第12話 魔王殺しの連鎖

 夏の始まりだというのに、森林公園の月が異様に青い。そして木々の葉がざわざわと揺れる。多分悪霊が息を吹き掛けたのだろう。

 その紺青の闇を破るかのように、激切なピアノの三連符が響き渡る。

「いよいよ始まったか」

 噴水の縁に立つ霧花圭きりはなけいは野外舞台へと振り返った。その動作に間髪入れず、甲高いテノールの歌声が――。

 ♪ Wer reitet so spät durch Nacht und Wind ?(夜の風をつき、馬で駆けるのは誰だ?)

 シューベルトの歌曲『魔王』だ。圭は神足なテンポに魂を震わす。


 しかし、なぜ?

 7年前市職員の圭が中心となり、町おこしのため管弦楽団を結成させた。その後一流にするため頑張ってきた。その結果が今宵の催しだ。

 されども心奥しんおうにしまった思いがある。

 ちょうど5年前、幼子・つばさがこの噴水の近くで倒れた。

「お父さん、お父さん、魔王が僕をつかんでくるよ」

 救急車の中で翼が訴えた。だが、これに応えられず、腕の中で冷たくなった。

 その日から圭は悲嘆の淵を彷徨うこととなる。


 そんなある日、友人が音楽鑑賞会に誘ってくれた。

 ♪ Siehst Vater,du den Erlkönig nicht ?(お父さんには魔王が見えないの?)

 圭が耳にした歌詞、それはまさに可愛い息子からの阿鼻叫喚だった。

 そして心に誓う。もし魔王があの森に棲んでるならば、いつの日か歌曲『魔王』を轟かせ、我が子の復讐をしよう、と。


 ♪ Erlkönig hat mir ein Leids getan !(魔王が僕を痛めつけてくるよ!)

 今、特設会場から、助けを求める歌声が圭の心胆に届いてくる。もう理性を抑えられない。圭は奥深い闇に向かって、「魔王、ここへ現れよ。殺してやる!」と声を張り上げた。

 その瞬間だった。

 鬱蒼とした木々をすり抜け、やじりをキラリと光らせた矢が一直線に、心臓を貫いた。


―― クラシック音楽の夕べ、市職員が射貫かれる ――

 本演奏会の責任者・霧花圭が森から放たれた矢により殺害された。犯人は闇に紛れて逃走。

 翌朝新聞は大きく報道した。

 もちろん百目鬼刑事も、部下の芹凛こと芹川凛子刑事も捜査に加わった。

「これはアーチェリーの名手の仕業だな」

 検死に立ち合った百目鬼、開口一番唸った。

 これに相棒の芹凛が「凶器は音を発しない弓矢、犯人はきっと被害者の顔見知りだわ。だけど、なぜ歌曲『魔王』の演奏中なの?」と首を傾げる。ベテラン刑事の百目鬼であってもこの答えを持ち合わせていない。

 謎は解かれないままに、二人は捜査本部へと引き上げた。


「お疲れ様でした」

 芹凛が差し出したコーヒーカップを百目鬼が無言で受け取る。こんな無愛想は何かに熱中している時。そしてやっぱり……、いや驚いた、〈You Tube〉に見入ってるではないか。

 芹凛が「勤務中ですよ」と諭そうとすると、その前に百目鬼はニッと笑い、口を開く。

「歌曲『魔王』は、語り手を別として、ファーター(父)とキント(子)とエルケーニヒ(魔王)で構成されてんだよな。圭介殺害の構図は『魔王、その後』の父、子、魔王の関係が当てはまりそうだ」

 百目鬼は不躾なオヤジだ。しかし芹凛にとってこの奇想天外さが堪らない。あとは「親族を当たってみま~す」と本署を飛び出すしかなかった。


 夜遅く戻った芹凛、まず百目鬼に報告する。

 圭と妻・らんは3年前に離婚。

 理由は息子の死の悲しみを夫と共有できなかったことと、心を歪めた夫からのモラハラ。その後心労で入水。

 こんな不幸を突き付けられたのが蘭の実父の優一ゆういち。かって洋弓の選手だったとか。


 そして芹凛が言い切る。

「霧花圭殺人事件における『魔王、その後』のキャスティングは、――、優一が父、蘭は子供、圭が魔王。つまり蘭の父・優一が魔王・圭を射貫き、復讐を果たしました」

 この推理は100%当たってるだろう。だが百目鬼は「ならば次の魔王役は誰だ?」と厳しく問う。

 ここは女刑事の意地だ、芹凛は頭を捻り……、

「次の父役は圭の実父で、子供役は圭、そして復讐されるであろう魔王は――、圭殺しの犯人の優一となります。まさに魔王の乗り移りです」

 こう主張し、身体を震わせる芹凛に、百目鬼は結論付ける。


「圭の息子・翼の死亡原因は多分落雷事故だった。だがその死で圭は心を病み、森に棲む、空想の魔王に立ち向かおうとした。だがその過程で、妻の蘭を死に追い込んだ。結果、圭に対し、蘭の父・優一に復讐心が生まれ、殺害を執行した。不幸なことだ。だが次は、圭の実父が蘭の父に気を狂わせる番だ。憎まれ役の魔王が人から人へと乗り移っていく。さっ芹凛、魔王殺しの連鎖を止めに行くぞ」

 こう指示を飛ばした百目鬼刑事、鬼の目をギョロッと剥いて、闇に向かって走り出したのだった。


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