TIME

 その男は暴力で全てを支配していた。

 ただ腕力が強いだけでも、それが飛び抜けていれば一部では尊敬を受けるし、生きていくには困らないということを男は人生で学んだ。

 驚異的な強さは裏の世界では評判となり、十代の頃には様々なプロ格闘技からの勧誘があったが、男はそんなものに興味を抱かなかった。

「あんなものは弱い奴が強くなるためにやるのであって、最初から強い奴には必要がない」

 それが男の口癖で、実際に男は様々な格闘家から勝負を挑まれたが、ことごとくそれを退けてきた。


 もはや男の強さは兵器と表現してもいいくらいだった。

 暴力団はもちろん、軍や殺しのプロからも幾つもの誘いを受けたが男は全て断った。

 男には肩書など必要なく、自由であればそれで充分だったのだ。

 欲しいものは奪えばいいし、いらないものは壊せばいい。

 シンプルで傲慢極まりない極論も、その男にかかればただ腕力が強いというだけで、それは非常に理にかなった論理となった。

 男は金にも女にも何不自由なく生きた。

 渇望するほど欲しいものなんてこの世にはもうないと思えるぐらいに全ては思いのままだった。

 敢えて男に不足しているものと言えば人望ぐらいのものだったが、それは暴力男にとっては全く不要なものだった。


 男の暴力は容赦なかった。

 女・子供であろうと、癇に障れば無関係に殴り絶対服従するまで壊した。特に老人に対しては親の仇のように厳しかった。

 何かにつけては老人を迫害し、傷つけ、詰った。そして恐怖のどん底にまで突き落とす。

 男はその度に「弱々しい癖に、いつまでも未練がましく生きる必要があるものか」と言い、「俺ならば40歳を越えた時点でピークを過ぎたと感じれば、この世に見切りをつけるぜ」と付け加えた。

 そんな男だが、警察も暴力で支配していたし、徹底的に人を壊しはするが、殺しだけはしなかったので捕まらなかった。

「俺は頭がいいから捕まらないんだ。殺しはいけない。だけど、壊しならばより恐怖を与え従順なしもべを得られる」

 男は常々、得意気にそう語っていた。

 勿論、方々から疎ましく思われ暗殺を企てられるのも日常茶飯事であったのだが、男の圧倒的な強さの前では、プロの闇討ちですら準備運動にもならなかった。


 しかし40歳を目前に控えたある日、男は突然虚しくなった。

 もう人生の何もかもに飽きてしまったような気がしたのだ。

 そうすると、こんな人生の最後はどうなってしまうのだろう、そしてこの世の終わりはどうなってしまうのだろう、という想いだけが頭を支配するようになった。


「未来を見てみたい」


 男は裏の世界の話で、死刑囚を使ってタイムマシンの実験が行われているという噂を耳にしたことがあった。

 仮にタイムマシンのモニターを一般募集したところで、誰も本気にしないだろうし、研究者側も万が一の失敗を恐れているため、一般人を巻き込んでの危険はおかせないから、ということらしい。

 国家の随所に圧力をかけることができる男は、勿論、容易くそのモニターになることができた。


 森に囲まれたその研究所は、円形のチューブ状をした白い建物の真ん中に塔があり、その景観は田舎と近未来の融合で異様だった。

 研究所の助手に連れられチューブ状の建物の階段を昇り分厚い扉を抜けて塔に入ると、床も天井も白い無機質なライトのパネルで埋め尽くされた部屋に通された。

 部屋は円形で、真ん中にポツンとあるコンピュータの画面の前に白衣を着た老人がいる。あれがこの施設を仕切っている博士なのだろう。そこまで来ると助手は帰っていった。


『よくおいでなさった』

 背中を向けたまま博士はそう語った。

「未来に行きたいんだが、今のところ実験は成功してるのか?」

 男は博士の態度にムカムカしながらも、ここで相手を壊しては元も子もないと我慢しながら聞いた。

『1週間程度のそう遠くない未来ならば100%成功しておる』

 博士はコンピュータを触りながらそう言うと、『で、どのぐらい未来に行きたいんじゃ?』と聞いてきた。

「じゃあ、とりあえず1週間だ。それが成功すれば今度はずっと先に行ってみる」

 男がそう言うと、博士は何も言わず中央の床のパネルのレバーやスイッチを操作した。

 男の右側のパネルが赤く光り、その先にチューブ状の建物への入口が現れた。静かだが重いモータ音が響き、入口の扉が内側上方へ開く。まるでスポーツカーのようだと男は思った。

