ドラゴニック・オートマトン

黄鱗きいろ

第一章 落下

プロローグ

「なあ、おい! 起きろって!」

 シリコン製の瞼を開く。心臓の代わりに埋め込まれた生体部分が、熱を持ち鼓動を始める。とはいっても彼の体には循環する血液はない。生まれた熱量は蒸気となり、体の各部分を動かす動力となっていく。

 視界が開ける。薄暗い天井に電球が一つだけ。首を動かせば計器の上に巨大な真空管が整然と並んでいる。視覚に問題はない。計器類からは駆動音が響いている。聴覚も正常に働いているようだ。

 異常はない。いつもの光景だ。

「こっちだよ、こっち!」

 首を傾ける。手の平を広げたほどの大きさの物体が彼の目の前で騒ぎ立てていた。蜥蜴の頭に蝙蝠の翼。記録されている情報が正しいのであれば、これは竜だ。

「やあっと起きたか寝ぼすけめ!」

 陽気な竜は仰向けに固定された彼の腹に着地した。薄くシリコン加工された腹部に僅かに爪が食い込む。触覚にも問題はなさそうだ。

「なあ、オレはここから逃げるぜ。オマエはどうする?」

 僅かに体を起こすと、無残にこじ開けられた檻が見えた。この竜はあそこに閉じ込められていたのだろう。

「行くのか? 行かないのか? どっちだ?」

 少年型自動人形は思考した。それは彼にとって恐らく初めての自律的な思考だった。

 彼は施術台に固定されていた。それ以前の記憶はない。行動制御のパンチカードによる上書きを受けたのだと、プリインストールされた記録は告げていた。

 よって彼には行動を決定付ける主人は未だ無い。

 彼は口を開いた。血の流れない自動人形である彼には本来呼吸の必要はない。だが、彼は注意深く息を吸い込んで答えた。

「――行く」


 拳を握り、腕を大きく引いて鋼鉄製のドアに叩きつける。一発目。ドアは拳の当たった箇所を中心に大きく歪んだ。二発目。歪みはドア枠まで達する。三発目。ぐらぐらと揺れていた蝶番がついに外れ、ドアは派手な音を立てて外側へと倒れていった。肩の上に乗ったチビ竜が羽をばたつかせてはしゃいだ。

「はははっ。そうだそこだ、やっちまえ!」

 ひしゃげたドアを踏みつけて外に出る。薄暗い廊下に人影はない。壁に張り付いたパイプだけが、遠くエンジン音を響かせていた。

 竜は小さな腕で目の前の壁を指し示した。

「正面突破だ!」

 拳を正面から叩きつける。コンクリートの壁は崩れ、その向こう側にあった装飾用の煉瓦の壁も衝撃で吹っ飛ばされた。

 薄暗い室内に光が差し込み、二人は目を覆う。最初に目に入ったのは天に向かって伸びるいくつもの塔。二人はその内の一つにいたようだった。

 パラパラと落ちていく煉瓦の破片。落ちた先に続く塔の根元にへばりつくようにその街はあった。

 街は何層にも重なっているようだった。上層の一区画には塔の上からも視認できるほど大きな邸宅。他の区画にはさらに下の層からいくつもの煙突が伸びている。

 煙突の先にも人間の住む家があるようだったが、白く煙っており底まで見通せない。膨大な数の煙突から排出され続ける煙はいつしか霧となり、街中を覆っていた。

 風が吹き込み、少年の髪を揺らした。

「広いな」

「うん」

 全ての塔には窓がほとんどなく、いくら目を凝らしても人の姿は見えない。

 そんな中、向かい側の塔、二人がいる位置よりも遥かに下方の外壁から突き出した桟橋に一隻の巨大な飛空艇が停留していた。

「なんだオマエ、あれに乗りたいのか?」

 少年は頷く。

「やめとけやめとけ。あれは人間様が乗るもんだ」

 プガー、プガー! どこか間抜けな警報音が今更になって鳴り響く。

「やっべえ、行くぞ!」

 まるで小石を飛び越えるような軽やかさで少年は塔から飛び降りた。シリコンで覆われた合金の体がぐんと重力に引っ張られる。塔に張り付くパイプを踏みつけ蹴飛ばしながら、少年は降下していく。

「ハッハア!」

 そのすぐ横をチビ竜が翼を広げて滑空する。

「オレたち人間じゃないモンはな、こうやって自力で飛んでいけばいいのさ!」

 十数秒にも及ぶ降下の末、少年の体は煉瓦造りの建物の屋根を突き破った。遅れてチビ竜が今しがた作られたばかりの穴から降りてきて、少年の肩に止まった。

 足元に散らばるのは黒い岩石のような物体だ。落ちた先は、石炭の集積場のようだ。

「な、なんだ貴様ら!」

 銃を構え叫ぶ守衛の横をすり抜け、集積場を囲む塀を足場にして、隣の建物の屋根へと飛び移る。怒鳴り声を背中に聞きながら、少年は屋根から屋根へと駆け抜けていく。

 シルクハットを被り杖をついた紳士。簡素なドレスに身を包んだ女性。大通りには馬車が走り、遥か向こうの駅からは蒸気機関による煙が黒々と立ち上っている。

「人間」

「おー、人間だな」

 さして感慨深げでもない口調でチビ竜は答える。

「さてこれからどうするか」

 張り出した屋根を足場にして狭い路地を飛び越える。その度に煉瓦の砕ける音が辺りに響くが、蒸気機関や馬車の音にかき消されて誰も少年たちには気付いていないようだ。時折、路地裏の犬猫だけがこちらを見上げている。

「とりあえずオマエはその見た目をどうにか……、うおっ!?」

 突然の強風にあおられ、竜はバランスを崩した。錐もみ回転しながら大通りへと吹き飛ばされる竜。追って、少年は屋根から飛び降りて手を伸ばす。

「危ないっ!」

 誰かがそう叫んだ。馬車を操る御者が飛び出してきた少年を避けようと手綱を大きく引く。嘶き、前足を振り上げ、進路を逸れる馬。馬車はバランスを崩し片輪が浮き上がる。横転していく馬車の側面が少年に迫り――

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