Act3

「The fragment of a film. It and a light.」

 夕暮れの草原の中を、男の子と女の子、小さい二人の子供が駆けていた。

「早く! 早く! 夜になる前に辿り着かないと、ドラゴンを倒せないよ!」

「待ってよー! だから、銀河ステーションだってば!」

 先を走る、気の強そうな女の子。

 その後に続く、気の弱そうな男の子。

 二人の行く手には、古い遊園地。

「銀河ステーションなんて、いや! だって、それどっちも男の子じゃない」

 女の子がぶんぶんと手に持っている木の枝を振り回しながら、文句を言う。

「だったら、お姫様と王子様が、ドラゴン退治に行くほうが、面白いじゃない!」

「それだって、お姫様はドラゴン退治に行かないじゃん……」

「いいの! 私の中では、どっちも冒険に出るの! じゃないとあんたと一緒に遊べないじゃない」

 男の子は疲れてしまったのか歩みを緩めると、『銀河鉄道の夜』とブリキのロボットを取り出した。そしてロボットに向かって話しかける。

「僕はそんな危ないことより、銀河鉄道に乗りたいなあ……」

 しばらく一人で進んでから気づいた女の子が、ずんずんと怒った顔で男の子の方へと戻ってくる。

「あんたは、王子様なの! そして私がお姫様! オムライスの時だって、助けてくれたじゃない!」

「銀河鉄道の夜にだって、女の子は出てくるよ?」

「でも、それは、お姫様じゃないんでしょう? 主人公は、どっちも男の子じゃない!」

 その場で二人の子供は喧嘩を始めてしまった。

 次第に男の子の方にも熱が入ってきて、女の子に言い返す。

「たまには、僕のやつだって、いいじゃん! いっつもいっつもドラゴンとかばっかりでさあ!」

「嫌なの! 嫌なの! 私は王子様とお姫様が一緒に冒険する方がいいの!」

 お互い平行線のまま、やがて男の子が痺れを切らしたのか、一人で歩き出してしまった。

「もういいよ! 僕はこいつと行くから」

 そう言うと、ブリキのロボットを右手で高々と掲げる。

「僕がジョバンニで、こいつが、カムパネルラだ」

 みるみるちに女の子の目に涙が溢れてくる。手に持った木の枝も、震えていた。

「どうして……どうして、そういうこと言うの!」

 ついに、泣き出してしまった女の子が、木の枝を振り回しながら男の子の方へと走っていった。

 そして、故意だったのか、偶然なのか、その木の枝が、男の子の右手に当たった。その小さな手にぴっと赤い線が走る。その衝撃でブリキのロボットは草陰へと飛んでいってしまった。

「……あ。ごめ……」

「おじいちゃんの、ロボット!」

 怪我をしたことにも気づかず、男の子はロボットの方の飛んでいった方へと駈け出した。

 すぐに女の子も後を追う。

「ねえ、待って……待って! 謝るから、銀河ステーションでも良いから、待ってよ!」

 ばしゃん、と何かが水に落ちる音がした。

 草の陰に、一筋の小川が流れていた。小川と言っても、子供が飛び越えるには少々大きな川だった。その向こう岸にブリキのロボットが引っかかっている。

 ただ、男の子の姿は、もうそこには無かった。





 教室の隅の席にブレザーの制服を着た一人の女の子が座っていた。

 長い髪を一つに纏めて、見た目は快活そうに見える。ただ、その目は机の上に広げられた何枚ものルーズリーフに向けられていた。

 何人かの生徒が女の子に話しかけてきたけれど、返事をするものの、一度も顔をあげなかった。

 ただ、ひたすらにペンを動かしていた。

 やがて、教室が夕暮れに染まる頃になっても、女の子は書き続けていた。

 一度も顔をあげることもなく、他人の目を見ることもなく、その視線はずっとルーズリーフの奥の方へと、向けられていた。

 太陽が沈み、室内が暗くなってからやっと、女の子は顔をあげた。

 もう辺りには誰も居ない。

 女の子は、机の上のルーズリーフをかき集めると、無造作に、無表情に、鞄にそれらを詰め始めた。

 パサリと、鞄から何かが落ちた。

 『銀河鉄道の夜』だった。

 開いたページから一枚の落書きがはみ出している。

 女の子が、すっとその紙切れを拾い上げる。

 下手くそな男の子の絵だった。

 つー、と女の子の無表情な顔に一筋の涙が流れた。

 やがて、「ぐっ、ぐっ」と蛙の鳴き声のような音が響いた。女の子が嗚咽を我慢している声だった。

 誰も居ない、真っ暗な教室の中。

 女の子は無表情のまま、一人で泣き続けた。





 どこかの夜の浜辺に、女の子は立っていた。

 一つに纏めていた長い髪は下ろしていて、水平線から流れてくる風に揺れている。

 服装も、もうブレザーではなくて、夏服のようだった。

 手にはペンとルーズリーフの束。その一番上には、下手くそな男の子の絵が挟まった『銀河鉄道の夜』が在った。

 一歩ずつ、沖の方へと歩みを進める。

 最初は躊躇いがちだった足取りも、次第に早く、確かになっていった。

 スカートが濡れる。シャツが濡れる。

 それでも女の子は歩みを止めない。

 ついに手に持っている物まで水に浸かった。

 ルーズリーフが白い花びらのように、一枚一枚、水面に広がっていった。

 そこで一度だけ、女の子は立ち止まり、空を見上げた。

 雲一つ無い夜空には、星空が広がっていた。

 その空の中心を天の川が流れていた。

 じっと、女の子はその遠い場所を見つめていた。

「   」

 その場所へ向けて、何かを呟く。

 それはまるで、誰かを呼んでいるかのようだった。





 そこで一度映像は途切れた。

 スクリーンには何も映しだされていない。

 ただ、後ろの方からカタカタと映写機の回る音はしていた。

 ……恐らく、この後が、あのフィルムなのだろう。

「……カガミ」

 すぐ隣から、アカリの声がした。

 ことん、と僕の肩に頭を乗せてきて、そして。

「好きよ」

 そう、呟いた。

「うん」

 その頭に頬を寄せて、答えた。



 スクリーンにまた、あかりが灯った。

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