竹竿の安五郎

「馬鹿野郎、一矢も報いず、よくおめおめと帰って来たな」

 ここは甲州竹竿村。《狂犬》と呼ばれた村の貸元、安五郎が屋敷で代貸の鶴太郎を怒鳴っている。

「駿河の丸長には水運のことで昔年の恨みがある。だからおめえをやったのに、二十五人衆の片腕も落とせねえとは代貸が聞いてあきれるぞ。指つめろ……というのは嘘で、今回の喧嘩はいわば一種の目くらまし。俺らが相州を狙っていることを悟らせない作戦さ。鶴よ怪我はないか」

 怒ったかと思ったらたちまち優しくなる。これが安五郎の性格である。とくに身内には優しいので、それを慕った子分が二千人。日本屈指の大貸元である。だから、彼にとって地元の甲州は狭過ぎる。狭過ぎる上に妙蓮貫太郎、国文の三蔵といった貸元達と日夜賭場争いをしなくてはならない。『甲州から出る』これが彼の悲願だった。

 その時玄関から声がした。

「兄貴、今戻りましたよ」

「おう、銀か。お前また長っ尻だったな」

 現れたのは白馬銀ノ助だった。ようやく指の傷が癒えた彼は兄弟分の安五郎の元に戻って来たのだ。

「おい、浦五郎は死んだんだってな。お前が付いててなにやってんだ。それに次に来た代官が優秀だっていうじゃないか。石和の代官がそれを聞いて、十手持ちの妙蓮に俺の賭場を取り締まらせてるぜ。くそったれ」

「兄貴、浦五郎の奴も子分もとんでもなく使えない野郎でした。種子島一つ撃てないんだから」

「そうか、そいつは酷なこと頼んじまったな。でも次は確実だ。前に言った相州攻めを始めるぜ」

「へえ、どうやって」

「全員で行くぜ。まずは富士の裾野を通って御厨(御殿場)に出る。ここまでは博徒はいない。それで最初は箱根の八蔵を倒す。そいでゆっくり温泉につかってから小田原の右衛門をやっつける。お前のいう通り、小田原城代には賄を渡しているからな。とがめ立てはないはずだ。そこからは東海道を上がって行って藤沢、平塚。ちょと外れるが鎌倉と三浦を貰って、はい一丁上がりだ。内陸の山ばっかりのとこは後からじっくりやろう。とにかく海と田んぼが欲しい」

「いい作戦ですね。でも食糧はどうします。現地調達は出来ないと思いますよ」

「うむむ、さすがに頭の回るやつだ。これは小田原城代に借りるか。散々、賄を贈ってるんだ。文句は言えないだろう。そいで、小田原で財力を貯めてから上を攻めよう。いい考えだろ」

「さすが兄貴、壮大な計画です」

「そうか。では田植えが終わったら出陣だ」

 配下二千人といっても三分の二は百姓が本業だった。それを無視することが出来ないのが安五郎の弱みだ。


 鶴見に相模の博徒、小田原の右衛門が来たのはそろそろ田植えが始まろうかという春の終わりのことだった。

「失礼します。私、相州小田原で博徒をしております右衛門と申します。文吉貸元にお目通りを願います」

「あら、私が二代目文吉でございます」

 凪の文吉が答えた。

「あれ、お嬢さん? 二代目?」

 混乱して右衛門は気絶してしまった。

 しばし経って、

「どうも失礼をしました」

 そう言う右衛門は二十八歳。彼も父親の家業を継いだらしい。しかし、喜んで後を継いだ凪と違っていやいや二代目にされてしまったらしい。

「私は生来身体が弱く、日々絵を描いて暮らしておりました。将来は絵師になれたらと思っていた所、父が卒中で亡くなりました。すると代貸の半蔵が『血より濃いものはなし。若が継ぐのがご正道』と言って私を無理矢理二代目にしたのです。これは私ならば傀儡の如く扱えると思ったのでしょう」

