第2話 ひどく疲れた日

信号待ちの空車のタクシーの中。

無線機のブザーが鳴り出す。

今、午後10時過ぎ。

無線配車の多い時間ではない。

むしろ中弛みの時間だ。

酔客はもう2次会の店に移動済み。

ホテルのパーティなんかも、もう終わって既に配車終了だろう。

了解ボタンを押して配車データを受信する。

小さな無線端末の液晶画面を見て驚く。

迎え先の住所が東京となっている。

区域外営業をさせるつもりか。

しかし、画面をスクロールさせ先を見て納得した。

お客様の名前が良く知った名前だった。

具体的にいうと副業の依頼主だ。

勿論、本名では無く、いくつかある偽装用ペーパーカンパニーの会社名に偽名だ。

おおやけには存在しない役所の存在しない筈の部署。

そんな名前をたかがタクシーの配車依頼でも使えるわけが無い。

無線センターの配車記録に、これから俺が書く日報。

名前がきっちり記録される。

それにしても珍しい事もあると思う。

横浜から東京だ。

緊急性のあるミッションなら移動の時間が問題になる。

近場の連中では手が足りなくなったか。

それとも大きなトラブルが発生して予備の人員を確保しだしたか。

まあ、とりあえず向うだけだ。

メーター機の迎車ボタンを押すと、青に変わった信号に従い発進する。

ここからだとMM(みなとみらい)から高速が順当か。

そう考えながらポケットから小さい箱を出し、スイッチを入れる。

そして、ドラレコのメモリーのあるダッシュボードの中に入れる。

これで、今から室内カメラの記録は何故かノイズの砂嵐だけになる。

うん、困ったねえ。(棒読み)



