追われる身体 chase

 息を止め、ようやく無法特区を抜けた刻三たちは自分たちをつける影に気づくことなく歩いていた。目的があるわけではないが、とりあえず宿屋のない産業都市オークロを抜けるつもりだった。

 陽は天高くから強く降りそそいでいる。今から隣国のシバラに移動すれば日が落ちるのまでにたどり着くことができる。

 そう考えた刻三は千佳と短い討論を交えてから、シバラへと移動し始めた。

 オークロの中心部、活動的に動いている工場などの間を抜け、西へと移動する。次に広がるのは廃棄地、と呼ばれている地域だ。

 事業に失敗した会社の廃棄工場が立ち並ぶ使うことの出来ない死んだ土地。どこが誰の土地なのかすら誰もわからない、所有者不明の土地の細い通路を歩く。

 大きな工場が立ち並ぶのでその間は大きな影が出来ている。そこを歩いていると日向よりかは幾分かは涼しいように感じる。

「ねぇ、お兄ちゃん」

 千佳がか細い声で呼びかける。刻三は何も言葉を発することなく、顔だけを千佳の方へと向け続きを促す。

「誰かつけてきてるような……気がする」

 自信なさげな口調だが、言葉には強い意志が込められているように感じられた。刻三はそれを汲み取り、千佳の腕を掴んだ。

 そしてそのまま一気に廃棄地を駆け抜け、オークロの西門をくぐり、国外へと出た。

 刹那、景色は一変した。茶色っぽい色が主な色となっていたオークロとは打って代わり、果てしなく広がる緑の平野が一面に広がっている。

 成長段階のほぼ等しい草が永遠のように生え並ぶ。

 しっかり大地に根を生やした草を踏み締める度に、シャキっという音が響く。

 ──ここまで来れば付けてきてる者がいればわかるだろ。

 刹那、後方からシャキっという音が聞こえた。

 ──やっぱり、つけられてる。

「お兄ちゃん」

「分かってる、つけられてるな」

 より一層千佳の腕をつかむ手に力をこめる。千佳の表情が強ばるが、刻三はそれに気づく様子は全くない。

 息を切らしながら、刻三は駆ける。所々に立つ木が東側に影をつくる。日が傾き始めたのだ。

 草原には伸びる不動の木の影のほかに、三つのヒトをかたどった影が素早く動く。

 どれくらい走ったか分からなくなってきた頃、僅かな音が耳についた。

 そしてそれと時を同じくして、何かが飛んできた。

 この世界で普通に暮らしていれば見ることのない、黄色の閃光。それはまっすぐ伸びて、ビームのようだ。

 刻三は自分にたどり着く一瞬前にそれに気づき、瞬時にしゃがみ込む。腕を掴まれていた千佳も刻三の動きに強制的に付き合わされてしゃがみ込む。水色の髪留めで一つにくくっている髪が宙になびいてから背中に落ちる。

 それからコンマ一秒後に元いた場所に黄色の閃光がほとばしった。

 何かは分からないが当たればとんでもないことになる、刻三は直感的にそう思った。

 閃光が消えるのを確認すると刻三と千佳は立ち上がり、再度走り出す。一刻でも早くあの閃光から逃れる為だ。

 だが数十メートルも走らないうちに次の閃光が飛んでくる。

「何なんだよ!」

 思わず刻三は声を上げる。


 何度も襲い来る閃光を避けているうちに襲撃者との距離は徐々に縮まり、十回目の攻撃がきたときにはその姿がはっきりとわかるほどにまでなっていた。

 肩にかかるほどの銀色の髪が走るたびに靡いている。

 全てを見透かすような蒼碧そうへき双眸そうぼうが刻三たちを捉えて離さない。

 感情を一切見せずに右手が刻三の方へと向けられる。

 襲撃者の口が開く。囁くようなボリュームのために何を言ったかまでは分からない。しかし、それが終わるや否や向けられた右手の掌に黄色の閃光が集結し始める。

 暖かさを感じられる閃光の集合体は大気を焼き切る音を立て、一直線に刻三に向かう。空気抵抗やらそういった物理現象を無視した一撃だ。

 刻三は一瞬の判断で千佳から手をほどき、突き飛ばし、続いて自分も地へと這いつくばった。

「悪い、千佳。大丈夫か?」

「う、うん。お兄ちゃんこそ、大丈夫?」

「あぁ、なんとかな」

 うつ伏せに転んだまま襲撃者を横目で捉え答える。刻三は千佳に一番近くにあった木を指差し、そこでしゃがんで隠れるように指示した。千佳は異議を唱えることなく、頷き四つん這いで移動した。

