第2話 俺、今、女子体育祭準備中

 彼女はクラス委員では無い。もちろん体育委員その他のなんかの委員でも無い。でも生田緑は、生田緑であり、生田緑であればそれは生田緑である。

 だから、放課後の教室、三週間後に控えた体育祭に向けての競技別のメンバー割に騒然とするクラスを仕切るのは、クラス委員でも体育委員でもなく、もちろん美化委員でも、図書委員でもなく——クラスのカリスマ生田緑なのであった。

「それじゃ女子バスケは中学での経験者でチームできたし、男子バレーも富水くんがサッカーじゃなくてこっちに出てくれれば結構いいとこ行けそうな感じがするわよね」

 誰もあえて頼んでなどいないのだが、当然のごとく教壇にたって会議を仕切る生田緑であった。ちなみにクラス委員の秦野くんはその後ろで板書をさせられている。

「富水くん? 構わないかしら?」

「ああ、俺は問題ないよ」

 カッコつけた感じの口調で答える富水だが、ちょうど後ろの席の俺から見ると足先が貧乏ゆすりでもしてるかのように所在なく——緊張してるのが丸わかりだ。このくらい別に緊張するようなやり取りでもないだろうと思う。だが、中学では、陸上に打ち込むスポーツ万能だがちょっとダサめの運動部男子(俺は同じ中学だったので知っている)であった富水——高校デビューでいけてる男子として認められたい感ありありの彼からすれば、生田緑から不評を買うというのは今のクラスセカンドチームのポジションからの転落をも考えてしまう、そんな(彼にしてみれば)重要なやり取りだったのだ。相手の生田緑は毛ほども気にしていないと思うが、

「ありがとう。これで男子バレーも良いとこいけそうな気がしてきたわ」

 感謝の言葉をかけられて、と言うよりも緊張したやり取りが終わって、ほっと肩が落ちるのが丸わかりの富水であった。

 なんというか、分相応以上を目指すというのも大変なもんだなと俺は富水を見て思う。なんだか、中途半端に職場で立場ができて気苦労ばかり多いわりに給料は上がらないと酒飲んでぼやいている時の自分の父親に彼の姿が重なってきて、見ていられずに俺はそっと目をそらすのだった。

「これでだいたい競技の割り振りは済んだから、あとは競技ごとの練習の日程だけれどこれは各競技ごとにリーダー決めて調整してもらって良いかしら?」

 頷くクラス一同。リーダーも生田緑のしきりで、中学校の経験者を中心にもう決まっているのであとはその連中が集まって打ち合わせればこの放課後の居残りも終了。そんなものに選ばれなかった俺(が入った百合ちゃん)はさっさとこのまま帰ってしまって、夕方に百合ちゃん(が入った喜多見美亜)が夕食を作りにやってくるまでの間に昨日の深夜アニメでも見ておこうと思うのだった。だが……


(分かってるわよね?)


 各競技のリーダー以外は一斉に席を立って——部活やら、塾やら、街でぶらぶらやら、俺みたいに帰宅直行とか——各自それぞれの仕事タスクに向かう雑然としたクラスの中で、こっそりと目配せをしてきた喜多見美亜あいつ。その言いたいことを——俺は良く良く理解して首肯するのであった。


   *


 そこは、いつもの場所だった。いつもの神社であった。

 喜多見美亜あいつと俺が入れ替わった時、スクールカースト最底辺オタとトップのリア充女子があっているとこを見られてもまずいだろう——下手に注目されて入れ替わりボロがでるのもまずいだろう——と隠れて会うために選んだ、こじんまりとした林の中にある小さな神社であった。

 学校から程よく離れた山の上、急坂の先にあり、この辺に住んでいるのでもなければわざわざやって来る人も無い。ここで、俺と喜多見美亜は入れ替わりに伴う諸々の問題の相談をしていたのだった。

 まあ、とは言っても、ほとんど一方的に俺が怒られ命令されていただけのような気もするが……他に、入れ替わりのきっかけとなったキスをすれば元に戻らないのかとなんどもをしたなと——思い返すとなんかもやもやというかいつの間にか体の中が少し熱くなって来てるような感じがしてしまう俺だった。

