第18話 娘との対話


 榊の工房にて――

 シャルロットは義父と、義父が連れてきた得体の知れない少年を見ていた。

 少年は彼女が見た事の無い服を着て、道化師のような仮面をつけていた。

「ふむ」

 その手が、棚に伸ばされ、大切な顧客から預かった武器を取ろうとする。

「ちょっと!」

 シャルロットが怒鳴った。

「いいんだ。少し黙ってろ」

「どういうこと? 朝帰りした理由は聞いた。まあいいわそれは。でも工房に職人でもない人を入れるのってふざけてるの?」

 制止した京四郎に、少女は食い下がった。

 研磨作業を行う場所は、職人しか入る事は許されない。

 シャルロットが出入りできるのは職人だからであり、妹のクリスティーヌですら行き来を禁じられている。

 研磨師は客の魂とも呼べる武器を預かり、研ぎをしてその命を輝かせる。

 工房は神聖な場所なのだ。

 その場所に、得体の知れぬ人を入れている。

 シャルロットにとって、それは何よりも度し難い事だった。

 少年は首をかしげ、かしげた首を直立の位置に戻すと少女に歩み寄った。

「研ぎとは、このようにすることであろう? 即席だが」

 鞘に収められた、刀をさしだす。

「……」

 シャルロットの顔から、表情が消えた。


――この世のどこに、刃を鞘に入れたまま研ぎを行える者がいるのか……!


 これ以上ないほどの侮辱。あまりの怒りに、身体を小刻みに震わせながら。

 シャルロットは差し出された刀を、手に取った。

 取って、鞘から引き抜いて――瞠目した。

 見事に研磨されている。京四郎が仕上げたのと遜色ないほどに。

 その刀は確かに、昨夜までは仕掛かりだった。

 名工リュカオンの作、フナマタという名の刀。

刀身は無垢鍛え。鋼はニッケル、ボロン、モリブデンその他の複合綱。焼入れは後世にスプリング焼入れと呼ばれる、この当時では最新の技法。高レベルの強靭性と粘硬性を備えてい、研ぎが万全ならば甲冑をも両断できる逸品である。

 三週間前に依頼されていた刀だ。繰り返しの使用と返り血により、刃に歪みと錆が生じていた。

「何者なの?」

「俺の古い友達」

「ベルゼビュートという。錬金術を少々嗜んでいる」

「錬金術って、あの?」

「こいつのは本格派だ。鉛を金にできるとかいう詐欺師とは違うぞ」

「それが、刀研ぎを?」

「魔術を使った。詳細は秘術ゆえ言えぬ」

 ベルゼビュートは誤魔化した。

 サイコメトリーという能力がある。

 物質に宿った記憶を読み取り、加工前の姿を知る事ができる力。この力に熟練した能力者は、加工される前の姿に再生させることができる。

 刃こぼれした刀は、新品同然に。

 不十分な焼入れ、焼き戻しは、万全の状態へと。

 その物質が経験した中での最高の研磨状態に戻すことを、ベルゼビュートは鞘越しに触れるだけで行っていた。

「娘の件を解決する代わりに、仕事を手伝って欲しいと頼まれた。しばらく厄介になる」

「娘……?」

「テレーズの父親だ」

「は?」

 仮面の下にある口を、シャルロットは見つめた。顔を隠していたとて、若さがにじみ出ている。どう見ても、自分と同じ程度だろう。

 そして、先日会ったテレーズの見た目はシャルロットよりも年上だ。

「歳は百を越えている」

 少年はいい、何がおかしいのか笑った。それもそうだろう。実際は二億年以上の時を生きているのだ。彼にとっては百年など誤差以下の数値でしかない。

「……人間ですか?」

「違ったらどうする? お嬢さんを取って食うつもりはないよ」

 少年の言葉に、シャルロットが後ずさる。

「シャル。今夜、時間があるか?」

 京四郎が言った。

 びくりと、シャルロットの肩が動いた。

「ひ、暇だけど、何?」

「お前に今まで隠していた事を話しておきたい」

「クリスには内緒で?」

「いずれ話すが、今話せるのはお前だけだ」

「わかった」

 頷く、シャルロットの顔からは怒りも苛立ちも霧散していた。

「ときに。この部屋にある刀剣類の処置はしたが、他にもあるか?」

 と、ベルゼビュート。今度は鞘越しに触れてすらいない。

「いや、ない」

「そうか」

 京四郎が半年かかる仕事をわずか二分で終え、魔王はこともなげに頷く。

 信じられないという顔で、シャルロットは少年を見た。

「他にすることは?」

「頼んだ物の手配だけだ」

「二日、いや三日かかるな。正規ルートの関所を通すゆえ。流石に連邦の監視下で惑星外からの物品を密輸するわけにもいかぬ」

「そのくらいなら大丈夫だ。なるべく早く頼む」

「ああ。図面は早めにくれ。……さて、する事がないのなら少し出かけてくる」

「観光か?」

「いや。テレーズと話をしてくる」

「あー……。がんばれ」

 魔王ベルゼビュートは、勇者にそそのかされた実の娘達に命を狙われた。魔王は勇者含むご一行様を返り討ちにし、その過程で娘が一人死に、もう一人は裁判にかけられ魔界での地位を剥奪の後に国外追放された。