午前10時。

いつもの様に営業所を出る。

正直にいって疲れた。

昨日の副業はトラブル発生に対する増援を見込んだ予備人員だった。

待ちぼうけになる事も多いが、タクシーのメーター料金も出して貰えるし、正規任務の報酬の6割が支給されるので文句は全く無い。

むしろ、ただ待機しているだけでお金が入る。

そう考えたら、そうそう有る事では無いが歓迎すべきだろ、個人的には。

しかし、昨日は見事にトラブルに対処しきれず、俺達予備の人員まで投入された。

しかも、それだけで抑えきれず、目標に逃亡されてしまった。

そして、その追跡の為、術者連中を乗せてタクドラまでするはめになった。

一応俺も術者枠なんだぞ。

結局、任務達成は日付が変わってから。

更に区域外営業にならない為と、予備人員で来させられた川崎の3人を家まで送るはめになった。

タクシーってのは決められた区域で、お客様を降ろすか乗せるかしなければならない。

つまり、区域外で乗せたら区域内で降りてもらわなければならない。

区域外で降ろすなら区域内で乗ってもらわなければならない。

今回はお迎え地が東京で区域外だから横浜、川崎、横須賀まで乗せなければならなくなる。

最も、普段なら誰も乗せずにMM辺りまで走って、適当にメーターを切る。

でも、時間が時間で帰る足の無い連中が昨日はいた。

担当者は満面の笑みでへばっている俺に言った。


「丁度いい所にタクシーがいます。

いやー、時間が時間だけにすぐに拾えるか心配でしたが、これは天の采配ですかね」


いや、あんたの、悪魔の采配だろ。

いつものタクシーチケットを受け取ると、いつもと違いお客様となった術者を乗せて川崎に向った。

まあ、俺以外にもタクドラやっている連中がいて、奴らも客を乗せられていたから諦めるしかないと思った。



結局、最後の術者を新百合ヶ丘で降ろした後、いつもガスを入れる高島のスタンドにたどりついたのは、午前4時を過ぎていた。

そしてスタンドが開く7時まで仮眠をとった。

当然だが、この程度の仮眠で疲れが取りきれるはずも無い。

とはいえシラフで寝たい気分でもなかった。

気だるさの中、むしょうに酒が欲しかった。

たぶん、布団に横になれば簡単に眠りにつけるだろう。

いつもと違い疲れがひどいのだから。

でも、何かにすがりたい様な、心がざわめいて頼りない気分なのだ。

まるで、世界がすぐにも壊れる映画のセットにでもなった様な、落着かない気分なのだ。

孤独な独身男としては酒でも飲んで紛らわせる位しかない。



さて何を食うか。

今日は最初から自炊という選択は無かった。

その為、近所のスーパーに来ていた。

ここは午前9時開店だ。

だが、午前中に来ることは殆ど無い。

来るのはもっぱら午後7時以降で、タイムセール狙いだ。

そういえば、タイムセール狙いの者たちのアニメがあったな。

ベントーだっけ。

中々笑えた記憶がある。

当然、この時間だから割引シールの貼られた弁当や惣菜は無い。

今日は昨日稼いだ分、あまり値段を気にせず買うつもりだ。

それでも、いつもの癖は出てしまう様だ。

つい弁当、ご飯物、肉類惣菜のコーナーをスルーして、野菜系惣菜のコーナーに来てしまった。

一応健康に気を遣わざる得ない年齢になってきた。

それに、ここが一番早く値引きシールが貼られだす。

なので最初にここに来るのが多い。

ぼんやり何腹かなあと考えていたら、自然に足が向いてしまったようだ。

モヤシとメンマの和え物。

モヤシはいつも食べてるし、自分で作る時の原価を考えるとなあ。

マカロニサラダにポテトサラダ。

どっちも栄養学的にはサラダじゃあ無い。

炭水化物メインだろ。

なすの揚げ浸し。

うん、これは良いかもしれん。

油のカロリー?

昨日十分に消費してる。

そうすると和食系で整えるか。

おっ、高野豆腐か。

地味に好きだな俺。

添えられた人参とインゲンも良い。

ここの出汁は甘すぎないからなお良い。

そうすると、キンピラゴボウもありがたい。

緑黄色野菜はきちんと採らないと。

根菜も体に良い。

そうすると今日は日本酒かな。

そう思いながら大根サラダもカゴに入れる。

ジャコがかかっているのが嬉しい。

青じそ醤油ドレッシングというのが定番すぎるが、まあ良いだろう。

そうして酒のコーナーに行こうと振り向いた時だった。

惣菜コーナーの向かいは乳製品の加工品のコーナーだ。

そこでチルドピザが安売りされていた。

2枚、種類を問わずで500円。

普段は298円だ。

結構好きで食べる。

ウチのオーブントースターは1000Wなので余熱無しで十分に焼ける。

値引きされてるとやはり買いたくなる。

しかし、和食でまとまっているしな。

買って夕食以降で食べる、という選択肢もなくは無いが、きっと買ったら食べたくなるよな。

少し悩むが、買っちまうか。

別に独りメシなんだから、俺が納得できれば問題ない。

ソーセージのピザとジュノベーゼソースのピザを買う。

これから食うのはソーセージにしようと思う。

そうなると、日本酒は却下だ。

さすがにピザで日本酒は無い。

そうすると何にするか。

気分は日本酒よりになっていた。

そうなるとハイボールやチュウハイといった炭酸の気分では無い。

ガッツリ食べるのでロックでやるというのも違う。

そうなると白ワインにするか。

うん、中々よさそうだ。

疲れた体と気分にさわやかでフルーティな酸味が癒しになりそうだ。

うん、間違いない。



結局、良く飲む白ワインを買って家に帰った。

千円にとどかない程度の値段の割りに良いワインだと思っている。

ただ、ワインは好みが分かれるし、銘柄もくさるほどある。

だから自分からは人に薦めたりはしない。

早速ソムリエナイフで開けたい所だが、まずは冷凍庫からワイン用冷却剤をだす。

これな以前スパークリングワインを買った時にオマケで付いて来た。

いわゆる保冷剤なのだが、形状がちょうど750mmのワインボトルを包む形になっている。

これで急速に冷やせるという事だ。

実際、経験から言えば5分もあれば飲み頃になる。

これで冷やす間に一手間だ。

半熟のスクランブルエッグを焼く。

ソーセージのピザにトッピングするのだ。

これは俺のアイデアでは無い。

ピザの袋の裏側にある説明の脇に、アレンジとして記載されていたのだ。

以前試して悪くなかった為、待ち時間で一手間である。

そして、少しだけ追いチーズ。

以前はかなり多く乗っけていたが、乗せすぎは生地が焼けにくくなるとネットで見て以来、自重を学習した。

焼く準備はしたが、まだ焼かない。

前菜としてナスと高野豆腐を楽しみながらボトルの3分の1位飲んでから焼こうと思う。

そしてサラダで口直ししながら焼きたてのピザをいただく。

これが今日の戦術計画だ。

キンピラは予備兵力として戦線の状況で適時投入とする。

かなりの善戦が期待できる作戦だ。

さあ、ソムリエナイフを手にいざ出陣だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る