 入口の扉からは一人の老人が出てきた。

 「ふん、未来もない死刑囚がみすぼらしいこった」

 すれ違いざま、その老人へ向かって吐き捨てるように男はそう言うと、入口の方へと歩いていった。


 扉を潜ると、白い球体の乗り物みたいな箱がある。

『その中に入り、専用のスーツを着るだけじゃ』

 博士はそう言って、見たことのない繊維で作られた重量感のある着衣を男に渡した。男はそんなものいらないと拒否しかけたが、博士が『それを着ていなけらば、どれだけ鍛えていようと身体が持たない』と見透かしたように言うので、渋々着替えた。

『今、何月何日の何時じゃ?1分後には1週間後の世界に着くぞ。時計は持って入るがいい』

 男は着替える前に時計を確認した。12月4日月曜日11時ジャスト。

 着替え終わり、球体の中に入ると扉が閉まった。息が詰まる感じがする。何もない原色の四角い部屋でずっと暮らしていると気が狂うという人体実験の話を男は思い出していた。

 まあいい、たかが1分だ。大丈夫だろう。

 突然、重力が反転したような感触が肌に伝わる。きっとマシンが動き始めたのだ。

 強い遠心力みたいなものを微かにスーツ越しに感じるが、白い球体の中では自分がどの方向に居てどういう動きの中に組み込まれているのか全く感覚が掴めない。

 そうこうしているうちに、フッと全身を脱力感が襲う。重力が戻ったのを感じる。恐らく未来に着いたのだ。


 扉が開くと、重苦しいスーツを脱ぎ、男は時計を確認した。12月4日月曜日11時1分。確かに、球体に入った1分後の世界だ。

 博士は何も言わず数社分の新聞を男に手渡した。日付は12月11日月曜日。男の誕生日だ。

 男は自ら望んだこととは言え、驚いた。今、確かに1週間後の世界に自分は居る。

 珍しくどの新聞も見出しは同じで、それはどこかの老人の死についての記事だったが、男には興味がなかった。

 何気なく開いたページには競馬の結果が載っていた。こりゃ過去に戻ったら簡単に大金持ちだなと男はほくそえんだ。

 そして、今、この世界の自分は何をしているのだろう?とも思ったが、きっと時空が狂うし会わない方がいいだろうと考えなおした。

 ピークを過ぎた40歳の自分に、39歳の自分は何と声をかければいいものかもわからない。


 そんなことよりも、男は、過去に戻ってやり直したいという思いに駆られていた。

 自分はどこかで道を間違えただけであって、世の中が間違えているからこうなったのであって、今から過去に戻れば世の中ごと全部を変えてしまえるのではないか。自分にはそれだけの力がある。

