戸塚の友蔵

 空は晴れ渡っているが北風が強い。暦の上ではもう春というのに凍てつく寒さが身に染みる。そんな中、四人の侍が街道を行く。間もなく戸塚宿というところだ。

「主膳、大事ないか」

 一行で一番の若侍が後方で足をもつれさせながら歩く侍に問いかける。ご存知、松近健一郎である。

「な、なんとか」

 答えるのは《赤鬼》赤坂主膳。彼は今朝から風邪気味で高熱を発しているようだ。しかしそこは武士。弱音も吐かず一行に遅れんとする。だが、限界が来た。

「ううう」

 前のめりに倒れ込む主膳。それを青山権五郎と黄瀬川多門が抱きかかえる。

「主膳、しっかりせい」

「致し方あるまい、江戸から奥州仙台、そしてまた江戸と歩きづめ。さすが屈強の主膳も疲れが溜まろう。なあ、権五郎。お前もだ」

「若、ありがたいお言葉です」

「しかしこんなところでは治療も出来ぬ。なんとか戸塚宿まで行かねば」

「主膳の巨漢おぶって行くのは至難の業です」

 臆するは文臣、多門。

「私がおぶろう」

 健一郎が言うが、疲れているのは彼も同じ。主膳の体重に押しつぶされてしまった。非力を嘆く主従。主膳は不甲斐のなさに泣いていた。

「若、私は腹を切ります。置いて行ってください」

「馬鹿を言うな」

 健一郎の目にも涙。仇討ちの悲哀をまざまざと感じさせる主従。そこへ遠方から一台の駕篭がやって来て止まった。

「お武家様どうしました」

 中から壮年の男が声を掛けて来た。

「じつは同行の者が具合を悪くして……甚だ勝手だが駕篭を譲ってもらえぬか」

 頭を下げる健一郎。

「よろしいですとも。私は戸塚宿で博徒をしております友蔵と申します。もし私のようなやくざ者の世話になるのがお嫌でなければ我が家でお休み下さいませ」

「や、やくざか」

 落胆する権五郎。しかし、健一郎は、

「私は世間知らずで、やくざのことはよく知らない。しかし困っている我らに声を掛けてくれた厚情に感謝する。すまぬが宿を貸して下され」

「ええ、ようがす。さあ、ご病人を駕篭へ」

 促す友蔵。健一郎は笑顔で感謝した。その一方で、権五郎と多門は複雑な顔を隠そうとはしなかった。


「親分お帰りなさいまし。もうすぐです」

 友蔵の家に着くなり、子分が慌てて飛び出して来た。

「馬鹿野郎、落ち着きやがれ。それより、病人を運んで来た。西の間に布団を敷いて、医者の手配をしてくれ」

「へい」

 子分達がてきぱきと動き出す。

「なにか急ぎの用でもあったのでござるか」

 健一郎が尋ねる。

「いやあ、なに。ガキが産まれるんですよ。この歳でようやくできるもんだから、家中慌てちゃっていけません」

 友蔵は照れた。

「そうですか。そんな大事なときに面倒をかけて相済まぬ」

「いえ、これでも私は戸塚宿の顔役。困っている方を見捨てては、信用を失います。さあ、どうぞ家の中に」

 友蔵は健一郎一行を誘った。

「何から何まで相済まぬ」

 心から礼をする健一郎達。早速友蔵一家に厄介になった。


「私はやくざという者を勘違いしておりました」

 黄瀬川多門が健一郎に言う。

「私もです」

 青山権五郎も続く。

「そうだな。義に厚く人情にも厚い。男として見習わなければ」

 健一郎が感慨深げに言う。その時、

「おぎゃあー」

 と元気な泣き声。産まれた。

「やあ、よかった」

 健一郎は声を上げた。やがて、

「万歳」

 の大合唱。

「いやあ、男の子でした」

 西の間にやってきた友蔵が満面の笑みで報告する。

「跡取りができましたな」

 健一郎が言うと、

「いえ、この子はやくざにはしません」

 きっぱりと友蔵は言った。

「私は副業で酒屋を営んでおります。この子にはそれを正業として継がせます」

「うん、それはいい」

 健一郎は頷いた。

「ではみなさまにも振る舞い酒を」

 女中達が酒を運び、健一郎達はささやかに赤子の出生を祝った。


 所変わって、鶴見村の文吉一家。

「戸塚の友蔵に男の子が出来たってよ」

 文吉が嬉しそうに言う。

「完全無欠の友蔵の唯一の欠陥が跡取りの居ない事だったからな。めでてえや」

「なにか祝いを贈んなきゃいけないね、お父さん」

 お凪が言う。

「そうだな。祝い金は別として、なんか、おもちゃでも用意するか。それにしばらく逢ってないから、ちょと戸塚宿まで行ってみるか」

「それはいいですね。子分は誰をつけますか」

 勘八が言う。

「ううん、今は新入りばっかりだしな。勘八も忙しいしな」

「いっそ、新九郎さんでも連れて行ったら」

「そうか……でも、行きたがるかな」

「また、引きこもりが始まっているから無理やりでも連れて行きなよ」

 お凪が言った。

「だな。ちょっと奥の間に行ってくるわ」

 文吉は立ち上がった。


「なに赤子。ぜひ行きたい」

 予想に反して新九郎は乗り乗りであった。

「赤子など、我が弟小十郎の嫡子以来だ。小さくて可愛いだろうな」