 刻三はそこに攻撃が飛んでいかないことに少量の安堵を覚えながらも、集中は切らさず襲撃者を睨んだ。

 襲撃者はその間に刻三に歩みより、距離は顔立ちがはっきりとわかる距離にまでなっていた。

 驚くほどまでに整った顔立ちであった襲撃者。蒼碧の双眸は遠くからでもうっすらと分かっていたが、それに見合うだけのパーツを兼ね揃えていた。すっと通った鼻筋に申し訳程度で膨らむ唇には色気すら感じさせる。

 銀色の髪は毛先がクルッと軽く巻いてある。

 そんな襲撃者が口元に似合わない妖しい笑みを浮かべる。

「我が統べる能力ちからは聖光。汝、我との契約に従い能力を貸し与えよ」

 襲撃者は張りと艶のある声で祝詞のりと を滑らかに唱える。

「聖なる光を操る者が真意を持って願い奉る。清浄の光を撃ちてじゃの心を祓い給え!

 8の術、ライト リヒト ルーチェ グアン ルス ルークス ポースフォース ホーリー。光聖分子化テレポート


 単語を連ね、力が解放される。襲撃者の身体のあちこちが閃光に包まれ始め、ポースフォースを唱える頃には全身が閃光に包まれており、光の巫女にすら見えた。

 そして全てを唱え終えた瞬間、光は一切の破片も残さず消え去った。

 音もなく無残に分解した。

 刹那、閃光と共に姿を消した襲撃者が瞬く閃光と共に刻三たちの目の前に現れた。

 前触れもなく、まるで瞬間移動でもしたかのように現れた。

「あまり、私に高難度の術式を唱えさせないでくれるかなッ!」

 突如として眼前に姿を見せた襲撃者は怒ったなげに言いながら、強く握った拳で刻三の腹部を殴った。

 刻三は肺から逆流してきた空気を殴られた衝撃によって生まれた喘ぎ声と共に吐き出す。

 刻三はその場でたたらを踏み、倒れ込むのを堪える。

「へぇー、凄いじゃん。不意打ちの私の一撃に膝をつかないなんて」

 襲撃者は目を見開き、驚きを表現する。

「そりゃどーも」

 刻三はどうにかそれだけ口にして体勢を整えた。

 ──あんなの女の一撃じゃねぇ。しかも、謎の光操りやがるしっ! これは逃げるが勝ちだな……。

 刻三は様子を伺いながら襲撃者のスキを探す。しかし、襲撃者にスキの『す』の字すら感じられない。

「あんた、名前は?」

 見合ってても何も起きない、殺られる可能性があるだけだ。そう結論付けた刻三はとりあえずの質問をした。

「私? 私はツキノメよ」

「ツキノメ……か」

「そういう貴方は?」

「俺は刻三。堀野刻三だ」

「へぇ、経済国家のニホンの子か」

「ツキノメ、お前はオーシャン国家リバール出身だろ」

 互いに警戒心丸出しでの質問の応酬。違和感極まりない光景だ。

「あら、何でわかったの?」

「髪と目だよ。リバールの人は皆一様に銀髪に蒼碧の目、してるって聞いたからな」

「物知りなのね。でも、私もあなたの事、ちょっとだけど知ってるわよ」

 悪戯な笑みを浮かべる。それを見た瞬間、刻三は全身に悪寒が走った。

 ──まずい。何かがおきる……。

「あなたが使ってこととかね」

 一瞬にして時が凍る。決して能力を使ったわけではない。しかし、刻三自身とあのピエロ・ポアリアン以外知らないはずの事実を言い当てられたことに驚きを隠すことができなかったのだ。

