端的に言って最低です

佐久良 明兎

青年クロトは後込をする

「……うっわ。マジで最低だな」


 青年は頬をひきつらせて呟いた。

 彼の声へ呼応するように、ざわりと音を立てて木立が揺れる。


 市内から離れた山の中腹にある森の中。

 アスファルトで舗装された車道から少し離れた砂利道に、一人の青年が立っていた。

 長袖の白いシャツにチェック柄のタイ、そして同じ柄のスラックスは、市内の高校の制服のものだ。無造作にセットされた髪は少々長めで、サイドの髪は耳が隠れるまで伸びきっている。


「嘘でしょ、この道を行くの!?」


 たじろぐ青年の目の前に広がっているのは、森の奥へと伸びる狭い道。ただし、道というのも少々憚られるような、もはや獣道に近い私道だった。

 両脇からは伸びた樹木の枝が迫り、道幅を狭めている。かつては小型の車が行き来していた形跡があるが、そのわだちはほとんど草に覆われて判然としない。


 彼の目的地は道の先にある、とある建物だった。だが、見るからに人を拒む道程の佇まいに、青年は思い切り顔をしかめている。車道を行き交っている筈の車のエンジン音は遠く、既にどこか文明と隔世の感を思わせているのも彼が躊躇する一因だった。

 目的地へと続く道を覗きこめば、緑に埋もれたそこは廃墟を思わせるのみで、人の気配は全く無かった。まだ日は沈んでいないというのに、薄暗くうねった道の先は判然とせず、終わりが見えない。まるで異界へと誘っているかのようであった。


「行きたくねー……だってもうすぐ夕方だしさぁ。暗くなってくるじゃん。

 いやね、全然まったくもってビビってるわけじゃないんだけどさ。だけどちょーっとこの先進むの気が進まないっていうか。……いやビビってるわけじゃないんだけど! そりゃこの先に行かなきゃ何も始まらないのは分かってるけ」

「何してるの?」

「うおう!?」


 突然、背後から誰かに話しかけられ、彼は飛び上がる。

 声の聞こえてきた方を振り向けば、そこに立っていたのは一人の少女だった。


「……人が、いた」


 うわずった声を挙げながら、彼は冷や汗を流す。

 青年を見上げているのは、彼より頭一つほど身長の低い少女である。見た目は青年と同じくらいの年に見えたが、爽やかな青地に向日葵の柄があしらわれた半袖のワンピースに身を包み、小麦色に焼けた肌の彼女は、どこか子供っぽさを感じさせる。


「お兄ちゃん、誰?」

「俺は久路人くろと十六夜いざよい久路人くろと。ただのその辺にいる高校生で、怪しい者じゃありません」


 両手を挙げて答えるが、しかし少女は首をくっと横に曲げて朗らかに言った。


「独り言喋ってる怪しい人にしか見えない! 端的に言って怪しいよー」

「でっすよねー」


 苦笑いを浮かべながら、気を取り直して久路人は尋ねる。


「君、もしかして、この先にある家の人?」

「あのねあのねあのね!」


 勢い込んで胸に右の拳をあて、少女は高らかに宣言した。


「覚えてない!」

「自信満々にそんなこと言われても!」

「クロちゃん、私のこと知らない!?」

「知らないから聞いてんだけどね!? そしていきなりアダ名でフレンドリーだね! 別にいいけど!」


 ぐっと両の拳を握って真っ直ぐな目を向けてくる彼女に、彼は些か戸惑いながら続ける。


「覚えてないって。どういうこと? 見た感じは俺と同じくらいに見えるけど……高校生?」

「8歳!」

「嘘でしょ!?」

「分かんない!」

「駄目だ話が通じねぇ!!」


 久路人はじっと彼女を眺めた。言動と服装のせいか、やはり最初の印象通りどうしても幼く見える。だが一桁の年齢にしては明らかに伸びすぎた身長と、適度に丸みを帯びた女性らしい体格からして、少なくとも8歳でないことは疑いようなかった。