 なんだか浮き浮きしている。こんな新九郎も珍しい。

「貸元、動物たちも連れて行ってよいですか。赤子に見せたら大喜びだ」

「まだ目も見えてませんぜ」

「そうか……でも連れて行こう」

 子供のようにはしゃぐ新九郎。

「あと、山猿、忠吉、権太を連れて行きましょう。長太郎さんは賭場があるから残念だけど留守番、留守番」

 勝手に話しを進める新九郎。文吉は思わず、

「山猿! 新九郎さんは薬飲んだか」

 と聞いた。

「ご明察です」

 山猿が答えた。

「大丈夫かな」

 不安になる文吉であった。


「そうですか。父上の仇討ちですか」

 戸塚の友蔵は頷いた。

「ええ、この恩州に《左斬り》という通り名の男が居てその者がおそらく私の探している男なのです。ご存知ありませんか」

 健一郎が言う。

「噂にはききますが、詳細は分かりかねます」

 友蔵は答えた。

「そうですか」

 落胆の色を隠せない健一郎。

「まあ、ゆっくりお探し下さい。私も気を付けますから」

 そう言って友蔵は部屋を出た。

(まずいなあ、文吉貸元が《左斬り》を連れてここに来ると使いをよこして来た。あちらを立てればこちらが立たずか……なにか穏便に済ます方策はないかな)

 長男誕生の喜びも束の間、難問にぶち当たり、頭を抱える友蔵であった。


 そんな事情を知らない文吉は新九郎、山猿、忠吉、権太を供にして戸塚宿に、友蔵長男誕生の祝いの品を携えて向かっていた。もちろん青、紅、白、黒も一緒である。

「貸元、疲れたでしょう。青にお乗りなさい」

 新九郎が文吉を気遣う。

「馬鹿言っちゃいけねえ。やくざが馬に乗るなんて恐れ多いや。それに青は気性が荒いんだろ。振り落とされたら堪んねえ」

「権太が轡を取れば大人しいですよ。なあ、権太」

「ええ、青はあたいが居れば大丈夫です」

「とにかく、やだよ。新九郎さんこそお乗りなさいよ」

「老人がいるのにそれがしは乗れぬ」

「人を年寄り扱いするねえ」

「じゃあ、このまま行きましょう」

 やがて戸塚宿が見えて来る。動物を引き連れた集団に喜んだ子供達が一斉に近寄ろうとして親に止められている。

「このもの達は安全だ。子供達よ近づいていいぞ」

「わあ」

 十人あまりの子供が寄って来る。

「だが、むやみに触るなよ。やさしく触れてやってくれ」

「わあい」

 なんとも奇妙な集団であった。


 友蔵の家は酒屋も営んでいるのでよく目立った。

「あそこだ」

 文吉が指差す。

 忠吉が小走りして案内を請うた。友蔵が直々に出て来る。

「やあ、鶴見のう。わざわざご足労なこった。またとんだ客もいるねえ」

 友蔵は動物達に少しびっくりしたようだ。

「戸塚のう、久しぶりにあんたに逢いたくってね」

「うれしいねえ。誰か東の客間にお通ししろ。この獣達は中庭でいいかい」

「構いません」

 新九郎が言った。

「あなたが噂の」

「なんの噂か知りませんが、それがしが草刈新九郎です」

「うんうん。まあとにかく東だ」

 松近健一郎達は西の奥の間にいる。双方を会わせない。これが友蔵の出した答えだった。

 客間に入る、文吉と新九郎。山猿たちは中庭に控えた。

「まあ、とにかく息子を見てやってください」

 友蔵の妻女の糸が赤子を連れてやってきた。

「おう、小さくて可愛いねえ。名前はどうしたい」

「友吉にしましたよ」

「俺と同じ吉が入ってるじゃないか」

「ええ、尊敬する鶴見の名を頂きましたぜ」

「うれしいねえ」

 文吉が喜ぶと、

「それがしに赤子を抱かしてくれぬか」

新九郎が言った。

「ええ、まあどうぞ」

 糸から新九郎が友吉を受け取る。

「あばあばばあ」

 信じられない事に友吉は安心したように大人しくしている。

「今、笑ったな」

 満面の笑みで新九郎が言う。

「いやですよ、まだ笑いませんよ。泣くか寝るだけですよ」

 糸が笑う。

「そうか」

 新九郎の腕の中で友吉は寝息を立てた。


 そのころ西の間では健一郎達が友蔵の代貸、仁八郎の接客を受けていた。すると東の間から笑い声が聞こえる。

「誰か向こうに来ているのですか」

 健一郎が尋ねる。

「へい、北恩州の貸元、鶴見の文吉親分が出生祝いに来てくれていやす」

 仁八郎が答えた。

「そうですか。私もその貸元にお会いしたい。《左斬り》のことなど伺いたい」

 健一郎が案内を請うた。

「いや、お止めになってくだせえ。文吉貸元は気難しい。急に見知らぬお武家様が現れたら臍を曲げるかもしれません」

 これは仁八郎の機転であった。

「そうですか……では機会があれば宜しく取り次いでください」

「へい。ところで赤坂様のご様子はいかがです」

 仁八郎は話しをすり替えた。

「ええ、お陰さまで容態も安定してきました。あと二三日で床を上げられるでしょう。そうしたらお暇させて頂きます。なにもご恩返し出来ぬのが申し訳ないですが。とにかく《左斬り》いや草刈新九郎を見つけ出すのが最優先ですので」