 右衛門が話し終わると、部屋の隅に黙って座っていた新九郎が、

「ならばこのまま逃げるがいい。それがしがお供申し上げる。薩摩だろうが奥州だろうが無事にお届け申す」

と言った。

「無茶言うんじゃないよ、新九郎さん。右衛門さんが逃げたら小田原一家が離散しちゃうよ」

 凪の文吉が怒った。

「それより、何の用で来たの?」

「はあ、実は甲斐の安五郎という恐ろしい博徒が水運の利権を奪いに、小田原をいや、相模国を狙ってやって来ると言う噂が広まっているのです」

「へえ。なら小田原の城代様に訴えればいいじゃないの」

「それが、どうも城代に賄が贈られているようで、我らの声に耳を貸そうともしません」

「じゃあ、相模の博徒達で協力して対峙すればいいわ」

「それは無理です」

 右衛門は下を見た。

「恩州と違い相模の博徒は仲が悪いのです。とくに同じく標的になるであろう箱根の八蔵とは温泉の利権を争って絶縁状態。比較的仲の良い内陸部の貸元達は自分たちには関係ないと知らぬ顔を決め込んでいます」

「なら駿河の大親分に頼めばいいわ」

「頼みました。しかし丸長さんは今、伊勢で、祭りの利権を争う大喧嘩が始まっていて、その仲裁が終わらないと来られないとの返事が来ました」

「利権、利権とそればかりだな」

 部屋の隅の新九郎が言う。

「もっともです。ですので縁もゆかりもございませんが、文吉貸元が統一した恩州を頼りとしたのに……」

「私が文吉で悪かったわね」

 凪の文吉が拗ねる。

「右衛門殿、申し遅れた。それがし、二代目文吉の後見人、草刈新九郎と申す」

「あっ、あの《左斬り》の」

「まあ、それはそれ。現在この恩州の博徒は今後なにか大事が起きた場合、代官を交えて全員で議論しその結果に基づいて行動します。ですからこの件も皆に計りましょう。もしそれが貴方に取って残念な結果になってもお許し願いたい」

「はい、そのようにします」

 右衛門は礼を言った。


 五日後、保土ヶ谷の公介宅で六浦代官と恩州博徒の会合が開かれた。公介の家が選ばれたのはここが恩州の中心であり利便がよかったからである。

「さて始めましょう」

 帷子の染吉が繰り出した。

「まずは小田原の右衛門貸元のお話しを承りましょう」

 そう言われて、右衛門は話し出す。つっかえつっかえ、顔を真っ赤にして汗はだらだら。よほどこういうことに慣れていないのだろう。よく貸元が勤まるなあ。と誰もが思った時、右衛門の話しは終わった。

「と、このように右衛門さんは我ら恩州博徒に助けを求めております。これについて何かご意見やご質問はございますか」

「はい」

 熊太郎が手を挙げた。

「相模の方々もこのように会合を出来ないのですか」

「無理です。あなた方のように相模は結束していません。いがみ合っています」

「お尋ねします」

 住吉の又五郎が身を乗り出した。日吉の隠居が死んで、正式に貸元になっての初仕事だ。

「我々が行けば確実に竹安に勝てるのですか」

「竹安勢は二千と聞いています」

「ええと文吉貸元百人、熊太郎兄貴二百人、虎太郎兄貴と俺が百ずつ。長太郎さん五十に竜平さん三十、又五郎さん五十で締めて六百三十です」

 竜太郎が発表する。

「私は百、出します」

 戸塚の友蔵が言う。

「俺は七十だ」 

 磯子の千ノ助が答える。

「俺が六十、公介が三十です」

「八百九十人だな」

 ずっと黙っていた代官の草刈小十郎が暗算した。

「肝心の小田原勢は」

 皆が注目した。

「ひ、百です」

「千に足りない。倍以上だ」

 座敷がざわついた。

「どうしましょうか? 文吉貸元」

 染吉が無茶振りする。

「あたしは……あたしは右衛門さんを助けてあげたい」

 凪の文吉が顔を真っ赤にして言う。

「じゃあ、我ら文吉傘下のものは相模に行きます」

 熊太郎が一門を代表して言う。

「私もいきましょう」

 友蔵が言う。

「俺も行く」

 千ノ助が低い声を発した。

「皆行くの、じゃあ俺たちもいくぜ」

 染吉と公介も続いた。ここで代官小十郎が、

「博徒同士のいざこざ故何もしてやれぬが、小田原城代の件は責任を持って江戸に報告をする。なるべく皆、死ぬなよ」

 この一言に皆心が引き締まった。

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