第十一回にごたん投稿作(お題:タイムパラドックス/共同体≒世界<私の大切なモノ/死を記憶せよ/制服の第二ボタン)

送り迎える二人



--ああ、くすんだ帯青茶褐色の後ろ姿。この景色が見えるということは、きっともう直ぐお迎えが来るということなのでしょうね。




 気づいたらこの場所にいた。よく知っている、色褪せようとも消えてはくれない記憶の中の風景。


「カナエさん、カナエさん。ぼうっとしとらんで、ちゃんと支度なさいな。もう彼が来る時間でしょう」

「……はい、おばさま」


 私はせっかちなおばさんに声をかけられ、渋々と部屋の窓を閉める。その向こう側、玄関前の通りの方には青い坊主頭が一つ、二つ、三つと律儀に並ぶ。大きな声を出して、大日本帝国の勝利を願う歌。ああくだらない、嫌になるわ。


 戦争って嫌い。全部奪ってしまうもの。私はむすっとして自らの服装を眺める。セーラー服に、地味なもんぺ姿。かつての女学校の制服といえばヒダ付きの洋風のスカートで、地元の中では一番可愛いと評判だったものなのに。可愛い洋服も、甘いお菓子も、そしてあの人も。全部全部奪われてしまうのだ。




「カナエさん、準備はできたかい? お迎えに来たよ」


 土間の方から、そりゃあもうここら一帯に響くような大きい声。


「ユウジロウ兄さん、ご近所に迷惑がかかってよ」

「いやーすまんすまん、なにぶん訓練では大声を出さんと上官に叱られるもんで、これが癖になっとるのよ」


 はにかむその表情に小さなえくぼが浮かぶ。彼は近隣に住む幼馴染、ユウジロウ兄さん。とっても力持ちで喧嘩にも強いから、私が女学校に上がる時に父が用心棒を依頼したのである。


「学校はどうだい」

「どうもこうもないわ。どうして私がなぎなたの訓練などしなければいけないのよ。手に豆ができて、汗臭い道着に袖を通して、意味もない訓練をする時間があるのなら、私は河原にでも行って本を読んでいたいわ」

「はは、カナエさんらしいや」


 背の高いユウジロウ兄さんの影に隠れるようにして、私は女学校への道を歩く。革のカバンは彼が持ってくれているので身軽い。すれ違う人は皆、彼に向かって会釈をした。だって帯青茶褐色の制服を着ているんだもの。少し前に赤紙が彼の元に届いて以来、ずうっとこの格好だ。


 校門の前まで来ると、ユウジロウ兄さんは一息ついてから言った。


「さぁ着いた。僕が君を学校に送ってあげられるのは今日が最後だ」

「どうして? 祝言しゅうげんまではまだ一週間あるわ」

「……出征の日が決まってな」


 出征。私はその言葉を頭の中で繰り返す。近くの家屋に取り付けられた風鈴がチリンと鳴いた。その明瞭な音にいざなわれ、私の目頭がわっと熱くなる。


「いかん、泣いたらいかんよカナエさん。祝ってくれなきゃあ、発つに発てんじゃあないか」

「でも、でも、何もこんなにすぐに。せめて私の花嫁姿を見てからにしてちょうだい。そして笑い飛ばして欲しかったのよ。一度も会ったことのない見知らぬ男に嫁ぐのか、お前の今までの人生はそんなに軽いものなのかって」


 そう言うと、ユウジロウ兄さんは困り顔で笑い、私の頭の上にポンと大きな手を置いた。


「大丈夫、君の許婚のオサムさんは帝大の偉い科学者なんだろう。きっと聡明なお方だ。退屈はしないだろうし、徴兵されることも無いから悲しい想いをしなくて済むさ」


 始業を知らせる鐘の音がする。ユウジロウさんは「さぁお行きなさい」と私の背中を押す。恐くて振り返ることはできなかった。あの人が笑っていても、泣いていても、今はただ……哀しい。






「この度はおめでとうございます!」

「ユウジロウ君の門出を祝して! バンザーイ! バンザーイ!」



--結局私は、過去を遡ったとしても運命を変えることなどできない。




 夏虫が鳴く音を聞きながら、私は一人縁側に佇んでいた。居間の方ではご近所の人たちが皆集まって、ユウジロウ兄さんの出征を祝う宴を開いている。宴とはいえ戦時中、贅沢はできず質素な品が卓上に隙間を大いに開けて並んでいる。


「大日本帝国陸軍第14師団・飯田勇二郎! かわやへ行ってまいります!」


 わざわざ大きな声で敬礼をして宣言するユウジロウ兄さんに、集まっている人々は「おうおう行け行け」とはやし立てる。早く終わってくれないかしら。じゃないと胃がむかむかして、心の臓にまで悪いものが感染うつってしまいそう。本当はみんなだって悲しいくせに。ユウジロウ兄さんが戦地に行ってしまうなど、つらくてたまらないくせに。