「そうですか」

「そうだ。ところで黒岩鉄ノ丞という武士の噂は聞きませんか」

「黒岩様ですね……実は申し上げにくいのですが」

「えっ?」

「くわしくは存知ませんが、どこかの出入りで亡くなられたとか」

「まさか! 詳しく教えて下さい」

「いえ、詳しくは……恩州は小国ですが、やっぱり広うございます。やくざも多数おります。旅の渡世人が不確実な噂をこちらにも持って来ます。その中で、聞いたような聞かなかったような……」

 新九郎が鉄ノ丞を短筒で撃ち殺したなどとはとても言えない。

「鉄ノ丞!」

 健一郎は嗚咽を漏らした。哀れに思った仁八郎は、

「いずれ《左斬り》に出会う日もありましょう。黒岩様とて、もしかしたら生きているやもしれません。気を強くお持ちください」

 そういって逃げるように部屋を出た。これ以上居ると本当のことを口走ってしまうかもしれない。

(あんな素直で良い方が、なんで仇討ちなど……人の運否天賦は分からぬ)

 仁八郎は思った。 


 喜びと憎しみが同居する友蔵一家。まもなく、新九郎や健一郎。そして友蔵にとって運命を変える出来事が起こるのであった。


「おい、友蔵はいるか」

 表から大音声がする。

「はいはい、どなたさまで」

 代貸の仁八郎が出て来る。

「てえめなんか雑魚には用はねえ。俺は代官所の十手を預かる、六浦湊の浦五郎だ。友蔵に御用の筋で聞きてえ事がある。大人しく出て来い。でなきゃ、この家ぶち壊してでも探し出すぜ」

 騒ぎ立てる浦五郎。後ろでは子分達が今にも抜刀しそうな雰囲気である。それに対して友蔵勢もやる気満々、表に出て来る。さあ、出入りの始まりか? そこへ、

「やあ、浦五郎親分。お久しぶりでございます」

と友蔵が穏やかに現れた。

「御用の筋とはなんですか。私は御定法など犯していませんよ」

「うるせい、縄張りで博打してるだろう」

「ははは、それは親分も同じ事」

「う、うるせい。それよりご禁制の舶来酒を密売してるだろ」

「はあ? 私どもはきちんとお上の許可を得た物しか販売しておりませんよ」

「と、とにかく話しは代官所で聞こう。付いて来い」

 浦五郎は友蔵を無理矢理にもお縄にしようとした。何か魂胆があるようだ。

「ふざけるねえ」

 突然、いきり立った男が居た。文吉である。

「浦五郎よ、この鶴見の文吉の顔、忘れちゃいるめえ。俺の前でなめた真似すると叩き斬るぞ」

「あ、文吉! てめえもしょっぴいたろか」

「なにを」

 その時後ろから新九郎が現れた。一言呟く。

「斬る」

 殺気が四方に飛んだ。

「待った」

 止めに入るは友蔵。

「これは何かの間違いだ。私が代官所に行って話しをつけて来ます。皆さん落ち着いて。さあ浦五郎親分、行きましょう」

「お、おう。おとなしくすればそれでいいぜ」

 新九郎の殺気に肝をつぶした浦五郎は冷や汗を手の甲で拭いながら友蔵を引き立てて行った。

「あなた」

 糸が叫ぶ。

「大丈夫だ」

 友蔵は振り返って笑った。それを見ていた新九郎は、

「貸元、嫌な予感がする」

 と文吉に言う。

「ううん。俺もそう思う。ここは戸塚に留まって二三日様子を見よう」

 文吉が渋い顔をしながら答えた。

「それがし、友蔵貸元を殺したくない」

「殺すまで行くのかよ」

「浦五郎という奴。酷薄そうです」

「うむ。皆で善後策を考えるか」

「ええ」

 話し合う二人に後ろから声が掛かった。

「もし、あなたは草刈新九郎殿ではございませんか」

「そうだ。うぬ、お主は松近健一郎殿だな」

 新九郎はあっさりと正体を見破った。

「はい」

 素直に答える健一郎。

「お父上の敵討ちがしたいのだな」

「はい」

「友蔵貸元の件が済むまで待てるか」

「……待てます」

「ならお主も協力してくれ」

「……分かりました」

「よし」

 ついに巡り会った仇。しかし、事情が事情で協力して戸塚の友蔵を助ける事となった。果たして二人の行く末がどんなところへ着地するのか。今は誰にも分からない。

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