Fourth

 緑色に光る瞳は自身の拘束された腕を見つめた。肩越しで、手首を縛る金具の形状までは見えない。

 徐々に力が篭もりはじめると、メキメキと嫌な音が室内に響き出す。手首に掛けられているのは拘束用の鉄の環だろうが、それが肉に食い込んでいる。ぶちり、さらに嫌な音がした。手首からは多量の血が流れている。

 皮を裂き、血管と腱の一部が引き千切れた段階で、ようやく鉄の環が軋んだ音をたて始めた。

 デイビスは痛みすら関知しない。

 冷たい表情は、もはや人間らしさの欠片もない。

 鉄の環が歪な形に変化し、二つの環の繋ぎ目あたりが突然弾けた。キン、と金属音。

 聴覚は、先ほどから複数人の足音を捕らえている。慌てて走る音が一度遠ざかり、しばらくの後にまた近付いてくる。標的が武装するパターンは類似する。

 血流を操作し、一時期停止する。手首から無駄に流れる血がそれと共に止まった。筋の収縮、損傷した箇所のコントロールを停止、駆動ギアに切り替える。

 ゆっくりと、首に掛かる革の拘束具を取り外し、襲撃者を待った。


 宙空に右腕を伸ばす。皮膚が裂け、骨格が異様な変化を起こし、腕の下にブレードを創り出した。斧に似て、日本刀の反りを持つ。左手の皮も同様に裂けて骨格を顕わにする。鈍いメタリックブラウンの骨は血に染まりながら硬質な鎧状の突起と化していく。メカニカルな、鳥類とも爬虫類とも取れる形状。

 人口皮膚は精巧であるが故に骨格とは別扱いになった。カーボンチタン合金の骨格は頑丈だが、皮膚および内臓は人間と同様に出来ている。人間とは違い、スペアが作れるというだけだ。生体細胞は正確にDNAをコピーする。

 メタルの骨格とコピーの皮膚、その隙間にびっしりと水素吸蔵チヂリウム合金――コアメタルハイドライド―― のワイヤーで組まれた筋肉が『人間』のカタチに編まれている。デンスバー工法で精巧に編み込まれたミクロの繊維。微小な電波を介し、脳組織と同等の働きを行うため、デイビスは頭部を破壊されても遜色なく行動する。いわば、全身の筋肉組織が頭脳になる。


 扉は開かなかった。

 ベニヤ板をぶち抜いて、散弾が襲い掛かる。床を滑る影がドアに向かって伸びる。

 腕の力だけで床を這い進むデイビスのスピードは人間の出せる速度を優に上回る。響いた音は一音のみ。金属が床板を削り取る音。一瞬で扉の前へ移動した。

 薄いドアをぶち抜いてデイビスの左腕が扉ごと襲撃者の一人を貫き通す。

 間髪入れず、左腕を引く。反転、敵の反撃を避けた。散弾が再びドアに向けられ、発砲。扉を粉砕する。粉々に砕けた破片が鉛玉と共に四方へ飛び散った。


 口の端から薄く血を垂れ流した夫人が踏み込んだ。腹部には大穴が開き、肉とないまぜの機械部品が覗く。ぶら下がったチューブの先、細かな漏電が赤黒い肉の中で小さな雷光を燈している。半機械化のボディ。

「ちぃっ、」

 血の泡を吹きながら、夫人が舌を打つ。

 手にしたライフルの撃鉄を上げる。リロードの間にデイビスの右腕がその首に向かう。斧の形状から槍の形状へ。手首の側へスライドし、突き出た刀身は彼の意志のまま、自在にその向きを変えた。切っ先は前、薄い刃は外を向く。鳥の風切り羽のように微妙に角度を調節した。


 ブレードは的確に夫人の首を落とそうとしていた。だが、後方から走りこむ影に阻止される。小さな両手にはそれぞれに大型のカーボンナイフが握られ、硬質メタルのブレードを食い止めた。

 火花が散り、細く金属の擦れ合う嫌なノイズが耳の奥を引っ掻いている。超音波のように高く掠れながら、悪鬼の形相をした少女の唇からも同じ音が漏れた。

 リロードを終えたライフルが三度び、火を噴く。

「ぎゃっ!」

 咄嗟にデイビスはナイフを握る両手をわし掴んで盾にした。

 腕を振り切り、壁へ叩き付ける。

 頭部と同じ幅の血糊を広げて、少女の身体がずるりと壁から落ちた。


「ちくしょう!」

 女が太った身体をゆすって、三度目のリロードを試みる。

 ライフルの銃口は床にキスをしたまま、女の首は天井とキスをする。落ちて派手に血飛沫を撒いた。

 一発の散弾が撃ち出される轟音から生首が床に落ちる鈍い音声までの数分。僅かな時間の騒然。

 そして、再び訪れる静寂。

 ふくよかな肉を手で押しやると、素直に道を開ける。くるりと回転した。

 独りでに廊下に倒れ、首の切断面から吹き出た血の流れがカーペットに落ちる。カーペットが真新しかった頃の真紅に染まる様をデイビスは冷たい視線を投げて眺めていた。

 視線を廊下の先へと向けると、少し離れて様子を窺う亭主と目が合った。

 明らかに狼狽して、拳銃を両手にしたまま立ち尽くしている。だが、その目に投降の意思は見てとれず、デイビスの思考回路は殺処分の判断を下す。

「お前は……まさか、まさか、」

 唇さえ開くことなく、デイビスは無造作に右腕を振り切る。人間の目には映らない。

 ソニックウェイブは超の付く加速をもって、光速の刃と化す。

 今朝、フロントで『彼』と会話した男の首が飛んだ。



 残る一人は投降した。

 母屋に隠れていた老婆は無表情の悪魔を前にただ震え続けていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る