 すると、

「何考えてるのよ」

 あいつは俺のもじもじした雰囲気を不審に思ってか問いただすような口調。

 それに、

「いや何も……」

 俺は自分の心の中の感情がよくわからずに適当にモニョる。でも、いつもの流れだと、こりゃそのまま問い詰められるなと覚悟しながら、あいつの顔を見ると——あれ? あれ、口調の割になんだか隙だらけの顔で……少し頬が赤いような、

「何でもないわよ!」

 でも、何も言ってないのにいぶかしむ目線だけで怒られる俺だった。

 まあ、リア充トップ女子からしたらオタク男子なんて見られるだけでも鬱陶しいってとこだろうけど——今はお前がその男そのものなんだぞ。と、俺は薄笑いを浮かべるが、するとあいつは何だか恥ずかしそうにしながら下を向く。何だ? 


「しかし、困りましたね」


 そんな(俺には)意味がよく分からないやり取りをしている間に、いち早く冷静になった百合ちゃんが、本当にひどく困ったような口調で言う。

「どうかしら、まだわからないわよ……私の体が覚えているかもしれないもの」

 うんそうかも知れない。と一縷いちるの望みを託して俺の体に入った喜多見美亜あいつが背負っていたバックから取り出したのはバレーボール。背が伸びなくて高校になってやめたとはいえ、中学時代は県下でも名が挙がるくらいのバレーボールの選手だったという喜多見美亜は少し物思うような様子でそのボールを見つめる。

 自分の選手時代とか懐かしんでいるのかな? あの完璧主義者だ。身長が伸びないからって理由でバレーボールをやめるのはかなり葛藤があったにちがいない。背が小さくてもなんとかならないか? 人一倍努力すればなんとかバレーを続けられないか? とか。でも、あいつの場合は「続ける」と言うのは選手として大成することを意味しているだろうから、補欠で終わったけど楽しく部活やりましたとかでは満足できないだろう。

 ならば、むしろ高校進学を機に、きっぱりとバレーはやめる。それがあいつの下した結論だったはずだ。言っても絶対認めないだろうけど、俺はこの一ヶ月の間、あいつの人生に触れる、と言うか入れ替わるうちに、そんなことが容易に推測できるくらいにまであいつのことが分かってしまっていたのだった。

 別にそんなことが分かりたいとも思わないし、分かっても何か得なことがあるわけでもないが、いけ好かない完璧リア充女子だと思っていた——人形見たいに内面がない奴に見えていたあいつも人間なんだなんとぐっと親近感みたいなものが湧いてくるのだった。そこにいたのは——俺がのは——いろんな挫折も経験して、悩みも多き、普通の少女。それを知ってしまえば、何と言うかあいつは一気に偶像から……うん。あれだ。その……何になったのかな?

 ともかく、そんな物思いの表情があいつが今入れ替わっている俺の顔には似合わないのだけは動かしがたい事実であるので、

「ともかく、まずは、やってみれば良いんじゃないかそのためにボール持ってきたんだろ」

 少なくとも百合ちゃんにそんな微妙な俺の顔は見せれないので、さっさと今日の目的を済まそうと俺は俺——の中に入ったあいつに言うのであった。

 すると、

「まあ……そうなんだけど。神社の境内じゃ足場悪くてちゃんとした実力も見れないし、やっぱり学校かどこかのバレーコート借りた方が良いのじゃないかしら? 足挫いいたりしたら危ないし」

 あいつは経験者らしいこだわりを見せてそんなことを言うのだったが、

「そりゃ、そうだけど——それじゃ目立つからってせっかくここに来たんだから、今日はまずは足場悪くてもやれるトス回しくらいして見てから先のこと考えても良いんじゃないか?」

