第9話 Happiness 幸福というもの 加筆修正有2021.2.26/12.26

9.

" Mockery 愚弄 "



 「そう言われると確かに黒崎さんの言う通りかもしれないね。


 僕は母からの交換条件にばかり気を取られ過ぎていたのかも

しれない。

 君に不愉快な思いをさせてごめん。


 弁解がましくなるかもしれないけど、母に僕達のことを認めて貰うには

こうするしか他に思いつかなかったし、今だって思いつかない。

 僕はどうすればよかったのかな?」


なさけないけど僕は黒崎さんに答えを求めてしまった。




 「私から笠原くんに言えることはない・・かな。

 笠原くんが私達のことを判って貰おうとしても無理だったものを

尚更私なんかじゃ無理だもの」



 黒崎さんは何も方法を思いつかないと言いながらも胸に痞

(つか)えているものがあって、だけど吐き出すことが出来な

くて、焦れているように見えた。



 笠原くんの時間をかけてお母さんを説得して認めて貰いたいという

気持ちは判るけれど、私はお母さんから見合いをしていい女性(ひと)が

見つからなかった時はふたりの付き合いについて考えてみてもいいと

いう条件を出された時に決着をつけて欲しかった。


 私と一緒になるのか、別れるのか。

 だって、私から母親を捨ろなんて言えるはずがない。



9-2.


 できるものなら話したくはなかったけれど・・。



 「10月の終わりのご両親との顔合わせのあった日、洗面所でね

笠原くんのお母さんに言われたの」



 「洗面所で?」



 「うん、私が食事の後で一度席を立ったことがあったでしょ?

覚えてないかな?」




 笠原くんは一生懸命あの日の記憶を手繰り寄せようとしていた。

 すぐに思い出せない彼に少なからずがっかりした。


 私の後を追うようにして洗面所に入って来て、言いたい放題の母親だった。


 あのお母さんだよ。

 大概自分達も今までに何度か振り回されてきてるだろうに、そんな母親が

すぐに私を追いかけるようにして席を外したのだから、何かひとこと私に

言ったとは思わなかったのだろうか。


 思わなかったから記憶にも残っていないのだろう。



 「そう言えばそんな事あったような。

 君が席を立った後で親父からしっかりしていて、きれいでやさしくて

気立てのいい人じゃないかって、黒崎さんのことを褒められたもんだから

舞い上がってしまって、母と君が洗面所で一緒になったこともあまり

気に留めてなかったみたいだね」


少し申し訳なさそに笠原くんが言った。




9-3.


 「そっか、そうだったんだ。

 お父さん、そんな風に言ってくださったのね。

 今度お会いしたらお礼言わないと・・」


って、私何言ってンだろう。


 もう会うこともない人に・・と、胸の中で呟いた。



      ・・・・・



 遠距離恋愛が難しいと聞いたことがあるけど、今ふとそんな事が

頭に浮かんだのは久しぶりに話す黒崎さんとの距離が少し

離れてしまったように感じているせいだろうか。


 うちの母が何か失礼なことを言ったのかな?僕が聞くと彼女は

意を決したようにあの日のことを語りだした。




 「息子は高学歴で未婚なのですから年上というだけでなく

バツまで付いているあなたとは不釣合いです。


 あなたにとってはどこまでもしがみ付きたい優良物件でしょうけれど

止めてくださいよ。


 あの子の人生を無茶苦茶にしないでいただきたいわぁ~。

 あの子には初婚で年下、子供もちゃんと産んで貰える娘さんを探して

お見合いさせますから。


 笠原くんのお母さん、そうおっしゃったの、あの日」





「ごめん、疑うつもりはないけどそれ本当に?そんな事を?」


 はっきり物をいう人だけど、息子が好きになり大切に思って

いる女性(ひと)にそこまで言うとは、竜司には俄かに信じる

ことが出来なかった。




9-4.


 笠原くんが信じられないって思うのも無理はない。


 こんな酷いことを息子の恋人に面と向かって言える人間が世の

中に何人いるだろうか。


 だけど残念ながら言える人の中のひとりがあなたの母親なの。




 「うん、実は私、あの日は失言とかがあるといけないと思ってずっと

録音してたの。失言があったら家で反省会しようと思って」


 私はイヤホンを付けて笠原くんに録音機ボイスレコーダーを渡した。


 一連の私の言動を狐につままれたように聞いていた笠原くんは

こわごわボイスレコーダーを受け取った。


 彼の顔がみるみるうちに険しい表情になっていった。



 聞き終えた時、苦しそうに喘ぐような口調で私に言った。





 「あの日、君はこんな酷いことを言われてたなんて。

 何て詫びたらいいんだろう。


 ごめん、こんな失礼なことを君に言ってたなんて!

知らなかったとはいえ、その上僕は見合いまでして君を愚弄してたって

ことだね」



9-5.



  「笠原くん、私達の結婚は無理だわ。

 お母さんの反対を覆すことは難しいと思うのよ。


 お母さんのおっしゃってることもあながち間違いじゃないし。

 笠原くんは祝福される結婚をするべきよ。

 笠原くんにはきっと若くて可愛いお嫁さんが来てくれるわ。


 お付き合いした私が保証する。

 私たち、元の同僚に戻りましょう」



 今まで言いたくて言えなかった言葉を私はその日、笠原くんに放った。


 私は何か次の言葉を探している笠原くんにその機会を与えず席を立った。



 笠原くんのお母さんとの顔合わせの日からそう遠くない日に

お別れの日が来ることは判っていたのだし、そもそもあの直後から

恋人らしい付き合いも中断していて今更のような別れなのに、それでも

私は悲しくて寂しかった。



 前の夫との別れから7年間誰とも付き合わず、ずっと一人で

過ごす日々は味気なく寂しかった。


 そんな時に現れた笠原くんにどれほど心癒されたことだろう。







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