 整った綺麗な顔に刻まれるトゲトゲしい笑顔は刻三に更なる恐怖を植え付けていく。

「その様子だとまだ誰にも言ってないようね」

 刻三は当初打ち立てていた、スキをついて逃げるという作戦を完全に忘れ去り、棒立ちになっていた。

 なだらかな風が吹き、下草がカサカサと音を立てながら揺れる。

 それに伴い僅かに香る若草の匂いが漂う。

 オレンジ色に染められた空の東側はうっすらと暗くなっていっており、瞬く星がちらほらと姿を見せ始めている。

 刻三は背中から吹き出す脂汗が垂れ流れるを感じながら試行錯誤を繰り返す。ツキノメと名乗った奴が何故刻のアーカイブを知っているのか、何故自身を襲うのか。

 だが、答えは出ない。焦りが募り居ても立っても居られなくなり、ツキノメに背中を向け駆け出した。スキなんてこれっぽっちもなかった。

 自分の弱さを下唇を血が滲むまで噛み締め、疾駆した。

「千佳っ!!」

 妹の名を叫び、逃げることを示唆する。千佳はそれを察し、木の陰から姿を現し、同時に地を蹴り刻三の横まで移動する。水色の髪留めで作ったポニーテールが名の如く馬のしっぽのように揺れる。

 黒いその髪は、オレンジの夕日を反射して煌めいていた。


 スキを見せたつもりはなかったが、背を向けて逃げられるとは予想もしてなかったツキノメは逃げ出した刻三に反応を一瞬だけ遅らせた。

 短い舌打ちをした後、ツキノメも同じように地を蹴る。しかし、圧倒的にスピードが違った。

 先を行く刻三と千佳の背中はみるみるうちに小さくなっていく。

 どんなに怒りを積み上げてもそれが変わることは無い。

 刻三はチラチラと後方を確認する。どんどんと距離を開けられることに多少の安堵を感じ、口元が緩む。

 理由は分からないがツキノメは失速した。荒ぶる息の中、刻三は千佳に言う。

「あとちょっとだ」

 千佳は短く「うん」とだけ返して隣を走り続ける。刻三自身、そこそこの速さで走っているため千佳がおいてけぼりにならないか心配になったが千佳はほとんど刻三と並列して走っていた。

 一方でツキノメはさらに走るスピードが落ちていた。

 刻三たちは気づいてないが、ツキノメ本人は気づいていた。

 減速の原因は術式の使い過ぎだ、ということを──。

 ツキノメは産業都市オークロを出てからずっと一の術を使ってきた。そして挙句の果てには七の術まで使って刻三を追い詰めた。だが、そこで殺り損ねた。術は使う度に威力を落とし、体力を消耗する。術の難度が上がれば上がるほど消耗は激しくなる。

 ツキノメはここまでに一の術を九回、七の術を一回使用している。

 その上で全力疾走を繰り返していた。それで体力はほとんど使い切ってしまったのだ。

「くそ……。追いつけないわ」

 涙色と怒りが含まれた何とも言えない声音だった。だが、決して諦めることはなかった。ツキノメは遅いながらも足を止めることなく、必死に足を動かした。1歩1歩、確実に進んだ。


***


「撒いたか?」

 刻三は誰に問うでもなくおもむろに呟く。

 目的地であるシバラにはまだ着かないが、日は完全に沈み空には黒が染みていた。そんな黒の中にぽっかりと浮かぶ白に近い黄色の満月。ほんのりと明るく照らし出す月はたかぶっていた気持ちを安らかにしてくれる。

 そして月のほかに暗黒の空に輝きを与えるのは何億光年も先で大昔に輝いた星々だ。『ここにいるよ』とささやかに主張する明かりは感慨深い気持ちにさせてくれる。

 刻三たちは走っていた足を緩め、今は歩いている。まだ追いかけてきているかもしれないが、姿形も見えない相手から逃げ回るのは精神を削がれ、どっと疲れる。

 半日近くそんなことをやっていた刻三と千佳は口には出さないが、顔には疲れがびっしりと刻まれていた。

「千佳」

「何。お兄ちゃん」

「まだ街にはついてないけど、ここらで休むか?」

 兄としては妹をこんなところで休ませたくなかったが、自身の体力と千佳の表情、体力を鑑みて口にした。

「うん……」

 千佳は迷いなくそう答えた。やっとだ、と言わんばかりの口調だった。

 刻三と千佳は数十メートル先にある木に向かって歩いた。

 二人は木の下で並んで座り、幹に体を預けた。

 ヒンヤリとした空気が頬を撫でる。2人は昨晩同様に体を寄せ合って瞳を閉じた。

 それとほぼ同時にスヤスヤと規則正しい寝息を立てて眠った。

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