 そのいきさつを、京四郎はテレーズとベルゼビュートの双方から聞いている。

「お互い、ままならんものよの」

 シャルロットにちらりと視線をよこし、少年は苦く笑った。



  ***



 夜になった。

 クリスは寝かしつけ、住み込みの奉公人もそれぞれの部屋に戻っている。

「入るよ」

 袖の長い、ピンク色の寝巻きをつけて、シャルロットが入ってきた。

 書斎である。

 京四郎は上質な紙を纏めたノートに、凄まじい速度で万年筆を走らせていた。

「少し待ってくれ」

「ん」

 少女は適当に目に付いた本を取り、予備の椅子に座る。

 十と数ページ読んだところで、京四郎の作業が終わったらしい。

「待たせて悪かった」

「いつものことでしょ」

 娘の棘のある言葉に、京四郎は小さく息を吐く。

「ひどい親だな俺は」

「家にいつかないところとか特にね」

「いつけない理由があった」

「へぇ。聞きましょう」

「俺は人間じゃない」

「そんなの誰でも知ってる。ほとんど歳をとらないこととか、馬よりも速く走るところとか見て人間だと思うわけないでしょうに」

「今、俺は人間じゃない奴らから絡まれてる。絡んできた奴ら全員が俺よりも強い」

「……」

「今度は生きて帰れんかもしれん」

「……。今までも、そういうことがあったの?」

「近い事はあった。お前らの親になってからはいざこざに巻き込まれないよう努力してきた。色々とな」

「何日も家を空けたのはそのせい?」

「だいたいはそうだ」

「人間じゃないって、だったら何なの?」

「宇宙人だ。この星の外には、たくさんの星が浮かんでる。その星のひとつから俺は来た。昼間に紹介したあいつは俺と同じ外の世界から来た。俺の敵も、この星の外側から来てる」

「何で絡まれてるの? 何をしたの?」

「大昔に、人を殺した。何人もな。たぶんこれからも殺すことになる。そうなる前に罪を裁いて、俺を牢獄につなぎとめようとしてるらしい」

 京四郎の説明は事実であった。

 だが、事実の全てではなかった。

 仮に話したところで、産業革命前の人間であるシャルロットには理解が追いつかないだろう。あまたの星々を砕いた戦のことも、戦に借り出された悪魔の伝説も、そして宇宙を滅ぼす魔法があるということも。

「嘘」

「本当だ」

「嘘よ。人殺しなんて。兄さんはそんな人じゃない。だって兄さんは、いつも、人を助ける為に働いているじゃない。私、本当のことを知ってるわよ。兄さんが色街を牛耳ってるのは、病気の人や小さな女の子が働かないように監視するためだって。縄張りの盛り場から諸場代をとってるのは、借金を肩代わりするためだって。クラスメイトから聞いたもの。兄さんのおかげで普通の仕事を紹介してもらえたって。身体を売らずに済んだって。妖魔が来た時だってそうよ。軍に任せればいいのに馬鹿みたいにかけずりまわって戦って、人を助けて……、いつも、いつもいつも。私はいつも心配しながら待ってるんですからね!」

 シャルロットの目から、涙がにじんで流れ出た。

「やめてよね……誰かの為に無理するの、家を空けるのも。私達、家族でしょう。血は繋がっていなくても、家族でしょう……」

「すまん」

 詫びて、頭を下げる以外に、京四郎はとるべき行動が分からなかった。

 家族の問題について、予知能力を利用して最適解を探る――そんな真似を京四郎はしなかった。これまでも、おそらくはこれからも。

 今まで、彼は知らなかった。

 色街に繰り出した彼が何をしているか、娘が知っていることを。

 諸方の盛り場を取り仕切り、金をせびっていた理由を、娘が知っている事を。

 妖魔討伐に繰り出す度に、娘がどれほど心配していることを。

 家族が自分の事をどう見ているか、何を想いすごしているか、彼は知らなかった。

「謝罪なんていらない。勝てない相手となんか戦わないで、逃げればいいじゃない。自分の身を第一に考えなさいよ。私もクリスも、ついてくから。兄さんと一緒にいるから」

「そうだな」

 言って、京四郎は大きく息を吸い、吐く。

 二度ほど深呼吸をした時、悲壮だった彼の顔からは憑き物が落ちていた。

 この時。

 京四郎は、覚悟を決めた。

 娘を守る為、人間をやめる覚悟を。

「だが、逃げるのも準備がいる。うまくすれば話し合いに持ち込めるかもしれんが、それにも準備がいる。その間、家を空けることを許してくれないか」

「どのくらい?」

「今から四週間」

「絶対に、生きて帰ってくるって約束してくれる?」

「約束する。嘘じゃない」

「危ない橋を渡るのは、これで最後にして」

「ああ。それも約束する」

「分かった。きっかり四週間よ。絶対に帰ってきて」

 大きく、京四郎は頷いた。


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