 俺はなんとなくだけで十分にはずだと言う確信をもってまずはみんなでトスをしてみようと提案する。

 あいつは首肯する。とりあえずトスだけやってみると言うのには、特に異論はないようで、さっそく、

「うん、そうね——じゃあ……ハイ!」

 掛け声とともに空高くトスを上げるのだった。

 ——それは、見事な、流れるような体の動きだった。

 一ヶ月ほども中にいて慣れているとはいえ、俺の体を使ってよくあんな風にできるもんだなと感心して見ていた俺のところにボールが飛んで来たので俺も、

「んっ!」

 あいつに向かってトスを返す。

「おっ、それくらいはできるのね?」

 おいおい、バカにするない。

「小学校はバレー部……」

 俺は今まで語っていない衝撃の事実をあいつにつげるのであった。

「へっ?」

 あっけにとられたからか、トスで返したボールを掴んであいつは間抜けな声を上げる。

「俺だって、小学校からオタクで帰宅部じゃないんだよ」

「あんたにスポーツ少年だった時期があったって言うの? あんな不摂生デブだったと言うのに?」

「悪いか?」

「悪いかと言われると、聞いて悪かったってかんじだけど……」

「なんだそりゃ」

「ともかく——意外だったわ」

「意外で悪かったな。当時はバレーやるのかっこいいような気がしてたんだよ。クラスの男子がみんな入りたいようなこと言ってたしな」

 ああ、自分で言って思い返してみればまさに黒歴史。みんながかっこいいというからやって見て、自ら時間を拘束されて、みんなと一緒に、みんなと一緒の目的に向かって努力する。

 うぷっ! 思い出すだけで吐いてしまいそう。

「……なんでバレーやめたのよ」

 でも、あいつはこの話題に食らいついてきて俺の過去をさらにえぐろうとする。

「……なんででそんなの聞くんだよ」

 いや、なんでかはなんとなくわかるが、

「なんとなく知りたいのよ」

 なんとも「なんとなく」だらけの会話だが、双方が核心にいたらないための微妙な話術と言える。じゃあこちらも「なんとなく」と答えても良いのだが、

「——練習で夕方の再放送アニメ見れなくなるから中学からやめたんだよ」

 と俺は答えをとりあえず答えておくことにする。

「……ふうん? あんたらしいしょうもない理由ね」

 向こうも俺の体に一ヶ月も住んでるんだ。理由はことには気づいているそぶりではあったが、

「まあ、まあそんなことどうでも良いだろ。今はそんなこといつまでも話してる場合じゃなくて……」

 俺はちらりと百合ちゃんが入った喜多見美亜を見る。

「はい……」

 百合ちゃんは不安そうな様子で頷き、

「じゃあまあ……それ!」

 喜多見美亜あいつが入った俺向ヶ丘勇の体はまた綺麗なフォームで空高いトスを上げるのだった。


 しかし……


 ——ボン。


 俺とあいつは、地面に点々と転がるボールを無言で眺めると振り返り、頭にボールをぶつけた後、呆然と空を見つめる喜多見美亜の姿——の百合ちゃんを見つめるのだった。


   *


 麻生百合——百合ちゃんは極度の運動音痴であったのだった。それは喜多見美亜の体に入っても同じ——いや、

「やっぱり美亜さんの体はすごいです。元の私だったらボールが飛んで来たらどうして良いかわからずにどぎまぎしてしまって動くこともできなかったかと思います。でも今自然に手が上がって……」