 冷静に考えれば、未来に行くよりも、その方がずっと現実的で建設的なことに思える。

 今までの全部をリセットして、もっと有意義に自分の人生を生きてみたいではないかと。

 なに、過去のもう一人の自分は暴力で消してしまえばいい。多少の時空は狂うだろうが、それが新しい人生のスタートだ。

 金には困ることがない。過去数十年程度の競馬の結果なら馬柱を見れば思い出すだろう。


『で、次はどの程度先を知りたいんじゃ?』

 博士がそう聞いてきた。

「いや、もう未来はいい。今度は過去へ行きたくなった」

 男は言うと、再びスーツを着始めた。

『今度は時計を置いていくといい』

 博士が言った。

 男は一瞬そんなこと別にどっちだっていいと思ったが、言う通りにした。それは大切にしているものだったし、時間の歪みに耐え切れず故障するような気がしたからだ。


『過去への移動は時間がかかる。我慢ができなくなったら、これをうつんじゃ』

 博士が手渡したものは、シルバーの硬質な注射器だった。

「注射?これで楽になるのか?」

 男は半信半疑だったが、先程の球体の中での圧迫感を考えると、持っていく方が賢いだろうと考えた。

『長い時間じゃ。空腹を感じたならこれを食べればいい』

 博士はそう言って大量の処方薬に似たカプセルも男に手渡した。


『過去は戻るものと勘違いしている奴は多いが、そうではなく、行くもの・・』

「30年前に戻してくれ」

 博士の話の続きを遮ってそう言い残すと、再び白い球体に入った男は、過去の自分の壊し方に思考を巡らせていた。

 なんせ、自分なのだ。いくらまだ子供でも今までで最強の獲物であることは間違いないだろう。

 静かに重く扉が閉じ、再び男の身体は何とも表現し難い浮遊感にとらわれた。


『あの男、強靭そうじゃが、どれぐらい持つかのう。いいサンプルになれば良いが』

 コンピュータを見ながら博士は呟く。


 男は白い球体の中で必死に歯を食い縛っていた。

 どれだけの時間が流れたのかわからないが、時間も方向も重量もなく、五感の全てを奪われたその中では、例え僅か数秒であっても無限の長さであるように感じられた。

 全身を倦怠感が襲い、空腹や眩暈のようなものも感じるが、それが本当の感覚であるのかどうかもわからない。カプセルを1錠飲み込むと、身体がスッと楽になり眠りに堕ちる。

 どれくらいの時間が流れただろう?まだ数時間なのか、それとも数日なのか、まさか数分なのか?

 眠りと恐怖とカプセル。何度繰り返したかもわからない。カプセルの入っていた殻を数えればおおよその察しはつくのだろうが、何時間眠ったかの感覚がないし、男はもう、ただそれだけのことをやる気力すら失っていた。

 ついに男は耐え切れず注射を取り出した。


『2時間か。発狂せずにここまで耐えるとは驚きました。たいしたもんですね』

 助手がそう言うと、博士は頷きながら満足そうな顔でコンピュータを眺めている。


 気がつくと球体の扉が開いていた。

 男は全身の重みを感じながら立ち上がり、重苦しいスーツを脱ぎ、この施設へ着て来た衣類と共に置いてある時計を見る。

 12月4日月曜日14時1分。

 30年前の昼下がりか。そう思った男は、球体の中で最初の方に暇潰しでした計算を思い出した。確か、30年前の12月4日は土曜日の筈だ。

 男はあの球体の中での発狂寸前の恐怖を思い出すと、瞬時に怒りがわきおこった。

「これは30年前じゃない。失敗じゃないか!あんな思いをさせておきながらどういうつもりだ?」

 男はまだ上手く力の入らない身体を強張らせ、博士の襟をわし掴みにし、報復としていつものように壊してやろうとした。が、傍に居た助手に振り払われた。


 振り払われた??この俺が?


 博士は乱れた白衣の襟を整えながら言う。

『だから言ったじゃろう。なんじゃと』

 頭に血がのぼっている上に、助手に簡単に暴力をいなされたことに納得いかない男には全然意味が飲み込めない。

「貴様、あの注射だな。あの注射に何か強力な毒を盛ったんだろう!!騙しやがって!警察もグルなのか?そうなんだろう!」

 男はそうと、今度は助手に向かって力いっぱい拳をふるったが、簡単にかわされてしまった。

『だから言っておるじゃろ。あんたはちゃんと30年前に着ておる。未来の自分を・・』

 博士の言葉が終わらないうちに男は叫ぶ。

「うるさい!覚えておけよ!この状態がとけたら皆殺しにしてやるからな!」


 男は助手を押し退け研究所を出ると、元来た道を辿り車へと戻った。まだ後遺症のせいか、足元がおぼつかないし、来た時と同じ階段なのにやけに息が切れる。

「俺様の身体でいい加減な実験をしやがって。絶対に赦さんぞ。復讐してやるからな」

 車のエンジンをかけ、男がバックミラーをのぞくと、後部座席に見たこともない白髪の老人が映っているような気がして男は驚いた。

「誰だ!」

 振り返ったが、誰も居ない。

 もう一度、バックミラーをのぞく。


 白髪の老人は、男だった。

 そう、確かに30のだった。


『タイムマシンの中と外での時間速度の違いが、ワープの仕組みなんじゃという説明を最後まで聞かんからじゃ。まぁいい。30年という長いスパンでも実験は成功した。あやつの前に試した男なんて、たったの10年でも発狂して自殺しおったからのう。しかし外の1時間がタイムマシンでは10年というのは、実に奇妙なもんじゃ』

 博士が言うと、助手が相槌を打つ。

『ええ、ただし竜宮城のようなもてなしはないですが』

 無機質な研究室に、笑い声が響いた。


 その夜、博士と助手が駐車場に来てみると、男は車をアイドリング状態のままでショック死していた。

 明日は二週連続でタイムマシン利用者の死が新聞の一面を賑わすが、きっと、男のような連中にはどこかの老人の死として、さほど興味を持たれないのだろう。

 ただし、男は願いを成就できたのだから幸せなのかもしれない。

 未来の自分を見たいという願いを。


 奇しくも、生前語っていた通りに、40歳を迎えたその日が男の命日となった。

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