「カナエさん、こんなところでどうしたんだい」


 廁に行くふりをして宴を抜け出したユウジロウ兄さんは、すっと私の隣に座った。




--「あっちへ行ってよ。あなたなんか嫌い。裏切り者。もう帰ってこなくてもいいわ」--




 過去の私は、自分の拗ねた心を優先してユウジロウ兄さんに対して嫌味しか言えなかった。本当の気持ちに蓋をして、一番可愛くない自分を見せてしまった。だってそうでもしないと、あの人を引き止めてしまいそうだったから。それは御国にとって許されることではなく、きっと優しいあの人を困らせてしまうのだろうと思ったから。


 でも……これは、その後悔が見せる夢ならば。




「……”メメント・モリ”」

「ん? なんだいそれは」

「前に英語の先生が教えてくださった言葉よ。今はこんなに可憐な少女である私も、人である限りいつかは必ず死ぬってこと」

「あ、ああ、まぁそれは誰だって」


 突如何を言い出すんだと、ユウジロウ兄さんは首をかしげる。


「意味は分かってはいるけれど、それを理解するのはなかなか苦難なものね。ラムネの中のビードロみたい。そこに見えてはいるのに、飲み込めはしないの」

「何が言いたいんだい」

「死にに行くのはあなただけじゃない。私だって順調に死に向かって生きているの」

「……」

「それでね、のらりくらりとしわくちゃのおばあちゃんにまでなった私は、死の間際に未練がましくこう云うの。ああ、どうしてあの人に本当の気持ちを伝えなかったのか、それだけが心残りだって」

「……カナエさん? お酒でも飲んだのかい」

「もう、鈍いひと」




 私はぶつんとユウジロウ兄さんの制服の第一ボタンを剥ぎ取った。制服はべろりとだらしなくはだける。彼は驚いて、そして徐々に顔を赤らめていく。出征する恋人の第二ボタンをもらうのはこのころの女学生の流行りだった。だけれど私はあえて一番上をいただく。恋人ではなかったし、それに。



「上官に叱られて、出征が取りやめになって仕舞えばいいんだわ」

「……ああ参ったなあ」



 ユウジロウ兄さんは真っ赤な顔を大きな両手で押さえてうずくまった。





***




--ピッ……ピッ……ピッ……



「おばあちゃん! カナエおばあちゃん!」


 目の前には美しい娘に成長した、孫の花音かのんがいた。柔らかくて温かい感触を左手に感じる。彼女がしっかり握ってくれていたのだ。


「良かったぁ……! もう目を覚まさないかと思ったんだよ……!」


 花音は涙を拭う。そうか、私はまだ生きているのだ。


「懐かしい……夢を見ていたよ」

「夢?」

「ああ、昔私が女学生だった頃の夢さ」

「どんな夢だったの?」

「喧嘩別れしてしまった初恋の人に告白をし直す夢だった。まるで過去に遡ったかのようだったよ」

「やだなぁ、走馬灯なんて冗談でもやめてよ……あれ、ちょっと待って。おばあちゃん、確か前に戦地に行く初恋の人に想いを告げられなかったって言っていたよね」

「そう。でもどうやらちゃんとやり直せたみたいね」


 私は自分の右手に握られていたものを花音に見せる。古びた制服のボタンがそこにあった。


「ええ!? どどどどういうこと? その恋が叶っちゃったら、もしかして過去が変わる……? 私のおじいちゃんが、おじいちゃんじゃなくなる……?」

「さぁ? おじいさんはもう亡くなってしまっているし、確かめようがないね」

「えええええ!? ちょっと、お母さん聞いて! おばあちゃんが--」




 花音は取り乱して病室を出て行った。ようやく静かになった。すると、枕元から声が聞こえてきた。


「カナエさん、君は本当に人を困らせるのが昔から上手だね。どうして本当のことを言ってあげなかったんだい。お前のおじいさんは臆病者だから、未来が変わることはないよと。出征の直前になって怖気おじけ付いてしまって、無断で戦地を抜け出し君と駆け落ちしたんだと」


 枕元に視線をやると、輪郭が薄ぼんやりとした白髪の男が腰を曲げてこちらを見ていた。私はかつての旦那に向かって微笑みかける。


「でも後悔していたのは本当だったのよ。死に別れるかもしれないという時にも思いを告げられない……そんな自分の弱さがずっと歯がゆかったんだから。後からあなたにもらったこのボタン、願掛けで握ってみたのだけどまさか本当に夢に出てくるなんて」


「馬鹿だね。それがなくとも、僕は君を迎えに行ったのに」


 彼は拗ねるような声で言う。あの頃よりはずいぶんと皺だらけの顔になっているけれど、それでも微笑むと浮かぶえくぼは変わらない場所にある。




「残念ながら夢は醒めてしまったわ。だからお迎えはもう少し後で結構よ。また会いましょうね--ユウジロウさん」





***end***


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