかりとそれを握り込ませた。

 「はい、ちゃんとぎゅってしてください」

 「君を?」

 「ち、違います、カイロです!森谷さん、意外とチャラ男なんですか!?」

 何気なく言われたとんでもない台詞に即座にそう返すと、森谷さんはおかしそうに喉を震わせて、さらりと言ってきた。

 「そうかもしれないね。但し、君限定だとは思うけど」

 「……どういうことでしょうか」

 なんだか意味深な台詞が飛んできたのに、おそるおそる聞いてみると、言った当人が、どことなく不思議なものを見るように、私をまじまじと見下ろしてきて、

 「誰かに惚れて告白までしたのは、君が初めてだから。もしかしたら何かリミッターが外れたのかもしれない」

 至極大真面目な様子で、結構怖いことを告げてくると、はい、とカイロを返してきた。

 「あの、もう、大丈夫ですか?」

 「十分。ほら」

 そう言いながら、すっと手を伸ばしてくると、私の頬に指先を触れさせてきた。

 びくりとして反射的に後ずさると、逃げられた、と森谷さんは笑って、先に立って歩き始める。どうやら、今日は手繋ぎを迫られることはないようだ、けれど。


 ……頬が熱いのは、きっとカイロのせいなんだから。


 そう、自身に言い聞かせるように心の中で呟きながら、今日も彼からの攻撃は間断なくやってきそうだ、と、少し先にエスカレーターに乗った背中を見上げて、私は一段と気を引き締めていた。



 行き先は藤宮だから、二人とも通勤定期そのままで改札を通り、すんなりとやってきた準急に乗り込む。土曜日だから、座席は全部埋まっているけれど、平日よりは余程空いている車内は、過ごすのも楽なものだ。

 「もみくちゃにされないって、いいですね……」

 毎朝の込み具合に、押しつぶされそうになっている身としては、余裕でドア付近を確保出来てしまう今の状況に、そんなことを呟いてしまう。と、隣に立っている森谷さんが、私を見下ろして、何かしみじみと言ってきた。

 「いつもラッシュに流されてるからね、君は。あれで転ばないのが不思議なくらいだよ」

 「……あんまり、こっそりと見てないでください」

 「言っただろう?目につくんだから、仕方ないよ」

 それが当然、というように言われても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 ただでさえ、今まで誰かに見られている、などということには考えも及ばなかったのだから、色々と油断しまくりで、あくびなんかもしていたし。

 ふと、お返しとばかりにじっと見返したらどうなるか、と思ったけれど、

 「なんだったら、これから毎朝同じように見つめ続けてくれてもいいよ?」

 「……遠慮させていただきます」

 心底、あとが、怖い。なんとなく、好き放題に振り回されそうで。

 そんなやりとりをしている間に、藤宮に着いてしまう。目的地であるクラウドモールは、地下ではなく、地上に巡らされているペデストリアンデッキを通して駅と繋がっている。

 縦横に広い十五階建ての二階に接続されている入口を抜けて、あとはエスカレーターでひたすらに上がっていくか、エレベーターで一気に移動するか、なのだけれど、

 「まだ多少時間あるし、書店に寄ってもいいかな」

 「いいですよ。私も新刊見たいですし」

 という、森谷さんの提案で、エスカレーターで七階の書店に寄る、ということになった。

 このモール内の書店は、駅前の五階建ての大型書店ほどには規模は大きくないけれど、売れ筋をきちんと押さえているので、他の買い物ついで、という感じで寄ることが多い。

 そんなわけで、今日もずらりと並んだ平積みの新刊コーナーをざっと見回していると、

 「あれ、原作本、ですか?」

 「そう。ネットで予備知識は仕入れたけど、これかなり巻数出てるみたいだから」

 映像化作品コーナー、という棚の前で足を止めた森谷さんが、今日これから見る予定の映画の原作の一巻を手に取って、ぱらぱらとページをめくっているのに近付くと、

 「既刊は七巻、ですね。これ、探偵と助手のコンビが活躍するミステリものですけど、一話完結形式で読みやすいですよ」

 「確かに、変に文章に癖がなさそうでいいかな。もしかして全巻持ってる?」

 「持ってますよ。内容もおすすめですし、なんだったらお貸ししましょうか?」

 そう尋ねられて、私は思わず嬉しくなって、そんなことを提案してしまった。

 そもそも今日見に来ようと思ったのは、私が元より原作のファンだからなのだ。今回の映画化は、主人公二人の配役もベストだと前評判が高いし、何より作者初の映像化だ。

 それだから、興味を持ってくれそうな人に読んでもらえるのは、純粋に嬉しい。加えて、もし好きになってくれたなら、作品について語り合える貴重なお仲間が出来るということでもあるから、そういった期待もあって。