 久路人はしばらく考え込むように黙り込んでから、ややあって再び口を開いた。


「何も、って。名前、も覚えてない?」

「うん。でもね。これ持ってるよ」


 彼女は首からネックレスのようにぶら下げていたものを彼に示す。

 革紐の先には、一本の鍵と木製の小さな札が付いている。札を手に取り裏返すと、そこには『乙木』いう文字が書かれていた。


「なんて読むの?」

「分からん」

「クロちゃん役に立たないね」

「可愛い顔して言うこと酷いね!?」


 眉間に皺を寄せながら、久路人はうなり声をあげる。


「甲乙の『乙』に、簡単な方の漢字の『木』……うーん、オツギ? オトキ? オトギ?」

「オトギがいい!」

「自己申告制なのこれ!?」

「だってそっちのほうが可愛いもん」

「まーそりゃそっか。じゃあ、とりあえず乙木オトギちゃん、ってことで。

 じゃあ乙木ちゃん。乙木ちゃんは、どうしてここにいるの?」

「分かんない!」

「うん、そんな回答の予感がしてた!」

「外でね、ふらふら遊んでたの。そしたらクロちゃんに会った! でも、そんなに歩いてはいないはずなんだけどなあ」


 口元に人差し指を当てながら、不思議そうに彼女は言う。久路人はしばらく彼女の表情を観察していたが、やがて慎重な口ぶりで告げた。


「この辺は車がないと来られるような場所じゃないし、他に建物もない。だから多分、あの家の関係者なのかなって思うんだけど。どうせだし、一緒に行ってみる?」

「行くー! あ、でもクロちゃん」

「ん?」

「誘拐犯じゃないよね?」

「人聞きの悪いこと言うんじゃないよ!」


 言った後でため息を吐き、久路人は疲弊したように目と目の間を軽くつまんだ。






 先ほどまで躊躇していた件の道を、久路人と乙木の二人は進み始めた。荒れ放題の道ではあったが、人が歩けないほどではない。二人並んで歩くには少々窮屈だが、ところどころ一列になればサンダルの彼女であってもなんとか歩くことはできた。


「クロちゃんは、どうしてここに来たの?」


 足取りの危なっかしい乙木に手を貸していた久路人は、道にはみ出した木の根を飛び越えてから、間延びがちに言った。


「ちょーっとこの先にある洋館に用事があってねぇ」

「羊羹?」

「今の発音、絶対和菓子の羊羹だよね?」


 乙木が同じく根を飛び越えたところで久路人は彼女の手を離す。


「乙木ちゃんは知らないと思うけど、今から向かう洋館『幽月邸』には、少し前から都市伝説みたいな噂が流れててね。

 人は何年も前から住んでいない筈なのに、夜になると館の明かりが全て灯り、人の話し声と音楽が聞こえてくる……って、『幽霊の出る館』って話が広まってるんだ。

 けど。多分、幽霊じゃないよ」


 幽霊、と聞いて不安そうな表情を浮かべた乙木に、しかし久路人は否定してみせた。


「俺、とある研究機関に所属してるんだけどさ。俺たちは、その幽月邸に魔女が居るんじゃないかってふんでるんだよねぇ。

 で、俺はその偵察に来たってわけ」

「正気なの?」

「……俺はめっぽう正気ですけど」

「だって魔女なんているわけないじゃん。魔法は物語の中の話でしょ」

「え。まさか、……それも、知らないの?」


 思わず久路人は足を止めた。数歩、先に進んだ彼女が頬を膨らませて振り返る。


「知ってるよ! でも、現実に魔女なんていないでしょ。ヒカガクテキだもん」

「うっそ……マジかぁ」


 怪訝にぼやいてから、咳払いして久路人は説明する。


「いるんだな、これが。君は忘れてるだけかもしれないけれど、魔女……一般的な名称だと『魔法遣い』だけど、ちゃんと魔法遣いはいるし、世間一般にも魔法の存在は認められてる」

「そうなの? じゃあ、魔法って本当にあるんだね! どんなのがあるの?」

「……『端的に言って、魔法は言葉の魔法と血の魔法に分けられる』」


 空を仰ぎながら、久路人は険しい表情で訥々と説明する。


「ええと。『言葉の魔法は、条件を満たせば誰でも遣うことが出来る。この魔法が、世間一般に認知されている力のこと。水や炎といった自然現象を呼び出したり、あるいは人間の心理などに働きかけ、それぞれ術者の技量に応じて操ることが出来る。

 対して血の魔法は、その名の通りにが重要な要件になる。基本的には遺伝により受け継がれるもので、言葉の魔法とは違った特殊な魔法を遣うことが出来る。血の魔法は、別の血統の他者には決して真似することが出来ない。

 そして、血の魔法を使う女の魔法遣いのことを、とりわけ魔女と呼ぶことがある』

 ……だってさ」

「難しいね」

「難しいよねぇ」


 自分も深く頷いてから、久路人はまとめた。


「で、その血の魔法が使える魔女があの洋館にいるんじゃないかってアタリをつけてね。血の魔法が使える人はかーなり貴重だから、ちょっと話をしたいなと思ってここに来たって訳」

「クロちゃんは、魔女に何かお願いを叶えてもらいに来たの?」


 つぶらな瞳で乙木は問う。


「叶えてもらえるもんなら、叶えてもらいたいけどなぁ。

 ……まあ、そんなところ」


 適当に濁して、久路人は笑った。


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