 とのことであった。それは百合ちゃんにしてみれば相当の違いと言えるのだろう。しかし、所詮、五十歩百歩。結局、まともにバレーができないのには変わりなく、

「今からでも百合ちゃんが——と言うか喜多見美亜はバレーボールには出ませんというわけにはいかないのか?」

「んんん……」

 苦渋の表情の喜多見美亜——俺の顔であった。なんか俺の顔、困ると片眉だけあがるのな。新発見。

 ——とかどうでもよくて、

「無難に長距離走とかでどうだ? それなら普段ジョギングで鍛えてるから適当な順位でお茶濁せると思うぞ? お前は陸上の選手で名を売ってたわけじゃないんだろ?」

 なんとか事態の落としどころ俺は探ろうとするが、

「ダメよ……あそこまでクラスのみんなの期待が高いのに今更理由もなく『やっぱりバレーボールにはでれません』なんて言って納得してもらえると思うの?」

 まあそりゃそうだなと納得してしまうほどバレーボールに喜多見美亜が参加と決めた時のクラスの盛り上がりは凄まじかった。


「美亜さんって県でも有名な選手だったのよね」

「サーブ得点王だったのよね」

「Vリーグの監督がスカウトに来たって本当?」

「レシーブ失敗したことないんだよね? 回転レシーブとかするの?」

「アタックとかすごいんだよね? バックアタックとかも見てみたいな」

「ちょっと反則だよな。こんな人が体育祭にでてくるなんて」

「もう勝利確定でいいよな! 前祝しよう! おーっ!」

「おーっ!」

「おーっ!」

「「「「「「「「「「「「おーっ!」」」」」」」」」」」」


 うん、

「確かにいまさら引っ込みつかないな……あの時実は肩痛めてるとか、挫折したバレーボールには心的外傷トラウマがあって二度とやりたくないの——とか適当なこと言っておけば良かったな」

「そうなのよ——でもあの状況の中で……」

「はい。断れるような雰囲気ではなかったです」

 現喜多見美亜の、中に入った百合ちゃんの心底困ったような言葉に、俺らはみんなどよーんとした心持ちとなるのだった。


 我が高校の体育祭は、陸上とかのフィールド競技よりも、野球とかサッカーとか、バレーとかバスケとかの球技のクラス対抗線に力を入れている。他に剣道とか柔道とかの武道の試合とか、全員参加の綱引きとか棒倒しとか、もちろん10kmマラソンとか400mリレーとか、球技以外の試合もたくさんあるけれど、クラスが一丸となって一番盛り上がるのは球技であり、その中でも女子の花形はバレーなのであった。

 そこに中学時代は県下で誰もが知る名選手喜多見美亜がたまたま同じクラスにいたのである。盛り上がらないわけがない? そりゃそうだ。そういや俺が入れ替わった後はたまたま体育ではバレーがなくて陸上とバスケットの授業ばっかりだったが、前にバレーの授業でこいつがバックアタック決めたの見た時には、正直一人レベル違ってすげえと思ったのを思い出す。個人競技じゃ無いんで一人すごいのがいればなんとかなるというわけでもないだろうが、クラスの期待は一心に喜多見美亜こいつにかかる。

 そんな状態でみんなの推薦を断れるわけもなく……

 そしてそんな状態で今の喜多見美亜の中にいるのは、どうオブラートに包んで言おうとしても、運動音痴と言わざるえない百合ちゃん……

 このままでは、みんなの期待を裏切るということもあるが——いくらなんでも前と差がありすぎのそのプレイに、喜多見美亜に何かあったのでは? と通目されてしまうだろう。体の入れ替わりなどという奇想天外なことに気付かれることはまずは無いとは思うが、あまり注目されるとボロがどんどんでてさらに怪しまれる悪循環が始まってしまうだろう。それは避けなければならない。

「最悪は、なんか怪我したか、風邪引いたとか言って体育祭自体を仮病で休んでしまうことだけど——できればそう言うのは避けたいわ」

 うん。あの盛り上がりの反動のみんなの落ち込みが容易に想像できるし——それにもしバレーが負けたりしたら喜多見美亜こいつに対する微妙な空気がクラスにできてしまうかもしれない。「喜多見美亜こいつさえ出ていれば」から「喜多見美亜こいつのせいだ」まで人の感情なんて容易に移り変わる。クラスカーストトップに面と向かってそんな感情をぶつける奴は少ないと思うが、そのせいでこいつはちょっと変な立ち位置になってしまうかもしれない。批判できないそのモヤモヤは僻み妬みルサンチマンとしてこいつの周りに漂ってしまうのでは無いか?

「だからできれば体育祭までにこの入れ替わり現象をなんとか解消したのだけど……せめて——ハイ!」


 ——バン!


「な、何すんだよ!」


 俺は突然至近距離からアタックされたバレーボールにとっさにレシーブで反応する。俺の体ならともかく、百合ちゃんの体に向かって何危ないことしてるんだと、一瞬カッとなって声を荒げるが、

「……せめて向ヶ丘勇あんたが私の中にいたら少しマシなのかもしれないけど……」

「……って……」

 喜多見美亜こいつの思いつめ表情と、それを困ったように見つめる百合ちゃんの顔を見て、言葉を思わず飲み込んでしまうのであった。

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