 そんな思いもありつつ見上げていると、森谷さんは何故か、不機嫌そうに眉を寄せた。

 「なるほど。弱点はこれか」

 「え?」

 小さく呟いた台詞の意味が一瞬理解できずに困惑していると、彼は手にしていた文庫を元の位置に戻して、それから軽く息をついた。

 「早瀬さん、今、めちゃくちゃ瞳がキラキラしてる。君の気を引こうと思ったら、本を餌にすれば、いとも簡単に釣れそうだな、と思って」

 「……確かに、そういうところはありますけど」

 どこか呆れたようにそう言われて、私はちょっとへこんでしまった。

 高校でも短大でも職場でも、本繋がりで友達が出来たという経過があるから、期待してしまったというのもあるけれど、もしかしてお節介に思われたかな、と沈んでいると、

 「まあ、多少隙があるのは別に悪くはないよ。そこに付け入るのが僕以外じゃなければ」

 ふいにぽん、と頭に手を置かれて、くしゃくしゃと髪を掻き回されてしまった。

 「ちょ、ぼさぼさになります!それになんだか捨て置けないことを言われてる気が!」

 「まあ、気にしないで。それに、ちゃんと貸して貰うつもりでいるから、よろしく」

 調子のいいことを言ってきた森谷さんが、そろそろ行こうか、と腕の時計に目を落とす。

 つられて、同じように時間を確認してみると、もう上映開始時間まであと十五分だった。

 慌てて上階へのエスカレーターに向かいながら、さっきのことですっかり乱れた髪を、手ぐしで必死に直していると、横に並んで歩いていた森谷さんの腕が、ふっと伸びてきて、

 「意外と不器用だなあ……ほら、じっとして」


 肩を掴まれて、思わず足を止めると、ぐい、と彼の方を向かされて。

 顎に手を掛けられて上向かされると、空いた手で見る間に、髪を直されて。


 「……よし、綺麗になった」

 また、ぽん、と。

 今度は、酷く優しい手つきで髪を撫でてくると、さりげなく私の肩を抱いて、誘導するように足を進められて、しばし。

 「……やっぱり、森谷さん、チャラいと思います」

 「今回に限っては、褒め言葉として受け取っとくよ」

 そう言って、もの凄く嬉しそうに笑みを浮かべた森谷さんに、抵抗する気力も吸われてしまったかのように、されるままになってしまって。


 ……だって、あんな幸せそうな顔されたら、どうしていいのか。


 お友達付き合い二日目、のはずなのにこれはありなのか、という、答えの出ない疑問に振り回されながら、私は微妙になっているだろう表情を隠したくて、じっと俯いていた。



 それから、二時間強の時間は、あっという間に過ぎて。

 「……期待外れだったのは分かったから、もうそろそろ復活してくれないかな」

 「だって……あの台詞がカットされちゃったら、犯人の意図が完全にボケちゃうのに、あり得ないと思うんですよー……」

 エンディングクレジットが終わり、周囲の観客が三々五々出口へと向かう中、私はまだ座席に半ばつっぷしていた。

 配役や演出は、キャラクターのイメージに近くてなかなか良かったのだが、脚本の点でどうしても納得がいかない、という展開にされてしまって、正直言えばがっかりで。

 色々と惜しいだけに悔しくて、立ち直れないでいると、森谷さんが頭を撫でてきて。

 「分かったから。なんだったら、明日本貸してくれたらその場で読んで、映画ともども感想を述べてあげるから」

 「ほんとですか!?約束ですよ、全七巻持って行きますから!」

 「はいはい、二言はないから、さっさとお茶しに行くよ」

 などと、結局その次の日の約束まで、自らしてしまう展開になってしまった。

 ……乗ってしまったのは自分だけれど、早まった、かなあ。

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